波瀾の予感
間違って更新し忘れてたので本日は二話更新します。
学校の文化祭と聞いて思い出すのは吹奏楽部の演奏会や、市販の菓子を使ったクラスの出店。後夜祭のキャンプファイヤーでマイムマイム。どちらかというと準備のほうが楽しかったし、ミスコンやベストカップルは漫画の中にしかなかった。
王立で魔導でマジェスティックなアニメ世界の学院となるとさぞかしおハイソなのかと思ったがそんなことはなく、クラスの研究発表というよりサークルの発表会だった。あれだ、大学のサークル勧誘がイメージに近い。
「ターニャおじさま!」
学院正門前でボディチェック、招待状の確認をしてようやく受付を済ませてパンフレットを受け取り学院内に入ると、クラリッサと以前会ったサトウ、シムラ、スガイ、セリザワの令嬢が待っていた。
「クラリッサお嬢様、お招きありがとうございます。ご令嬢方も、お久しぶりでございます」
「またお会いできて嬉しいわ。カー商会長にはお礼を申し上げたくて」
「成績上位者に入られたとか。おめでとうございます」
「ええ、そうなのです」
「それだけではなくて、わたくしたちの研究はタナカ商会の商品にヒントを得ましたのよ」
「ぜひご覧になって、ご意見をお伺いしたいですわ」
女の子五人に囲まれて歩いていると、誰だあのおっさん的目で見られる。親にも兄弟にも見えないし不思議なんだろう。俺も不思議。なんで俺ここにいるんだろう。肩身が狭い。
案内された展示ブースにはけっこう人が集まっていた。生徒はタナカ商会で見たことのある顔が多い。俺が入っていくと嬉しそうな表情になった。悪い気はしない。
「おじさま、これがわたくしたちの研究ですわ」
そう言ってクラリッサが持ってきたのはカードだった。許可をとって触らせてもらう。
大きさは名刺より少し大きめサイズ。表と裏に何かを挟んであるようでやや厚みがあった。表面はつるりとした加工がされていて触ると少しひんやりする。
そして表には『炎』とこの国の言語で、裏面には古代魔法文字で『炎』と書かれていた。
「これは……魔力を流すとここに記された魔法が発動するのですね?」
「おわかりですか! そうですの、タナカ商会の単語帳を使っていて閃きましたのよ」
これはすごい。
魔法を使うには、古代魔法語による詠唱と魔法陣、あとは魔法への想像力が必要となる。
古代魔法語というと難しそうだが、俺たち庶民が使う魔法なんかしょぼいのでおまじないみたいなものだ。ちちんぷいぷいやエロイムエッサイムと同レベル。それで事足りる。
ただし問題となるのが想像力の部分だ。どうしても相性というものがあり、それが属性と呼ばれている。水属性魔法の使い手、とは水の魔法が得意なだけで、コツさえつかめば火や風を使うこともできた。そこを補うのが魔法陣である。
「素晴らしい研究です。これを上手く使えば日照りの夏に水不足で苦しむ農村はなくなりましょう。風を自由に操れば船をより早く進めることができます。苦手な属性の魔法もこれ一枚あれば修得の訓練に役立つでしょう」
前世で日本人だった俺は絶賛しながらもこみ上げてくる高揚感を抑えきれなかった。
これは、アレができてしまうのではないか? カードといえばデュエル。カードからキャラ召喚がリアルにできてしまうのでは?
み、見たい。幻のレアカードでデッキ組んでデュエルしてみたい。男の憧れだろう、アレは! 異論は認めん!
