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魔法使いの旅路  作者: 星野葵
第4章 いつまでも貴方の隣で
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#5 黒い炎、白い翼

嫌いだ。


真っ黒くて大きな感情が、冷たく燃えている。


歯痒い、憎い、恨めしい。

何も変えられない、何も変わらない、愚かで醜い自分自身が、嫌いだ。


グアノは何も見えないように目を閉じて、耳を塞いで、それでも耐えられずにその場にうずくまるようにして、その言葉を自らの内に入れるまいとしていた。


(違う、違う…!)


何度も何度も自分に言い聞かせる。しかしまるで否定を許さないように、受け入れる事を強制するように、感情の波は繰り返して押し寄せてくる。


めまいがした。意識が細かく切り刻まれ、霧散していくようだった。自分がどうなってるのか、なぜこんなことになっているのか、分からない。このまま自分は消え去ってしまうのではないか。


ぐっと、自分の体を抱きしめる。肩に痛いほど食い込む自分の指が、小刻みに震えていた。


(違う…。)


歯を食いしばり、心の中で呪文のように唱える。


(これは、私の感情ではない。流されるな…。)


しかし、どうすればいいのか分からない。ただ、黒く冷たい炎が、自分の内側で静かに燃え続けているだけだ。


嫌悪や失望が頭の中に満ちていく。熱が奪われ、意識が遠のく。この震えが寒さによるものなのか、恐怖によるものなのか、もはや区別などついていなかった。


いっそ全て終わってしまえと、諦めのような感情が胸の奥で沸いた。己を手放す事など簡単だろう。しかし…。


うっすらと目を開ける。途端に涙が溢れた。一体どんな思いで、この涙は流れたのだろう。悲しみか、苦しみか、恐れか。


いや、どれも違う。


(これは…何だ…?)


バタバタと、羽ばたきの音が聞こえた気がした。


ーーーーーー


「おはよう、グアノ。と言っても、もうすぐ昼を回るけど。」


目を開けると、目の前には部屋の天井と、炎のような赤い髪。一年ぶりに見る懐かしい顔に、グアノは挨拶を返そうとしたが、体が重くてうまく声が出せない。


「何も言わなくていいし、無理に動こうとしなくていい。事態は把握済みだ。悪いけれど、しばらくそのまま休んでいてくれるかい。まだ僕の用事が済んでいないからね。」


グアノが何を言うよりも速くエルナンはそう言って、すぐにグアノの視界から消えた。淡々と必用事項だけを並べ、効率を重視するあたり、エルナンらしいなと思った。


回らない頭で首を回し、エルナンを視線で追う。彼は腕にナウスをとめていた。空いた手で羽毛を優しく撫で、全身を確認しているようだった。エルナンはこうして年に一回、ナウスの様子を確認しに来るのだ。ナウスは特に嫌がる様子は無くされるがままで、時折エルナンが見やすいように翼を広げたりしていた。少し離れたところで、アロイが興味深そうにそれを眺めていた。


「羽の乱れは多少あるようだけど、目立った傷はほとんど無いね。そして魔力の消耗もかなり少ない…大事に使っていると言うより、使いこなせていない、という感じかな。」


エルナンはグアノが見ていることに気づいて、視線を向けてそう言った。困ったようなその表情は非難を含んでいるようには見えず、ただ寂しそうに見えた。


「きっと、周囲の警戒よりも、手紙の伝達ばかり頼んでいるんじゃないか?」

「ナウスは、他にどんな事ができるの?」


アロイが尋ねる。エルナンは頷いて答えた。


「ナウスの能力は偵察に特化しているからね。特に視覚に関する魔法なら、ほとんど全て扱えるはずなんだ。視力強化や、目で得た情報を他者と共有したり、逆に他人の視界を借りることもできる。あとは、透視や視覚選別を活用した探知魔法もできるね。」

「選別…?」

「ああ…分からないか。」


ふむ、と顎に手を当ててエルナンは考える。


「分かりやすく言うなら、『選び見る』ということだよ。無数に散らばった小石の中から黒い石だけを探し出したり、特定の魔力の魔道具だけを探したりできる。物や人を探す時には有用な魔法だ。でも、その魔法が使われた形跡があまり無い。」

「うーんと…、先生の旅って、探し物をしてるの?」

「ああいや、そうじゃなくてね。探す、ではなく『気づく』と言えば分かりやすいかな。例えば、近づいてくる盗賊や魔法に、より早く気づけるなら便利だろう?少人数でで旅をするのは何かと心もとないし、周囲を常に警戒するのには限界がある。」


