ヘンドリック・ゴーレム
ヘンドリックを焚きつけてランスロットにぶつけようとしたのは俺だけど、ここまでデカいことをしでかすとは思わなかった。
いや、言い訳だな。ヘンドリックにはもう後がないのだ。レナード、シェーン、リュカにも。追い詰められていることを教えたのは俺だ。ヘンドリックの絶望と魔力を見損なっていた。
ゴーレムについては俺も研究したことがある。巨大ロボットはいつだって男のロマンだ。それに上手くいけば義手や義足が作れるかもしれない。魔力と思考信号のために人間が必要なら、肉体の一部だけをパーツ化させることも理屈では可能なはずだ。
これは発想は良かったが上手くいかなかった。動力が魔力なので装着すると魔力を吸い続ける。寝ている間もだ。魔力の乏しい平民では厳しい、最悪寿命を削ることになる。そしてやはり死ぬまで取り外せないことがわかった。修理と改良ができないのは致命的な欠点だ。実用化にはまだ遠い。
そう、ゴーレムは一度乗ったら死ぬまで降りられないのだ。アニメならヒーローが死んで終わるバッドエンド兵器である。ロマンを感じている場合じゃない。
……もうこれ以上振り回されたくない、自分を無視させないための、ヘンドリックの意地の形だ。
「焚きつけた者の責任とって、勝負をつけてきます」
「わたくしも!」
落としたライフルを見つけて拾うと、クラリッサが身を乗り出してきた。
「わたくしもご一緒しますわ。ヘンドリックの意地を、見届けとうございます」
「辛いと思いますよ?」
一度は婚約した男の最期だ。自我が残っているのかもわからず、肉体が無事であるかすら不明だった。
「ヘンドリックが王太子宮に行くのなら、わたくしも殿下に言ってやりたいことがありますもの」
ヘンドリックを止めるのではなく便乗すると言う。ランスロットの前で直接野望を砕く気だ。
覚悟を決めた勝気な瞳だった。クラリッサの、一度腹を括ったら揺るぎもしない強さがたまらなく愛しかった。
「わかりました。では、これを」
スーツから風魔法カードを取り出しクラリッサに持たせた。
「コントロールは私がします。クラリッサ様はカードに魔力を流し続けてください」
「空を飛ぶのですね」
「はい。急いだほうが良い」
歩くたびに館の外壁が崩れていっている。おそらく動かすのに相当神経をすり減らすのだろう。それとも館を強引にゴーレム化したから、接続パーツが不安定なのかもしれない。
「トーマ、そこのクソガキふんじばっておけ!」
「あ、皮膚接触と瞳を見るのは要注意ですわ!」
腰を抜かして震えているアーサーに何かする気力はもうなさそうだけど、大事な生き証人だからな。逃げられちゃ困る。
「わかった」と立ち上がった公爵が法被を脱いでおもむろにアーサーの頭を包み込んだ。てるてる坊主状態になる。そこにトーマが梱包用の縄紐で手足を縛りつけた。
「やめろ! 私を誰と心得る!」
我に返ったらしいアーサーが暴れているが逆効果だった。
「クラリッサ様、しっかり捕まっていてくださいね」
「はい。絶対に離れませんわ」
ニコッと笑う顔に悲壮感はまったくない。その笑顔にやれる、と思った。
惚れた女の全幅の信頼がこれほど嬉しいとは。しかもこれから行くのは王族との戦いだ。
男として生まれてこれほど高揚する仕事があるだろうか?
