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シヴォンヌ支店南通り『コーバン』

ターニャ視点に戻ります。



 シヴォンヌは王都の隣だけあって栄えている。

 石畳の道に煉瓦と石造りの家並み。煉瓦は主に平民で、石造りは商家や裕福層だ。


「シヴォンヌはけっこう賑わっていますね……」


 物珍しげにアスクレーオスがキョロキョロしている。商店の並ぶ大通りは今の王都とは段違いに人が多かった。


「店がやっているからでしょう。ただ、値段は高騰していますね」


 需要と供給が釣り合っていなければそうなる。さすがに荷馬車で乗り付けて買い占める人は見かけないが、一人で持てるだけ買いこんでいる人はいた。ひそひそされて肩身が狭そうだった。


「それで、知り合いというのはどちらに?」

「タナカ商会シヴォンヌ支店の『コーバン』です。彼らだけは職務上撤退させられませんから」


 王都を中心に大都市と呼ばれる街に『コーバン』は展開している。人が多ければそれだけ犯罪発生率が高いのは自明の理だ。そこに商機がある。

 大通りの南の外れに『コーバン』の看板があった。タナカ商会『コーバン』シヴォンヌ南支店だ。四角い箱型の二階建ての建物に五弁の桜。俺には馴染み深い『桜の代紋』が掲げられている。

 窓越しに人が確認できる距離に来て、何かあったのか俺に気づいた一人が飛び出してきた。


「商会長!」


 俺のことを「大将」と呼ぶのはギガント隊だけなのでこれは合ってる。


「どうかしたのか?」

「良いところに来てくれました。とにかく中に。大変なんです!」


 腕を引っ張られながら『コーバン』に入ると、子供が数人簡易ベッドに寝かされていた。

 『コーバン』の一階はいわゆる派出所で、道案内から酔っぱらいの喧嘩まで気軽に相談できるようになっている。調書のとれる机と椅子はカウンターの奥にあり、バックヤードから向こうには給湯室や食堂、洗面に風呂場とトイレ、仮眠室があった。二階には体を鍛えるためのトレーニングルームと資料室、取調室がある。

 子供がいるのは食堂だった。ここに二人いるということは、仮眠室も子供に占領されていると見て良いだろう。


「これは……?」


 服から覗く細い手足には包帯が巻かれ、彼らの顔は発熱の症状があった。

 アスクレーオスとカダがさっと顔色を変えて近づこうとするのを咄嗟に止めた。俺にもわかるほど特徴のある症状だったからだ。


「待ってください。まず、手洗いと消毒、うがいをしてから診察をお願いします」


 俺が来たことにほっとした雰囲気だった『コーバン』の隊員、巡査と呼ばれている彼らが今気が付いたようにアスクレーオスとカダを見た。


「どちら様ですか?」

「医師組合の会長アスクレーオス様と、助手のカダ様だ」

「お医者様、ですか……」


 シヴォンヌの『コーバン』を任せている巡査長パーシー・パーシェーベが微かに嫌悪を匂わせた。顔はギガント隊ほど厳つくないが、逆三角形の上半身に筋肉で制服ぱっつんの男に睨まれたらたいていの人間はビビるだろう。パーシーを招き寄せ、アスクレーオスとカダには手洗いに行ってもらった。


「パーシー、あの子たちはどういうことだ?」

「お客様のお子さんです。水斑病で、医者にも見放されたと言ってウチに連れてこられました」

「それであの反応か……」

「すみません、商会長。ですが子供が苦しんでるってのに見捨てる医者が許せませんで」

「わかってる。ただ、顔には出さないようにな。威圧もダメだぞ」

「はい……」


 しょんぼりとなったパーシーに、とにかく全員に手洗いうがいをさせるように言いつける。


 水斑病、日本でいうなら水疱瘡だ。

 主な症状は発熱と体や顔に出る発疹。手足は包帯で隠れていたが首や顔に赤い発疹が見えた。

 水疱瘡にかかりやすいのは乳幼児である。前世では娘たちが幼稚園のプールで例に漏れず水疱瘡になった。プールって一瞬で感染するよな……。

 熱もそうだが、水疱瘡で辛いのは発疹に伴う痒みだ。子供は特に我慢が効かない。掻けば水膨れが潰れて痛いし、そこから患部が広がっていくしで大変なのだ。痒い、痛い、と泣くまだ幼い子供にこちらの胸が潰れそうになった。特に女の子は痕が残るのが心配だ。斑点は消えても、掻き毟った痕は残る。


