#7 届く声
「嘘…だろ…?」
ただ呆然と、バリューガは呟いた。腹の奥がスッと冷えたように感じたのは、決して雨のせいではないだろう。
遠くからでも分かる。木々が倒れ、茶色い地面が顔を出している。地面が崩れているのだ。降り続いた雨で、地盤が緩んでいたのだろう。
思考が回らず、ただ立ちすくむばかりのバリューガの横で、グアノはすぐさま仮面を取り出して身につけると、迷いなく崩れた山の方へと走っていく。バリューガは慌てて呼び止めた。
「グアノさん!どこに行くんだよ?」
「二人を探しに行くんです。あの土砂が流れた方向にはセクエの小屋がある。逃げていれば良いのですが、おそらく巻き込まれているでしょう。」
グアノの口調は真剣だった。その表情は仮面のせいで読み取れなかったが、珍しく冷静さを欠いているように見える。
「でも、今崩れたばかりなんだぞ?近づくのは危険すぎる。それに一人じゃ見つけられるわけがない。まずは村の人たちに話をして…」
「それでは間に合わない…!」
強い口調でそう言われ、バリューガは思わず黙り込む。
「セクエもアロイも、魔法が使えないんです。土砂に押し流されて、生き埋めになっているかもしれません。私なら、探知もすり抜けも使える。今すぐ探しに行かなければ、手遅れになる…!」
「…分かった。」
バリューガは静かに答えた。
「でも一人は危険だ。オレもついて行く。」
「しかし、それは…。」
「しばらくの間は一緒にいたんだろ?だったら魔力は覚えてるだろうから、アロイ君を探すのはグアノさんに任せる。オレはセクエを探す。慣れてるから、オレの方が早い。」
どこか納得いかないように黙り込んだグアノの手を引いて、バリューガは走り出す。
(グアノさんは優しい人だ。危険を承知で、崩れた山に真っ先に向かえるくらいには。だけど…)
走っている間、バリューガはグアノの顔を見ようとはしなかった。どんな顔をしているのか、想像するのは容易かった。
なんとなくだが、グアノの事が分かったような気がする。この人は、勇敢で、強くて、優しいが、しかし、決して同じにはなりたくないとバリューガは思った。
(グアノさんは…あまりにも臆病だ。)
何と言ってやることもできず、ただバリューガは黙って手を引いていた。
ーーーーーー
辺りには剥き出しになった地面の、嫌な匂いが立ち込めていた。グアノは上から土砂の崩れた範囲を確認しており、バリューガは地面に手をついてセクエの魔力を探していた。雨はいくらか弱まり、傘代わりの結界も不要な程になっている。
「うーん…。」
小さく唸りながら、バリューガは意識を研ぎ澄ませていたが、やがて諦めて手を離した。
ダメだ。セクエの魔力を察知できない。存在しないわけではないのだが、細かい位置を特定できないのだ。
あの小屋には魔法薬やピドルが多く置かれていた。それが土砂に巻き込まれ、地面の中に散らばっている状態なのだ。セクエとアロイの魔力は完全にその中に紛れてしまっている。その上、セクエの魂の魔力は外に漏れにくく、感じにくいのだからなおさらだ。
(くそっ…!時間がないのに!)
バリューガは焦っていた。こうして手をこまねいている間に、二人は死にかけているかもしれないのだ。
グアノが上から降りてきて、バリューガに声をかける。
「範囲はかなり広いようですね…。探知はどうですか?」
「ダメだ。薬棚の魔法薬に紛れてるみたいで、かすかには感じるけど、細かい位置までは…。」
「となると、すり抜けを使って地中を直接探すしか無いでしょうね。ただ…。」
グアノは言葉を濁す。
「薬棚にはピドルもありましたね…。すり抜けの魔法は物体をすり抜けることができても、魔力まではすり抜けられません。万が一触れてしまえば…」
バリューガは唇を噛んだ。そんなことになれば、暴走は避けられないはずだ。そうなれば、グアノが危険すぎる。
「くそっ。じゃあどうすりゃあいいんだよ…!」
バリューガは髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。グアノも何を言うでもなく考え込んでいた。
分からない。どうすればいい?どうすれば助けられる?どうすれば、どうすれば…!
(……っ!)
バリューガは不意に視線を上げた。何かが、頬をかすめたような気がした。一瞬だったが、間違うはずがない。
(なんで…?)
心臓がうるさく鳴っている。バリューガはグアノを振り返った。グアノはそれには気づいていないらしく、唐突に視線を向けたバリューガを不思議そうに見ていた。
(いや…落ち着くんだ。ちゃんと目を凝らして見ないと。)
バリューガは視線を戻し、俯いて目を閉じた。小さく深呼吸をして、目を開ける。周囲を見回してみると、今度ははっきりと『見えた』。バリューガはそれから視線を逸らさずにグアノに呼びかける。
「グアノさん。」
「どうしました?」
「…セクエだ。すぐそばにいる。」
その言葉に、グアノはわずかに動揺したようだった。
「それは…憑依魔法を解いて、という事ですか。」
「ああ。でも、なんで…。」
憑依魔法を解いたのは、単に助けを求めるためか?それとも、セクエはもう…。
「バリューガ、セクエは今どこに?」
グアノからの呼びかけられて、バリューガは嫌な考えを振り払った。
「オレの目の前だ。触れられるくらい近い。」
「セクエから憑依魔法を受けることはできますか?居場所が分かれば、助けられるかもしれません。」
「わかった、やってみる。」
バリューガは手を伸ばして、宙に浮かぶセクエに触れた。だが、触った感触はない。
(実体が無いんだから当然だけど、でも魔法を受けるって、何をすれば…?)
