ヒロインは聖女候補
「今年の新入生に、光魔法の使い手がいるそうです」
入学式からしばらくして、トーマがさっそく情報を摑んできた。
「聖女候補か。では、ヘンドリック王子が庇護しているのかな」
「そのようです。ただ……その聖女候補の少女はオデット・イーデルという名だそうですが、平民出身で、王子と側近が守っているせいかクラリッサ様と王子の距離はますます開いているとか」
「平民か……。では、荒れるな」
「荒れますね……」
光魔法の使い手は男なら聖人候補、女なら聖女候補となる。光魔法は聖魔法にクラスチェンジすることがあるからだ。
聖魔法はありとあらゆる病気や怪我、魔力が大きければ四肢欠損まで癒してしまうという。俺にいわせればそんなものに頼っているから医療が発展しないのだが、聖女・聖人の出現を人々は待ち望んでいる。
そのため身分を問わず光魔法の使い手は大切に保護されるわけだが……。
「そのオデット・イーデルという聖女候補は最近発見されたのか?」
「あ、いえ。十歳の時に光魔法を使い、直後にイーデル男爵に引き取られています。イーデル男爵の養子となり、イノヴェ子爵、現在はダンテ伯爵が身元引受人になっていますね」
イデからイノウエ、今はダテさん家か。
「ていよく飼い慣らされているのか。最悪のパターンだ。おかしな噂を立てられないよう、医療部門は管理を引き締めておこう」
「はい」
トーマがため息と共にうなずいた。
光魔法の使い手は大切に保護される。が、平民や下位貴族だった場合、保護は取りこまれると同義だ。考えてもみろ、貧乏な子供がいきなりちやほや贅沢を覚えたら調子に乗って抜け出せなくなる。甘やかしてくれる人が困っていれば、人情として力を貸すだろう。それが貴族の政治的策略だと気づくことなく。
そうやって無自覚に力を使い、国を混乱させた聖女が過去には何人もいたらしい。高位貴族の男と恋に落ちるのはまだましなほうで、もっと贅沢がしたいと王族に粉かけて世話になった貴族ごと処刑された者もいる。
保護はされても聖女は絶対じゃない。聖女・聖人は短命な人のほうが多いのだ。
「イーデル男爵の内情が知りたいな。頼めるか?」
俺はイーデル男爵の名前を聞いたことがなかった。よほどの辺境か、消費者がいないほど貧乏のどちらかだろう。
「はい。人をやって調査させましょう」
商人の情報は北風より早い。にもかかわらず俺の耳に入っていないのが気になった。
医療を魔法に頼っているこの世界、前世の知識で病気を治そうものなら聖女への冒涜とされかねないのだ。だからこそ気を使って予防に努めてきたのに馬鹿な小娘のひと言でだいなしにされてたまるか。
トーマもそう思っているのか表情が引き締まっている。
「あくまでも聖女候補だからな。こそこそする必要も、深入りする必要もないぞ。わかるな」
「はい。せっかくです、若手を行商に行かせましょう」
「あ、それならあの馬車で行ってくれ!」
便利ショップ『タナカ』のテーマソングが流れる馬車はなぜか不評だ。トラックから歌が聞こえると人が集まってくるって、良いと思うんだけどな。前世の販売車を参考にわざわざ馬車の荷台を改造したのにお蔵入りではもったいない。
頬を引き攣らせたトーマは「了承しました」と言い、その後に「度胸試しにはなるか?」なんてぶつくさ言いながら首を捻って部屋を出ていく。失礼な奴である。
