#4 言葉の枷
エルナンは歩きながら、ふうと息を吐き出した。
(僕はあんな風にはなれないな。)
グアノが死ぬかもしれないと知って、アロイは泣いた。エルナンに視線を向けながらも、タンザはすすり泣くアロイを慰めるように背をさすっていた。その光景が、見せつけられたようにさえ感じたのはなぜだろう。
死の危険を知って、それを悲しんで涙を流す事。泣く者に寄り添い、慰めようとする事。きっとあれは、当たり前で、ありふれた行為。
だが、自分はただ淡々と現状把握に努めるだけ。セキガ族として、異種族よりもなまじ知識があることの弊害か。それとも単に、必死になるあまり大切な何かをどこかに置き忘れてしまったか。
(僕は呪いの原因を劣等感だと推測したが…。なあグアノ、劣等感くらい僕にだってあるさ。)
確かに、エルナンはこの国の魔法使いと比べれば高い技術を持っているのだろう。だが、一族の中では劣っている。生まれ持った魔力の量が、他よりも少なかったためだ。僅かな差だが、生まれ持った才は決して埋められない。
追いつこうと必死になった。その度に、何度も挫折を味わった。自己嫌悪など、飽きるほどに繰り返した。だから、なんとなく分かる。自分の無力さへの絶望も、何もできない劣等感も。
それが、一人では決して消せないものであるということも。
(グアノには、まだ無いんだろうな。その思いを覆い隠してくれる何かが。)
あの日、自分に手を差し伸べたキリヤのような存在が、グアノには必要なのだろう。きっと自分はそれにはなれない。だが、諦めたくはない。
(僕となんとなく似ている気がする。たったそれだけでお前を守りたいと思えるのなら、僕の人情もまだ捨てたものじゃないのかもしれないな。)
考えていると、後ろから声をかけられた。
「おい、待ってくれ!」
振り返ると、タンザが駆け足で近づいて来ていた。
「まったく…そんなに急がなくてもいいじゃないか。」
「どうかしたのか?」
まさかグアノに何かあったのか、とエルナンは不安になった。険しい顔で尋ねるエルナンに、タンザは落ち着いた様子で答えた。
「まだ、お前に聞いてないことがあったからな。それだけどうしても確かめたかったんだ。」
「……?」
必要なことは全て教えたはずだ。タンザは何を気にしている?
「お前、グアノが呪いを使うことを反対していたと言ったな。」
(ああ…その事か。)
エルナンは納得した。
「呪いの話を聞く限りじゃ、制御して扱う分には危険性は低そうだった。それなら、一体何を気にしていたんだ?」
「確かに、魔法としての呪いは説明していなかったな。教えてもいいんだが…。」
エルナンは言葉を濁す。
「何か、問題があるのか?」
「いや…、今晩の宿を用意してほしくて。」
エルナンは答えた。少し気まずくなって首の後ろを手で押さえる。
「まさかグアノがここまでの状態だとは思わなかったんだ。長期の滞在は予定していなかったから、今晩は行く当てが無くてね。呪いについて少し確認したい事もある。できれば野宿は避けたいんだが…。」
タンザはあっけに取られたように口を開け、エルナンを見ていたが、やがて堪えられなくなったようにフッと吹き出した。
「なんだ、そんな事か。」
「…何も笑う事はないだろう。」
「はははっ、悪い悪い。そういうんじゃないんだ。ただなんとなく、お前は冷たい感じがしたから、ちゃんと人間味のある奴で良かったって思って…。」
「訂正されてなお馬鹿にしているように聞こえるんだが…。」
呆れながらそう答えたが、しかしどこか安心している自分がいた。
「…グアノのそばに、お前みたいな奴がいてくれて良かった。」
「うん?何か言ったか?」
「何も。それで、どうなんだ?用意をしてくれるのか?」
「ああ、それくらいならお安い御用だ。ちょうどこの町に滞在するために宿を取っているからな。話を通せば客が一人増えるくらい問題ないだろう。」
タンザの言葉に、エルナンは眉を寄せる。
「いいのか?そんな事をして。」
「何も問題はないさ。費用は俺が出す。どうせ魔法で移動するからって、金もほとんど持って来ていないだろう?」
「ご名答。それじゃあ宿に案内してもらおうかな。」
「まったく…、行く当てを用意してやるっていうのに偉そうだな。」
「それはお前が呪いについて知りたくて勝手にやった事だろう?貸し借りは無い。僕らは対等に話し合える関係のはずだ。」
「はいはい、そうかよ。」
タンザは歩き出す。それを追いながら、エルナンは口を開いた。
「呪いが、魔力の変質によって起こるものだというのは話したな。」
「ああ。」
