人命救助の現場
素手で瓦礫をどかそうとしているその人は母親だった。
手袋もなく、高価なドレスが汚れるのもかまわず、山と積もった崩れた壁の破片や柱の一部を手が傷ついているのにも気づかず掻き分けようとしている。
「ヘンドリック、どこにいるのっ!?」
流れる涙もそのままに我が子の名前を呼び続けている彼女は、王妃ではなく母親だった。
「クラリッサ様、私たちも救助活動に行きましょう」
「はい。オデットさんはどうしますか?」
オデットの呼吸と脈拍は戻ってきている。まだ目は覚まさないが……魔力欠乏か、ゴーレムとの接続が切れたことにより脳神経になんらかのダメージがあったことも考えられるな。あるいは落下の衝撃で骨が折れたとか内臓に損傷の可能性。外傷は見当たらなかった。
たしか、意識が戻らない時は回復体位をとらせたほうが良いんだったよな。やってて良かった救命講習。
「意識が戻るまではこのままで。すみません、どなたか彼女に何かかけてあげてくれませんか?」
地べたの上でも芝生があるので痛くはないだろうが、意識がないままだと体が冷えそうだ。あと何かポーズがダイイングメッセージとかありそうな事件現場。
近くにいた近衛に声をかけてマントを貸してもらった。眠るオデットにかける。
昨日と同じドレスを着ていた。着替える余裕もなく仲間たちを逃がし、ヘンドリックと死ぬことを選んだ少女に込み上げてくるものがある。
「近衛は行方不明者の捜索に当たってください。男性は負傷者を庭の右手に搬送、女性は負傷者の応急手当てをお願いしますわ。傷口を洗う水を用意してください」
クラリッサが指示を出している。なんというか、こういうところで公爵令嬢らしさが出た。他者に仕事を割り振り的確な命令を出すのに慣れている。
「シヴォンヌの医師組合に連絡を。アスクレーオス様を連れてきてください」
クラリッサに便乗してアスクレーオスを呼んでもらうことにした。聖人の出番だ。そして、聖魔法カードの出番でもある。
「クラリッサ様は王妃様とヘンドリックの捜索をお願いします。土の魔法で瓦礫を砂にして、板などは風魔法で浮かせて効率を上げましょう」
「ターニャさんは?」
「私は怪我人の応急処置に加わります。そうだ、これを……」
ここでようやく右手のテーピングをほどいた。きつく固定していたので違和感がある、なんとなくグーパーして確かめてしまった。ヘンドリックの魔力で治癒していたので傷は綺麗に治っている。
「ヘンドリックの魔力を吸収していた聖魔法カードです。念のため持って行ってください」
「ありがとうございます」
俺とクラリッサが共同製作したカードだとわかったのか、受け取ったクラリッサがそっと胸に抱いた。
「負傷していない者は瓦礫をどけろ! 中に人がいないか確かめるのだ!」
陛下が指示を飛ばしている。王妃の様子からあそこにいるのがヘンドリックだとわかったのだろう。王らしくない焦燥の滲む顔、泣くのを堪えている表情だ。
俺はクラリッサと別れて負傷者の救出に向かった。
王城を囲んでいた城壁はヘンドリック・ゴーレムにより一部が破壊され、偶然通りかかったのだろう人や、ゴーレムの道のりにいた人が血を流しながら呆然と座り込んでいた。
ヘンドリック・ゴーレムは家を踏みつぶしこそしなかった。だが足がかすめたのだろう民家の屋根や壁、貴族の屋敷の庭などは無残な有り様となっていた。
道の端で避けていたのにゴーレムから落ちてきた破片で負傷した人もいるだろう。
……俺の、せいだ。
俺がヘンドリックを煽らなければ――中に入ってすぐに止めていれば、この人たちは怪我をせずに済んだのかもしれない。
「負傷者はこちらに! 応急処置をします!」
俺が余計なことをしなければ。俺も結局ヘンドリックやランスロットと同じ穴の狢なのだ。自分のことしか考えず、自分が正しいと信じて、それによって被害を受ける人がいることを想像していなかった。俺ならできる、なんてとんだ思い上がりだ。
聖魔法カードで傷が癒えたところで、この罪は消えない。
母親を泣かせたのも、父親を苦しめているのも、俺の罪だ。
「カー商会長!」
「アスクレーオス様!?」
崩れた城壁の向こうから、カダの操る馬に乗ってアスクレーオスが現れた。シヴォンヌで連絡を受けて急行したにしては早すぎる。
「ミスィ商人組合長と一緒に王都に来ていたのです。怪我人は、任せてください」
どうやらエイゴが俺を後方支援するためにアスクレーオスと王都入りしていたらしい。
