#3 小さな狩人
「ちゃんと眠れたみたいで安心したわ。今日は元気そうね、グアノさん?」
次の日、朝食を済ませて出かけようとするグアノに、シャロンは声をかけた。嬉しそうな、安心したような笑顔だった。
「はい。おかげさまで、ゆっくり休むことができました。昨日は心配をおかけしてすみません。」
「あらあら、いいのよ。そんな些細なこと気にしなくても。お客さんなんだもの。おもてなしをするのは当然のことでしょう?」
「ありがとうございます。…この町は、随分と旅人に対して寛容ですね。」
「そうかしら?町の外のことは知らないから、私には分からないけれど…。ああそうだわ。町を見て回るなら、ご飯はどこかの店で適当に食べてきてもいいんだけど、昼を過ぎた頃には一度戻ってきて欲しいの。」
と、シャロンは思い出したように付け足した。
「構いませんが、何かあるのですか?」
「ええ。今日は仕送りが届く日なの。この町の人達の暮らしぶりが見たいなら、絶好の機会だと思うわ。」
心なしか嬉しそうに、シャロンは言った。
「仕送り…?」
「あら、町長から聞いていないかしら?」
「…そういえば、来客の予定があるとか。」
「ええ、そう!きっとそれのことよ。…あらいけない。ごめんなさいね、これから出かけようっていうのに呼び止めちゃって。あなたが戻ってきたら、その時またお話しするわ。」
「はい。ぜひお話を伺わせてください。」
そう会釈して、グアノはシャロンの家を出た。見上げれば、澄んだ空がどこまでも高く続いていた。目を閉じると、心地よい朝の風が頬を撫でる。
(町は昨日、大まかに確認している…。魔力の持ち主を探してみようか。)
人々が活動を始めているとはいえ、まだ静かな町の中では、わずかな魔力の乱れも容易に感じ取れる。昨日感じたものと同じ魔力は、町の北側にいるようだった。
この町の北東には林が広がっている。位置を考えれば、グアノが通って来た道からはかなり逸れていた。やはり、人の目を避けたいのだろうか。
グアノは目を開け、町の北側へと向かう。北の林は道がある北東よりも木が密集している。当然足場も悪いはずだ。グアノは希釈したピドルを持っていることを確認してから林へと足を踏み入れた。
気配を探りながら進む。だが、どれだけゆっくりと動いたとしても、枝葉を踏む音は隠せない。加えて、積もった落ち葉が地面を隠しているため足場の悪さも確認できない。探知魔法などで周囲を探ることができれば楽だが、できれば魔力の消耗は抑えたい。
(魔力をたどって直線状の経路を進んだのは間違いだったな。どこか人が通った道を探せばよかったかもしれない…。)
そう思った矢先、大きく突き出た木の根につまずいて体勢を崩してしまった。とっさに近くの木に手をついて体を支えたが、手のひらに鋭い痛みが走った。見れば、その木にはまだ青い葉を付けた蔓が巻き付いている。その葉で手を切ってしまったらしい。それもかなり深い傷のようで、傷口から血が盛り上がり、赤い線になって垂れていた。
(…妙だな。)
傷を見ながら、グアノは眉をひそめた。傷の治りが遅い。本来なら、呪いの効果ですぐに出血は止まり、傷も塞がるはずだ。血が流れることなど無いのに。
(傷口から悪いものでも入ったか?町に戻ったら一度傷を洗って、軽く手当てをしたほうがよさそうだな。)
グアノは応急処置として、傷口に軽く回復魔法を使い、血を止めた。そして再び前を見据える。
「…誰!」
突然、声が聞こえた。転んだ時の大きな音で気づかれてしまったらしい。それはグアノは探していた魔法使いのもので間違いないようだが、しかし思っていたよりも高い声だった。
(子供…か?)
あたりを見回す。だが、それらしい人影は見当たらない。グアノが魔力を感じた位置までは、まだ少し距離があるはずだ。
(探知魔法を使っているのか?)
