元魔王・立花萌菜の日常
私は立花萌菜。
旧姓:山本。萌えるように生ゆる菜の花のように強く可愛く育ってほしい、という理由で名付けられたが、小学校の頃にこの名前のせいで「不倫女」といじめられた事がある。そんな連中は32倍くらいにしてやり返してやったのだが、今思えばこの頃から魔王の片鱗が目覚めつつあったのかもしれない。
所謂デジタルネイティブ世代で、物心ついた時からパソコンが側にあった。特に誰から学ぶわけでもなく独学でプログラミングをしていたら全国ハッカー大会で入賞するレベルまでになり、大学入試直前にベンチャー企業からスカウトされてWebデザイナーとして勤め始めた。
夫には手取り24万と言っているが、実際の手取りは48万。元々は24万だったが、他の企業からヘッドハンティングが来たときに社長にゴネたら倍にしてくれた。残りの半分は違う口座に移して投資と、もしもの時の為のへそくりとして備えている。
基本、パソコンひとつあれば出来る仕事なのでオフィス内をうろうろしながらクライアントから委託された仕事をこなす。デスクに留まっていると、暇があれば、やれ「私ってサバサバしてるから男友達多いんだよね~」とか、やれ「こないだ八人に言い寄られて困っちゃって~」とか、クソつまらんマウントの取り合いがゴキブリの羽音のように耳に入ってきて不愉快極まりないからだ。
ほっと一息つけるのは昼、信頼出来る同期の大卒の親友、佐久間薊とランチをするときくらいだ。自称サバサバ女ではなく正真正銘サバサバ女だから腹を割って話すことが出来る。
「今日も萌菜は旦那さんお手製のラブラブ弁当? 羨ましいわ~独身貴族のあたしにとっちゃ」
「こんなの昨日の余り食材で作ってるだけだよ。まぁそうしろって言ったのはあたしなんだけどね」
「十分稼いでるのに節約?」
「そりゃ増税、増税、増税……の世の中だもの。しかもこうゆう業界に居たらさ、いつ日本円が紙くずになってもおかしくないってわかんじゃん? そん時の保険だよ」
「まぁ分散投資はしておくに越したことはないよね。この出来る嫁め!」
「旦那がリスクマネジメント下手なのよ」
「リスクを背負う最前線で勤めてるのに?」
「そう思っちゃうよ「ねぇ~」(ハモり)」
だの、下らない愚痴話をしていたらもう昼休みが終わってる。ガス抜きが終わればまた仕事、仕事、仕事。仕事に優先順位をつけて今日中に終わらせなければならない仕事は何としても片付ける。そして定時まで時間があれば翌日以降も余裕が持てるように取りかかっておく。そして五時になれば打刻してカムバックホーム。しかし、ここからが本当の戦いなのだ。
「おかえり萌菜」
「気象予報士系の朝ドラか」
旦那、立花燐。勇者と魔王の関係であった前世では並々ならぬ因縁があるが今は夫婦として休戦協定を結んでいる━━━のだが、こやつ、またドラセナ(観葉植物)に水をやり忘れている。燐が巡査部長に昇進した時に祝いとして燐の上司である木ノ内課長から貰ったもので、貰った当時は「俺がきちんと毎日面倒をみる」と言ってたくせに二日で忘れた。それからドラセナ係は暗黙のうちに私に振り分けられた。
そして恐らく昼間に遊んだのであろう、ニンテンドース○ッチのソフトがテレビラックからはみ出ている。あと、旦那は何故か本でもCDでもソフトでも「横に」積み上げたがるのだ。積みきらない分はCDショップの面売りみたいに置くので、常時モノクロのテイラー・スウィフトの冷たい視線がこちらに直撃する。縦にしてきちっと並べろ、と何回注意しても治らない。コード類もテーブルの上も、ちょっと目を離せばぐちゃぐちゃになっている。
「萌菜、テーブル拭いてくれる?」
「うん━━━って、臭ッ!! ちょっと燐、この台拭き、最後にいつ消毒した!?」
燐の目が泳いでる。あれほど台拭きは三日に一回、最低でも週に一回は塩素系漂白剤に浸け置きしろ、と言ったのに忘れている。しかもこの汚れ方、テーブル拭く用の台拭きとコンロ回りを拭く用の台拭きを一緒にしていると見た。
こういう事が積み重なって耐えきれない場合は日用品の買い足し、と名目を着けてふらっとドラッグストアの近所にあるゲームセンターのパンチングマシーンで三殴りほどする。気がつけばランキングは全て私のカンスト記録で埋まっており、一度、張り切り過ぎて根本からポキッと折ってしまった事がある。ごめんなさい。
だが、夫婦生活を円満に行うにはこういったアンガーコントロールは必須だ。怒りのままに燐を怒鳴り散らしても意味はない。それに、拙い所はあるといえ、燐は家事も育児もやってくれている方だ。細かいことを槍玉に上げて燐の人格否定をすることは良いことではない。それに、家で喧嘩する癖がついてしまうと、空が物心ついたときに悪影響だ。
夕食からは、日中に空の面倒を見ていた燐に代わって私が空の育児を行う。離乳食が始まったとはいえ、まだ授乳が必要な時期だし、母乳を与えられる時間があるなら出来るだけ与えてあげたい。
夕食が終わって、風呂に入り終わって束の間の余暇を過ごし、川の字になって就寝しても私たちの一日は終わらない。空が夜泣きをするようになったのだ。その度に起こされ、宥めて、眠りにつく。しかしすぐに起きてまた泣き出す。翌日も仕事の私にとってはこの夜泣きはかなりキツイ。
━━━が、今日は何故かゆっくり眠れた。久しぶりに燐の朝食の準備をする音で目が覚めた。どういうことだろう。
「明日も仕事で大変だろうから、萌菜が寝たタイミングで空と一緒に空き部屋に移動したんだ。ゆっくり休めた?」
こういう所だ。
記憶を取り戻す前の私がこいつに惹かれたのは、きっとこういう『優しい』所だったのだろう。だが、それを口にすると調子に乗ることは目に見えているので、何も言わない。
「萌菜、いつもお疲れ様」
━━━こちらも……いつも、いつもありがとう。言葉にしてやらないけど。