タナカ商会、学院に参上!
部外者が学院に入るには手続きが必要となる。
まず、身元を保証する紹介状。学院側への登院届は前もって用件を学院側に示して、間違いがないか確認される。その後に学院が許可証を発行するのだ。
面会者、俺の場合はクラリッサになるが、こちらには手紙でいついつに行きます、と予約を取っておけばいい。
「カー商会長!」
馬車で学院の正門に乗りつけ、警備員にチェックを受けていると、なんとクラリッサが走ってきた。元気いっぱいなのはよろしいが、淑女の見本と言われていたクラリッサはどこへ行った。ご友人らしき令嬢たちも驚いている。
「お嬢様、お久しぶりでございます。お元気そうでなによりです」
「あ、あら、わたくしったらはしたない……。お久しぶりですわ、商会長」
さっと見るが肌にも髪にも荒れたところはない。若いって羨ましい……じゃなくて、どうやら本当に元気でやっているようだ。
金の髪を貝殻のバレッタで留め、学院のブレザーとプリーツスカートを着ている。きちんと腕時計もしているようだ。
「制服姿ははじめて拝見しましたがよくお似合いです。ひとつ大人の階段を上ったようで、眩しく見えますね」
馬車から降りて御者に馬車留めで待っているように言い、クラリッサと並んで学院に向かう。今回の商品が入った鞄を持ったトーマも学院を鋭く観察しながら後ろを付いてきた。
さらに今日は珍しく、女性店員にも付いて来てもらっていた。トーマの妻で、こう見えてタナカ商会本店の営業部長、カーラだ。
「お嬢様、彼女はタナカ商会本店営業部長のカーラ・キュルツ。トーマの妻でもあります」
「はじめまして、お嬢様。こうしてお会いできる栄誉を与えていただき光栄でございます」
「……はじめまして」
カーラはいかにもできる女といったスーツスカート姿のキャリアウーマンだ。栗色の髪をきっちり後ろでまとめ、小脇にトーマと揃いの商品鞄を持っている。化粧はやや濃いがそれは彼女の戦闘スタイルである。ピンヒールの靴音がかっこいい大人の女性だ。
カーラを見てなぜか顔をこわばらせていたクラリッサは、トーマの妻と聞いてなぜかほっとしていた。
セントマジェスティック高等魔導学院は前世のテレビで見た教会みたいな造りだった。町の教会じゃなくて、お偉いさんがいる聖堂のほう。一階建てで敷地面積がやたら広く、イギリス風庭園に噴水まである。学院の建物は開放的で窓枠の幾何学模様が凝っていた。
うーん、この乙女感。やっぱり『ロイマジ』は乙女ゲームだったのだろうか。一枚絵スチルなら細部も凝るだろう。アニメスタッフの苦労がしのばれる学院だ。
クラリッサとご学友に案内されて着いたのは、食堂という名のレストランだった。そのガーデンスペースの一角を予約してあるという。
「カー商会長、紹介しますわ。サティ公爵家令嬢サラ様、シームリー侯爵令嬢エミリア様、スカイ伯爵令嬢マティルダ様、セィザー伯爵令嬢シャロン様ですわ」
「はじめまして。タナカ商会、商会長のターニャ・カーでございます」
サトウ、シムラ、スガイ、セリザワだな。よし覚えた。
はじめまして、と挨拶する令嬢たちはクラリッサから聞いているのかそわそわと楽しそうだ。
ご令嬢たちとは初対面だが、タナカ商会としてはどの家とも付き合いがある。クラリッサがあちこちで商品アピールしてくれたおかげだ。
アイーダ公爵家が貴族で一番に俺を呼んでくれたので、アイーダ家には商会長の俺が行っている。まだ新参者と馬鹿にされていた頃からのご贔屓なんだ、こちらとしても優遇するさ。工房や職人なども世話になっているし、工場建設に協力的でもある。さすがは財産家だ。万年筆も職人技だと言ったら目の色変えてたし、公爵領にまたタナカ商会の工房ができるだろう。
そして、だからこそ、便利ショップタナカが誇るセールストーク、その本物が見られると令嬢たちは期待しているわけだ。
「では早速。本日皆様にご紹介させていただくのはこちら! 万年筆でございます!」
パカッとトーマが鞄を開けて、セットされた万年筆を見せつけるように令嬢の前で流してからテーブルに置いた。