「ねえ、いるんでしょ。誰?」
グアノは声のする方へ向けて口を開く。
「驚かせてしまってすみません。私は各地を旅している者です。」
声の主は何か考えるようにしばらく黙っていたが、やがて落ち葉を踏み分ける音が聞こえて来た。こちらへ向かって来ているらしい。林の奥に見えたその少年は、足場の悪さをものともせずにグアノへと近づいて来る。
「そっか、旅人さんなんだね。いきなり人の気配がしたから驚いちゃったよ。」
グアノに駆け寄りながら少年は話す。見たところ、年齢は十歳くらいだろうか。息切れした様子もなく、跳ねるように駆けるその様子は、まるで野に住む小鹿のようだった。弓と小さな袋を持っており、背には矢筒も背負っていた。
「なんでこんな所に来たの?迷子?」
「実は、旅に使える薬草を探していたのですが、いつの間にか迷ってしまったようで。」
これはあらかじめ考えておいた言い訳だ。少年はあはは、と軽く笑った。
「そっかあ…うーん…町まで送って行きたいけど、まだやることが残ってるし…。」
「君はここで何を?」
「今日は山鳥を探しに来たんだ。えへへ、僕はこう見えても狩人の息子なんだよ!」
「君が、一人で狩りを?」
グアノは驚いて尋ねた。たしかに弓矢を持っているが、この年齢では、とても一人で狩りができるとは思えない。
「うん、そうだよ。」
少年はうなずく。グアノは信じられなかった。本当に狩りをするなら、獣に気付かれないようにもっと声をひそめるのではないだろうか。今の少年は、まるで町で遊んでいる時のように、声や足音に気を遣っているようには思えない。
「父さんは、この町一番の狩人でね、僕も父さんに教えてもらって…って、お兄さん、その手、大丈夫?」
自慢げに話しはじめた少年は、グアノの手を見ると驚いて声をあげた。
「え、…ああ、これは…。」
「オドムの葉で切ったんでしょ?」
「オドム…?」
グアノは聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
「ええっと…そっか、この木に絡みついてたんだ。オドムはね、雪が降るくらい寒くならないと枯れないし、葉が頑丈だから簡単に手とか足とか切れちゃうんだ。」
「そう、なんですか。」
「オドムの葉で切ったなら、すぐに手当てしないと。」
「いえ、このくらいの傷なら、大したことは…。」
「そんなこと言っちゃダメだよ!」
少年は慌てた様子だった。
「オドムは毒草なんだ。早く毒抜きして薬を塗らないと、どんどん腫れて悪くなっちゃうよ。」
少年の勢いに半ば飲まれるようにして、グアノはうなずいた。
「分かりました。しかし…毒抜きはいいとしても、薬は…。」
「僕持ってるから!」
いいから早くして、と言わんばかりに少年は声を荒げた。
グアノはその場で、手のひらを強く絞るようにして血を垂らした。回復魔法で塞いだ傷を再び開くことには抵抗があったが、少年が薬を持っているなら、それを塗った方が早く治るだろう。少年は傷を見ても特に嫌な顔をすることもなく、薬を塗って包帯を巻いた。かなり慣れた手つきだった。
「それはいつも持ち歩いているのですか?」
「うん。自然は何があるか分からないから、いつも持っておけって父さんが言ってた。…うん、これでよし!でも、もう毒が回ってるかもしれないし、傷が変になったら教えてね。」
「分かりました。ありがとうございます。」
グアノは頭を下げる。それを見て、少年はなぜかおかしそうに笑った。
「お兄さん、変わってるね。」
「……?」
「まあいいや。町まで案内したいけど、今日はまだ狩れてなくて、一匹仕留めてから帰りたいんだけど、それまで待てる?」
「ええ、構いませんよ。」
「うん、分かった。じゃあ、ちょっと準備するね。」
そう言って、少年は地面に腰を下ろした。そしてグアノにも座るように合図する。
「父さんが教えてくれたんだ。こうやって座って、深呼吸して、木の中に紛れて、溶け込むんだって。そうすれば、動物は僕らに気が付かない。」
「……!」
グアノは目を見張った。少年の魔力が、魔法となって気配を隠している。
(隠蔽の魔法…、それだけじゃない。微弱ではあるが、この魔法は…対象を引き寄せるための誘惑を兼ねた催眠魔法か。しかも範囲がかなり広い。この年齢で、これだけの魔法を呪文無しで使えるなんて…。)
少年の身のこなしを見れば、ここへ何度も来ていることが容易に想像できる。この魔法も何度も使っていくうちに洗練されたのだろう。なるほど、これだけ広範囲に魔法を広げられるなら、グアノが先に見つかったのも当然だ。