さて商人の情報源とはとりもなおさず人の口である。貴族の情報であれば御用聞き、季節の挨拶などで屋敷に訪問し使用人から最近の出来事を聞き、屋敷内の装飾にも目を光らせておく。これだけで案外懐事情がわかるのだ。そうと知らずに高価過ぎる物を紹介しても、気を利かせて安物をご案内してもダメ。高貴な方々との付き合いとはかくも面倒なのである。
「お嬢様が寮に入られて、お屋敷がなんだか寂しく感じられますね」
そんなわけで俺は今日アイーダ公爵家に来ている。注文いただいていた公爵用の腕時計のお届けと、新製品紹介のためだ。
あいかわらずこの家は景気がいい。社交界のトップレディである奥様と、序列三位ながらも莫大な財産を増やし続けている公爵だ。揺るぎない。
「そうなんだよ。クラリッサの声が聞こえないのはおかしな感じだ」
公爵本人も気さくな人柄で、俺たち商人を見下すどころか良い商品を持っていけば積極的に使って広めてくれる。まったく頭が上がらないお方だ。
「先日注文いただいた腕時計が完成しましたのでお持ちいたしました」
公爵用なのであまり派手ではない仕上がりだ。デザインも石もこちらに任せてもらったのは、それだけ信頼されているようで嬉しかった。
執事のセバスチャンに箱を渡し、彼から公爵に渡された。ゆっくりと箱を開いた公爵がわずかに目を見開く。
「……いかがでしょう?」
色柄おまかせでもっとも緊張する瞬間だ。もちろんデザインをもらってもそれをさらに洗練して作るのがこちらの腕だが、実際に見てもらい気に入られるかはこの一瞬だ。
「うむ。……良いな。気に入ったぞ」
ほっとした。でもそれは見せない。
「時計の左右に嵌め込まれたダイヤモンドは傷一つないフローレスでございます。中央には天色の青のサファイア。両端の石は、これもサファイアを使いました」
「夕焼けのサファイアか」
「さようでございます。天色のサファイアは公爵様、夕焼けのサファイアは奥様の瞳の色です。お嬢様のものには蔦模様を刻みましたが、公爵様にはあえて艶消しを施し、シックで落ち着きのあるものに仕上げました」
夕焼けのサファイアは、前世ではパパラチアサファイアと呼ばれていたものだ。ピンクとオレンジの中間の色合いは夕焼けを思わせる。
また、銀に艶消しを施すのは非常に贅沢な使い方だ。銀の良さはなんといってもその輝きにある。そして、銀は酸化すると黒くなるので使用人泣かせなのだ。表面がでこぼこしている腕時計を磨くのは大変だろうが、その銀を維持し続けられるというのは持ち主の器量を知らしめる良いアイテムとなる。
「石にはご注文の通り、録音、再生、防御魔法の機能を付与いたしました」
「うむ。これで仕事がはかどるな」
「言った言わないの問題がなくなるのは保証いたします」
俺の腕時計にもその機能が付いている。公爵がくすりと笑った。
「そして公爵様、こちらが便利ショップタナカの新商品、万年筆でございます!」
「筆? ペンなのか?」
「はい。このようにして使います」
この世界の筆記具といえば羽ペンだった。アニメ的に見た目を重視したのだろうがこれが非常に書きにくい。ペン先がすぐに潰れて削らなければならないうえに、細いのだ。なのでペン軸とペン先を作ったよ。便利ショップタナカで学院にも卸している、定番商品である。
しかし俺はより便利なボールペンか、万年筆が欲しかった。さっと取り出せてさっと書けるもの。それこそ俺が求めるペンだ。
苦労したよ。中を空洞にしてインクを入れ、先にペンをくっつけただけだと液漏れする。インクも調べたら没食子だったし。インクと万年筆の開発に三年もかかった。諦めずに工夫を重ねてくれた職人に感謝だ。お礼にバンバン売るからな!