浮かれていた俺は、展示ブースにヘンドリックと聖女候補が入ってきたことに気づかなかった。
「それに、聖魔法も。聖魔法のカードさえあれば、病気や怪我で苦しむ人々の助けになります」
「貴様、それはどういう意味だ!」
いきなり叫ばれて我に返る。憤怒の表情をしたヘンドリックと側近、そして聖女候補が蒼ざめて立っていた。
「聖女に対する不敬は許さんぞ!」
「そんなことは言っておりません」
事実そんなこと言ってないぞ。聖魔法カードあったら便利だな、くらいだ。言いがかりはやめてくれ。
「その紙切れ以下だと言っておっただろう! 聖女を否定するのは王家への反逆と同じこと。タナカ商会とアイーダ公爵家は聖女を紙切れ以下だと言ったに等しい!!」
嬉しそうだな、ヘンドリック。俺はともかくクラリッサの瑕疵を糾弾できるのがそんなに楽しいのかね。
クラリッサを隠すよう令嬢たちにそっと目配せする。心得た彼女たちがすかさずヘンドリックの視界に入らないよう陣取った。
「――では、王子殿下は聖女に死ねとおっしゃるのですね」
低い声で言ってやるとブース内がシンとなった。
何を言われたのかわからないといったヘンドリックは呆然とし、聖女候補がまさかとヘンドリックを見る。みるみるうちにヘンドリックの顔が醜く歪んだ。
「どうしてそうなる! そのような欺瞞で言い逃れできると思うな!」
「だってそういうことでしょう? 聖女を待つ人々は我が国のみならず世界中にいます。彼ら全員を聖女一人で癒していたら早々に命を散らしてしまうことでしょう。……聖魔法が術者の命を削るのは、有名な話です」
聖魔法に限らず魔法の使いすぎによる魔力欠乏症は命にかかわるものだ。聖女や聖人は使用頻度が高いため短命になりやすいのは事実である。病が重ければ重いほど、怪我が酷ければ酷いほど、治癒に使われる魔力は多くなる。
俺は誰もが知っている事実を話しただけなのに、ヘンドリックたちは衝撃を受けていた。
「王子殿下は聖女であるのなら命を削ってでも国に尽くすべきであるとお考えなのですね。ご立派です」
「なっ、あ……、そっ」
そんなことはない、と言いたいのだろうが、聖魔法の使い手だけに聖魔法を使わせるべきだと大声で宣言したばかりだ。聖女を助けることは国が許さない、反逆である、と。
ちらりと聖女候補を見て、憐れむように首を振ってやる。
「まだお若く、可憐な少女であられる聖女候補をお助けしたい。そう思うことすら罪になるとは……。ノブレス・オブ・リージュとはいえ過酷なことですな」
「そ、そうなのですか? ヘンリー様……」
「ち、違う。違うぞオデット。聖女は国に守られる。君を早死になど、私がさせるわけないだろう」
「ヘンリー様」
側近も口々にヘンドリックの言う通りだ、そんなことはさせないと誓っている。見つめ合い、ほっとした聖女候補を守るように肩を抱き寄せ、ヘンドリックは俺を睨みつけた。
良い雰囲気のところ悪いが、逆手に取らせてもらう。
「……つまり王家は聖女を独占し、切り札として都合よく使うつもりなのですね。我々庶民など見捨てて良い。聖女を駒扱いすると」
「なぜそうなる!?」
「そうとしか取れません。聖女を助けるのもダメ、聖女の力に縋るのもダメ、意見を言えば国家への反逆。貧しい庶民や都合の悪い、自分の意に添わない者はどうでも良いと思っているからそんなことが言えるのでしょう?」
「貴様……っ。先程から殿下に向かって口が過ぎるぞ!」
「アイーダ公爵令嬢、あんたの客人だろ。あまり好き勝手にさせてると家名に傷が付くぜ?」
ヘンドリックの圧倒的不利を見て側近の二人が出てきた。
赤い髪で顔まで赤くして怒っているのがシェーン・エンダー。エンダー侯爵家の長男だ。エンダー侯爵は財務大臣をやっていて、そのせいかシェーンは金にうるさいという評判だったが今では聖女候補の財布になっている。
黒髪に緑のメッシュを入れたチャラ男くんはレナード・オーグリー。高い魔力を誇るオーグリー魔法大臣の息子だ。厳格な父親に反発して軽薄な性格に育った、実は真面目なありがち不良キャラである。
もう一人、ヘンドリックの護衛として付いている側近がいるが、難しい顔をして黙り込んでいた。