「みなさん現在羽ペンをお使いですよね? こう思ったことはありませんか? 肝心な時にインクが切れる、文字が掠れる、インクが落ちて染みになる。先生の講義が続いているのにインクが切れて付けるのが手間! 聞き逃すまいと慌てて書いて、自分の字が読めない!」
あるあるなのか令嬢たちが何度もうなずいた。
「そんなお悩みを解決するのがこの万年筆です! なんとペンの中にインクが入っておりますのでインクを付ける作業がいりません。羽ペンと違い持ち手の邪魔になるものもなく、また適度な重さがあって書きやすい。もちろんペン先の書き心地も追求! なめらかで紙にひっかかることもなく、スムーズにノートがとれます!」
「どうぞ、お試しください」
すかさずトーマが万年筆とノートをクラリッサに差し出した。クラリッサ用の万年筆一式はきちんとプレゼント包装されて鞄に入れてある。試し書き用万年筆だ。
「まあ、本当にインクがでてきますわ」
「滲みもありませんわね」
「羽がないのはたしかに書きやすそうですわ」
私も私も、ときゃっきゃと試し書きしていたクラリッサたちが、満足したのか興奮気味にこう言った。
「素敵! でもお高いんでしょう?」
せーの、で声を揃えて言うほどのことではないが、やっぱり嬉しい。クラリッサの仕込みかな、と彼女を見ると、友人と一緒だからか照れくさそうに頬を赤くしていた。
「なんとこの万年筆のお値段は……こちら!」
値札を見せるときゃーっと歓声が上がった。様式美っていいですよね。
令嬢たちが声を揃えてくれるので、食堂にいた生徒たちもそろそろ気になってきたようだ。窓からこちらを窺っている者、ガーデンスペースの入り口で耳を澄ましている者が出はじめた。
「しかも今なら初回特別キャンペーン中につきこちらの赤ペンと緑のシート付き! これは文章に赤線を引くことで重要項目が一目でわかり、緑のシートを重ねることで黒く見えなくする、暗記にぴったりのお役立ちアイテムです。試験前の勉強を、よりポイント絞ってできるでしょう!」
貴族令嬢で家庭教師がついていたとはいえ、学院での授業とは別物だ。本気で感激の声があがった。
「商会長、これは本当に素晴らしい、ありがたいものですわ……」
さっきのノートに赤ペンでマークしていたクラリッサがしみじみ言った。
「わたくしたち、学院に来てはじめて試験を受けるのです。暗記することも多く……どうしたらいいのか悩んでおりましたのよ」
そうか、家庭教師ならわからないところを何度でも教えてもらえるけど、学院は教科書に添って先に先にと授業が進む。いわゆる詰込み型なのだ。テストは学習内容が身に付いているか確認するためのものだが、家庭教師には学期がない。どこまで理解しているかは教師が把握しているし、必要なかったのだろう。
「たしか学院では国語、数学、経済、魔法学、古代魔法語学、歴史、外国語、芸術を学ぶのですよね」
「ええ……。学年が上がると第二外国語が加わりますわ」
「なるほど……」
なるほど。
「大っ変ですね……?」
前世の学校もそうだったけど、学校の授業って多すぎない? いや若いほうが覚えが早いのはわかるよ。わかるけど、遊びたい盛りに勉強勉強させられてついていけない子がいるのは当然だし、ストレスからぐれる子が出るのも苛めなんて起こるのも納得の圧倒的授業量。
「ええ、大変ですの……」
クラリッサたちが深刻にうなずいた。ついでにそこここで話を聞いていた生徒たちも。
「わたくし、それをいただくわ」
きりりと言ったのはサトウ、じゃなかったサティ公爵令嬢だ。シムラ、スガイ、セリザワも「わたくしも」と続いた。
にこっと笑う。まいどありー。
「ありがとうございます! クラリッサお嬢様にはお父君からお預かりしたものがございますので。こちらです、どうぞ」
桐の箱を布で包み、それに万年筆セットが入っている。もちろん単語帳付きだ。
手渡すとクラリッサは胸にぎゅっと抱きしめた。幸せそうな笑顔が俺も嬉しい。
「お嬢様方にはこちらからお選びいただけます。クラリッサお嬢様のものはボディは赤、螺鈿で家紋をお入れしたもので、トップにはトルマリンが使われております。お揃いでお持ちになるも良し、色違いでトップ石をお揃いにしても仲良しの証として可愛いですね。また、本店にお持ちいただくことになりますが、お好きなデザインの螺鈿を入れることも可能です」
