#6 『出稼ぎ』
その日の夜、町の人々が寝静まった頃を見計らって、グアノはそっとシャロンの家を出た。念のため、いつでも魔法が使えるように魔道具の仮面をつけている。もうこの町に戻らなくて良いように荷物をまとめ、シャロンには短い書き置きを残して来た。世話になったシャロンに何も言わずに町を出るのは抵抗を感じたが、グアノはどうしても確かめたいことがあった。
それは、今回なぜアロイが選ばれたのかということだ。父親が幼い息子を案じて町長に話を通したというのは確かに筋が通っているし、真っ当な理由だ。だが、それならばなぜ、その『筋の通った真っ当な理由』でアロイの出稼ぎが承認されるまで、三年もの時間を要したのだろう。アロイはようやく父親と別れた悲しみから立ち直り、一人で狩りもできるようになったというのに、それを見計らったようにアロイの出稼ぎが決まった。
考えすぎと言えばそれまでだ。エスベルとシヴェリエの間にどのような取り決めがあるのか、詳しいことはグアノには分からない。彼らが行っている事に口を出すべきではないと思っているし、ましてや今ある形を壊すことなどしたくはない。
(だが、あの役人の様子を見ているとどうにも…嫌な予感がする。彼は明日には町を出ると言っていた。)
役人の男の位置を探る。驚いたことに、彼はもう町の中にはいないようだ。
(今夜ならばまだこの町にいると思っていたが…どうやら既に移動しているようだな。)
こんな夜更けに移動することを考えても、やはり怪しい。グアノは足を早め、魔力を追った。
グアノが向かったのは町の南側だ。グアノが町へ来る際に通って来た北東側とは違い、南側は草原が広がっている。道の幅は広く、街路樹も植えられており、綺麗に整備されている。走りやすいその道を進むと、すぐに荷馬車が見えた。その中に複数の魔力があるのが感じ取れた。
グアノが追いかける足音に気づいたのか、馬車はグアノは追いつくより先に止まり、中から一人の男が降りてグアノを待っていた。それは町でグアノと話していた、魔法使いの男、サイクだ。
「やっぱり来たか。面倒なことになる前に町を出たが、それがむしろ怪しかったかな。」
「…町にいた時とは雰囲気が違いますね。」
グアノは言う。町では礼儀正しく、優しそうな笑みを浮かべていたが、腕を組み嘲笑うような視線を向ける今の態度はまるで別人のようだ。
「私用と公用を分けているだけさ。ここには礼儀を気にする奴なんていない。そうだろう、僕と同じ、魔法使いの旅人さん。君は一体何をしに僕らを追いかけて来たのかな?」
グアノは一つ深呼吸し、尋ねた。
「単刀直入にお聞きします。彼らがシヴェリエに向かう目的は『出稼ぎ』ではありませんね?」
どよめきが馬車の方から聞こえてきた。荷馬車は屋根がついていて前側は見えなかったが、馬の手綱を握る剣使いがいるのだろう。しかし、サイクには動じた素振りはなく、あっさりと首を縦に振った。
「そうだね。出稼ぎなんてのはただの名目。彼らをシヴェリエに連れて行く目的は…。」
言いかけて、サイクは言葉を濁す。そしてグアノの目を真っ直ぐ見据えたまま、ニヤリと口元を歪ませた。
「いや、あえて尋ねようか。君はなんだと思っている?」
「これはあくまで、私の憶測ですが。」
そう前置きして、グアノは答える。
「彼らはシヴェリエで殺されるか、奴隷同然の扱いを受けているのではないかと。」
その答えを聞いて、サイクは思案するように顎に手を当てた。その表情は、笑いを堪えているようにも見える。
「仮にそれが真実だったとして、それが分かってどうする。正義の味方を気取って、彼らを助けるつもりかい?」
「…別に。あなたのする事を止めるつもりはありませんよ。ただ、なぜそんなことをするのかを尋ねたいだけです。」
その答えに、サイクは少し驚いたようだった。だが相変わらず嫌な笑みを浮かべたまま、グアノを見定めるような視線を向けている。
「私はただ、知りたい。正義の味方などではなく、一人の魔法使いとして。なぜ魔法使いのあなたが、同じく魔法使いであるエスベルの民を殺すようなことをするのかを。」
