#8 覚悟は痛みと共に
「…それで、良かったのか?これで。」
王都へ向かう乗合馬車の上で、タンザはそう尋ねた。頬杖をつき、何か考え込むように遠くの景色を眺めている。
「はい。良いのです…これで。」
グアノは答える。そして、手に持った仮面を強く握りしめた。
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グアノが発症した病としての呪い。それへの対処として、グアノは自分自身の感情と向き合わなければいけない。少なくとも、グアノは現状をそのまま受け入れる気は無かった。
だが、今のままではエルナンが言っていた通り、自身の感情に勝つ事はできないだろう。グアノはそのために、『準備』が必要だと考えていた。
この判断が正しいかは、分からない。だが、できる事は全てやっておきたいと思ったグアノは、魔道国のとある場所へと向かっていた。
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懐から薬の瓶を取り出し、指ですくって顔に塗る。薬は風に当たるとすぐに乾き、不快感はほとんどない。
今、グアノが一緒にいるのはタンザだけだ。エルナンとアロイは宿に置いてきた。だが、長距離の移動をする事を話すと、エルナンは険しい顔をして反対した。
当然だろう。まだ完全に回復していないグアノは、魔力の消耗を極力抑えなければならない。そのため、復調の呪いではなく、仮面を使って病を抑えるのが望ましい。しかし魔導国の中では、仮面をつけたままではすぐにグアノだと知られてしまい、目的地へ着く前に兵士に捕えられてしまう可能性がある。
そのため、グアノはエルナンに仮面の代わりになる魔法薬の製作を頼んだ。エルナンは渋々ながらもそれを了承し、決して無理をしないという条件付きで、グアノは移動を許されたのだった。
アロイについては、エルナンに面倒を見るよう頼んであるので問題はないだろう。戻ってくる頃には、簡単な魔法が使えるようになっているかもしれない。もっとも、不安をかけてしまっているのは事実だろうから、できるだけ早く戻るつもりでいたが。
グアノは窓の外に視線を向けた。もうすぐ王都に到着する。見慣れた景色が過ぎていくのを、グアノは何とも言えない思いで眺めていた。
ガタガタと馬車が大きく揺れ、止まる。二人は何も言わずに立ち上がり、馬車から降りた。
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冬が近づいていることもあり、空気は冷たい。外を出歩く人影は少なく、静かな町並みをグアノとタンザは並んで歩いた。
しばらく進むと、高い柵と門に囲われた敷地へとたどり着いた。門には二人の兵が番をしており、二人の姿に気づくと、軽く頭を下げ、何も言わずに門を開けた。グアノは軽く会釈し、その中へと進む。
中は庭園のようになっていて、ふかふかに整えられた土にたくさんの植物が植えられていた。その間を縫うようにして細い道が作られており、敷地の隅々まで見て回ることができるようになっている。ここは時期によっては色鮮やかな花が楽しめる場所だが、今の時期は花は散っていて、少し前の時期なら青々としていたであろう葉も、まだ枯れずに残っているのがちらほらと確認できる程度にしか残っていなかった。
「じゃあ、俺はしばらく別行動でいいのか?」
「はい。後ほど入口で落ち合いましょう。」
「…なあ。」
タンザは不安げに言った。
「あまり、無理はするなよ。」
グアノはタンザを振り返り、真っ直ぐにその目を見返した。
「はい。…と言っても、多少は無理をすることになりそうですがね。」
「……。」
「許してください。今の私には…必要なんです。」
「…わかった。」
タンザは顔を逸らし、庭園の奥の方へと進んでいった。グアノは一人深呼吸をし、タンザが進んだのとは別の方へと足を向ける。
整えられた花壇を脇目に、グアノは真っ直ぐに伸びる道を進む。そしてその一番奥、大きな木が植えられた場所までやってきた。
ここは元々は庭園ではない。確かにこの場所は一般に公開されており、一種の観光地としても広く知られているが、この場所の本来の意味を知る者ならば、ここまで奥に来る事はほとんどなかった。
