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悪役令嬢VS聖女候補



 その手にぬくもりはありませんでした。

 冷たいとも違う、なんともいえない生々しい手が、わたくしの足を摑んだのです。

 ありえないことに下を見ることもできませんでした。見てしまったら、叫んでしまうと思ったのです。ゴーレムの駆動体となっているヘンドリックの下に行くべく集中しているターニャの邪魔になってはいけません。


 四方を壁で囲まれたこの部屋に他の誰かがいる気配はなかったはずです。今も、わたくしとターニャの他には誰もいないのです。では、この手は誰のものなのでしょう。

 手、とわかったのは指の感触があるからです。五本の指が足首を摑み、下へと引きずりおろそうとしています。振り払おうと足で空を切れば、その足をまた別の手が摑んできました。


 かちかちと鳴りそうになる歯をぐっと食いしばり、目を閉じてターニャにしがみつきます。


 わたくしの足だけではなくドレスにも手が伸びています。強い力で引っ張られ、ドレスが破けないのが不思議でした。

 ぞわぞわと這いずるように増える手のおぞましさに、体から力が抜けそうになります。ああ、早く、早く、早く!


 ズドォォォン!!


 ターニャの持つ不思議な筒から雷がほとばしり、天井を突き抜けました!

 間近で落ちた雷に耳鳴りがして、全身に痺れが走りました。手から、力が……。


「ぁ……っ」


 その瞬間を待っていたように、ものすごい力で下へと引っ張られました。


「きゃああああああっ!?」

「クラリッサ様!?」


 ターニャ! 振り返ったターニャが慌てて手を伸ばしてきました。ですが紙一重で指が届きません!

 大きく目を見開き口を開けたターニャが遠ざかりました。せめて、と手を伸ばしたのが見えたでしょうか。

 わたくしが落ちたことで満足したのか手が離れ、そのまま床に叩きつけられました。


「う……」


 背中から倒れ頭がゴツンとぶつかります。背中だけではなく腕も腰も足も、全身に激痛が走りました。それでも倒れている場合ではありません、呻きながらもなんとか目をこじ開けます。薄暗い部屋の絨毯が見えました。


「ここ……は……」

「私の部屋よ」


 呟きに返事が来たことに慌てて体を起こします。ズキッとあちこちが痛いです。ふらつきながら立ち上がりました。聞き覚えのある声です。


「……オデットさん……」


 鳥籠の館の主――かつての王の愛人であった人の部屋なのでしょう。装飾品や調度品は女性らしいものばかりです。不思議なことに、この部屋だけは荒れていませんでした。床も斜めではなく、何事もなかったかのようです。

 足を引きずりながら近づくと、ソファに座っていたオデットがフンとせせら笑って言いました。


「いい気味ね」

「どうしてあなたが……逃げたのではなかったの?」

「他のみんなは逃げたわ。庭にいた人たちも、ヘンリー様にびっくりして逃げたんじゃない?」


 無責任な言葉に怒りが湧いてきます。オデットが呼びかけ、彼女を信じて集まった人々の安全を守るのは、オデットの役目でしょうに。


()()()はヘンリー様の最期を見届けたかったから残ったの」

「ヘンドリックはどこに? ここにはいないようですが」


 チクッと痛んだ胸を無視してオデットを睨みつけました。


 わたくしの初恋は、ヘンドリックだったのです。

 踏みつけられ、無惨にも粉々に壊された思い出は、オデットにも一因がありました。

 ターニャへの想いを自覚しそれだけを見つめたのは、オデットとヘンドリックから目を反らしたかったことも一つの理由です。叶わぬ恋とつれない婚約者。わたくしは今幸せですが、だからこそ嫉妬という感情を覚えた初恋は傷となって残っています。


「殿下に対し、不敬ですわよ」

「ヘンドリックはもはや殿下ではありませんわ」


 学院で、ヘンドリックと距離の近いオデットを諌めた時のセリフです。聖女候補としてヘンドリックに保護されているとはいえ彼女はやりすぎでした。


「……それ、この間のおっさんも言ってた」


 あんたの恋人なんだってね。オデットが言います。


「あんなおっさんのどこがいいのよ。ヘンリー様のほうがずっとかっこいいじゃない。やさしいし、お金持ちだし」

「見た目やお金は関係ありませんわ。ヘンドリックはあなたにはやさしかったのでしょうけれど、わたくしには稚拙な嫌がらせばかりでしたのよ。嫌われている方にいつまでも好意を抱いてはいられません」

