クラリッサ救出
本日二話目。
クラリッサを探さなくては、と足を踏み出そうとした時。
ビ――! ビ――! ビ――!
防犯ブザーが鳴り響いた。
「クラリッサ!!」
「あっ、商会長!?」
頭がカッと熱くなった。音のする方向に走る。全力で走る。
こうなるとカールとセバスチャンもなんらかの妨害をされている可能性が高い。おそらく足止めされているのだろう。悪質で、計画的だ。
――覚えていろ。
ヘンドリックが言っていたのはこのことだったのだ。くそっ。俺がついていながらむざむざクラリッサをヘンドリックの罠に嵌めるとは……!
クラリッサ、無事でいてくれ!
祈るように走る。ブザー音は学院の敷地の隅にある倉庫らしき建物から聞こえていた。
「クラリッサ、そこか!?」
ドアに飛びつくが鍵がかかっている。
「クソ!」
慌てるな、まだ慌てるような時間じゃないはずだ。こんなこともあろうかと道具をちゃんと持っている。商会長ともなると誘拐や脅迫恫喝されることもあるからな、前世の知識で得たピッキング道具をいつも持ち歩いている。そして何度かお世話になっていた。
鍵穴にピンを入れてカチャカチャ弄っていると、手ごたえがあった。
「クラリッサ!!」
「風よ、刃となりて――ぇえっ?」
中にいたのは予想通りヘンドリックだった。クラリッサは仰向けに倒れている。
鍵を壊すのではなく普通に開けられて、ヘンドリックが慌てて魔法を唱える。が、遅い!
「うぉりゃあぁっ!!」
ヘンドリックの魔法が完成する前に、渾身のパンチがヘンドリックの頬にめり込んだ。
魔法の欠点である。詠唱中の魔法使いは無防備なのだ、物理で攻撃されると弱い。
魔法少女や合体ロボットは変身する前に倒してしまえ理論である。外道ともいう。
殴られたヘンドリックは勢いのままガラクタの山に倒れ込んだ。
「クラリッサ!!」
クラリッサを見て、とっさにスーツの上着を脱いで彼女にかけた。
クラリッサは猿轡をされ、両手を後ろで縛られていた。制服のスカートがめくれあがり白い太股をさらしている。何をされようとしていたのか、一目瞭然だった。
猿轡を外してやり、手首の縄を解く。防犯ブザーを鳴らそうと捻ったのだろう、白く細い手首が擦れ、血が滲んでいた。ブザーを停止させる。
「クラ……」
「わたくし、泣きませんでしたわ」
こんな状態で男に触られるのは嫌だろうとためらっていると、うつむいたまま硬い声でクラリッサが呟いた。
「殿下に何を言われても、何をされても泣きませんでした。……おじさまが守ってくださったからです」
「…………」
スカート全開でそう言われても。眉を寄せているとクラリッサがちいさく笑った。
「本当ですわよ? 殿下に触れられないよう暴れただけです」
防御結界はパッシブなので明確に攻撃とわかるものにしか反応できない。生命の危機だ。男のヨコシマな……貞操の危機は、こればかりは実験するわけにもいかないのでその時になってみないとわからなかった。
「わたくしは……」
笑っていたクラリッサの口元がふるえ、スカイブルーの瞳がぽつりと雨に濡れた。
「わ、わたくし、わたくし……っ」
「クラリッサ、よく頑張った。……怖かったな、もう大丈夫だ」
「おじさま!」
クラリッサが飛びついてきたのを抱き止め、背中をぽんぽんあやして慰める。十五の少女が男と二人きりで閉じ込められ、命と貞操のどちらかを、あるいは両方を失うところだったのだ。どんなに恐ろしかっただろう。
「き、貴様……っ。この私を殴るなど……っ」
父親にも殴られたことのなさそうなヘンドリックが嫉妬と憎悪に歪んだ顔で立ち上がった。
「ああ、誰かと思ったら第二王子殿下でしたか」
「王子を傷つけて、ただですむと思うな! タナカ商会など取り潰してくれる!」
「でん……」
諌めようとしたクラリッサを抑え、背に隠す。
