人をつくりしもの
情報がないなら知ってる人に聞けばいいじゃない、というわけでクラリッサに来てもらった。寮で休んでいるところを申し訳ないが、寮監に手紙を託して魔法カード研究をやっている特別教室まで呼び出した。わざわざ制服に着替えてクラリッサは来てくれた。
「お疲れのところ、申し訳ありません」
「いいえ。ターニャさんが魔法カードの研究を手伝ってくださっているのですもの。なんてことありませんわ」
昨日の今日なのにクラリッサは元気そうだ。俺のほうが疲れてるな……。年のことを言わないその気づかいに泣けてくる。クラリッサ、なんていい子……!
「メトバール君の意識は戻りましたが予断を許さない状態です。どうにか聖魔法カードを作れないか試行錯誤しているうちに行き詰ってしまいまして」
ジェローム・メトバールは学院の医務室で入院している。絶対安静で動かせなかったのだ。実家が手配したメイドや従者が彼の看病に当たっていた。ジェロームに置いていかれた侍従が自責の念から懸命に看ているそうだ。
「そうですわね。こんな時に聖魔法があれば……」
クラリッサも顔を曇らせた。
クラリッサは王子妃教育の一環として光と聖の魔法について学んでいた。ただしその教師も聖魔法の使い手ではもちろんなく、伝聞や本での知識だけで勉強といっても教科書をなぞるだけだったそうだ。
「聖魔法による治癒は怪我を治す、病気を治す、欠損の回復、この三つが主な治癒魔法になります」
クラリッサが指を順番に立てて言った。
「些細な擦り傷や切り傷などは自然治癒しますけれど、まれに傷口が腐れ落ちたり、毒が入って死に至ることがありますの。ですからあらゆる場面で治癒魔法を求められます」
破傷風と敗血症か。消毒さえままならなかったことを考えると、たしかに死亡率が高そうだ。前世だってこの二つは危険度の高いものだった。
「聖魔法の使い手が短命なのは、傷口が悪化する前に治すからですか? すべての人を治療するとなったら命がいくつあっても足りませんね」
貴族令嬢や令息が守られて怪我一つしなくても、例えば王城勤めの騎士団だけでも百人を超える。訓練時の怪我を治すだけで魔力枯渇になりそうだ。まして貴族以外の、聖魔法を待つ人々がいるとなればなおさらである。
「数が多いというのはそうですけれど……聖魔法による治癒はそもそも消費する魔力が桁違いですの。病人を一人癒すだけで魔力枯渇に陥った聖人がいたほどですわ」
「え、そんなにですか?」
「はい。ですから聖魔法は寿命を削って魔力に変換している、という説もあります。寿命を削っているから怪我や病気が治せるのだとか。光属性の使い手が保護されるのは単に貴重だからではなく、少しでも寿命を長くするためでもあります」
「もしや、王族と結婚するのが多いのは……」
クラリッサは言いづらそうに目を伏せた。
「王族の配偶者となれば無理はさせられませんから……。王家のためにも長生きさせてほしいのでしょう」
なんてこった。そりゃ保護するわ。ただでさえ妊娠出産は命がけなのだ、王妃や御子を守るためにも聖魔法の使い手にはいてもらわなければならない。
いないのなら諦めもつくが、いるのなら頼りたいのが人情だ。衛生管理もされていない出産なんてまじで危険だからな。
あわよくば次の聖女か聖人を王家から出すためだと思っていたが、浅はかだったな。光属性の使い手と婚姻を繰り返しているのに王家から生まれてこないのは、遺伝ではなく本人の資質が大きいのだろう。
「しかし寿命を削るとなるとカードにするのは難しそうですね……」
もしそのメカニズムで治癒を行うのなら、カードに魔力を流すのでは無理だ。消費する魔力が足りないから命を削るのだとしたら、どれだけの量を溜め込めばいいのかもわからない。
「……ん?」
「ターニャさん?」
待てよ。俺の仮説が正しければ、人体の知識がないから聖魔法の解明は進まなかったのだ。そしてクラリッサの話を聞くと、聖魔法というのはどうも効率が悪そうである。
魔法は理論とイマジネーションだ。術式や呪文は理論を証明しイメージを固定するためにある。だから高度な魔法は学ぶ必要があるのだ。
「……そうか、カルテだ」
「カルテ?」
「診断書です、クラリッサ様。怪我の度合いや病気の箇所に原因などを診察して突き止める。歴代の聖魔法は診察しないまま行われたのでは? どこをどう治せばいいのかわからなかったから、膨大な魔力で力任せにやるしかなかった。正確なカルテがあればもっと少ない魔力でも聖魔法が使えるはずです!」
俺の思いついた仮説を話すと、クラリッサはそれはありそうだとうなずいてくれた。医学を学ぼうとするのは医師を目指す者くらいしかいない。そして医師組合は聖魔法に圧されて肩身の狭い世界だった。迫害まではいかなくても、役立たずと蔑まれていた。これでは医学が広がるわけがない。
「こうしてはいられない。ええと……人体の構成に必要な物ってなんだっけ? 水と炭素、アンモニア……えーと、塩分と鉄分もいるよな。あとは何があったかな……」
黒板に人体の構成物質を書きだしていく。漫画のうろ覚えだが肉の体を維持する栄養素とそう変わりはないだろう。元素表はどうだろう、とにかく思いつくまま書き連ねていった。
「電気も入ってたっけ? パルスとかあったよな……。まあいいや、加えとこ」
「ターニャさん、これは何ですの?」
クラリッサが眉を寄せて黒板を見た。
「これは、肉体を形成する素です」
「これが? わたくしたち人間は母親の胎内から生まれてくるのではありませんの?」