グアノに尋ねようとしたその瞬間、触れた場所から染み込むように、セクエが内側へと入り込むのが分かった。なんだ、これで良いのか、と安心した直後、体の力が抜け、バリューガはその場に膝をついた。
「うっ…。」
不快感、と呼ぶのが最も正しいだろう。自分の内側を、何かが這うように広がっていく。光、音、匂いが遠のいていき、自分自身が体の深いところへ押し込まれていくようだ。
小さくうめきながら耐えているバリューガの肩を、グアノが支える。
「バリューガ、難しいかも知れませんが、抵抗はしないでください。」
「で、でも……」
「憑依魔法は難易度が高い。抵抗されれば、成功しない場合もあるんです。ゆっくりと呼吸を整えて、力を抜いてください。」
そう言われ、バリューガは一つ大きく息をする。だが、呼吸が震えてしまい、上手く息が吸えない。力を抜こうとするほど、むしろ体が強張ってしまう。
ー大丈夫。ー
少し遠くで、声が聞こえた気がした。
ー受け入れなくても良い。呼吸を合わせて。ー
(合わせる…。)
バリューガは想像した。
自分の中にある、セクエの呼吸。セクエには肉体は無い。きっとそれは、ゆったりと脈打つ鼓動のようなものなのだろう。目を閉じてじっと耳をすませば、その音がかすかに聞こえるような気がした。バリューガはもう一度深く息を吸う。
すぅ、と空気が肺を満たす。と同時に、全身を水に浸したような、ヒヤリとした感覚があった。
(上手くいった、のか?)
どうだろう。想像していたものとは少し違うような気がした。憑依魔法というのは、相手の感覚を完全に乗っ取る魔法ではないのか?視覚も聴覚も、弱くなっている気はするが、まだ残っている。
バリューガは立ち上がる。まるで糸に引かれるように、体が動く。その感覚で、何が起こったのかは大体想像できた。
(きっと合わせてくれてるんだな…。セクエが操ってるのはきっとオレの意識の半分くらいだ。)
それはとても弱い力で、抵抗しようと思えば簡単にできてしまうだろう。バリューガはできるだけ神経を研ぎ澄ませて、その糸に引かれる通りに動いた。
ゆらりと立ち上がり、後ろに立っていたグアノを振り返る。少し不安げに様子を見ていたグアノに対して、『セクエ』はふっと、柔らかく微笑んだ。
「セクエ…?」
確認するように呟いたグアノに対して、セクエは何も答えなかった。だが、その胸の内で何かが変わったのが、バリューガにははっきりと分かった。
(きっと、嬉しいんだろうな。グアノさんから言葉を向けてもらえたから。)
そう思うと、少しだけ切なかった。こんな状況だっていうのに、声をかけられたことに喜んでしまうなんて。
グアノは黙ってしまった。憑依魔法が成功したと分かり、不用意な言葉をかけられなくなってしまったのだろう。
それに対して、セクエは怒ることも悲しむこともなく、再びしゃがみ込んで両手をついた。目を閉じて息を吐き出す。瞼の裏には散らばった魔力の位置が浮かんでいた。しかし、やはりそれに紛れてしまってセクエの気配を感じ取れない。
セクエは目を開ける。そして立ち上がり、口を開いた。
「グアノ様。ピドルはありますか。」
呼びかけられて、グアノは懐から小さな瓶を一つ取り出してセクエに手渡した。セクエは振り返らずにそれを受け取ると蓋を取り、腕を大きく振ってピドルを辺りに撒いた。
「広域透過魔法。」
セクエは唱え、そして続け様にもう一つ唱えた。
「力魔法。」
一瞬、セクエが何をしたのか分からなかった。だが次の瞬間、崩れた土砂の中から次々に魔法薬の瓶が浮かび上がってきた。その光景に、バリューガは目を見張る。
(ピドルで土砂全体を透過させて、残った瓶を力魔法で持ち上げたのか…!)
崩れた上の方で、ふわりと人影が浮かんだのが見えた。
「アロイ…!」
グアノが声を上げた。セクエは宙に浮かぶ瓶のうち、ピドルの瓶を一つ選んで手に取ると、その蓋を取って、今度は浮遊魔法に変えてアロイの元へ飛んだ。
「ば、バリューガ兄ちゃん…。」
何が起きているか分からずに呟くアロイに対して、セクエはその頭にそっと手を置いた。
「ありがとう。もう少しだけ、祈っていて。」
セクエはそれだけ言うと、その傍に横たえられた体に視線を落とした。そしてそのそばに跪くと、胸の上に手を置いて、目を閉じた。