彼はたまたまヘンドリックに気に入られて取り立てられた騎士の三男だというから、聖女を守ると称して治療にあたらせるつもりのないヘンドリックに思うところがあるようだ。
「私は大人として、学生を諭したにすぎません」
そういうことにしておけ、な? 王子の公言にしちゃうと取り返しがつかなくなるぞ。
俺の言いたい意味が伝わったようで、二人は悔しそうに顔を歪めた。
「ターニャおじさまに意見を求めたのはわたくしたちですわ。そもそもおじさまは、聖魔法の可能性について話をしていただけです。それを曲解して難癖をつけてきたのは殿下でありましょう」
クラリッサもなかなか言うね。
さて、王子の相手はこれでいいかな。反論を封じられたヘンドリックを無視して俺はクラリッサに体を向けた。
「申し訳ありません、話が脱線しました。このカードですが、魔力の目安となるものがあると使いやすいのでは」
「目安?」
「はい。ただ文字だけでは流す魔力による出力がわかりにくいです。蝋燭に火を点けるつもりが火炎放射になっては危険ですからね」
たとえば、と言ってスーツから万年筆とメモを取り出した。
「このように、火をいくつか描いて流す魔力量で赤く変化するようにしておくとか。何個色が変わったかで炎の出力を一目瞭然にしておくのです。危険防止策は絶対に必要です」
火の絵を塗りつぶし、魔力量によって色が変わるのを説明する。
「そうですわね。カードが燃えてしまっては元も子もありませんわ」
「魔力調整の練習になりそうですね」
「キャンセルするシステムも組みましょう」
「絵から魔法がでるようにしてみるのはどうでしょう?」
研究熱心なのだろう、生徒たちが次々に意見交換をはじめた。空気を換えることでヘンドリックを助けたわけだが、それがわかってくれたかどうか。
ヘンドリックを見てから護衛に目配せする。「行きましょう」と護衛がそっとヘンドリックの腕を引いた。
「覚えていろ」
悪役そのまんまの捨て台詞を吐くヘンドリックにうっかり笑い出しそうになった。なんだ、可愛いとこあるじゃないか。
生徒たちの質問に答えていたらきりがない、とクラリッサが他の発表を案内すると言ってブースから連れ出してくれるまで、俺は笑いを堪えていた。
「おじさま……さすがに不敬ですわよ。心臓が止まるかと思いました」
「申し訳ありません。ふふっ、ヘンドリック王子もまだ子供なんだと思うとつい……。粋がる男の子そのままでしたね」
「……そう思うのは、おじさまが大人だからですわ」
クラリッサは不満そうだ。好きでもない婚約者に俺が高評価を下したのが嫌なのだろう。大人になれば『子供だった』ですませられることも、その時には死にたくなるほど思いつめるものだ。俺にも覚えがある。素直に謝った。クラリッサの機嫌を損ねるのは俺もイヤだ。
「……さすが、魔導学院の生徒ですね。どの研究も素晴らしいです」
そして金がかかっている。貴族の道楽といってしまえるものも多かったが、真剣に取り組み、受け継がれている研究もあった。その一つが聖魔法だ。
なぜ光魔法が聖魔法に進化するのか。光と聖を分けるものはなんなのか。
光魔法は明かりを燈したり植物の成長を促すものである。人を癒すことはできない。闇の魔法は逆に部屋を暗くしたり、安眠、夢を操るなどあるが、聖魔法に進化することはない。
聖女・聖人候補が聖女・聖人に認定されるのは聖魔法で負傷者を治癒させてからである。公開で明らかな負傷者を治癒させてみせないと認定されないのは偽者が現れるのを防ぐためだった。
クラスチェンジの鍵がわかれば、聖魔法の使い手を増やせるかもしれない。
これを研究すべきなのは国だ、俺じゃない。考えを振り払ってクラリッサに微笑んだ。
「カール様はセバスチャンさんと来るそうですが、もう帰られたのですか?」
「いいえ、まだ来ておりませんの。……そういえば遅いですわね」
生徒たちの弟妹だろう、カールくらいの子供が憧れに目をキラキラさせて展示を見上げている。日頃家に籠ってばかりの貴族はこういうところで友人をつくるのだろう。貴族だと親の知り合いの、身元のしっかりした子と交流するものだが、気が合うとは限らないのだ。
「あの、クラリッサ様。少しよろしいでしょうか?」
クラリッサを探していたらしい生徒数人が足早にやってきた。少し離れて様子を見ていると、クラリッサが困ったように俺を振り返る。