「私はお嬢様を暴行しようとした悪漢を排除したまで。王子が婦女暴行犯だったとは嘆かわしい限りです」
「クラリッサは私の婚約者だ!」
「だから? 婚約者だから何をしてもいいというのなら、お嬢様が王子に反撃してもいいはずですよね?」
ぐ、とヘンドリックが喉を詰まらせた。女を見惚れさせるだろう美貌がしだいに赤黒く腫れていく。
口ではクラリッサに勝てないから力で、と思っての犯行だろう。これまでのことを思えばすべて自業自得だというのに、最低の男に成り下がってしまった。
可愛げがあると思っていたのに、男としても人間としても軽蔑する。
「クラリッサ様!」
サラたちクラリッサの友人がようやく駆けつけてきた。「行こう」とクラリッサの肩を抱き、ヘンドリックを一瞥して倉庫を出る。
「風よ 刃となりて 我が敵を切り裂け 風刃斬!」
背中を向けた俺とクラリッサに、ヘンドリックが魔法で攻撃してきた。
「……残念だ」
クラリッサを庇って左腕を前に出す――無数の風の刃が現れた障壁に跳ね返り、ヘンドリックを切り刻んだ。
「うわぁああああっ!?」
俺の腕時計に付けられた付与魔法は防御結界ではない。いつ襲撃を受けてもいいように、攻撃反射の魔法を組み込んであった。
平民の俺の魔法などたかがしれている。どう逃亡し、犯人を捕らえて反撃するか考えたのだ。
ちなみに、別に腕を伸ばす必要はない。なんとなく雰囲気でやっただけである。
「ご自分の魔法で自爆した気分はいかがです?」
「きっ、さま……っ」
ヘンドリックが背中を向けていた相手を攻撃したところも、それがヘンドリックに跳ね返ったのも目撃していた人がこれだけいる。
殺すつもりはなかったのだろう。それでもヘンドリックは全身傷だらけになり、破けた制服がみるみる赤く染まっていった。息が荒い、立っていられないのかがっくりと膝をついた。
「ヘンリー様!?」
そこに息を切らせて聖女候補が走ってきた。
アニメと違い、閉じ込められたのはクラリッサでも、ヘンドリックは血まみれで倒れているのは同じだ。ずいぶん強引に軌道修正させられた気がして、俺は眉を寄せた。
「やだ、どうしてこんな……っ」
きっ、と聖女候補がクラリッサを睨みつける。
「あなたがやったんですね!? ヘンリー様は今までのことを反省し、やりなおしたい、謝罪したいと言っていたのに! ひどいです! どうせそこのおっさんとデキてるんでしょう!? 最低です!!」
……ああ、なるほどな。
ヘンドリックと聖女候補の展示が荒らされていた時間の、クラリッサのアリバイが人質に取られていたのだ。
ここでクラリッサがヘンドリックを受け入れていたらアリバイを証言して恩に着せ、拒絶しようものなら既成事実を作って誰にも言えないようにした。婚約者が相手とはいえ結婚前の令嬢が傷物になったとなれば令嬢側の瑕疵となる。もはや結婚は望めまい。それが狙いだったのだ。
聖女候補にくっついていたシェーンとレナードも、主人を傷つけられて口々に俺とクラリッサを罵った。
「オデット様の言う通りだ! 殿下の婚約者でありながら懇意の商人と不貞! しかも殿下に怪我を負わせるとは言語道断である!」
「これは婚約破棄じゃぁすまねえな。極刑! 公爵家は取り潰しが相当だ!」
何が楽しいのか「極刑!」「極刑!」と大声で繰り返した。目がおかしい。ラリっているような目だ。
「クラリッサ様、罪を認めてください……! そうすれば、私が殿下に許していただけるよう取り成してあげます。どうか、正しい心を思い出して……!」
それよりヘンドリックを助けろよ、聖女候補。ここで聖魔法に目覚めずにいつ目覚めるんだよ。
そう思ったのは俺だけではない。聖女候補に心酔して極刑を叫んでいる者以外は化け物でも見るような目で、ヘンドリックとオデットを見ていた。