タナカ商会に行ったのならクラリッサのことや、ヘンドリック・ゴーレムのことも聞いただろう。そうでなくてもこの惨状だ、医師であるアスクレーオスが放っておけるわけがなかった。
「大将! 無事ですかい!?」
ゴーダ率いるギガント隊もやってきた。人命救助のプロフェッショナルだ。光明の差す思いでいかつい男たちに手を振った。
「よく来てくれた! ゴーダ、ギガント隊は救助活動開始だ! 『コーバン』からタンカと救急セットをありったけ持ってこい! 要救助者は王城の庭の右手に運べ!」
「おうよ、大将!」
「ゴーレムを震源とした地震で家屋の倒壊が予想される。倒壊の危険のある家屋にいる人は城に避難させろ。瓦礫の中にはガラスの破片や錆びた釘が混じっていることもある。怪我をしないよう気を付けて作業に当たれ!」
「応! やるぞ、テメェら!」
応、と返事をして八人のうち三人が『コーバン』に荷物を取りに駆け出した。ゴーダたちは瓦礫の下に人がいないか、呼びかけつつ瓦礫の撤去に取り掛かった。
カダが庭の木に馬を括り付けてアスクレーオスの隣に着いた。
「アスクレーオス様、カダ様はこちらに」
怪我人が運び込まれている庭の右側には、瓦礫が当たったのか顔を押さえて呻いている人や、骨折したのか横になっている人が集まっていた。出血している人が圧倒的に多い。
何人が城で働いていたのか把握していないが、ゴーレムの起こした地震で食器が割れて怪我をしたり、階段で足を滑らせて骨折という地震の定番も多そうだ。
「……負傷者がこんなに……?」
アスクレーオスとカダが愕然と怪我人を見回した。シヴォンヌの水斑病患者は十数人だった。子供たちを毎日少しずつ治していくのだって大変だったのが、一気に数十人から百人規模である。アスクレーオスの魔力がもつのか不安にもなるよな。
「お二人共、ここは以前言った患者の選別を行いましょう」
いい機会といっては語弊があるが、何事も経験だ。患者の選別、いわゆるトリアージである。治療の優先順位を決めるのだ。
「まず優先すべきは意識不明者です。外傷の有無と内臓の損傷など、命の危険がある人は当然優先的に治療していきます」
アスクレーオスとカダが来たと聞いて、城勤めの医師と助手も集まってきた。俺の話を真剣に聞いている。
本来のトリアージは優先度で色分けするけど、そんな都合よく色のついた布があるわけない。よってここでは布の位置で区別する。
「最優先者は左手首に布を、意識があるものの出血のひどい人は右の二の腕に布を巻いてください。骨折などの比較的軽傷の人は布を持って、気分が悪くなったり周囲に具合の悪そうな人がいたら布を振ってください。手を怪我した人は無理をせず、周囲に知らせてください」
医師だけではなく負傷者にも聞こえるよう声を張り上げた。ポケットからハンカチを取り出して手本として振って見せる。
「意識不明者は回復体位を取らせてください。腕を枕にして横に寝っ転がった体勢で顎を前に出し、上にある腕を曲げて顎の下に乗せます。下の腕も少し曲げて嘔吐した場合吐瀉物が喉に詰まらないようにします。上の足も曲げて、ひっくり返らないようにしてあげてください」
オデットに取らせた回復体位を見せてアスクレーオスたちにやってもらう。オデットを見てぎょっとしたアスクレーオスだが意識がないとわかって心配そうに眉を寄せた。
騙された、とまではいかなくても一度信じて裏切られたと思った相手がいるのは心情的にきついかもしれない。それでもアスクレーオスは医師だった。この体勢の意味がわかると他の医師たちにも伝えていった。
俺はトリアージに使う布を探すことにする。ハンカチくらいは持っているだろうと思うが、自宅から脱出して負傷した人はそんな余裕はなかったかもしれない。怪我人の止血に使ってしまった人もいるだろう。
ちょうどゴーレムの倒壊現場にはカーテンやリネン類が散らばっていた。汚れてしまっているがこれを包帯に使わなければ大丈夫だ。背に腹は代えられない。
ヘンドリックはまだ発見できないらしく、クラリッサを中心に瓦礫を砂に変えては運ぶ作業を繰り返していた。王と王妃はさすがに側近に止められたのか、少し離れたところで救助作業を見守っている。
王妃の肩を抱いていた王がふとこちらに顔を向けた。
目が合う前に俺はそこからトリアージ現場に戻った。王にかまっていられる精神的余裕がないのだ。何を言えばいいのかわからないし、ここで捕まるのもご免だ。
「アスクレーオス様……大丈夫ですか?」
何が大丈夫かというと精神だ。これだけ怪我人がいて、その能力を持つ人が治療せずに仕分けだけというのはしんどいはずだ。