購入してもらうこと前提で複数持ち込んできている。テーブルに並べられた色違いの万年筆に令嬢たちは大喜びで選びはじめた。
学院にいる生徒のほとんどは現金を持ち歩いていない貴族だ。というか、貴族というのは金を持たずに買い物に行く人たちである。請求はそれぞれの家に行くことになる。これは双方の信頼があればこそ成立する商売なのである。
さて、話を聞いてもの欲しそうな顔をしていた生徒諸君、待たせたな。
クラリッサに目礼し、令嬢たちをカーラに任せて隣のテーブルに移動する。ちょっとしゃべりすぎて喉を潤したいところだが、ここが正念場だ。
できればヘンドリック王子と聖女候補を引っ張り出したい。実際に見てどんな連中かたしかめてやらないとな。
営業部長のカーラを連れてきたのも意味がある。学院生活でおそらく一番困っているだろう、女の子用品を紹介してもらうためだ。
この世界の女の子がどうしているのか調査してみたら、なんと布を詰めるというのだ。クラリッサのような貴族の令嬢なら清潔な布を使えるだろうが、庶民はそうはいかない。
おそらくだが、設定になかった部分については時代背景が反映されている。ちぐはぐな不便さはそのせいなのだ。
吸水性ポリマーなんてなかったし、男の俺が開発を命じると嫌な顔をされた。しかも庶民が気軽に買えるような低価格を目指したから大反対にあった。
それを押し通したのは、命がけの出産のために毎月頑張っている女性のためだ。不潔な布なんか詰めて病気になったらどうする。というか、確実に病気になる女性がいるはずだ。便利ショップタナカの社運をかけてもやり遂げるべき事業だと説得した。ちょっとした女性礼賛運動と共に命じれば、女性社員数人が立ち上がってくれた。
何の前知識もないのにやれと命じるほど俺だって馬鹿でも鬼でもない。ポリマーがないのなら吸水性の高い布を織る研究をすればいい。綿と布を重ねるなどの工夫もさせた。数時間ごとに取り換えなければならないのは詰め布と同じだが、快適性は段違いの物ができあがった。テスターとして女性社員に使ってもらったからお墨付きである。
俺とトーマが生徒たちに万年筆を紹介している間にカーラが女性用品の説明をする。時々「まぁっ」と声が聞こえた。
テーブルの前に生徒の列ができたところで、ざっと彼らをかきわけて現れる一団があった。
「何の騒ぎだ、これは!」
ヘンドリック第二王子とそのご一行だ。
男ばかり四人に混じってピンクの髪……乙女ゲームではありがちだがこうして現実になると少しピンクっぽい金髪に調整されている、聖女候補がいた。
そっと後ろを窺えば、クラリッサたちがあからさまに嫌そうな顔をしている。後ろ手にカーラにサインを送り、そっとこの場から退場させた。
「おでまし、ですね」
トーマがやる気満々の笑みを浮かべた。
大口顧客獲得の大チャンス。気分は7が二つ揃ったルーレットだ。止めるタイミングが大事になる。
「まずはご挨拶といこう」
左手首に嵌めた腕時計をすちゃっと出す。クラリッサのものを知っているのか、ヘンドリックが「あっ」という顔をした。ぽちっとな。
そして流れてくる便利ショップタナカのテーマソング。知っている生徒が次々と口元を押さえて笑いを堪えだした。王子の前でこれをやるとは思うまい。
いつもニコニコ あなたの隣に寄り添う 便利ショップ『タナカ』
「御用とあらばすぐ参上! お初にお目にかかります。便利ショップタナカこと、タナカ商会の商会長、ターニャ・カーでございます。以後、お見知りおきください!」
嬉しいことに何人かの生徒が口パクで歌ってくれていた。トーマはウッソだろ、と言いたげな顔をしているが、これが歌の力ってやつだ。
ぽっかーんと口を開けたまぬけ面を晒していたヘンドリックと聖女候補たちだが、すぐに我に返った。というか、あまりにも俺がいつもと変わらない調子なものだからか、王子に前を譲っていた生徒たちが再びテーブル前に押し寄せてきたのだ。
ここは学院。どんな身分であろうと生徒は平等だ――と、常日頃そちらの聖女候補が主張しヘンドリックも賛同している。学院に商品を卸している店の者の報告にはそうあった。ならばそれに敬意を払い、王子であろうと『平等』に『一生徒』として扱うのが礼儀ってものだろう。
