#1 砂嵐
「ねえ、先生。」
「何ですか?」
グアノはそう言ってアロイに視線を向けた。一方で、アロイはグアノの顔を覗き込むようにして首を傾げていた。ナウスは上空の高い所で飛んでおり、光を遮ってできた影が時折視界の端に映っている。
二人はシェムトネを出てから東に向かい、今は大きな岩が目立つ荒野を進んでいた。その先には既に町が見えている。
「先生の顔って、なんか描いてあるよね?」
「顔…?」
何を言っているか分からず、グアノは思案する。
「何か白い、月?みたいな。」
「ああ、なるほど。呪いの印のことですか。」
「えっ…。」
何気なく答えたグアノに、アロイが青ざめる。
「呪い…なの?」
その反応がおかしくて、グアノはふっと笑う。そして左のこめかみに手を当てる。ここには白い三日月の模様が浮かんでいる。グアノが自分にかけた呪いの印だ。
「心配いりませんよ。これは危険な魔法ではありませんから。」
「そうなの?」
「そうですね。次の町に着いたら、呪いについて教えてあげましょう。今後も私と一緒にいるのなら、いつかは知らなければならないでしょうし、いい機会です。」
「へえ、それも魔法なんだ…。」
感心したようにアロイが呟く。
「あっ、痛っ…!」
アロイが小さく叫んで立ち止まる。それと同時に、グアノも右の頬に鋭い痛みを感じた。手で触れると、わずかに血が指についた。グアノはしゃがみ込んでアロイと視線を合わせる。
「大丈夫ですか?」
「うん。でも痛い…。」
右の頬を押さえている手をどけると、鋭い刃で斬りつけたような傷ができており、そこから血が垂れている。
(二人同時に同じ傷…自然にできる傷ではないな。)
「ナウスっ!」
グアノは上空に呼びかける。
(攻撃されている?野盗か?)
これは魔法を使った攻撃だ。シンシリアで魔法を扱えるとは珍しい。
(この先の町は、確か港町だったはず。カロストとの交流があるのだとすれば考えられなくはないが…。)
だとしても、なぜこんな傷をつける必要がある?血が出ているとはいえ、この傷はあまりにも浅い。アロイならばともかく、自分ならば呪いによってすぐに塞がる程度の傷だ。
「いやあ、すまない。大丈夫だったか?」
周囲を警戒していたグアノの前に、岩陰から一人の男が現れた。
「…あなたは?」
やや睨むようにして、グアノは男に視線を向ける。声の大きな男だった。大柄で、腰に大振りの剣を下げている。その他に武器を持っている様子はなく、魔力を感じないことから剣使いであることが分かる。服装は特に変わったものはないが、右腕に腕章がつけられているのが見えた。
(身なりを見る限りは野盗とは思えないな…。)
グアノは少しだけ警戒を解いて立ち上がった。男は困ったような笑みを浮かべながらこちらへ歩いてくる。
「すまないな。最近手に入れた魔道具をいじってたんだが、まだ上手く扱えなくてなぁ。人のいない所で練習してるんだが、まさか通行人がいるとは思わなかったんだ。」
そう言う男は確かに片手に魔道具を持っていた。手のひらに収まる程の大きさのガラス玉だ。この形状の魔道具は魔導国でも頻繁に見かけていた。
「ああやっぱりだ。そこの坊ちゃんに怪我を負わせちまった。こういう時のために薬は持ち歩いてるんだ。お詫びに手当てを…。」
グアノはその男から隠すように、アロイの前に立った。男はその態度に言葉を詰まらせ、足を止めた。
「手当ては結構です。」
「そういうわけにはいかないだろう?血が出てるじゃないか。」
「この程度の傷ならば、私でも対処は可能です。」
「もしかして、怒ってるのか?」
「まさか。警戒しているだけですよ。」
グアノは男をまっすぐに見据える。
「…あなたが出てきた岩陰にもう二人。私の後ろ側に、囲むようにして三人。気づかないとでもお思いですか?」
グアノは淡々と答える。これらの情報は上空から事態を見ているナウスから共有されたものだ。ナウスは偵察に特化した魔獣で、視力の強化や探知の魔法、そしてグアノと感覚を共有する魔法が扱える。男が驚いたように目を見開いたのが分かった。
「へえ、鋭いじゃないか。」
「様子を見る限り、どうやら野盗ではないようですが、あなた方の目的が読めません。話していただけるというのなら、もう少し警戒を解いてもいいのですが。」
「……。」
男の顔つきが険しくなる。
「別に。危害を加えるつもりはないさ。特にそこの坊ちゃんにはな。ただ、あんたと上で飛んでるあの鳥は、少しばかり調べさせてもらいたい。」
「それは…」
グアノがそう口を開いた瞬間、強い風が巻き起こった。まっすぐ立っていられないほどの突風に、砂が巻き上げられて目を開けていることもできない。グアノはすぐに結界を張って身を守った。
「こちらへ!」
グアノは叫ぶ。結界の中でならこの砂嵐を防ぐことができる。だが、魔法に馴染みのない剣使いはそれが分かっていないのだろう。声をかけたグアノに近づく者はいなかった。
「ああくそっ、またなのか!」
吹き荒れる風の音に紛れて、吐き捨てるように叫ぶ男の声が聞こえる。
(また…?)