エルナンは軽く腕を上げる。ナウスはその勢いでバタバタと飛び立ち、グアノの枕元に降りると、寄り添おうとするようにその場に座った。少し怪訝そうな顔でそれを眺めながら、エルナンは言う。


「魔獣には必ず役割がある。ナウスの役割は『警戒』。グアノの代わりに、外に目を向け、警戒し、迫る危険をより早く伝えることができるように。旅をする上で、そういった存在が必要になると思ったからね。」


エルナンはグアノに向き直り、腕を組んでナウスを見ていた。


「…だから今回、ナウスを見つけた時は驚いたよ。まさか室内にいるとは思わなかったから。」

「……。」

「違和感はないか、グアノ。ナウスが室内、それも触れられるほどまでお前に近づく事に。」


グアノはひとつ息を整える。


「妙だとは、思っていました。今までずっと、ナウスが私の側に来ることはありませんでしたから。何を考えているかもよく分かりませんし、人間を嫌っているのかと思っていたのに。」

「ナウスがお前から離れようとするのは、お前が嫌いだからじゃない。周囲のより広い範囲を見渡すために、あえて離れる必要があるんだ。ナウスは、お前にとって脅威となる存在を最も確実に監視できる位置を選ぶ。他者との関わりを避けようとするのも、役目を忠実に守ろうとしているから。」


エルナンは横になったままのグアノへと近づく。傍で座り込むナウスをそっと撫でているが、その表情は険しい。


「そのナウスがお前から離れようとしないという事は、その脅威がすぐ近く、あるいは内側に存在する、という事なんだ。」

「内側…ですか。」


呟くグアノに、エルナンは尋ねる。


「察しがついていると思うが、お前は今、かなり厄介な状況に置かれている。」


そしてエルナンは順を追って説明した。呪いという病について。今回グアノに現れた症状について。これから何度も同じ事を経験するであろう事も、放置するなら確実に寿命が縮むという事も。


「……。」


グアノはただ黙って聞いていた。その話が自分の事とは思えず、どこか現実ではないような気さえした。しかし、それが現に起こっているのだから、もはや否定のしようはないのだろう。


「それで、今後どうするかだが、選択肢は二つある。」


エルナンはただ、冷静に続けるだけだった。


「一つは、このまま呪いを背負い続ける事。つまりは死を受け入れるという事だが、このまま放置するとしても、十年くらいは大きな問題は無く生きられるだろう。早急に死ぬわけじゃない。受け入れるだけの時間の余裕はあるはずだ。そしてもう一つ、これはあまりお勧めはできないが…。」


言葉を濁し、エルナンは表情を曇らせた。


「お前自身が呪いと向き合う事だ。僕が魔法を使って意識を精神の内側に閉じ込める。きっとそこで、自分自身の感情と正面から対立することになるだろう。それに勝つことができれば、呪いは解ける。だが、もし失敗すれば…。」


ごくりと、エルナンが唾を飲んだのがわかった。


「お前の精神は完全に呪いに蝕まれ、目覚めることすらできなくなるだろう。息はし続けるが、実質的には死と変わらない。」


エルナンは頭を抱え、視線を下げた。


「…すまない。僕に提示できる解決策はこの二つだけだ。もっと何か、他の対策を取れればいいんだが…。」

「いいえ。ここまで考えてもらえただけでも、ありがたい事です。」


グアノは口を開く。


「魔法の知識や技術は、あなたの方が優れている。…そのあなたがそう言うのなら、その二つの中から選ぶほかは無いのでしょう。」

「……。」

「エルナン。私は、まだ死ぬわけにはいかないのです。頼めますか?」

「…駄目だ。」


エルナンはグアノとは視線を合わさず、首を横に振った。


「言っただろう。その方法は勧められない。」

「しかし…」

「今のお前じゃ、絶対に勝てない。」


静かに、しかし力強く吐き出されたその言葉に、グアノは黙り込んだ。


「おそらく呪いの根底にある感情は、グアノが昔から抱え続けてきたものだ。それが呪いとなって現れたということは、その感情は今一段と強くなっているということ。その感情に、お前が勝てるわけがない。」

「……。」

「言いたいことは分かるさ。償いたいんだろう。だからまだ死ぬわけにはいかない。それは僕だって分かってる。でも、僕にはできない。僕に…人殺しをさせないでくれ。」


そう言うエルナンは、見たことがないほどに悔しそうな、悲しそうな顔をしていた。グアノは何も言えず、ただ黙ってその顔を見ていた。


「僕はもう行く。できることはまだあるかもしれない。できる限りの最善策を見つけてみせるよ。…また様子を見に来る。」


そう言って、エルナンは部屋を後にした。グアノは何もなくなった空間を呆然と見つめていた。

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