あたかも俺とクラリッサがヘンドリックを攻撃したかのように責めている。彼女は見ていなかったから仕方がないとしても、ヘンドリックが背を向けていた俺たちに魔法を放ったのを聖女候補のシンパは見ていたはずだ。なのにまるでそんなものはなかったようにオデットの言葉に感動して、クラリッサに極刑を叫んでいる。異常だ、異常すぎる。
「……何を言っても無駄ですわね、これは」
呆れたため息を吐いたクラリッサが腕時計を操作した。
すると、ヘンドリックの声が流れ出す。最大音量にしたのか集まってきた人も固まった。
『こんな簡単な罠にかかるとは、どんなに賢くてもしょせんは女だな』
『お前の弟と執事なら来ないぞ。今頃は事故に巻き込まれている、無事だといいな?』
『私という婚約者がありながらあんな冴えない男と浮気するとは……当てつけか? 嫉妬させて私に振り向いてもらおうとでも思ったのか、可愛いところもあるじゃないか』
『オデットが言っていたぞ、逃げるふりをするのも女の作戦らしいな? 強引なくらいが女は喜ぶとな!』
『ここには誰も来ない……。お前が助けを待っているあの男は今頃のん気に学内を歩いているだろうよ』
『はははっ。ここでお前を私のものにしてしまえばもはや別の男と結婚などできまい!』
『なんだその目は!? ハッ、いつまでその強気が続くかなぁ? どのみちお前は私と結婚するしかないんだ! それとも私に乱暴されたと訴え出るか? できないだろう!』
どこをとっても一発アウトなヘンドリックの犯罪的セリフが続く。合間にどたばた音がしているのはクラリッサが抵抗しているのだろう。猿轡は反論ではなく、魔法を詠唱させないためだったようだ。
『さあ、足を開け!』という決定的な言葉の直後、防犯ブザーが鳴った。
「こっ、こんなの嘘です! ヘンリー様はクラリッサ様に嵌められたんです!」
真っ青になった周囲に、自分でも信じていないだろうオデットが言い聞かせるように叫んだ。
そこで俺も腕時計をぽちっとな。
『風よ、刃となりて我が敵を切り裂け 風刃斬! ――うわぁああああっ!?』
今度こそ全員が静まり返った。
ただでさえ恐ろしい目に遭ったというのに、大勢の前で何があったのかを晒されて、どんなに気丈なクラリッサでも傷つかないはずがない。人目から隠すようにクラリッサを抱きしめ、顔を胸に抱いた。
「なんで……っ。こんな、こんなはずない! 金にモノを言わせてヘンリー様を陥れたんでしょう! 卑しい商人風情の言葉を信じてはダメです!」
ヘンドリックと自分に批難が集まっていることを感じ取ったのか、オデットが胸の前で両手を組み、祈るように見回した。
「卑しい商人、ね……。なぁ、俺はたしかに商人だ。けどな、どんな商人にも売れないものがあるんだよ」
オデットがびくりと肩を揺らした。
「心だ。人の心は、誇りは、魂は、値段がつけられない。それがわかってるからアンタ、こんなことやってるんだろ?」
「な、なにを……」
「クラリッサを利用して人気取りするより、そこで死にかけてる王子サマを助けてやれよ、聖女候補サマ? じゃないと偽者になっちまうぜ?」
全員が思い出したようにヘンドリックを見た。ちょっと前まで怒りと屈辱の表情で弱々しい否定と罵倒を繰り返していた第二王子は意識を失い、青白い顔でぐったりしている。慌てて側近がヘンドリックに駆け寄った。
「殿下!」
「オデット様、早く聖魔法を!」
「このままでは危険です。オデット様!」
奇跡を待ち望む信者たちに迫られて、オデットがヘンドリックの傍らに膝をつき、聖魔法を使おうとした。
何度やっても光の魔法がオデットの手元を照らすだけで、ヘンドリックの怪我が治ることはない。なんで、どうして、という声がしだいに涙交じりになっていく。側近と信者に迫られるオデットは、なにもできない小娘の姿を露呈した。
ヒロインは梯子を外されて、聖女の座から転がり落ちていった。