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魔法使いの旅路  作者: 星野葵
第2章 その声に耳を傾けて
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#6 地面の下で

その瞬間だった。


(……っ!)


セクエはゾワリと全身に鳥肌が立つのを感じた。何を考えるより先に体が動く。セクエは立ち上がってピドルの瓶を手に取り、それを自分の腕に向けて逆さにした。当然、中のピドルは腕にかかるわけだが、セクエはそれが滴り落ちるよりも早く、ピドルを結界に変え、周りを囲った。


この一連の動作にかかった時間は、一秒にも満たない。しかしその間に、セクエは自分の体が大きく傾くのを感じていた。


「アロイ君っ!」


ピドルがかかっていない方の腕で、アロイの腕を掴む。そして結界の内側まで引き寄せると、その視界を塞ぐようにして強く抱きしめた。そして自身もぎゅっと目を閉じ、ふわりと空中に浮かび上がる。


ゴォッ、と低く唸るような大きな音と共に、体が結界ごと押し流される。外はまだ明るかったはずなのに、(まぶた)の向こうに光を感じない。


心臓がうるさく鳴り続けている。恐怖が全身にまとわりついて、手足の感覚が無くなっていく。セクエはそれを振り払うように、結界を持続させることだけに意識を向けていた。


どれだけ時間が経っただろう。とても長い時間が過ぎた気もするが、全てが一瞬のことのようにも思えた。やがて押し流す力を感じなくなり、音も聞こえなくなって、セクエは恐る恐る目を開けた。


しかし、何も見えなかった。辺りは真っ暗でひんやりと冷たく、結界がまだ消えていないのはかろうじて魔力で分かるが、それ以外は何も分からない。


セクエは浮かんだままの姿勢から足を伸ばし、結界の内側に立つ。この結界は球体であり、セクエが立っても少し余裕があるほどの大きさだったが、アロイと二人でいると少しばかり狭く感じる。


「アロイ君、怪我はない?」

「…う、うん。」


不安そうに、アロイが答える。今の状況が理解できていないのだろう。無理もない。突然の事だったのだから。


「何?どうしたの?」

「アロイ君、落ち着いて聞いてね。」


できるだけ動揺を隠すように、セクエは冷静に答える。


「どうやら、土砂崩れに巻き込まれたみたい。すぐに結界を張ったから私にも怪我は無いけど…、結界ごと土砂に埋もれてしまってる。」


降り続いていた雨のせいで、土地が崩れやすくなっていたのだろう。ましてや、シェムトネは周囲を山に囲まれた村なのだから、いつこうなってもおかしくはなかったのだ。


「土砂が崩れて埋められてしまうから、結界を解くことはできない。私には魔力が無いし、アロイ君もまだ慣れていない事を考えれば、魔法を使って外へ出るのも難しいと思う。誰かが見つけてくれるのを、待つしかない。」

「ええっ……。」


今にも泣きそうな声でアロイが声を上げた。


「ど、どうしよう…。出られないの?怖いよ…。」


アロイがセクエにしがみついてくる。その手が小刻みに震えているのがはっきりと分かった。セクエはアロイの頭にそっと手を置いて、出来るだけ優しい口調で言った。


「大丈夫。私たちは魔法使いだよ?」


セクエはアロイに触れている場所から少しだけ魔力を抜き取り、呪文を唱える。


光魔法(フィオウラ)。」


何も見えなかった空間に小さな光の玉が浮かび、結界の内側を照らし出す。やはりここは土砂の中のようで、周囲は土の壁が見えるばかりだ。


「探知、追跡、転移にすり抜け…魔法使いは様々な魔法を扱える。こんな状況でも、きっと誰か村の人が見つけてくれる。だから、怖がらないで。大丈夫、きっと助かるから。」


アロイはゆっくりとセクエから離れたが、それでもまだ不安そうにセクエを見上げていた。セクエはその場に腰を下ろし、アロイに微笑みかける。


「ゆっくり待っていよう?この結界はたくさんの魔力を使って作ったから、そう簡単には消えない。安全は保証するよ。」


余裕そうな態度のセクエを見て安心したのか、アロイもその場に座り、両膝を抱えた。


しかしセクエはそう言いながらも、内心かなり焦っていた。現状、二つ問題があるのだ。


まず一つは、誰が自分たちを発見できるのか、という事。セクエには魔力は無いし、アロイもまだ子供であるため魔力が少ない。これでは探知魔法ではかなり探しにくいだろう。それに加えて、セクエたちは小屋ごと土砂に巻き込まれている。つまり、薬棚にあった魔法薬やピドルも、近くに散らばっている可能性がかなり高い。それらはどれも村の人たちから分けてもらっている魔力で、質には統一性がない。自分たちの魔力は周囲に散らばる魔力に紛れてしまっているはずだ。探知能力に優れているバリューガでも、自分たちの存在を見つけられるかどうか…。