「ええ、まあ……。キリがありませんしね」
アスクレーオスは弱くうなずいた。
この状況になって肌で自覚したのだろう。誰彼かまわず治療していては、先に集まってくるのは動ける人だ、と。動けない、意識のない人は治療を求めてくる人に押されて誰にも気づかれないまま捨て置かれてしまう。怪我はしているが元気な人と、目に見える怪我はないが命の危険がある人では、優先すべきは命なのだ。
持ってきた布を近くにいた医師と助手に預けてトリアージを続けてもらい、俺たちは次の段階に移ろう。
「そろそろ治療を開始しましょう」
ここで俺は聖魔法カードを切ることにした。
「アスクレーオス様、これはタナカ商会の新商品、聖魔法カードです」
「聖魔法……の、カード?」
「このカードに魔力を流すと組み込んだ術式の魔法が発動する仕組みになってます」
「……これで聖魔法が使えるということですか?」
カダがうさんくさそうな顔でカードを眺めた。
「そういうことです。いつでも、誰でも、お手軽に、聖魔法が使えます」
俺がきっぱり言っても二人は半信半疑だ。まあそりゃそうだわな。そんな便利なものがあるならトリアージなどせず、片っ端から治療すれば良かったのだから。
「未発表の商品です。私はこれを、医師組合に独占的に販売します。アスクレーオス様だから売るのです」
本音を言えば各家庭に一枚くらいで普及させたかったが、もう無理だ。王家に目を付けられた以上一般販売はできない。
口約束であろうとここで医師組合と組んでおいたほうがいいだろう。医師組合も商人組合と同じく世界中に広がっている。
「百聞は一見に如かず、使い方を伝授します。アスクレーオス様の補助にも使えるでしょう」
別属性の魔力を聖の魔力に変換するシステムを組んであるが、聖魔力を聖魔法カードに流せばどうなるのか。俺が見たい。
相乗効果で治癒の威力が倍に、とはならないだろうとは思っている。だがシステムというフィルターが不要なぶん、消費魔力は減少できるだろう。
あとはアスクレーオスの魔力限界を知らせる指針にもなるはずだ。カードからミラーボールが出なくなったら魔力枯渇の合図。それ以上使えば寿命を削る警告になる。
むしろそれくらいで良いのだ。聖人が聖魔法カードを使ったら効果が倍、なんて結果が出たら、聖魔法信仰はいつまでたってもなくならない。
打ち所が悪かったのか、頭の出血は止まったが意識のない男の治療からはじめる。俺に言われて魔法カードを受け取ったものの、いざとなれば自分の聖魔法で治癒すればいいと思っているアスクレーオスに、まずは診察から開始させた。
「頭部の外傷……。出血は止まっていますし、血もそんなに流れていませんね。ショックで気絶しているだけでしょう」
たしかに他に外傷は見当たらない。アスクレーオスはなぜ男が意識不明なのかわからないようだ。
レントゲンもCTもない、医療水準が低い世界では意識不明者の診察は触診くらいなのだ。聴診器すらないんだぜ、驚きだよ。
患者を見ただけでそんな甘い診断を下すアスクレーオスにわざとらしいため息を吐いてやった。
「頭部ですよ? 出血が少ないのは頭蓋骨の中に血が流れたのかもしれません。頭部出血で意識不明は非常に危険な状態と考えて間違いありません」
手や足と違い、血が逆流することがあるのが頭だ。血豆のように出血はなくても血管が破けて内部に血が溜まることだってある。そして手足と違って脳内出血の危険度は高いのだ。
「なんと……?」
日本では部活動中の事故とか問題になっていたな。柔道が体育の必須科目になって、受け身もとれない生徒が頭から投げられて死亡したケースもあった。麻酔だって事故の危険があるから専門医がいる。
意識がない、というのはそれだけで命の危機なのだ。とくにこんな世界ではなおさら危ないと思ったほうが良い。
「こういう場合は傷口だけではなく内部に損傷がないか確認するんです。聖魔法カードに魔力を流してみてください」
ジェローム・メトバールの治療をした時、患部にミラーボールが集中していた。ミラーボールである程度患部の特定ができるのは立証できている。
「まずは消毒と殺菌からです。体の中の毒を取り除くイメージで、損傷個所がどこか、どこにダメージがあるのか探ってみてください」
「こ、こうですか……?」
アスクレーオスが恐る恐る聖魔法カードを男性患者にかざし、魔力を流した。
ミラーボールの光が夕暮れのはじまった空に浮かび上がった。