クラリッサの腰に手を回した。
「では」
クラリッサがしっかりくっついたのを確認して魔法カードを発動させる。
「アイ・ハブ・コントロール」
ブワッと風が渦を巻き体が持ち上がった。浮遊感にクラリッサが慌てて密着してくる。ドレスがばたばたと風邪に靡いた。
「目標、ヘンドリック・ゴーレム!」
ドン、と飛行してまずは商店の屋根に上る。クラリッサは人が空を飛ぶなんて見たこともないだろう。途中で魔力が途切れたら落下してしまう。
「怖いですか?」
「いいえ!」
「飛びながら行きます」
空中ではドレスが風の抵抗を受けるせいかバランスが取りにくい。屋根から屋根へと飛び移りながらヘンドリックを目指した。
「あの、ターニャさん」
「はい」
「わたくしの攻撃、どうやって避けたんですの? どうしてもわからなくて……」
ああ、死冥風を避けた時のことか。
ここは「残像だ」と言いたいところだが、実は違う。
「蜃気楼をご存知ですか?」
「蜃気楼……というと、海などで見られるという?」
「それです。蜃気楼は大気中の光の屈折率によって見える現象なので、避ける寸前に光魔法カードで発生させてそちらを攻撃させたんです」
魔力が残ってて良かったぜ。あれでクラリッサが正気に戻るかどうかは賭けだったが、駄目でもあのティアラを奪ってしまえれば良かった。馬車の結界内に入れさえすればなんとか勝算があったのだ。
「ターニャさんはなんでもご存知なのですね」
キラキラした瞳で見られて苦笑する。俺が色々知っているのは前世の知識があるからだし、こちらの世界で再現できないものもたくさんある。魔法は便利だが、電気がないので不便でもあるのだ。環境問題は起きなくても環境破壊は魔法でできる。
似て否なる世界。人間だけは変わらなかった。人の心はどんな世界でもいつの時代でも複雑怪奇だ。誰かに売り渡して良いものではない。
「……それでも、これは予想外でしたよ」
ヘンドリック・ゴーレムを見上げる。
思った通り、強引に館を分割して人型にくっつけたものだった。関節部はいい加減で動きがぎこちない。窓のガラスがすべて割れて、カーテンが外にはみ出して揺れていた。
「ヘンドリック……」
クラリッサの声が聞こえたのかゴーレムが止まった。
頭にあたる部分が少し傾き、窓からばらばらと物が降ってくる。首をかしげる仕草だ。そしてまた歩き出した。
これほど近くにいるのに俺たちに気づいていないのは、目がないからか。
「道なりに進んでいますね。破壊行動は最低限、道路は……陥没していますが、人を踏みつぶした形跡はない」
「ヘンドリックの意識があるのでしょうか?」
「わかりません。そう思いたいですが、知っている道を進んでいるだけにも見えます。動きが鈍いから犠牲者がいないのかもしれません」
楽観はできなかった。
資料によればゴーレムの頭脳となる魔法使いは複雑な術式の描かれたコックピットで操作する。視野を得るためにゴーレムには目が付けられ、敵将を捕獲するための手指もきちんと供えられていた。命令を聞くための耳もおそらくあった、とされている。
死亡前提なので口はないが、人とそう変わりない姿であったはずなのだ。そうすることで術者の意識を人間に保っていたのだろう。人間の尊厳だけは守られていたのだ。
それは人の持つ残酷さか、それとも贖罪なのか、俺は知らない。知りたくもなかった。どちらにせよ人間を兵器としたことに変わりはない。人間はどんな世界でもいつの時代でも変わらないのだ。
できそこないで、中途半端で、動くたびに崩れ落ちていく、巨大な姿。
ヘンドリックそのものだと思った。
たとえどんなにくだらない理由であっても死を覚悟した人間を、どうして笑えるだろう。
「……中に入ります。お覚悟は、よろしいですか」
まさか館の中に入るとは思わなかったのか、クラリッサが目を見開いた。
地響きに驚いた人々が慌てて建物から飛び出し、ヘンドリック・ゴーレムを見て悲鳴を上げて逃げていく。
「ええ!」
うなずいたのを見て、窓から館に飛び込んだ。ふっと空気が変わったのを感じる。
部屋を見回すと、外の明るさと比べて不気味な薄暗さだった。日差しが入ってこないのではない、ゴーレム内の空間が外と違う。
不完全な接続のせいか部屋が傾いて、ずっとここにいると目の錯覚で酔いそうだった。
しかも。
「この、床……。壁も、まるで生きているようですわ……」
クラリッサがぶるっと震えて両腕を擦った。気味悪そうに見回している。
床も壁もまるで皮膚のような弾力があり、あたたかい。壁に手をついても脈動は感じないがそれが逆に不自然で本能的なおぞましさがあった。
昔話にあったな。鬼にわざと自分を食べさせて、腹の中からやっつけるやつだ。俺たちは今ヘンドリックの腹の中にいるわけだ。
「何が起きるかわかりません。クラリッサ様、はぐれないように……」
手を、と伸ばした視界にドレス姿のクラリッサが映った。
淡いピンク色のマーメイドラインのドレスに真珠が縫い付けられ、清楚で可憐な雰囲気だ。魔力放出に耐え切れなかった真珠がいくつか割れている。
その、ドレスの裾が床に張り付いていた。いや、床に呑みこまれようとしている。
「クラリッサ様! カードに魔力を!」
慌てて腰に手を回してライフルを構えた。そのまま空中に浮きあがり、ドレスに食いつく床めがけて撃つ。
バン、バン、バン、バン、バン。
床、というよりドレスを破くつもりで連射する。風魔法が床に穴を開け、ドレスをふわりと浮かせた。
床に魔法が当たるたびにビクンと痙攣するのが妙にリアルで、気持ちが悪い。
ようやく床とドレスが離れた時には裾が無惨なことになっていた。
「ゴ、ゴーレムの防御機能でしょうか……っ?」
「わかりません」
俺とクラリッサを異物として排除しようとしたのか。魔力に反応し取り込もうとしたのか。――それともヘンドリックがクラリッサを今もなお求めているのか。
「……行きましょう。ヘンドリックを探さなくては」
痛覚はない、と公爵は言っていた。
だがこの、生き物のような巨大な兵器は。
生きた人間から作られたというのをまざまざと感じた。