半信半疑のクラリッサだがこれはむしろ当然の反応だ。俺だって本当にこれで人体ができるなんて思っていない。見たわけではない、ただ知っているだけだ。
「そうですね、では、成分と言い換えましょうか」
「成分」
「化粧品みたいなものですよ。何が入っているのかよくわからなくても肌に良い」
「ああ、それならわかりますわ。なんとなく、ですけれど」
「充分です。それに、これらを集めたところで人間が生まれるわけではありません。材料だけ揃っても料理が完成するわけではありませんからね」
「そうですわね」
それに肉体を構成するものだからといっても食べたら害になるものもある。つくづく絶妙なバランスで人間ってできているのだと実感した。
ホッとしたクラリッサと一緒に光の陣形と見比べて、聖属性の術式を考える。あきらかに不要な元素は除外した。
「そういえば、聖魔法にも呪文はあるんですか?」
「ありますわ。ただ他の属性と違い、抽象的といいますか、意味はわたくしには説明できませんが……」
そう前置きしてクラリッサが呪文を唱えた。
堅き護りを破られし時 潮の流れを塞ぐは忌まわしき穢れ
泡沫はいずれ凍り付き 光は瘴気を浄化せん
いざ来たれ 波よ 土よ
我は母なり 母の命を聞け
安らぎの刻 約束の時 ここに結ばん
聖なる息吹き
「今のは怪我を治す魔法ですか」
「おわかりになりますの!?」
「ええ、まあ……」
少し想像してみればわかる。『堅き護り』は皮膚、『潮の流れ』は血管のことだろう。怪我をすると黴菌が入って傷口が膿む。光で殺菌するから元に戻れと命じているわけだ。『安らぎの刻』で消毒殺菌することを告げ、『約束の時』は怪我が治った状態を示している。
どうやって説明していいかわからなかったから、潮の流れだの瘴気だの、なんだかよくわからないけどなんとなくわかるものに例えたんだろう。昔の人の苦労が偲ばれるよ。
「こうなると初代聖魔法の使い手は医師だった可能性がありますね。人体について詳しかったはずです」
「歴史書に出てくる初代様は五百二十三年前の聖女様ですわ。たしかに医官として魔法大戦に従軍しておられます! たしかお名前はエイダ・フィジーラ様です」
「フィジーラ?」
どこかで聞いたことのある名前……そうだ、アスクレーオスの姓がフィジーラだったはずだ。
初代聖女の子孫だったのか。それならさぞかし期待され、プレッシャーも大きかっただろう。医師を選んだのは初代への憧れがあったからかもしれない。
「初代はカルテを残さなかったのでしょうか? 伝わっていたらもっと聖魔法の使い手がいたかもしれないのに」
「エイダ様が聖魔法を発現されたのは大戦の最中だったといいます。書き記そうにも紙もペンもなかったのでしょう」
「ああ……」
魔法でドッカンドッカンの時代じゃあな。街は焼け野原どころかクレーターだ。物資なんかなかっただろう。
「それに終戦後は人々に治癒魔法を施すのに尽力されました。エイダ様が儚くなられたのは、たしか三十二歳です」
「……若いですね」
五百年前の寿命なら五十も生きれば良いほうだ。大戦中ならもっと若い子供だってたくさん死んでいるだろうけど、聖魔法の使いすぎは明らかだった。
クラリッサが悲しげに苦笑した。
「終戦の二年後ですわ。エイダ様のことがあり、各国は血眼になって聖魔法の使い手を探したそうです。しかし見つからず、エイダ様の元の属性が光であったことから光魔法が聖魔法になるのでは、と考えられたのです」
「光属性も希少ですからね」
「はい。今でもなぜ光が聖に変わるのかは解明されていません」
そう言って、クラリッサはじっと俺を見た。光魔法カードを完成させた俺なら、そう思っているのがわかる。
「クラリッサ様、私は商人なんですよ」
「……? はい」
突然の話題転換にクラリッサは首をかしげた。
「商人とは利益を求めるものです。人と物を繋げ、消費者に笑顔を届ける。それがタナカ商会のモットーでもあります。ですが、儲からない話には手を出しません」
「はい」
「聖魔法のカードは絶対に儲かる。世界各国がこぞって買い求めてくるでしょう。戦争の火種となる可能性もあります。それでも完成させますか?」
魔法カードを見た時はこんなことになるとは思わなかった。
オデットもクラリッサもまだどこかアニメのキャラクターだという思いが抜けなくて、クラリッサを悪役令嬢にしなければ何もかも上手くいくと思っていた。前世の記憶はあったけど、アニメを思い出したのはクラリッサが入学してだ。
ターニャ・カーはアニメのキャラクターでも、今ここにいる俺は生きている人間だ。ここは現実だ。これは、現実だ。アニメがエンディングを迎えても、この世界は続いていく。
「完成させますわ。だって、たくさん作って売ればいいだけですもの。ターニャさんは商人なのでしょう? 商売ができなくなる戦争なんてお嫌いでしょう」
俺のことを信じ切った瞳でクラリッサが答えた。彼女のスカイブルーは、絶対に俺はクラリッサを泣かせたりしないと言っている。幼い頃から変わらない、まっすぐな瞳だった。
「……クラリッサ様は私をその気にさせるのがお上手だ」
「あら、それは褒めてくださっているのかしら?」
「褒めていますとも。あなたのためなら戦争なんて、札束で引っ叩いてやります」
札束? と首をかしげたクラリッサを抱きしめる。そう言えばこの世界の通貨はコインだった。
この女のためならどんなことでもしてやる。そう誓える相手に出会えた幸運は何物にも代えがたかった。クラリッサは、俺の姫君だ。




