魔王 VS 姑
「ほら萌菜、空が笑ったぞ!」
「まあ、ほんと。日に日に成長していくものね」
4ヶ月経つ頃には首も据わり、感情表現もだんだん上手くなってくる。萌菜も魔王としてのトゲトゲさは次第に取れていった。子は鎹というやつか。
「じゃあ行ってくるわね。今日は不燃ゴミの日だから忘れないようにね」
「はいはい。いってらっさい」
この頃になると産まれて間もなかった頃のてんやわんやも解消されていき、泣いてばかりいることもなくなった。オムツ変えのときに足がばたつくようになったので、そこは少し大変だが……
今日も不燃ゴミを出し、さらっと午前中に洗濯物類を片付け、昼下がりに抱っこ紐で買い出しに出掛けた帰りだった。おかしい。家の鍵が開いている。空き巣か?
━━━これでも警察官。全神経を尖らせてそろり、そろり、と部屋を確認しながら歩いていると、そこにはリビングに堂々と鎮座する人影が。
「あら。燐ちゃん。まぁ、子供を抱っこしてお買い物なんて、大変やねえ」
「……母さん……来るんなら連絡くらいしなや」
そう。人影の正体は燐の母だったのだ。今の物件に引っ越す時に「もしもの時の為に」ということで合鍵を立花家に送っていたのである。
「ごめんね、急に。でも、空ちゃんの顔を見たくて居てもたってもいられなくなって。京都から新幹線に乗って来てしもたわ。まあなんて可愛いらしい。燐ちゃんそっくりやない?」
「……父さんはどないにしとるんよ」
「元気よ。今日もゴルフに出掛けてはるし、何かあっても朔ちゃん(燐の兄)夫婦が見てくれるさかいね……それより萌菜さんはどないなさってんの?」
「萌菜は仕事や。俺が育休もろたから、空の面倒見よる」
「まあ……! 燐ちゃんに子育てを押し付けてお勤めやなんて、とんでもない鬼嫁やないの!」
鬼じゃなくて魔王なんだけどな……
「母さん、昔と時代が違うんや。そんないけずな事言うたらいかん」
全く、と呆れ果てて台所に立ち、料理の準備をする燐。その様を見てまた母は呆然とする。
「燐ちゃん! あんた、台所に立って料理なんかさせられとんの? あんたが刃物使う時は犯人とか取り押さえる時だけでしょ!」
使わねえわ。逆に捕まるわ。
「ただいまー。今日は早めに片付いたから二時間有給━━━ん……?」
「あらお帰りなさい萌菜さん」
「げっ……。お義母さん……」
萌菜が苦手意識を抱くのは無理もない。萌菜と会うのは結婚の挨拶以来で、そのときもしこたま京都住まいの母らしい、いけず攻撃にやられたからだ。
「萌菜さん、女の子やのに毎日仕事頑張ってえらいわね。大変でしょう(訳:妻が育児を夫に押し付けて……なんてけしからん嫁だ)」
「……そうでもありませんよ。私もきちんと時間を作って母として最低限の事はしてますし」
「せやけど仕事して帰ってお母さんもするなんてしんどくなるでしょ。これからは私と燐に任せて、仕事に十分励んでね(訳:お前に空の面倒を見させるものか。私と燐で面倒を見るから、お前は仕事だけしておけ)」
「……はぁ!? ちょ、母さん居座るつもりなん? やめてや!」
「だって燐ちゃん、しゃあないでしょ。あんたたちまだ若いのに、赤ちゃんこしらえて、何も問題なく行ってるわけないやないの」
すると、萌菜は台所に立ち、何かを作って燐の母に差し出して一言。
「職場の友達から良いお茶漬けを頂いたんです。よろしければどうぞ(訳:さっさと帰れクソババア)」
……出てる。魔王感が出てる。
「あら。そんな良いもの、私がいただくわけにはいかないわ。とても気の回るお嫁さんねえ。なおさら側で様子見させてもらいたいわ(訳:こいつ……この私を邪険に扱いやがって。そう来るなら、こちらとて意地でも居座ってやる)」
「ちょっとあなた、いいかしら」
萌菜は義母が空に夢中になってる隙を見て燐の胸ぐらを引っ掴み、バスルームに連行する。
