そうだ、バカンスに行こう
学院が夏季休暇に入り、クラリッサが公爵邸に帰ってきた。
万年筆のおかげで俺は大忙しである。集めた職人を調練しなければならないし、基準を満たしていない物は売り物にできない。各家へのお届けと請求もある。
うちの商品は万年筆だけではない。腕時計は貴族向け高級品で売っているから数は抑えられているが、そのぶんクオリティは落とせなかった。
女性用品の布工場はフル稼働だし、印刷業、医療、日用雑貨、ありとあらゆる分野に手を出しているので各業界とのすり合わせだけで大変なのだ。
「アイーダ公爵家は、クラリッサ様とカール様が避暑に行くそうですわ」
「そうか」
そんなわけでアイーダ公爵家への暑中見舞いはカーラに行ってもらった。顔合わせは済ませたし、女性にしか言えない悩みもあるだろうと思ってのことだったが、カーラは申し訳なさそうにしている。
「どうかしたか? 手土産を気に入ってもらえなかったのか?」
「いえ、喜んでいただきました。クラリッサ様がその……商会長はどうしたのかと」
「俺?」
「お話ししたいことがあるようでした」
なんだろう、聖女候補のことか? ヘンドリックと側近が婚約者を邪険にして聖女候補に傾倒しているのはもはや隠しようのない都中の噂だ。
調べたところ、イーデル男爵は北の辺境にある貧しい農村の領主だった。聞いたことがないはずだよ、村人は昔ながらの生活に納得し、改善しようという発想そのものがなかった。食糧は物々交換で賄える。娯楽は半年に一度の祭とその時に来る行商。服はその時に布を買って自分で縫う。そんな生活をずっと続けている。
さてそんな農村を管理している男爵だが、彼は野心家ではなかった。聖女になるかもしれないオデットとその家族を保護し、学院入学に備えて基礎教育を施すために養女にした。牧歌的な村に似合いの穏やかな御仁らしい。
野心があったのはダンテ伯爵だ。王都で財務省に勤務しているが賭け事が好きで内情は借金まみれだという。この半年、聖女候補のためにとタナカ商会の本店で色々購入しているが、半年でブラックリスト入りしていた。代金を踏み倒そうとしたのだ。
一度や二度ならツケとして処理するが、立て続けに何度もやられたらたまらない。養子先はイーデル男爵でも身元引受人はダンテ伯爵だ。支払い能力のないイーデル男爵に請求を、とはならなかった。傘下の養子の身元引受人になっているのだ、貴族の面子をかけて、ダンテ伯爵が支払うものなのである。まして聖女候補のため、とダンテ伯爵が選んで購入しているのだから知らぬ存ぜぬ踏み倒し、が許されるわけがなかった。
聖女候補はどこへ行っても顔パスだったのができなくなり、ヘンドリックと側近に泣きついた。女にねだられてホイホイ財布になるのもどうかと思うがデートに出かけては何かしら貢いでいる。俺は商人だからな、金さえ払ってくれればそりゃ売るさ。他の店だってそうだろう。
そんな姿を目撃されているのだから噂にもなる。婚約者側と懇意にしていれば注意深くもなるものだ。
「ヘンドリック王子のことかもしれないな。わかった。お二人が避暑地にお着きになられる頃を見計らってそちらに視察に行ってみよう」
カーラは眉間に皺を寄せた。不満があるらしい。
「会長、その頃は夏休みでは?」
「ああ。だがスケジュールはそこしか空いてないだろう」
「会長がバカンスに行けばいいじゃないですか。たまには仕事抜きでクラリッサ様とお会いになられてはいかがです?」
タナカ商会は基本週休二日制だ。女性社員には生理休暇と産休も認めている。男性社員にも無理はするなと通達してあった。ここまで育てた社員だ、体を壊してしまっては元も子もない。だいたいこの世界の人間は働きすぎなのだ。定休日という概念すらない社員たちに納得して休んでもらうのに苦労するとは思わなかった。俺は自分の会社をブラック企業にするつもりはないぞ。
工場と工房も順番で一週間の夏季休暇を出している。なるべくラインを止めずに全員に休暇を与えるのも上の仕事だ。
上が率先して休まないと下も休めない、というわけで俺にも夏休みがある。響きがいいよね、夏休み。いくつになっても楽しみだ。
「……仕事抜きで会って何を話すんだ?」
本気で不思議に思ったから聞いたのに、カーラはくわっと目を見開き、やけにしみじみとしたため息を吐き、俺を見て、残念そうに首を振った。なんだ、その、馬鹿を見たような一連の動作は。
「商会長……。商会長がなぜ独身なのか、よーくわかりました」
「ひどすぎないか?」
我、商会長ぞ? 君の雇用主だぞ?
「とにかく夏休みにはクラリッサ様のところでバカンスしてきてください。大丈夫ですよ、どうせ商会長となら親戚のおっさんと姪っ子くらいにしか見られませんから」
「ひどすぎないか?」
「商会長が悪いです」
「えぇー……」
なんなんだ、女の怒りポイントってわけわからん。首を捻る俺に、カーラがもう一度ため息を吐いた。
女同士、何を話したんでしょうね。もちろんターニャはわかっててとぼけてます。