 脳内で水疱瘡の検索をして、俺を含めた全員に手洗いうがい消毒をさせたところで一同を集めた。


「水斑病は運が悪いと大人でも発症します。大人のほうが症状が重く、場合によっては死に至ることもあります。ですので、まず全員にマスクを着けてもらいます」


 三角巾で鼻と口を覆うだけでも、ないよりはましだ。まずは俺が着けてみせると全員が微妙な顔になった。見た目古典的な泥棒だもんな。

 特にカダは不満そうだ。治療ならアスクレーオスの聖魔法で、と思っているのだろう。


「商会長、ここはアスクレーオス様にお任せしてはどうでしょう?」


 それでも「聖魔法」と言いださないあたり、追われる身であることをわきまえている。

 カダの提案には首を振った。聖魔法を使えない理由があるのだ。


「清潔にさえしておけば、さほど重症化せずに自然治癒します。それより、他に感染者を出さないほうが先決です」


 パーシーには二人の部下と共に発症場所の特定と感染者の確認を命じる。


「パーシーは部下を連れて最初の患者家族に子供の行動を聞いてきてくれ。何かの集まりがあったらそこから感染した可能性が高い。もし他に感染者がいたら、患者に関わる全員に手洗いと消毒、子供の部屋を換気させて手で触れる箇所は消毒するよう伝達してくれ。大人は感染していなくても、水斑病の原因が付いたまま行動していることもある」


 覚えている限りの注意点を記した手紙を持って、パーシーたちを送り出した。


「残りの巡査は看病に当たる者と、通常業務を交代で行う。ああ、ルークとテリーは子供がいたな? 移るといけないから二人は通常業務だ」


 俺が子供の有無まで把握していると思わなかったのか、ルークとテリーが驚いたような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。そんな二人に羨ましそうな目を向けている者もいる。


「喜ぶのは早いぞ。感染リスクを避けるために、二人は家に帰ったらまず手洗いとうがい、そして風呂だ。風呂は湯船には浸からず、シャワーで済ませるように」


 風呂はまだ良いんだ、魔法で水が出せるから。バスタブに湯沸かし器は標準装備でもある。

 シャワーとなるとホースとシャワーヘッドが必要になる。こちらはあまり一般的ではなかった。

 俺としては風呂に浸かるのが好きなのでシャワーは急いでいる時か疲れすぎて風呂の用意をしたくない時くらいしか使わない。滅多に使わないくせになぜあるかというと、自宅を購入した時に手足を伸ばせる風呂に新調したからである。オプションで付いてきたのだ。

 学院の大浴場にもあった。たぶん貴族には一般的なんだろう。このことからわかるように、シャワーというのは贅沢品なのだ。


「うち、シャワーないんですけど」

「うちもです」


 ルークとテリーが困ったように言った。


「ないなら体を洗うだけにしてくれ。とにかく湯船には浸からないこと、いいな?」


 社長命令である。「はい……」と力なく言った二人には悪いが、風呂もプールと同じだと思えば危険なことに変わりはない。


「治療にはアスクレーオス様とカダ様に中心となってやっていただく。患者を一カ所に集めるから手伝ってくれ」


 簡易ベッドは足を折りたためばタンカになる。仮眠室に運ぶと二台ある二段ベッドにはすでに子供が寝かされていた。

 『コーバン』は個人の警護だけではなく災害救助もできるように訓練してある。あくまで怪我人の初期手当で病気に関しての知識はそこまで勉強していなかった。清潔、消毒、換気、それくらいだ。


 医者が見放した子供相手に、彼らは精一杯のことをしたのだ。掻き毟って水膨れが潰れた腕に包帯を巻き、熱を下げようと冷やしたタオルを額に乗せ、水分を取らせた。

 子供の手足に巻かれた包帯には血の混じった汁が滲み、空の経口補水液のビンが何本も床に置かれている。どうしたらいいかわからない中で、それでもできることをやってくれた彼らが誇らしかった。