「私は大丈夫です。行ってあげてください」
「申し訳ありません。この埋め合わせは必ず致しますわ」
学内を回っていればカールとセバスチャンにも会えるだろう。帰るにしても来ているとわかっている相手にひと言挨拶しておかないと帰れない。広い校内を見て回ることにした。
「案外食堂でなにか食べてたりしてな」
パンフレットによれば今日だけの特別メニューがあるらしい。イベントっぽいな。文化祭カップルはこの世界でも生まれるのだろうか。そしてすぐに熱が冷めるジンクスはあるのだろうか。ちょっと気になった。
「そういえば、ヘンドリックと聖女候補の発表って何だろう?」
タナカ商会の万年筆を自分たちのものにする予定だったくらいだ。何も考えてないかもしれない。それは断ったが購入した万年筆を分解して構造を調べたらそれなりの研究になるだろう。魔法は使っていないので構造そのものは工学に詳しくなくてもわかりそうだ。
ヘンドリックの王子という身分を考慮してか、ひときわ広い展示スペースが与えられていた。
が、見学者は数人いるだけで閑散とし、どの表情も苦笑気味である。
「これは……」
『光魔法における植物成長の研究』と銘打たれたその内容は、朝顔の観察日記だった。
この世界には写真がないのでスケッチである。色鉛筆で成長の過程が描かれていた。
一応研究したというつもりか、ヘンドリックと聖女候補だけではなく側近二人と護衛もそれぞれ属性魔法を使って朝顔を成長させていた。そうだね研究には比較対象が必要だもんね。
「小学生の夏休みの宿題かっ!」
王子へのお義理で見に来ていた人が俺のツッコミにぎょっとした。
俺は悪くないぞ。観察日記じゃなくてもっと真面目にやればけっこういい研究になりそうなのに、光魔法の無駄遣いをしているからだ。
光魔法が植物の成長を促進させるのは常識だ。たいていは芽が出た状態から使用されるが、種だとどうなのかは意外にも研究されていなかった。光魔法の使い手が保護されてしまう、というのも理由の一つだろう。
しかし聖魔法に進化するまでの間、ただ大切に囲っておくよりも、人の役に立つ意識を持たせたほうがいいんじゃないだろうか。必ず聖魔法にクラスチェンジするとは限らないわけだし、光魔法の可能性を探るべきだ。
広い農地を回るのが大変なら、種の状態で成長促進の魔法をかけておけば一度で済む。
火の魔法と組み合わせて種を消毒して病気を防ぎ、水の魔法と組み合わせて発芽を促すこともできそうだ。芽が出たら風の魔法で光魔法を拡散させれば良い。
なんだかこのほうが聖女っぽい気がしてきた。病気や怪我は医療技術を発展させればいいわけだし、豊穣の聖女のほうがよっぽど世のため人のためじゃないかな。
クラリッサたちのカードがモノになれば研究してみてもいいかもしれない。光と聖を、誰もが使えるようになれば。
アイーダ公爵に後押しするよう話してみようか。そう考えながら廊下を歩いていると、クラリッサのご友人令嬢がやってきた。
「カー商会長、クラリッサ様とご一緒ではなかったのですか?」
どこか咎める口調だ。なにかあったのだろうか。
「先程ご学友の方たちに呼ばれてそちらに行きましたよ。展示ブースでなにやら騒ぎがあったと言っていましたが……」
さっきの女子生徒は「先生が詳しく聞きたいと」「殿下もお待ちです」とか言っていた。教師と王子を持ち出されては断れないから行かせたのだ。
それなのに、なぜクラリッサの友人がここに、と思った瞬間さっとある映像が脳裏をよぎった。
文化祭だ。
主人公の聖女候補は文化祭で学内がごったがえしている隙をついてクラリッサに攫われ、どこかの倉庫に閉じ込められる。それには彼女たち、俗に悪役令嬢の取り巻きが関わっていた。
そして人身売買ですらやってのける悪徳商人が、貴重な聖女候補を売り飛ばそうとしたところで、ヘンドリックが助けにやってくるのだ。
この時に商人とヘンドリックが戦闘になって、ヘンドリックが聖女候補を庇って死にかける。そして聖女候補が聖魔法に目覚めるのだ。
ここから物語はクライマックスに向かって進んでいく。重要なターニングポイントだ。
「あ……」
あっぶねえぇぇ! 悪徳商人って俺じゃん!? 俺とトーマが実行犯だよ!