(これは父親に教わったのか?だが…)
妙だ、とグアノは感じる。扱い慣れているからこそなのかもしれないが、子供が魔法を使う場合は、手振りなどで魔力の方向を制御をすることがほとんどだ。この少年はそれが無い。これだけ広範囲に魔力を広げているにも関わらず、少年は地面に手をついたり、目を閉じて集中する様子もなく、ただその場に座って、動かずにじっとしているだけだ。
しばらく動かずにいると、遠くの方から枯れ葉を踏む音が聞こえた。少年は顔を上げ、音のした方に目をやる。グアノもその視線の先を追った。その先にいたのは、一羽の鳥だ。町に住むものより大型のもので、警戒するように周囲を見回しながら、地面をついばんでいる。
少年は鳥が近づいてくるのを待って見つめている。その視線は先ほどまでとは別人のように鋭かった。
一歩、また一歩と近づく鳥から視線を逸らさすに、少年はゆっくりとした動作で弓を構え、矢をつがえる。少年が弓に魔力を込めているのがグアノには分かった。
ヒュッ、と空気を切る小さな音を立てて、矢が放たれる。矢は吸い込まれるように鳥に向かって飛んでいき、羽を広げたような音と短い鳴き声が聞こえた後、鳥の姿が見えなくなった。地面に倒れたのだろう。
(これも魔法、か。)
矢の軌道を修正する魔法と、速度を増加させ、威力を増すための魔法。少なくともその二種類の魔法が見てとれた。確信は持てないが、音を消す魔法や、相手の動きを止める魔法も混じっていただろうか。
(なるほど。これなら子供一人でも狩りは可能か。だが、町の人たちは…いや、魔法を知らなければ勘付かれることはまず無いだろうな。)
グアノが見てもほとんど違和感を感じないほど、動作の中に自然に魔法が組み込まれている。彼が魔法に身振りを使わないのは、周囲の目を避けてのことだろうか。
そんなことを考えているうちに、少年は倒れた鳥に駆け寄り、何か作業をしていた。首を切って血を抜き、さらに内臓も抜いているのだろう。グアノが少年に追いつくと、まだ温かい血の匂いが鼻をついた。鳥は足を縛られて木の枝に吊るされ、首は切り落とされていた。内臓は既に取り出されており、袋に入れられていた。少年は革の手袋をしていたが、服の袖にもわずかに血がついているのが見えた。
「…苦手なら、見てなくてもいいよ。」
先程よりも少し優しく感じる声で、少年は言った。
「こうしないと食べられないのは本当だけど、臭いが強いし、気持ち悪いって人も多いから。」
「いえ、わたしは平気です。…手際がいいんですね、もうほとんど処理が終わっている。」
「えへへ、ありがと!でも、それはお兄さんの足が遅いからそう感じるんだよ。」
そう言って、少年は笑う。
「父さんはもっと…早かった。」
少年は一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが、それはすぐに消え、グアノに向き直ってにっこりと笑った。
「じゃあ、血抜きも済んだし、町まで帰ろ!」
少年は手袋をしまうと、今日とれた獲物を手に持って歩き出した。グアノは後を追う。少年が歩いている場所は獣道のようになっていて、グアノが来た道よりも歩きやすかった。
(これなら、魔力の消耗はあまり気にしなくても大丈夫そうだな。)
そう考えて、グアノは口を開く。
「狩りの方法は、父親から教わったのですか?」
「うん、そうだよ。」
少年は振り返らずに、足場を確認しながら歩く。
「でも、全部教えてもらえたわけじゃないんだ。子供でも運べるから、って山鳥の狩り方は最初に教えてもらえたけど、猪や鹿は、もっと大きくなってから、って教えてくれなかった。」
少年はやや不満そうにそう言った。
「僕も、父さんみたいになりたかったんだけどなぁ…。」
その声音はどこか寂しそうで、グアノは悪い気がしてそれ以上は尋ねなかった。
黙々と歩いていると、木々の隙間から町の風景が見えてきた。林を抜けると、少年はグアノを振り返って言った。
「お兄さんって、今はシャロン姉ちゃんのとこにいるんでしょ?お兄さんの傷の様子も見ておきたいし、送ってくよ。」
「分かりました。それなら、傷の手当と合わせてお願いしましょう。」
頼られたことが嬉しかったのか、えへへ、と照れ臭そうに笑って少年は歩き出した。グアノは少年について歩きながら、グアノもう一度町の様子を確認した。
昨日と比べて、少し騒がしい気がする。そういえば、シャロンが仕送りが来ると言っていたが、それが関係あるのだろうか。