グアノは上空を見上げる。ナウスがまだ上空にいるはずだ。こんな風ではまともに飛べていないのだろう。共有されている感覚が途切れ途切れになっている。
「ナウス!」
呼びかけるが、降りてくる様子はない。グアノは目を閉じてナウスから送られてくる感覚に集中した。
視界が傾いている。やはり体が水平に保てないのだろう。風の隙間を縫うようにして出来るだけ場所を維持しているようだったが、それもいつまで持たせられるか…。
(だがこの砂嵐、何か妙だな。)
グアノは考えた。この砂嵐は、ちょうど自分がいる辺りを中心にして発生しているようだ。その上、移動する様子が無い。
(魔法なのか?一体誰が…?)
そう考えていると、視界の端に何かが映った。瞬間、ナウスの魔法が途切れて何も見えなくなる。
グアノは目を開け仮面を付けると、結界を飛び出した。今見えたのは何だ?ナウスがいる上空に何がいる?もしそれが砂嵐を起こした本人であるなら、近くにいるナウスが危ない。
視界は砂に遮られて見えない。グアノは魔力でナウスの位置を探り、一直線に飛んだ。巻き上げられた砂が体に容赦なく叩きつけられる中、見えたのは巨大な鳥だった。
全身を覆う焦茶色の羽、鷲のような鋭い鉤爪と嘴、そして、思わず凍りつきそうなほどに鋭い眼差し。グアノは直感した。これは野生の動物ではない。魔獣だ。
グアノはすぐにナウスのそばに寄り、周囲に結界を張る。
(魔獣がなぜここに?それに、何のための砂嵐だ?)
色々とわからない事は多い。だが、今はそれを考えている余裕はなかった。浮遊魔法に加え、地上と上空の二つの結界の維持によって、魔力は激しく消耗している。仮面を付けているのでいくらかは楽だが、上空に留まり続けるのは難しい。
ナウスと共に結界ごと地上へ降りようとした時、その鷲の背に何かが見えた。巨大なその背に乗っているそれは…
(…子供?)
驚いた。少なくともカロストでは、魔獣というものは大人が所有するのが主流だ。子供の世話のための魔獣であっても、その所有権は親にある場合が多い。だが、周囲にはそれらしい気配は感じられなかった。となると、この鷲はあの子供が…?
チラリと目が合う。夕焼けを映したような、焼き付けられるような赤い瞳。砂嵐に阻まれてほとんど見えないはずなのに、グアノはその色をはっきりと捉えることができた。
グアノの動きが止まる。その瞳に見つめられた瞬間、空間に縫い付けられるように体が動かなくなってしまった。
早く下へ降りなければならない。それは分かっているのに、体が動かない。バタバタと急かすようなナウスの羽ばたきが聞こえるが、それでも視線を逸らすことができなかった。嫌な汗が頬を伝う。
(完全に油断していたな。これは…。)
あの子供は魔法使いだ。魔獣のすぐそばにいたためその魔力に気が付かなかった。しかも、年齢のわりには魔法の扱いにかなり慣れている。
グアノは一つ息をついて気持ちを落ち着けると、少年の瞳を見返した。これは対象の意識を引きつけ、行動を封じる魔法。この魔法なら、正しく対処すれば抵抗できるはずだ。
「…?」
かくん、と糸が切れたように力が抜け、視界が傾く。すぐに浮遊魔法が維持できなくなり、グアノは結界の中に倒れ込んだ。
(なんだ?魔力が…。)
何かがおかしい。魔力が減るのが早すぎるのだ。結界を二つ張っているとはいえ、今は仮面をつけているし、まだ余裕があったはずだ。
何が起こっているのかは分からない。だが、このままではまずいという事は明らかだった。
(くそ…この結界もいつまで保てる…?)
息切れがし始め、焦点が合わなくなる。魔力が足りない。結界に叩きつけられる砂の音が、バラバラとうるさく頭に響く。
「はあっ……はあっ……!」
今結界が消えれば、自分には浮遊魔法を使うだけの魔力が残っていない。ナウスは人を運べるほど大きくはないし、この高さから落ちれば無事では済まないだろう。
(駄目だ…意識が…。)
なんとか耐えていた結界も徐々に揺らぎはじめる。そしてついに結界が消え、宙に放り出されるのを感じた直後、グアノの意識は途切れた。