 後で表彰とボーナスだと決め、アスクレーオスとカダだけ仮眠室に残ってもらった。


「さて」

「任せてください商会長。水斑病の患者は看たことがあります」

「アスクレーオス様の出番ですね!」

「はい、待ってください」


 張り切る気持ちはわかるけどダメなんだってば。


「なぜ止めるんですか? アスクレーオス様にかかれば水斑病などすぐに治りますよ」

「この病気は感染する代わりに抗体もできるんですよ」


 聖魔法なら跡形もなく治せるだろうが、それが問題なのだ。


「抗体……?」


 アスクレーオスが首をかしげた。やっぱりな。感染症対策もろくにない世界じゃワクチンという考えそのものがないのだ。


「耐性と言い換えてもいいです。私やきょうだいも水斑病になったことありますが、治ってからは一度もかかったことがありません。これはつまり一度感染しておけば体内に水斑病に対する抵抗力が残る証拠です」

「先程は大人もかかると言っていましたが……」

「一度もかかったことがなければ感染します。また、体が弱り抵抗力が落ちた時に、体内に残った水斑病の核が暴れ出すこともあるんです」


 有名なのが帯状疱疹だ。これは年取ってストレスや過労で免疫力が落ちるとかかる。帯状に発疹が出て、悪化すると神経痛まで発症して長く続く厄介な病気だ。


「それならなおさら聖魔法で治すべきでは?」


 聖魔法の何が悪い、とカダは言いたそうだ。


「自然治癒ならその後健康でいればかからない、と言ってるんです。水斑病は感染力が強いんですよ、キリがない! なによりこの苦しみを、何度も子供たちに味わわせるつもりですか?」


 強く言うとさすがにカダが怯んだ。それだけじゃない。患者がいる限りどこまで感染が広がるか予測がつかなくなる。そんな負のループなんて嫌だぞ。


「患者が増えればアスクレーオス様の負担も増えます。……人々の希望となるべき聖人を、使い潰すわけにはいきません」

「……っ」


 鼻と口を覆った不審者スタイルで聖人というのも何だが、アスクレーオスは光属性の使い手として保護されていた。水疱瘡になったことがないかもしれない。


「……水斑が酷く、痕に残りそうな子、特に女の子はそこだけ魔法で治療しましょう。アスクレーオス様、良い機会ですから聖魔法を完璧に使いこなす練習をしてください」

「わかりました」

「……子供を練習台になど……」


 まだ言うか。


「誰だって最初は初心者です」


 この国の医師免許がどうなっているのかというと、医術学校を卒業する、これだけだ。実習やインターンなどの実技は一切なし。その学校ではある程度の病症と薬学の調合などを学ぶ。前世の医者が見れば医師というより薬剤師の学校かと思うだろう。それも漢方医のほう。

 とにかく治療というと聖魔法と結び付けてしまう風潮のせいだ。この子供たちを医者が見捨てたのだって、治療のしようがないのではなく、子供の治療はやったことがないから怖かっただけだと思う。


「カダ様、これから先もっと重篤な患者を診ることもあると思います。その人を前に、やったことがないからできないと言うつもりですか」


 カダはハッとした後悔しそうに唇を噛んだ。アスクレーオスを活躍させたい気持ちはわかるけど、時と場合による。それをカダが知らなくてはいつか本当に聖魔法に寿命を削られるぞ。

 そのカダの肩にアスクレーオスが手を置いた。


「それでいうならカダ、私はお前を練習台にしてしまった。……すまない」

「そんなっ。アスクレーオス様は、……あっ」


 私を助けてくれた、と言おうとしたカダは、自分が聖魔法治癒第一号であることを思い出し、自分の言葉の意味を理解した。


「申し訳ありません、商会長。愚かなことを言いました」

「いいえ。カダ様の気持ちは人間として正しいと私も思います。けれどそれを乗り越えて進まなければならないのが医の道だとも思うのです」


 ほんとだよ。幼い子供を練習台なんて俺だって嫌だ。そこまで人非人になりたくない。

 ただ、医者ってのはそれを乗り越えなくちゃならない職なんだ。手術のない、満足な医療知識すらない世界では、指導医に付いて学ぶことも難しいだろう。自分で学んでいくしかないのだ。


 だからこそ、カダにはその気持ちを忘れないで欲しい。慢心せず一人ひとりの心に寄り添う医者になってくれたら良い。そう思った。




ハセベが出てきました。

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