「聞いてないぞ。あのクソババアが来ているなど」
「お……俺だって急でびっくりしてんだよ。どうせ兄貴の嫁さんにも意地悪な事して厄介者扱いされてここへ転がりこんで来たんだろ」
「勘弁してくれ。そんなババァロンダリングの行く先がこちらになってしまえば私の怒りのバロメーターもすぐに限界突破サバイバーしてしまう。あのババァが塵になってしまう前になんとしても追い出せ」
「やめろって、マジで! とりあえず明日には帰って貰うようにするから……」
「明日ではない。今すぐにだ。モンスターを狩るのが勇者の仕事だろ。さっさとあのデスタムータを追い返すんだ」
他人の母に対してめちゃくちゃ言うな……まぁ、早急に母を京都に帰した方が良いにこしたことはない……母さんのためにも。
「あんなぁ、母さん。若うに結婚して子まで出来て心配なんはわかるけど、急に来られても迷惑なんよ。何かあったらこっちから連絡するし、他所の家庭に口出すのはやめとき」
「口出したくもなるわよ! なんなんあの態度は! 結婚の挨拶に来たときは時はまだ愛想のええ子やったのに」
前世の記憶を取り戻す前だったからな。
「ええから帰ってってば。急に転がりこんで来られても迷惑なんやって。何の準備も出来てへんし」
「帰りません。あなたたち二人で空ちゃんに何かあったらどうするんよ。あんたもいつか職場に復帰するんでしょ、面倒見る人が必要になってくるはずでしょ」
「育休終わる頃には保育園に入れるようにしとるから心配いらん」
「まぁ……保育園だなんて……読み書き習うわけでもなく子供を雑魚寝させているだけのところに空ちゃんを収容させるわけなの!?」
保育園に対しても呆れるくらいの偏見ぶりだ。自分の母を悪く言いたくはないが、こんなのに居座られたら空にとっても迷惑だ。扉越しに話を聞いていた萌菜も呆れるばかり。ここで再び萌菜から呼び出しが。
「お前の母は明治産まれなのか」
「京都でも御所周辺に住んでるからな……あの辺の人たちの中にはそういう古風な意識が強い人も居るっていうか、なんていうか……室町時代から時が止まってるんだよ」
「なるほど……」
ふと、萌菜は何かを閃いたようだ。夫婦の自室から桐箱のようなものを取り出し、燐の母に持っていく。
「お義母さん、先ほどふと部屋のタンスを整理していたらこのようなものが出てきまして」
「あら、どのようなものをみせていただけるんかしら(訳:ふん……物で釣るような作戦など見え見えだ。なんと浅ましい考だこと)」
「こちら、私の生家から譲り受けたものなんですけど、一人娘だし、持っていても仕方ないので、由緒正しきご家庭で保管していただければ、と思いまして━━━正親町天皇から頂いたとされる扇です」
「正親町帝!? そないな扇が……なぜにあなたが……?」
「よく分からないのですが、私の父方の家系は今出川系のお公家さんの家系に当たるらしいのです。ですけど一人娘なので……」
「い……今出川……正親町帝にお仕えにならはった由緒正しき……そ、そないなもの、いただけません!」
「いえ是非。どうせ私の代で終わりですし」
「いえ頂けませ……あら、そうや! 今日はドラマの撮影で女優の靖口沢子はんが地元に来てはるんや。ごめんね燐ちゃん、萌菜さん、急に押し掛けて。空の顔も見れたし、今日はここで失礼させていただきますね」
母はそそくさと出ていった。
「……お前、よくあんな出任せしゃあしゃあと言えるな。そんな話、聞いたことねえぞ」
「どこに住んでるか、だので見下すような面子だけの人間には偽物のシナリオで十分よ。こんなの、おばあちゃんがデパートで買ってきて送りつけてきた、ただの扇子なのに」
こういう時に限れば萌菜の魔王的側面があって良かったと思う。きっと前世の記憶を取り戻す前なら母さんに意地悪されっぱなしであっただろうし━━━━