血の気が引く思いの俺をよそに、令嬢たちは首をかしげている。
「まあ、なにかあったなんて、わたくしたちは聞いておりませんわ」
「盗難などがあれば先生に話がいくでしょうし……。カー商会長、その生徒の名前はわかりますか?」
サラ・サティ公爵令嬢がおっとりと頬に人差し指を当てれば、エミリア・シームリー侯爵令嬢が眉を寄せて問いかけてきた。
「誰……と言われても……。ああ、一人はディッカー伯爵令嬢でしたね。あとの一人は茶髪にピンクトルマリンの髪留めを、もう一人は薄い金髪を両脇から編み込んで、珊瑚の簪を着けていました。少し離れたところに一緒に来たらしい男子生徒もいました。タイピンに使われていたのはダイヤモンドとエメラルド。あれは魔力増幅系の魔道具でしょう」
相手の服装や持ち物をつい眺めてしまうのは商人の性である。別に女子高生を観察していたわけではないぞ。
ディッカー伯爵令嬢は体が弱く、タナカ商会の医療部門に相談に来たことがあったのだ。もしやアレルギーかと慎重に診察してみたら原因は偏食による栄養失調。肉も野菜も嫌いでほとんど穀物で食事をすませていた。
成長期にまともな栄養がとれないようでは将来的に生理不順などの障害がでる可能性がある。そこで子供でも食べやすいミートボールや、果物と野菜をいれたケーキなどを提案した。胃袋がちいさくなっていたので、じっくりコトコト煮込んだ野菜のスープからはじめたっけ。野菜は取り除き、野菜成分だけ抽出したスープなら胃にやさしく子供でも食べやすい。ケーキは擂り潰したピーマンとほうれん草などで緑色を出し、カラフルにして喜ばれたものである。これは子供が働く工場でたまに出すようにして意欲向上に役立った。
すっかり元気になって、ここ二、三年は会ってないけど顔色は良くなっていたし元気に学生をやっているようだ。
「ディッカー伯爵令嬢……ということはあの方たちですわね」
深刻そうにエミリアが言った。
「……何か?」
「聖女候補に心酔しているのですわ。ディッカー伯爵令嬢は幼い頃体が弱かったらしく、結婚しても子供ができるかどうか悩んでいたそうです」
「他の子も身内が病気だったり、成績が伸び悩んでいるそうですわ」
「その男子生徒は婚約者が病気で学院に通えていないとか」
貴族で学院に通えないのは致命的だ。マティルダ・スカイ伯爵令嬢とシャロン・セィザー伯爵令嬢は同情と嫌悪が入り交じった口調だった。同情は悩んでいる彼らに、嫌悪は弱みに付け込んでいる聖女候補にだろう。具体的に何をしているのかは知らないが、なんだか宗教みたいだ。あなたの心のスキマ、お埋めします……って、これは違うわ。オデット・イーデルは聖女候補であって、まだ聖女ではない。
「そうなると、裏に王子殿下が絡んでいる、と?」
「……滅多なことは言えませんわ」
よくよく考えてみたら俺のところに情報が入ってこないのがおかしい。トーマは優秀で信頼できる男だ、彼が命じて調査しているのに、なぜ報告がこないのだろう。情報を隠蔽されている可能性が高かった。
エミリアがそっと目を伏せて明言を避けた。だが、なんのために? 聖女候補のシンパを作るのなら広く宣伝するものではないのか?
「きゃあああああああああ!!」
突然、悲鳴が聞こえてきた。
まさか、と思い駆けつけると、ヘンドリックと聖女候補の展示スペース前に人だかりができている。人の隙間から聖女候補がへたりこんでいるのが見えた。側近はいるが、ヘンドリックがいない。
「ひどい……誰がこんな……」
展示物がびりびりに破かれ、無駄に広い室内が荒らされている。さめざめと泣く聖女候補をシェーンとレナードが慰めていた。
「アイーダ公爵令嬢ですわ! オデット様とヘンドリック殿下が親しくなさっているのを嫉妬したんです!」
珊瑚の簪を着けた女子生徒が叫んだ。まさか、と誰かが言った。
「誰か、アイーダ公爵令嬢を見たものはいるか?」
振り返ったシェーンが聞いてきたが、全員が首を振った。当然だ、クラリッサはヘンドリックに呼ばれて……。
「……っ!」
そういうことか。
つまり、クラリッサにはアリバイがないのだ。ディッカー伯爵令嬢たちがグルならクラリッサを呼びに行ってなどいないと証言するだろう。クラリッサがやったという証拠はない。だが逆に、クラリッサではないという証拠もないのだ。
悪魔の証明だ。やられた。はめられた。よりによってヘンドリックの――王子殿下の研究発表をだいなしにしたのだ、学院内のこととはいえ、無実が証明できない限り何らかの処分は受けるだろう。