トーマとはそう打ち合わせしてあった。だからこそ、俺が歌を流すのを止めなかったのだ。
「おいっ、何私を無視している!?」
一度譲られたのになかったことにされたのがプライドに触れたのか、ヘンドリックが怒鳴りつけてきた。
怒鳴られた生徒は王子相手にさすがに怯み、前を譲ろうとした。
「ああっ、困りますお客様! 順番は守ってください!」
テーブルの前は万年筆の実演販売をする俺と、俺の隣で販売しているトーマとで列ができていた。偶然だが、背の低い聖女候補には見えない程度には人が集まっている。
「なんだ、それは。王子たる私と聖女候補のオデットがわざわざ来てやったのだぞ、それを」
「おお、ヘンドリック王子殿下と聖女候補様でございましたか!」
続けて文句を垂れようとしていたヘンドリックを遮って、大げさなほど驚いてみせる。
「お噂はかねがね伺っておりますよ! なんでも学生であるなら身分など関係ない、皆平等であるとおっしゃって、大変気さくなお人柄であられるとか!」
「う、うむ。そなたのような下賤な商人でも聞き及んでおるか」
ヘンドリックはまんざらでもなさそうに鼻を膨らませるが、褒めてないからな。身分を笠に着て横入りしようとしていたヤツが平等とは、笑わせてくれる。
「さすがは王子殿下、お優しい! 皆様に前をお譲りになってくださるのですねっ!」
よっ、さすが王子! やさしい、寛大、太っ腹! そんな風に持ち上げられてはヘンドリックも否とは言えない。そもそも学生は平等、は自分が言い出したことだ。
ヘンドリックと側近に囲まれている聖女候補は不満そうに頬を膨らませている。みんなは平等だけど自分だけは特別だと思っているタイプだな。
便利ショップ『タナカ』や万年筆に反応はない。どうやら転生者ではなさそうだが、なおさら悪かった。金に目が眩んでイケメンにちやほやされることが当然になった、一番ダメなパターンだ。アニメの設定などではなく、聖女候補の価値を理解して周囲を利用しようとしている。
ここで「前を譲れ」とは言えなかった王子たちはしぶしぶ最後尾に並び直した。王子が騒いでいる間に生徒が集まってきたせいで余計に列が長くなっている。苛々しているのが丸わかりだ。
そして残念なことに、臨時での販売には制限があった。時間切れとなった。
クラリッサたちを避難させていたカーラが戻ってきた。
「商会長、そろそろお時間です」
「はい! 本日ご紹介のこの万年筆、現在タナカ商会の本店のみで取り扱っております! トップ石の変更やボディの紋入れも本店で承っております。注文いただけば学院までお届けいたしますのでお気軽にどうぞー!」
ええーっ、と声があがるがタナカ商会のやり方を知っている生徒はあっさりしたものだった。無駄に時間を長引かせない実演販売や、期間限定販売などもタナカ商会の売りの一つ。今回だけの特別ご奉仕が本当なのかたしかめる客もいるし、線引きはきっちりと。時は金なり、である。
「お、おい待て! わざわざ並んでやったのに終了とはどういうことだ!?」
まあ、こういうクレームも当然ある。
「時間切れでございます。残念ですが、わたくし共は本日お客様にご注文の品をお届けに参っただけ。先様が気を利かせてこうして販売させていただきましたが、学園側に許可されたのは放課後の一時間のみでございました」
暗に誰かさんが邪魔さえしなければもっと時間があったと仄めかす。しかしヘンドリックはそれで反省するような男ではなかったようだ。
テーブルに並べた商品をトーマが手際よく片付けていく。残念そうな生徒に声をかけられても丁寧に受け答えしている。トーマの頭の中には今日の顧客情報が詰まっている、請求先の家も全部把握しているのだろう。本当に、頼りになる番頭だ。
「並べと言うから並んだのに時間切れだと?」
「そんなの早い者勝ちじゃないですか、ずるいです!」
ヘンドリックでは不利だとみたのか、聖女候補が加勢してきた。
「ずるい、ですか……?」
「そうですよ。私たちは来るのが遅かっただけなのに。商売するのならきちんと平等に売るべきです。そうやって競争心を煽って売りつけるのは卑怯です!」
聖女候補はドヤ顔で文句をつけてきたが、それは俺を敵に回すと取っていいんだな?