「あたしにやさしかったんじゃなくて、あんたに意地悪だっただけでしょ」


 そのとおりですけど他人に言われると腹が立ちますわね。

 オデットはまたフンと鼻を鳴らしてそっぽを向きました。その子供っぽい、拗ねたような表情に心当たりがあります。


「オデットさん……、あなた、ヘンドリックが好きでしたの?」


 図星だったのか頬を染めたオデットが勢いよく振り返りました。


「だったらどうなのよ?」

「どこが良いんですのあんな男」

「あんたに言われたくねーよ!」


 全力で怒鳴りつけられました。思わずといったように立ち上がったオデットは、忌々しげに歯ぎしりをしました。


「……っ、悪い!? 田舎娘が都会に出て、貴族に利用されてさあ! 内心不満でも身分差考えりゃ文句なんか言えないわけよ! そんな時に現れた王子様にやさしくされたら好きになるだろ! 恋に落ちるだろ!」


 顔を真っ赤にしたオデットが吼えました。


「完璧だと思っていた王子様にも悩みがあって……それが恋の悩みなんて。あたしを見て欲しい、あたしを好きになって欲しいと思うのはそんなに悪いことだったの!? 親身になって相談に乗って、ヘンリー様のためにみんなにやさしくした! 平等を注意されても止めなかったのは、ヘンリー様が王子様じゃなくて一人の男としてあんたに振り向いて欲しかったからだ! なのにあんたは気づかなかった!」

「あれだけさんざんなことをしてくれた相手の気持ちを、どうしてわたくしが察してあげなければなりませんの。まず謝罪が先でしょう」


 謝罪すれば主導権はわたくしに移ります。許す許さないはわたくしが決めることになるのです。

 あの時点なら許す代わりに婚約を白紙に戻してほしいと交換条件を出したでしょうね。

 解消、あるいは破棄であれば、それまでの関係は残ります。ですが白紙は婚約どころか二人が出会ったことすらなかったことになるのです。あらためて出会いを演出しなければ、名前で呼ぶこともできません。思い出を語ることも。そのような関係はなかったことにされる、それが白紙というものです。


「ヘンリー様は王子様なんだよ!? 謝るなんてできるわけないじゃないの!」


 自分で言って気づいたのでしょう。オデットが罰の悪そうな顔になりました。

 王子だから謝罪できないというのはもっともですが、彼らの掲げた平等に反しています。


「そうですわね。王子という身分の方は臣下に謝罪しませんわ」


 オデットたちの『平等』がいかに馬鹿馬鹿しく、迷惑極まりない、身分を振りかざしたものであったのか、少しは理解できたでしょうか。


「なんで……っ」


 言葉を探していたオデットが俯いて肩を震わせます。


「なんで、あたしじゃ駄目なの……? 牢屋に入れられて、いろんな人に怒られて、そのうちに売り飛ばされそうになって……。ヘンリー様が助けに来てくれた。そんなの期待しちゃうよ。か、勘違い、しちゃうでしょ……!」


 下を見たまま、絞り出すような声で言いました。


「二人っきりになっても、ヘンリー様、手も繋いでくれなかった……!」


 髪に隠れて見えない涙が絨毯に染みを作っています。


 ……かわいそう、と思ってしまうのは失礼なのでしょうね。


 辛い境遇に置かれた少女が好きな人に助けられ、今度こそと思ったのに彼が求めていたのはあくまでも『聖女』でした。

 ヘンドリックに恋するオデットは彼の望みを叶えようと『聖女』として振る舞ったのでしょう。微笑まれて、見つめ合って、恋を確信するほどやさしくされて。それなのにヘンドリックが見ていたのはオデットではなかった。

 恋する女には残酷な仕打ちです。何と声をかけたらいいのかわかりません。


「オデットさん……」


 呼びかけに顔を上げたオデットは、憎しみとも歓喜ともつかない瞳でわたくしを射抜きました。ぎくりと体がこわばります。


「ねえ、知ってる? ゴーレムになったら死んじゃうんだってさ」

「存じておりますわ」

「あは……っ。ねえ、だったらあんたもヘンリー様と死んで!」


 壮絶な笑みを浮かべたオデットが、人とは思えないほどの速さで襲いかかってきました。

 とっさに避けようとして――


「あっ!?」


 あの手に拘束されたわたくしは床に押し倒され、頭をしたたかに打ち付けていました。目の奥に星が飛びます。舌を噛んだのか錆びついた匂いがしました。

 暴れようともがくわたくしを、床から伸びた手が押さえつけてきます。


「あたしが、ヘンリー様の願いを叶えてあげるんだぁ……。あんたと一緒なら、きっと寂しくないよね?」


 オデットから降る雨が頬を濡らし、生温い手が首を絞めてきました。




クラリッサを捕まえたのはオデットでした。次はターニャに戻ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど、田舎娘のオデットなら、なるべくして成ったんですね。 せめて異世界の記憶持ちとかだったら逆に良かったんだろうなぁ…。 そしてやっぱり悪いのはヘンドリックですね。王族として、未熟すぎる…
[一言] 青春の恋は暴走…とターニャなら言いそう。 それは恋というより承認欲求ではないのかとも思うけれども、それも含めて恋ですもんね。
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