商人組合組合長エイゴ・ミスィ
商人組合組合長、エイゴ・ミスィ。
薄くなった前髪を後ろに撫で付け、中年らしい恰幅の良い腹回りをした、商会長から商人組合のドンになった実力者だ。金髪のせいか余計にデコが光っているように見える。言わないけどな!
薄茶色の瞳は琥珀のようにあらゆる事象を内包し、右の太い指には印章指輪をはめている。もう見るからにマフィアのドンだ。しかもこの人のトレードマークは白のスーツで、外出時には必ず灰色のロングコートを着ている。正直言って、悪役を意識しているとしか思えなかった。
「遅い、ですか? シヴォンヌからここまで、警備隊に見つからないよう迂回してきましたから……」
「そうではない。あのヘンドリックとオデットとかいう小娘が脱走した時、なぜ我々を頼らなかった?」
「私怨とわかっていることに組合まで巻き込むつもりはありませんよ」
「タナカ商会が王都を出れば他の商会が追従することはわかっていたはずだ。これで巻き込むつもりがなかったと?」
「タナカ商会がどこまで影響するか、試したかったことは認めます」
フン、とエイゴが鼻で笑った。
「王都の経済制裁もか?」
負けじと俺も笑ってみせる。
「儲かったでしょう?」
質問に質問で返すのはマナー違反だが、エイゴは怒らなかった。
王都の雑貨店、日用品店などは店を閉じたが、逆にシヴォンヌや他の町の小売店は儲かったはずだ。多少高値を付けても王都民が大量に買っていくんだからな、卸売業はむしろ笑いが止まらなかったんじゃないか?
インフレはじわじわと広まった。だがそれで困ったのは鳥籠の館に籠っている連中くらいだ。そう持って行ったからな、よっぽど金を積まないと連中には誰も売らない。どうしてこんなことになったのか、王都の全員が知っている。
エイゴと睨みあい、同時に笑い出した。
「商人を敵に回したらどれだけ悲惨なことになるか、貴族も思い知っただろうな」
「トイレットペーパーがなくて?」
「笑いごとではないぞ。糞にまみれて死ぬなど恥だ」
たしかに笑いごとじゃないな。トイレで用を済ませても拭く物がないんじゃどうしようもない。オイルショックでもないのにトイレットペーパーの買い占めと、それにつられた日用品の価格が上昇した。
「紙類は売れた。わら半紙などの雑紙まで売れている。布類と木製品もよく出ている」
「あ、もしかしてそれで新聞が減りました?」
「そうだ。布は、水で洗って拭く用だろうな」
紙がなければ布を使えばいいじゃない、か。水は魔法で出せるから洗うことはできる。とても不本意なウォシュレットだな。その布を洗うの大変そうだ。
「食料品も全体的に高騰している」
「包装紙ですね」
買い物に行く時にバッグを持参するのは主婦が多い。野菜類はそれで良くても肉や魚、惣菜、菓子を包むのは紙か入れ物持参だ。それで木製品が売れているのだろう。紙は木から造られる、木の価格が上がれば当然全体に影響する。
魔法があるせいなのか、石炭はさほど需要がない。石油なんかただの臭い水扱いだった。産業革命はこの世界では起こりようがなかった。プラスチックをはじめとする石油製品は未だに発明されていない。
うなずいたエイゴの顔から笑みが消えた。
「王都の影響は大きい。……さて、この責任はどうしてくれる?」
ぶわっ、と迫力がエイゴから立ち昇っている。
ああ、俺の前に会っていたのは王都の関係者、もしかしたら城からの使者かもしれない。殺人犯の俺を引き渡せと言ってきたか。それともタナカ商会を取り潰してでも他の商会を呼び戻せと要求されたか。
エイゴ・ミスィは商売に人生を捧げてきた男だ。このボーレーニュの商人組合長に権力で圧をかけるなんて、悪手としかいいようがないな。
「責任というのなら、いまだに鳥籠の館を占拠されている王家が支払うでしょう」
「シヴォンヌに聖人が誕生したのは知っている。アスクレーオス氏は王太子殿下のものだろう」