ここは、代々の国王が眠る墓なのだ。
と言っても、ここに納められるのは遺骨のごく一部だけで、正式な墓は他にある。しかし一般の国民は、正式な墓地へと入る事は許されていない。ここは一般の国民が歴代の王の死を悼むために用意された場なのだ。
グアノは植えられて木の根元、立てられた小さな墓石に近づくと、その前に跪いた。小さいながらも丁寧に掃除がされ、艶やかな表面には砂粒の一つも付いていない。表面には『歴代の王 此処に眠る』と彫られているだけで、名前は刻まれてはいなかった。
「お久しぶりです。リガル陛下。」
グアノは口を開いた。
「このような形での墓参になってしまい、申し訳ありません。」
静まり返った空間に、自分の声だけが響いていた。
「セクエの呪いはまだ残ったままですが、いずれ必ず、それを解く方法も見つけてみせましょう。そのため、今は各地を旅して回っておりますが…それでも、今までなんとかやってこれました。」
そんなたわいもない話をして、グアノはふと表情を曇らせた。
「…今日は、大切な報告をするために、ここへ来たのです。」
話していて、胸の奥が、スッと冷えるのが分かった。これでいいのか、と疑問が生まれる。覚悟を決めていたはずなのに、心が揺らいでしまう。
ごくりと唾を飲む。自分自身を繋ぎ止めるように強く目を閉じ、雑念を振り払うように軽く首を振った。ここで何もできずに帰るのなら、一体何のためにここまで来たというのか。
「私は…あなたを背を追うのを、やめることにしました。」
ただそれだけ、その一言を吐き出しただけで、胸の奥が締め付けられるように苦しい。グアノは続けた。
「私はずっと、あなたのようになりたかった。あなたの隣に立つに相応しい人になりたい、あなたの力になりたいと、そう思うのと同時に、あなたに強く憧れていたんです。」
吐き出す息が熱い。体が細かく震えているような気がする。グアノは目を閉じ、さらに続ける。
「しかし私は、いつまでもあなたに縋るわけにはいかないようです。あなたのようになれなくても、不完全で未熟でも…そんな私が私であり続ける事を、当たり前のように望んでくれる者たちがいるのです。だから…」
グアノは目を開ける。そして、大切に手で握っていた仮面を、そっと地面に置いた。
「これを、ここに置いていくことにします。もう二度と、あなたに縋ってしまわないように。彼らが私に差し伸べる手を、見逃してしまわないように。」
仮面から手を離し、しかしグアノは視線を上げることができなかった。
この仮面は、リガルから贈られた物の中で最も新しい…つまりは最後に貰った物だった。これは病を抑える魔道具であると同時に、自分に唯一残された形見でもある。たとえ魔道具として機能しなくなったとしても、決して捨てるまいと、そう思っていた。
だが、今の自分にとって、これは枷でしかない。自分をいつまでも過去に縛り付け、変化を拒む理由となるもの。
グアノは立ち上がり、墓石に背を向けた。これでいい。もう自分に、これは要らないのだ。
グアノは歩き出す。しかし、急に胸の辺りが苦しくなり、足を止めた。
「うっ……。」
小さくうめき、その場に膝をつく。
(まずい、呪いが…。)
歯を食いしばる。グアノはなんとか意識を保とうと、四つん這いになって地面を握りしめた。道の固い地面に指が擦れ、ザリザリと耳障りな音を立てる。
自分の胸元から、雫が垂れている。暗闇を写したような真っ黒い雫が、パタ、パタ、と低い音を立てて地面に落ちる。
地面が黒く染まっていく。口で荒く息をしながら、しかし金縛りにあったように動く事ができず、グアノはただ地面を睨みつけていた。
暗闇はまるで大きな穴のように広がっていき、やがてグアノを飲み込めるほどの大きさになる。
(エルナンが言うには、これは幻覚魔法だ。分かっているならば対処は可能。落ち着け。冷静に…)
そう考えていると、暗闇の向こうに何かが見えた気がした。そして次の瞬間。
「……っ!」
無数の手が、暗闇から突き出してくる。グアノはなんの抵抗もできないまま、まるで抱きしめられるように暗闇の中へ引きずり込まれた。




