#3 グアノの呪い
エルナンは部屋に置いてあった机の方へ行き、椅子に腰掛けると、二人に近くへ来るよう手招きした。二人が椅子に座ると、タンザは少し不安げな顔をした。
「アロイ君は、聞いてもいいのか?難しい話になると思うが…。」
「いや、グアノと一緒に旅をしているなら、知っておいた方がいいだろう。それに、知識として知っているだけで魔法への理解も深まる。知恵は力だ。僕は一緒に聞く事を勧めるよ。」
そう答えて、ちらとアロイを見る。アロイは緊張したように口を結んでこちらに視線を向けていた。
「さて…まずは呪いという魔法についてだ。これが分からない事には話が始まらないからな。呪いというのは平たく言うと、一度使えば効果が永続的に維持される魔法のことだ。効果は呪いによって様々だが、使える相手は人間に対してのみ。そして呪いを受けた者は体のどこかに必ず印が現れる、という特徴がある。」
「あ、それなら分かるよ。」
アロイが声を上げた。
「先生の顔、白い月みたいな模様が描いてあったよね。」
その言葉に、エルナンは頷く。
「それはグアノが作った呪いだな。制作の段階で何回か相談に乗ったことがあるから覚えているよ。」
エルナンは口元に手を当てて記憶を辿った。
「名前は確か…『復調の呪い』。体に負っている怪我や病を少しずつ治す、という効果だったはずだ。君が言った通り、呪いの印は白い三日月。位置は左のこめかみ、だったかな。」
「……。」
その説明を聞いて、タンザは何やら考え込んでいるようだった。エルナンは構わずに続ける。
「呪いというものは様々な種類があるし、永続的な効果を持つという点で、非常に便利な魔法だ。だが、かなり難易度が高い。普通の魔法と違ってとても不安定で変化しやすく、完全な制御下に置くのは不可能と言ってもいい。なぜだと思う?」
エルナンは尋ねる。二人は考え込むような素振りを見せたが、その口から答えが出る事はなかった。エルナンは口を開く。
「呪いが『魔法』ではないからだ。」
「魔法ではない…?」
「そう。大前提を崩すようで申し訳ないが、少なくとも元々、呪いは魔法使いが発症する『病』だった。今の時代における呪いというものは、その病を模倣して作られたに過ぎない。」
エルナンはアロイに向き直る。
「アロイ君は、感情と魔力の関係についてはもう知っているかい?それから、魔力の質についても。」
「うん。先生から教わってるよ。どんな気持ちかで、魔力が大きくなったりするって。あと、人によって、魔力が少しずつ違ってるんだよね?」
「その通り。そこまで分かっているなら話は早い。」
エルナンは頷く。
「一般に知られている通り、魔力は魔法使いの感情に強く影響を受ける。魔力の増減や魔法の精度に影響する事が広く知られているが、ごく稀に、蓄積された大きな感情によって魔力の一部が変質してしまう場合があるんだ。」
「変質だと?」
タンザが驚いたように繰り返した。
「君も知っての通り、魔力が変質するのは危険なことだ。」
「えっと…、それはどうして?」
「魔法を使う感覚に違いが出てしまうからさ。得意な魔法が変わってしまうし、質によっては使えない魔法も出てくる。生まれ持った魔力なら感覚的に分かっている事が通用しなくなる。例えば、明日から急に知らない家で暮らせと言われても、間取りや家具がどこにあるか分からなければ快適には過ごせないだろう?そういう事だよ。」
「ふうん…?」
「いや…それ以上に大きな問題がある。」
そう言ったのはタンザだった。彼は険しい顔をして口元を押さえている。
「魔力の変質が急に起こると、制御が効かなくなる場合がある。魔力が全く使えなくなったり、逆に暴走を起こして勝手に魔法を使ってしまったり…。」
「そう。重要なのはそこだ。」
タンザがゴクリと唾を飲んだのが見てわかった。事態の深刻さがようやく掴めてきたのだろう。
「変質した魔力が暴走を起こし、本人の意思とは無関係に魔法を発動させてしまう。それが病としての『呪い』。…もっとも、今は制御の技術が上がっているから、暴走を引き起こすほどの大きな変質は現代ではほとんど起こらないと言っていい。それに、過去の歴史を遡っても、記録されている事例はごく僅かだ。」
そう前置きした上で、エルナンは腕を組んで険しい表情で続けた。
「だが、かなり厄介な病である事は間違いないだろうな。魔力の変質が原因だから、理論上はその魔力が全て消費されれば治る。だが、その魔力も元の魔力と同様に自然に回復するから、これは不治の病と言って過言じゃないだろう。実際、数少ない資料の中で、治療に成功した例は一つもない。」
「……。」
二人は押し黙ったまま、何も言わなかった。ただエルナンの声が静かに、淡々と事実を告げていく。
「もう察しがついているとは思うが、グアノは今、病としての呪いを発症している。それに加えて、グアノが自分で作った呪いも背負っているから、その呪いの維持のために魔力が大量に消費される状態なんだ。眠っているのに魔力の回復が遅いのはそのためだ。現状、眠っている間は徐々に回復するようだが、目が覚めれば、起きて活動しているだけでも魔力は減っていくだろう。」