そしてもう一つ、深刻な問題がある。セクエはアロイに怪しまれない程度に、手を握って開く動作を繰り返してみる。


(やっぱり、動かしにくい。)


先程から、体の感覚に違和感がある。動かしにくいというか、自分の感覚と実際の動きに多少の誤差があるのだ。その原因が何なのか、セクエには見当がついていた。


(ピドルを腕に直接かけたのは失敗だったかな…。大量に浴びてしまったから、魂の方にもわずかに影響が出ているみたい。)


少量のピドルに触れる程度ならば、体が壁の役割をするため、魔力の塊であるセクエの魂に影響が及ぶことはほぼ無い。だが、ピドルの量が多くなれば、当然魂への影響は大きくなる。簡潔に言うならば、今、セクエの魂はピドルの影響で軽い暴走状態にあるのだ。


(このままじゃ、憑依魔法が保てなくなる…。)


ピドルに触れたのは魂そのものではなく、それを入れる器だ。不調の原因がピドルにあるならば、憑依を解いて体から離れ、ピドルの影響が収まるまで待てばいい。頭ではわかっている。だが、セクエにはどうしてもそれができない理由があった。


まず第一に、アロイを一人にするのは避けたい。憑依魔法を解いてしまえば、アロイにはセクエが気を失ったようにしか見えないはずだ。アロイはまだ魔法に慣れていない。あまり不安にさせ過ぎれば、魔力の暴走が起こりかねないし、何かあった時に守ることもできない。


第二に、セクエが仮に憑依魔法を解いたとして、セクエには無事にこの体に戻れる確証が無い。セクエは生み出された後、この体がまだ生まれるより前に憑依し、十数年生き続けてきた。その間、セクエは一度も魔法を解いていない。そもそも、魔法を解く前提で作られていないのだ。解いてこの体から離れた後、自分がどうなるか分からないし、その後再びこの体に戻れるとも限らない。


(魂の魔力は憑依魔法にしか使えないし、ピドルは結界に使い切ってしまった。アロイ君から魔力をもらう?だとしても、子供の魔力の量には限界があるから転移魔法はおそらく不可能だし、すり抜けと浮遊魔法で脱出するとしても、どれだけ深く埋められたか分からないから、魔力が足りなくなって生き埋め状態になるかもしれない。安全策を取るなら、やっぱり誰かが来るのを待つしかない…。)


どう考えても、絶望的だ。だがそれでも。


(アロイ君だけは…守らなきゃ。)


誰の命令でもなく、セクエ自身がそう思っていた。セクエは体の力を抜き、ゆっくりと仰向けに倒れる。


「…姉ちゃん?」

「アロイ君。私はこれから、助けを呼びに行く。」

「え、待って!外に出るなら僕も…」

「外には出ないよ。…魔法を使って、意識を外に飛ばすんだ。」


さすがに憑依魔法のことを教えることはできない。それを説明するだけの時間は無いし、アロイが理解できるかも分からないからだ。


「その間、アロイ君にお願いがあるの。」

「なに?」

「意識を飛ばしている間、私の体は無防備になるから、私の体を守っていてほしいんだ。お願いできるかな?」

「守るって、僕まだ魔法が使えないし…何をすれば良いの?」

「大丈夫。そんなに難しいことじゃないよ。」


セクエは顔だけをアロイに向けて微笑んだ。


「私の手を握って、祈っていてほしいの。私の意識が、ちゃんと元の体に戻れますようにって。これから使うのは、少し難しい魔法だから。」

「起きないかも…しれないの…?」


アロイはセクエに不安げな目を向ける。セクエは答えた。


「大丈夫、戻ってこられるよ。だからお願い。私が戻って来るまでは、ずっと手を握っていて。その間、アロイ君には寂しい思いをさせてしまうけど…。」

「うんっ、わかった。きっと戻ってきてね…!」


少し怖がりながらも、アロイは力強く頷く。それを見てセクエは安心して目を閉じる。そして大きく息を吸って、それをゆっくりと吐き出す。


糸が切れたように全身の力が抜け、光、音、匂い、その他全ての感覚が消える。そしてその直後、蛹から蝶が生まれるように、重たい服を脱ぎ捨てるように、セクエの意識はするりと肉体から抜け出した。

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