「魔法でそれを再現するという事は、変質を意図的に起こすということだ。だが、完全に変質させてしまうと、その魔力は制御下に置くことができなくなる。だから、完全な変質を避けるために、制約を設けるんだ。」
「制約、か。」
タンザは顎に手を当てて考え込む。エルナンは続けて言った。
「普通の魔法、とりわけ魔道具にはよく使われる方法だと思う。」
「そうだな。暗い場所でのみ光る明かりや、傷口に反応する魔法薬…ごく自然に魔法に組み込まれているから、今まで制約として意識したことはなかったが。」
「まあ、それが普通だろう。こういった制約は特に意識しなくても自然とできるようになる。だが、呪いは失敗すれば命に関わるからな。意識して明確に制約を設ける必要があるんだ。」
「特定の条件下でのみ効果を有効にさせる、って事か。」
エルナンは頷いた。
「呪いの場合、この制約は『誓い』と呼ばれる。そして誓いを立てるために必要なのが、『名前』と『肩書き』なんだ。この二つが成立する限り、呪いは解けない。逆に、この二つのうちどちらかが崩れれば、魔力の変質は解け、呪いは効力を失う。」
「名前はいいとして…、肩書きというのは何だ?」
「言葉の通りさ。その人を表す、名前以外のもの。例えば僕でいうなら、赤髪の魔法使い、といったようにね。間違ってさえいなければどんな言葉でもいい。」
そう言って、エルナンは表情を曇らせた。
「でも逆に、呪いを維持させるなら、自分で立てた誓いを守り続けなければいけない。たとえそれが、どんなに些細な事だったとしても。」
「なるほど。どんな言葉でもいいからこそ、慎重に選ばなければいけない、ってことか。」
「…そう。本来ならそのはずなんだ。簡単には解けないように。しかし必要な時が来れば、いつでも呪いを解けるように。選ぶのは慎重にならなければいけないし、そうなるのが当然だ。」
段々と言葉が弱くなるその声を聞いてか、タンザは察したように一つため息をついた。
「しかしあいつは、そうはならなかったと。」
「……。」
「はぁ、変なところで思い切りがいいのは相変わらずだな。思い切りがいいと言うか、我が身を顧みないと言うか…。」
「グアノは。」
エルナンは胸の奥が苦しくなるのを感じて、押し出すように言葉を繋いだ。
「『放浪の魔法使い』という肩書きを自分に課した。グアノは…もう一所に留まる事ができない。それを選べないように、自ら退路を絶ったんだ。」
「……。」
「僕は当然反対したさ。もう生き方を変える事ができなくなるという事だし、なんらかの事情で足止めを食らえば、それだけで呪いが解けてしまうかもしれない。なにより、そんなの…背負いすぎだ。」
呟くようなエルナンの言葉を、タンザは黙って聞いていた。
「呪いを扱う者にとって、肩書きはいわば枷のようなもの。呪いを制御下に置くために、自らもまた呪いに縛られる。グアノは自分で課した言葉の枷に囚われ続けているんだ。そして、そうやって自分を追い込み続けた結果、呪いを発症してしまっている。全く不甲斐ない。こうなる事くらい予想できていたのに…僕はどうすればグアノを止められるのか分からなかった。」
エルナンが話し終えると、タンザは静かに口を開いた。
「一つ、確認したいんだが。」
「何だ?」
「グアノの呪いは何なんだ?その存在が枷になるほどには重要なんだろう。」
「……?」
その問いの意図が分からず、エルナンは眉を寄せてタンザに視線を向けた。
「呪いの効果についてはさっきも話しただろう?」
「そうじゃない。俺が聞きたいのはどんな呪いかじゃなくて、どうしてその呪いが必要なのか、だ。聞いたところ、ただの回復魔法じゃないか。わざわざ呪いにせず、自分で使ってもいいはずだ。」
「病について、知らないのか?親しい間柄だったんだろう?」
「病…な。」
タンザは呆れたように頭に手を当てた。
「なるほど。ようやく飲み込めてきた。事情があるんだとは思ってたが…。」
そしてふと、悲しそうな顔をする。
「俺にくらい話してくれてもよかったのにな。」
「…知らなかったのか。」
「まあ、そうするのが一番だったんだろうさ。偏見があるっていうのも分かる。でも、俺だって…あいつの力になってやりたいのに…。」
はあ、と吐き出したため息は重く、それはそのままタンザの心境を物語っていた。
「…暗い話をさせて悪かったな。少なくとも、お前がグアノのために動いてくれてるんだと分かって安心したよ。」
その言葉に、嘘はないように思えた。しかし、どこか納得がいかないのだろうとも思った。
宿までの残りの道のりを、二人は黙って歩いた。




