#3 生かされた者
「良いのか、老。」
声が届かない程度に離れてから、ムイラはエシクスに声をかけた。エシクスは立ち止まり、すぐそばにぴたりとついてきていたイブの頭を撫でた。
「何が、かな?」
「隠さないでほしい。あの男に決闘をさせるつもりだろう。」
エシクスは振り返り、ムイラに視線を向ける。
「あまりに愚かと、私を笑うかい?」
「……。」
「それでも構わないさ。それ以外の方法を、私は知らない。上手くいくことを、ただ祈るしかない。」
悲しげに、エシクスは視線を逸らす。その先にあるのは、剣使いが住むあの町だ。
「私は人間と共に生きていても、何一つ理解してあげられていなかったのだなぁ。あの旅人様がどうすれば町へ迎えてもらえるのか、正しい答えが分からないのだから。」
「それは…仕方のない事でしょう。俺も、人間と共にいたのに、彼らのことを何も知らない。」
「何はともあれ我々には、もう猶予など残されていないのだ。」
呟くように、エシクスは言葉を繋ぐ。
「きっと彼らはもうじき、我々を一掃しにかかるだろう。その前に、旅人様の誤解を晴らさなければ。手助けができるのは、我々しかいないのだから。」
「…ああ、そうだな。老。」
はぁ、と重く、長いため息をつく。
「たとえ理解できずとも、彼らと共に居た頃の記憶は、私の中でまだ、美しく輝き続けているよ。」
「それは、俺も同じです。」
「ん、イブも、だよ。懐かしい、なあ…!」
にこりとイブが微笑む。
「イブが、クルッて、するとね。みんな、ワアッて、笑うんだよ。たくさん、パチパチ、して、くれたんだ。」
「そうか、そういえばイブは曲芸団に入っていたな。」
ムイラは大きく翼を広げてみせた。
「俺はこの大きな翼で、空高くから獲物を探していた。狩りが上手くいくと、人間はいつも俺を褒めてくれたな!誇らしかったし、嬉しかったものだ。」
ムイラは翼をたたみ、町へと視線を向ける。
「そんな日々がずっと…続くと思っていたのだが、な。」
「仕方あるまいさ。彼らは魔法を知らぬ剣使い。魔獣の我らと分かり合えぬことがあるのは当然の事。魔獣である我らは、ただ持ち主の望むままに在るだけ。」
エシクスは二人に視線を向け、そして微笑んだ。
「さて、セベントや他の仲間のところへ行かなければ。寂しがっているだろう。」
彼らの魔力はもう限界寸前だった。身を寄せ合っている魔獣の中には、すでに力尽きた者も多い。エシクスは消耗が少ない方だが、魔法を扱えるセベントや体の大きなムイラは消耗が激しいのだ。こうして思い出話に花を咲かせられる日々も、いつまで続くだろう。
(作り物のこの肉体では、涙さえ流せない。…私はなんと罪深いのだろう。私は生かされたというのに、なぜお前たちがそれを望んだのか、今でもまだ分からない。)
ーーーーーー
アロイは困惑していた。あの後、グアノと話していた男の家に連れて行かれ、気づけば食事を出されていた。グアノと離れ離れになってしまったことを何度も謝られたし、相手の反応を見る限りは悪意はなさそうで、食べてもいいとは思うのだが…。
「ああっ!まってよ、それボクの!」
「何よ。早い者勝ちでしょ?」
「こらこら、喧嘩しないで仲良く食べなさい。」
アロイと向かい合うようにして座っている子が三人、賑やかに、まるで喧嘩のような食事をしていた。
「ねえねえ、キミはたべないの?」
「そうよ。食べないなら私が食べちゃうわよ?」
「こら!食べながら喋らないの。」
正直なところ、かなり驚いていた。エスベルの町で父親と暮らしていた時も、グアノと旅をしている間も、とりとめのない会話をすることはあっても、こんなに賑やかな食事をしたことはなかった。
「どうした坊主?口に合わないか?」
見かねたように、すぐそばにいた男が声をかけた。彼の名前はバルドールといい、そして目の前の子たちは彼の子なのだそうだ。そう言われてみれば、なるほど、少し豪快さを感じるあたりはよく似ているのかもしれない。
「それともやっぱり、親父さんと離れ離れは寂しいか?」
「へっ?」
その言葉に、思わず変な声が出た。
「先生は、父さんじゃないよ?」
「うん?そうなのか。てっきり親子かと思ってたが…。」
そこでふと気付いたように、バルドールは語気を強めた。
「じゃあ坊主、家族はどうした?故郷に置いてきてるのか?」
「えっ、と…。」
アロイは言葉を詰まらせた。
「もう、いないんだって。」
「あー…そりゃ、悪いこと聞いたな。」
「ううん、いいよ。おじさんいい人だもん。」
「そうか?そりゃあ嬉しいな。」
バルドールはハハハ、と大きく口を開けて笑った。
「…たまにね、夢みたいだって思うよ。」
