全身で叫べ
聖魔法カードがいよいよヘンドリックに近づくと、鉄の蔓薔薇がいっせいに襲いかかってきた。俺の手を掻きむしりカードを手放そうとしてくる。
「い……っ、ってぇぇ!!」
痛い。それしかない。
引き裂かれた手は血まみれで、カードを持つので精一杯だ。たぶん、痛みがあるから手放さずに済んでいるんだと思う。痛みが筋肉を収縮させているのだ。
「はぁっ、痛ぇ、くっそ!」
蔓薔薇に絡まれて動かせない右手を左手で押し出す。と、聖魔法カードが蔓薔薇に触れた。
バシィッ!
再度閃光が走り、しかし今回はカードがその光――ヘンドリックの魔力を吸い込んだ。光がカードに集まってミラーボールがふわっと浮かび上がる。
「これなら……いける、か!?」
聖魔法カードを発動させる! 魔力を吸い取られた蔓薔薇の動きが鈍くなってきた。ぎしり、ぎしり、と軋んで鉄らしさを取り戻している。
右手に絡みついていた蔓薔薇を左手で引き剥がす。皮膚に食い込んでいた棘を抜くと、空いた穴から一気に血が噴き出した。
消毒、血小板、免疫細胞、傷が治っていくのをイメージして治癒魔法をかける。傷が治ると同時に痛みも減っていった。
「ヘンドリックの魔力はカードに吸い取るとして……」
攻撃から一転してミラーボールを嫌がる蔓薔薇を追いかけて魔力を吸収させる。だがこれも、ヘンドリックが目覚めないときりがない。
ヘンドリックはゴーレムを停止させるつもりはないらしく、歩くたびにズシンと揺れている。今はどのあたりなのか。左手で腹のさらしテーピングをほどき、右手のカードごと巻きつける。左手と口で結んだ。
「やっぱクソガキには鉄拳制裁だなっ」
正直これしか思いつかなかった。
眠り姫なら王子様のキスで目覚めるが、王子の起こしかたなんか知らん。というか、ヘンドリックのポジションは悪い魔女か魔王だ。
聖魔法カードは人体の再生、治癒はできてもゴーレムの攻撃になるかどうかはわからない。カードが魔力を吸収することで多少の弱体化はできているが、このままではゴーレムに魔力を吸い取られて終わるか、カードに吸い取られるかの二択だ。
カードを巻きつけた右手を蔓薔薇に触れるようにして魔力を吸収しつつ、慎重に登っていった。
「城……!」
塔のバルコニーから王城と、慌てふためく人々が見えた。
「――ヘンドリック!」
蔓薔薇を登ってヘンドリックを引っ叩いた。蒼ざめた頬はぴくりともせず、首に手を当てて脈を図るも弱々しく、体温も下がっている。
「おい、起きろ! 城だぞ、着いた! 止まれ、起きろってば! 目を覚ませ!」
未完成で術式に支配されているからか、魔力の消費量が多すぎた。これだけ大きなゴーレムならこの塔をコクピットにして術式をいっぱいに描き、少しでも動きやすくするための神経や命令伝達コードを組んでおくものだ。それらを作らず、強引に魔力でなんとかしようとしているから無駄が多い。
「ヘンドリック!! このままでいいのかよ? 一度くらい兄ちゃんにガツンと言ってやれ、なあ!」
何度も引っ叩き、揺さぶり、拳骨を落としても無反応だ。
城にこんな巨体が突っ込んで、中の人が無事でいられる保証はない。そもそもゴーレムは破壊兵器だ。人を殺したらヘンドリックは完全に悪役にされる。そんなつもりはなかった、はもうきかない。
「何もかもぶっこわして終わりにはならねえんだよ! ヘンドリック! 何のためにそうしたのか、何が目的だったのか――愛してるも大嫌いも、言わなきゃ伝わらないだろうが! 何のために言葉があると思ってる、叫ぶんだよ! 叫べ!!」
胸倉を摑んで思いっきり頭突きした。
人間は死んだらそれまでだ。死んでしまえば、生き残った者が好き勝手に評価する。真実がどうであったのかを決めるのは勝者の特権だ。
それでも人間には言葉がある。心がある。
「全身で!」
ヘンドリックは目を開けない。
「自分を叫べ!!」
ガクン、とゴーレムが停止した。踏ん張っていた足が滑りそうになり、ヘンドリックにしがみつく。
オオオオォォォォォ……
血の底から響き渡る咆哮のような、暗く悲しい――聞いた者の心を締め付ける叫びが聞こえた。
「うわっ!?」
ヘンドリックか、と顔を見ようとして、下から吹き上げてきた強風に体が持ち上がった。ヘンドリックは目を閉じたままだ。
「ヘンドリック!?」
風が渦を巻いてゴーレムを内部から崩している。竜巻の中にいるようだ。目も開けていられない。ただヘンドリックにしがみついた。
足場にしていた蔓薔薇が蠢いている。何が起きてるんだ!?
「きゃあああ!」
クラリッサの悲鳴が聞こえた。
「クラリッサ!?」
竜巻の中にクラリッサが見える。壊れた壁や家具が風に巻き上げられながら上昇してきていた。
「クラリッサ!!」
「ターニャ!!」
ハッと目を開けたクラリッサが俺を見た。手を伸ばす。
一瞬、ためらった。
ヘンドリック。
愛を教えられずに育った憐れな王子様。男の俺が見てもヘンドリックは美形だった。欠点なんかなさそうだった。物語の中の王子様のように完璧に見えた。
だが、中身は中途半端だった。
半端だったからこそ、ヘンドリックは求めたのだ。子供に一度甘い菓子を与えておきながら二度目がないなんて、与えられないよりも残酷だ。次を期待すればするほど飢えは強くなる。
クラリッサと婚約させただけで、恋のはじめかたさえ知らなかった。
「――クラリッサ!」
クラリッサに向かって足を蹴る。竜巻の中に飛び込んだ。
「ターニャ!」
体が強風に引き千切られそうになる。伸ばした手は、今度こそクラリッサに届いた。
「わっ」
「きゃあっ」
繋いだ手の間を風が通り抜け、また手を離されそうになって慌てて抱きしめた。あたたかい体に心の奥が安心する。
ヘンドリックが遠ざかる。音を立てて崩れるゴーレムに呑まれていくのを、ただ見ていた。
言葉にできないなら、手を繋ぐだけでも伝わる思いもある。
それを教えてやりたかった。
憐れな子供を足蹴にして、愛する女性の手を取りました。