グアノがそう答えた途端、サイクは堪えきれなくなったように笑いだした。
「くっ…あはははっ…!魔法使い?奴らが?何を言っているんだ君は。」
おかしくてたまらないと言うように笑うサイクを見て、グアノはわずかに怒りを覚えた。確かに、エスベルには魔法を使う文化は無いし、アロイの反応を見るにその存在すら知られてはいないのだろう。だが、町長もシャロンも、その他町ですれ違った人たちも皆魔力を持っていた。自覚は無くとも、彼らは確かに魔法使いだったのだ。
睨みつけるグアノをよそに、サイクはさらに続けて言った。
「僕はね、魔法使いという言葉は格式高い名誉のある称号だと思っているんだよ。単に魔力を持っているだけではなく、それを自覚し、学び、自らの手で高めて初めて魔法使いと呼ばれることができるとね。対して、奴らはどうだい。魔法を使うどころか、その存在さえ知らずに生きている奴らを、なぜ魔法使いと呼べる?彼らは単に魔力を持って生まれただけで、剣使いも同然。そう思わないかい?」
「逆に、剣使い同然ならば彼らがどうなっても良いと?」
「ああ。全くもってその通りさ。」
悪びれることもなく、サイクは答える。
「僕は剣使いが嫌いだ。彼らがどうなろうが僕の知ったことじゃ無い。」
「…っ!」
思わず魔力を構えるグアノに対して、サイクはあくまで冷静だった。やれやれと呆れたように首を振ってサイクは続ける。
「そんなに怒ることかい?同じように思う魔法使いはこの世界に山ほどいる。むしろ君みたいに、剣使いに同情する奴の方が珍しいんじゃないか?」
「……。」
「おっと悪いね、話が逸れた。なぜエスベルの奴らをシヴェリエに運んでいるか、だったか。」
「…はい。」
怒りを堪えて、グアノは頷く。今彼に怒りをぶつけたところで、何の意味もない。そもそも彼らを助けるつもりなどないのだから、怒りを向ける事さえおかしい事なのだ。
「端的に言うなら、僕もまた、ただ知りたいだけなのさ。人の心をね。」
「人の、心…?」
思いもよらない答えにグアノは驚き、サイクの言葉を繰り返した。サイクは両手を広げて語り始める。まるで、自分の考えが間違っているなど微塵も思っていないかのように。
「全く同じ経験をしたとしても、それによって得られる感情の変化は千差万別。例えば、大きな力を前にした時、ある者は恐怖し、ある者は歓喜し、またある者は欲に駆られる。この違いは個人の性格や過去の経験によって生まれるものだ。だがそれらを全て加味したとしても、どのように変化するのか、確実な予測をすることはできない。突然に思いもよらない方向へ傾いて僕らを惑わし焦らせる…。なあ、面白いだろう。まるで、火を消すために水をかけたのに、燃えあがったり凍りついたりするみたいだと思わないか?それこそ魔法のように、人の心は奥深く、先が読めない。感情というものは確かに何かしらの法則を持っているはずなのに、驚くほどに不安定で、だからこそ美しく、また面白い。」
ふふふっ、と心底楽しそうにサイクは笑う。
「さっき、僕は知りたいと言ったが、明確にいうならただそれを見ているだけでも満足なんだ。不規則に揺れ動く感情、意思と行動が矛盾してしまうもどかしさ、ある時は胸の内を焦がすほどに激しく、またある時は本人さえ気付かないほど小さく燻る。その変化、形、在り方を、僕はもっと見たい。」
サイクは目を輝かせながらそう言って、目を細める。
「剣使いには無い魔法という力を与えたときの彼らの反応は非常に興味深いよ。未知なるものへの恐怖と好奇心、高まる欲望と抑え込もうとする理性、見て見ぬ振りをする者と取り入れようとする者、様々な感情を観察できたよ。まあ、その内の誰一人も、共存を望むものはいなかったけどね。最終的な結論として、シヴェリエの奴らはエスベルの民を殺して、その魔力を魔道具に作り替えることで自分の制御下に置くことにしたらしい。魔法使いも魔道具も、使い方を誤れば危険度は同じくらいなのに。こういう考え方をするから剣使いは愚かだ。」
まるで自分は関与していないとでも言うようなその態度に、グアノは気分が悪くなって顔をしかめた。