「それだと、魔法を使うどころか、通常の生活を送るのさえ難しくなるな…。病の方はともかく、グアノが自分で使った呪いを解く方法は無いのか?」
「あるにはある。だが、それをしたところで時間稼ぎにしかならないだろう。それに、その呪いはきちんとグアノの制御下に置かれているから、魔力の消費量を考えても、危険性はとても低い。やはりなんとかすべきは病の方だな…。」
ここでアロイが口を開いた。
「その、病気の方はどんな呪いなの?」
エルナンは顎に手を当てて答える。
「僕もはっきりとは読み取れないんだ。あの呪いはグアノの制御下にないし、しかもまだ不完全な状態だからね。でも読み取れた限りでは、グアノの精神に負荷をかける事を目的としているみたいなんだ。眠らせた上で悪夢を見せる、という内容だと思うんだが…。」
「つまり、催眠魔法か?」
「いや…。」
エルナンは言葉を濁す。
「催眠魔法の類は読み取れなかった。ただ気になる点として、魔力消費の効率がとても悪い。今回みたいに、一度効果が現れただけで意識を失うほど消耗する。催眠魔法ではなく、一種の幻覚魔法なのかもしれない。」
エルナンはここで言葉を切った。そして考える。
(魔力の異常な消耗、そしてこの効果…、変質の原因となった感情はグアノの性格から考えて後悔や劣等感だろうか…?だとしても、単純に蓄積されただけでこれだけの変質が起こるのは考えにくい。おそらく何か、きっかけになるような事があったはずだ。)
チラリと視線を上げる。不安げに俯くアロイを見て、エルナンは思考を巡らせた。
(僕はあの少年を知らない。一緒に行動しているのはなぜだ?グアノの中の後悔を大きくさせるような何かをあの子が持っていた?だとしたらそれは何だ…?)
エルナンは目を閉じて息を吐き出す。
(そうやってすぐに相手を敵視してしまうのが僕の悪い癖、だな。原因を考えるのは後でいい。呪いを発症させるほどの大きな感情を完全に取り除くのは、おそらく不可能だからな。今はそれより、呪いの進行をどれだけ遅らせるかが課題だ。となると、やはり伝えておくべきか。)
エルナンは目を開け、再び話し始める。
「もし、このままグアノの呪いが進行すれば、魔力の消耗による体力的な疲弊と、悪夢による精神的な疲弊を、同時に、何回も経験する事になる。こんな事は言いたくないが…。」
ごくりと唾を飲んだ。最悪の事態を想像すると腹の奥が冷える。だが、考えておかなければならない事だ。
「この状況が繰り返されれば、緩やかに、しかし確実に、グアノは死へと近づいていくだろう。すぐに死ぬ事はないだろうが、少なくとも、人並みの寿命は生きられないはずだ。」
「そんな……!」
アロイは声を上げ、わなわなと唇を震わせた。
「なんで…なんで…?嫌だ。そんなの嫌だよっ…!」
ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、アロイは泣き出した。声を押し殺してしゃくりあげる様子を見て、タンザはそっとその背に手を当てた。そしてエルナンを睨むようにして言った。
「おい、いくらなんでも、こんな子供にそんな残酷なこと言わなくたって…!」
「…だったら、現実を教えずにいた方がいいのか?」
エルナンは静かにタンザを見つめた。
「僕は、相手がたとえ子供でも、ちゃんと現実を教えてやるべきだと思う。何も知らなければ、何もしてやれない。何も選べない。何も知らないまま、気付いたら全て終わっていた、なんて…その方がよほど酷だろう。」
そう答えたエルナンに、タンザは何も言い返すことはなかった。
「アロイ君。」
エルナンは声をかける。アロイは涙を手で拭いながら顔を上げた。
「いきなりこんな話をしてしまってすまない。もちろん、僕だってグアノをこのままにするつもりはない。できうる限りの最善策をとるつもりだ。だから、君にも考えていてほしいんだ。グアノにどうしてほしいか、君がどうしたいのか。事実を君に伝えた以上、君の選択を子供の意見だと蔑ろにはしないから。絶対に。」
アロイは涙で目を真っ赤に腫らしながら、こくりと頷いた。
「それじゃあ、僕はそろそろ行こう。」
「グアノはこのままで大丈夫なのか?」
「これ以上、僕にできる事はないだろうね。あとは魔力が自然に回復して目覚めるのを待つしかない。おそらく明日の昼頃には目覚めるだろうさ。その頃にまた様子を見にくるよ。」
エルナンは立ち上がる。
「それに、僕は僕のできることを探さなければね。色々と検証したい事はあるし、調べなければならないこともある。」
「グアノを見ながらじゃなくても、そんなことできるのか?」
タンザは意外そうにエルナンを見つめている。エルナンは少し困ってしまって、苦笑を浮かべた。
「一度見た魔法なら、そうそう忘れないさ。それに、僕の技量ではこれ以上の読み取りは不可能だ。むしろ、細かく読み取れなかった事や時間をかけすぎた事が恥ずかしいよ。こう見えて、僕はそこまで魔法が得意なわけではないからね。」
エルナンは部屋を後にした。