「本店で扱っているとアナウンスしましたし、本日はいわば臨時での販売になります」
ヘンドリック、聖女候補、側近と順番に顔を見回した。
「現に高位貴族の方は、それを聞いて場を譲る方もおりました。本店で注文したほうがより自分にふさわしいものが手に入るとわかったからです。王子殿下と側近の皆様も、これを機にこだわりの逸品を入手されてはいかがでしょう?」
商売こそ平等ではない、競争なのだ。今回だけ特別に、あなた様だけの、という謳い文句に煽られるのはどこの世界も同じこと。平等に販売なんかしていたら人気は下がる一方だ。どんなに素晴らしい、便利なものだって、売り方が下手では買い手は現れない。そこに価値を付けるのは人の心なのだ。
そもそも『自分だけは特別』と思っている小娘が、何を偉そうに。
そんな思いで聖女候補にとびきりの笑顔を向けた。それからヘンドリックを見て、聖女候補を見る。
しばらく意味がわからなかったヘンドリックは、ハッというように聖女候補を見て、俺にうなずいた。そうそう、彼女のために『特別に』プレゼントしてあげればいいんだよ。
「オデット、今回は仕方がない。彼は生徒たちに捕まって、やむなく販売したのだろう」
「ヘンリー様、でも……」
「そのうち学院の購買にも置かれるだろう。それより邪魔をしてはいけない。来客者は時間厳守が決まりだ」
真っ先にクレーム付けてきたヤツが言いよるわ。それに、もう愛称呼びを許してるのかよ。チョロすぎないか、大丈夫かよこの王子。
聖女候補の肩に手を置いて説得しているヘンドリックは麗しく、王子らしいが、裏表が激しすぎる。子供なんだな、やっぱり。
ヘンドリックが聖女候補を宥めている間に頭を下げて馬車留めに向かった俺は、知らなかった。
『平等』の尊さを声高に主張した聖女候補に、ヘンドリックと側近だけではなく残っていた生徒まで賛同してしまうことになるなど。
「商会長」
「お嬢様? どうしてこちらに?」
「お礼を申し上げたくてお待ちしていましたの。ヘンドリック殿下のこと、お任せしてしまってごめんなさい。助かりましたわ」
クラリッサの入学祝いの腕時計を目敏く見つけたヘンドリックが、それはもうこきおろしたと聞いている。万年筆の注文主がクラリッサだと知られたら、ねちねちとやられたあげく聖女候補に譲ってやれ、くらいは言われていたかもしれない。逃がして正解だったな。
「いえ、こちらも良い商売をさせていただきました」
「見事でしたよ商会長は。あれは殿下と側近は買いに来るでしょうね」
トーマが笑って言う。俺もヘンドリックたちは抜け駆けしようと個別で買いに来ると睨んでいる。聖女候補とお揃いで二本だ。側近と護衛を合わせれば三人だから王子を入れて計八本になる。それぞれがこだわったらいい仕事になるだろう。笑いが止まりませんな。
「クラリッサお嬢様にはご不快かもしれませんが、諌めたりはなさらないでください。見物ですから」
「……たしかに、見物ですわね」
はたして聖女候補は誰の万年筆を使うのか。誰と揃いで使っても角が立つ。
ふふっ、とおかしそうにクラリッサが笑った。これって悪役令嬢の企みになるのかな? ならないよな、俺の含みに気づいたかどうかもわからないし、買う買わないはヘンドリックたちの自由だ。