「殿下がそう思っていても、彼はすでに民衆のものですよ」
「ふむ。しかし、殺人犯に協力するのはこちらに利がない」
俺のやったことをすでに把握して、とっくに裏まで読んでいたか。あいかわらず食えない男だ。
「オーダーさんなら生きてますよ」
「……なに?」
「俺が治療しましたから」
エイゴが目を見張った。スーツのポケットから聖魔法カードを出す。
「ナイフを引き抜くと同時に治癒魔法をかけました。やじ馬が集まっていましたからね、俺が逃げた直後に起き上がったオーダーさんを見て仰天したでしょう。血の痕までは消せませんが、傷は完全に治癒しています。そう、聖魔法カードならね」
聖魔法カードに手を伸ばそうとしたエイゴの前に、ハンカチで包んだナイフを置いた。血はすっかり乾いて茶色く変色している。
「……なぜ逃げたのだ。聖魔法カード見せておれば……」
言いかけたエイゴが渋い顔になった。そうなんだよ、聖魔法カードでの治癒を見せたら、アスクレーオスの偽聖人説が出てくるんだ。
「留まっていたら今度こそオーダーが殺されるか、部下や知人が狙われるかもしれません。連続殺人なんてごめんですよ」
「もっともだな」
ナイフを避けて聖魔法カードを指先で引き抜いたエイゴが、眼鏡のブリッジを押さえてカードを目の前にかざした。
表面にホログラム加工がされた、完成形レアカードである。
ホログラムはまだ開発中なので、虹水晶を表面に薄く乗せた形だ。角度によってキラキラと色を変えるそれは、聖魔法のミラーボールにふさわしいうつくしさだった。
「アイーダ公爵領で作っていると聞いた」
「トーマがありったけ持ってきてくれました。五十八枚あります。術式に慣れた者でも量産は難しい」
エイゴがうなずいた。
「質草には無理だな。価値がありすぎて逆に値がつけられん」
俺もうなずいた。
「質草はそちらではありません。タナカ商会が収集した医療知識、そちらを出します。タナカ商会の知的財産です」
「…………」
エイゴがカードを眺めたまま考え込んだ。
医師組合と商人組合が共同して医療技術を発展させる。薬草からビーカーなどの実験器具、手術道具、白衣に至るまで。幅広く限りなく商売になる。医薬部外品だって広義でいえば医療品だ。
聖人、聖魔法カードはそれまでの繋ぎに使う。その間に医師だけではなく庶民まで、すみずみに知識を広げよう。健康ブームだ。新発見のたびに流行が生まれるぞ。
「知的財産か。そのような言葉ははじめて聞くが、たしかに知識とは財産だ」
眼鏡の奥の瞳がすっと細くなって俺を射抜いた。ごくっと喉が鳴る。
エイゴは過去に商会トラブルで全財産を失ったり、信頼していた部下に裏切られて退陣を余儀なくされたりの憂き目に遭っている。それでも絶望せずに商人組合のドンにまで辿り着いた。知識と経験だけは誰にも奪えないことをこの男ほど痛感している者はいない。
「よかろう。商人組合はタナカ商会を支持する。ターニャ・カー、企画書を提出したまえ。人、物、金、すべて融通してやる」
「ありがとうございます」
「王家はどうする? 王太子殿下の狙いにはアイーダ公爵令嬢も入っているぞ」
からかうようにエイゴが言った。
「それとも、彼女が君の切り札かね?」
「まさか」
首を振ってなるべく馬鹿にしたように笑ってみせる。嘲笑の相手は王太子だ。
「彼女は彼女で動きます。私の切り札なんてとんでもない。むしろ私こそ、クラリッサ・アイーダの地雷ですよ」
「地雷?」
しまった、戦争が遠い昔で魔法大戦の世界には、地雷がないのか。
「埋伏された爆発物です。どこに埋まっているかわからず、接し方を誤ればとたんに爆発します」
エイゴの顔が引き攣った。自分で説明しておいてなんだが最悪の兵器だよな。額を押さえちゃってるよ。
「……君、どこでそんな発想を得た」
それは秘密です。
本部の石像でピンときた方正解。組合長はミツイエチゴです。