「……。」
「まだ信じられないんだ。僕が魔法使いだってことも、もうみんないないってことも。父さんはずっと生きてると思ってたし、実際に見たわけじゃないんだ。母さんは…、顔も知らないや。」
目の前の三人は言い争いをしながら、それでもどこか楽しそうに笑い合っていた。同じ年頃なのに、自分とはまるで違う表情をする彼らを、アロイは羨むでも嫌がるでもなく、ただ不思議に思って見つめていた。
「もし、僕が生まれた時、母さんが生きてたら、僕にも妹か弟がいたのかな。父さんがまだ生きてたら、こんな賑やかに食事することもあったのかな。」
「…そんな未来の方が良かったって、思うか?」
「分かんない。」
「それなら、ひとまず安心だな。」
そう言って、バルドールはぐしゃぐしゃとアロイの頭を撫でた。
「坊主に何があったのかは俺には分からん。だが、一つだけ言えることがある。それはな、坊主が今ここで生きてるのは、誰かがそうなるように坊主を生かしてくれた証拠ってことだ。それを否定するのは、その人の事を否定するようなものだ。それが親父さんかお袋さんか、それともあの先生なのかは分からんけどな。」
アロイはバルドールを振り返って、にっと笑った。
「きっとみんなだね。」
「ハハハ、違いねえ!」
「ねえパパ、何の話?」
見れば、みんなもう食事が終わってしまったようで、空になった食器を年長と思われる女の子が片付けていた。机に残った年少の二人が面白がって二人の方に身を乗り出している。彼らの表情ばかり見ていたアロイは、食事がもうほとんど残っていないことに気がついていなかったのだ。
「この坊主はみんなから愛されてる、幸せ者だって話だよ。」
「ボクだって、パパとママにあいされてるよ!」
「そうそう!私だって同じよ!」
「ハハハ、そうだなあ。俺はみんな大好きだぞ!」
そう言って、バルドールはニカッと笑った。その笑顔は幸せそうで、きっとこの人は、本当に心の底から彼らのことを愛しているのだろう。
その笑顔を見て、胸をぐっと掴まれたような気がした。息が苦しく、目の辺りが痛くなるようで、アロイは胸に手を当てた。
「うっ、ううっ…」
なんでだろう。なんでこんなに、苦しいんだろう。グアノと離れて寂しいのとは違う、別の感情が溢れ出して、アロイは両目からぼろぼろと涙をこぼした。
「ううーっ……。」
両手で目をこすって涙を拭う。こんな気持ちは知らない。父親と離れ離れにされた時だって、セクエと土砂に埋められた時だって、こんなに不安で、怖くて、寂しい気持ちにはならなかったのに。どうして。どうして。
ーーーーーー
夜になり、子供たちが寝静まると、バルドールはそっと扉を閉めた。足音を立てないように家の外に出ると、見知った顔ぶれが並んでいた。そのうちの一人の男が口を開く。
「こんばんは、バルさん。」
「おう。待たせてすまねぇな。」
「気にしないでください。小さい子がいると大変ですからね。」
ふと真剣な顔つきになって、男は尋ねる。
「それで、バルさんに預かってもらった子は?」
「ああ…。別になんてことのない普通の子さ。あの子の話からするに、魔獣に連れて行かれたあいつもどうやら人間らしい。」
「そんな。すぐに傷が塞がったんでしょう?そんなの、あまりに人間離れしていますよ!」
「魔法が使えない俺たちから見れば、な。」
バルドールのその一言に、男は黙り込んだ。
「あの男は魔法使いだ。何か事情があるのかもしれないし、魔法を使った可能性もある。俺たちには分からない何かがあると考えるのが妥当だろうな。」
「それでは、明日に予定していた作戦は?」
「予定通り実行する。ただし、あの男を傷つけるのは避けたい。人間の可能性が高いからな。」
その言葉を聞いて、男は考え込む。
「となると、攻撃は避けるべきでしょうか。」
「それが一番だ。目標としては全て傷つけずに生け捕りにしたいところだが、難しいかもしれない。人型の奴は生け捕りを狙い、明らかな魔獣はその場で殺しても構わない。」
男は表情を曇らせた。
「…やはり、殺すしかないんですか。」
「殺すしかないさ。俺たちは分かり合えなかった。本当ならあの時、全て終わっているはずだったんだ。ここまで長期化させてしまった非は俺たちにある。今度こそ、ちゃんと終わりにしてやらなきゃな。」
バルドールの脳裏に、一人の魔獣の姿が浮かんだ。首を小さく振ってその考えを振り払うと、その場にいる全員に聞こえるように声を張り上げた。
「分かっているな。魔法使いが攫われたんだ。奴らは魔力を奪って溜め込んでいるかもしれない。何が起こるか分からないからな。明日は気を引き締めろよ!」