公爵の前で紙を置きサラサラ書き始めると、おお、と声があがった。
「このように、いつでも、どこでも、インクを気にすることなく書けます。液漏れはしませんのでたとえばスーツのポケットに入れておいても大丈夫です」
ごくり、と公爵が息を飲んだ。よしよし、食いついてきたぞ。
「インクが切れても補充できますし、長時間使っていても疲れにくく書きやすい書き心地を追求! どうぞお手に取ってお使いになってみてください」
「ああ。セバスチャン、紙を」
俺が「こちらをお使いください」と手持ちの紙を差し出さなかったのは、どんな紙にも書けると公爵に証明したかったからだ。もちろん一番書き心地の良い、インクが乗る紙がある。抱き合わせで売るのも考えたが、万年筆のメリットはなんといっても「いつでも、どこでも」だ。
「これはすごい。書き心地はなめらか、インクが自動で出てくるのでいちいちインクに付ける必要がない。羽がないせいか持ちやすいな」
テレビショッピングの相方コメントありがとうございます。
「ありがとうございます。うちの職人が三年がかりで開発いたしました。職人も喜びましょう」
「君のところの職人はあいかわらず良い仕事するな……!」
「この万年筆、魔法はいっさい使われておりません。混じりっけなしの職人の技です!」
「素晴らしい! だがそうなると……やはり値段が気になるな?」
はいお約束来ました。やはりこの公爵、わかってる男である。
「はい、お値段はこちらになっております!」
スッと値段を書いて見せる。
「ただし! 今なら学生のお嬢様向けの特別製赤インクペンと緑のシートが付いております!」
そこですかさず取り出したのが赤ペンと緑のシート。赤ペンはペン先をあえて太くしてある。
そう、受験の時にお世話になった、懐かしの便利アイテムだ。うどんとソバではない。
「赤と緑……? 何か意味があるのかね?」
「この赤ペンは先が太くなっておりまして、このように使います」
さっき書いた適当な文章の上に赤ペンを引く。すると赤いインクが文字の上に重なった。
そこに緑のシートを乗せると、赤線部分が黒く潰されて元の文字が読めなくなる、という寸法だ。
「赤で線を引いた上に緑を重ねると、そこが黒くなって見えなくなるんです。赤色は目を惹くので重要な部分を暗記しやすくなりますし、見えなくすることで本当に覚えているかの確認ができます。試験前の復習にお役立ちですよ!」
「私が学生の時に欲しかったぞ、これは……!」
公爵、本気で悔しがっている。
これで良い点が取れるかどうかは本人の努力次第だが、こういうアイテムって勉強してる感あってはかどるんだよね。
「私は部下への伝達の際、重要項目に赤ペン使ってます」
「そういう使い方もあるのか」
「はい。予定日時や用意しておく物など、絶対に忘れては困るところに使います」
書類が赤まみれでは読みづらいし逆効果だ。そう伝えれば公爵は「うむ」とうなずいた。
「さすがは便利ショップタナカよ。よくもまあ次から次へと思いつくものだな」
「ありがとうございます」
俺の場合、前世の知識があるからだけどな。そんなことを言えるわけがない。ここは持ち上げておこう。
「公爵家をはじめとする皆様のおかげでございます」
「…………」
「クラリッサお嬢様には特に。笑顔でお使いいただいていると思うと商会の者たちも嬉しいようです」
「クラリッサか……」
公爵がふっと笑った。
「ターニャ、そなたはクラリッサが好きだな」
「え? ええ、それはもう。お嬢様は私どもにとって商売の女神のような方です」
一度冗談めかして職人にお礼の手紙を出してやってください、と頼んでみたら、本当に書いてくれたのだ。お客様の声、というスーパーなんかでよく見るアレだ。それ以来、お買い上げのたびにクラリッサは手紙を書いてくれる。届けると本当に喜ばれるのでこっちも嬉しくなるのだ。
「……お嬢様に、何か?」
報告はあがっているが直接見聞きしたわけではないので詳細が不明なのがもどかしい。クラリッサの気持ちもだ。家庭教師とは違う、時間割で教師から授業から変わるし、集団生活ならではの苦労もあるだろう。
「今年の新入生に光魔法の、聖女候補がいるだろう」
「はい。男爵家の養女とか」
「その聖女候補がヘンドリック殿下と側近に接近し、ずいぶん親しくなったらしい」
「それは……」
仕事早いなヒロイン!
まだ入学して半年くらいしか経っていないのに公爵がずいぶん親しいと言うってことは、かなり進展してるってことだろう。
「クラリッサは見て見ぬふりでやりすごしているが、側近たちの婚約者の令嬢が諌めても聞かないようだ」
側近はチョロすぎじゃね?
今まで接触は手を繋ぐくらいしか許してくれない淑女ばかりだった男の前にボディタッチしてくる女が現れたらそうなるか。十五歳の男なんて盛りのついた猿みたいなもんだしな。
しかし聖女候補は気になる。ここまで仕事早いとなると彼女も転生したのかもしれない。
「その聖女候補ですが、聖魔法に目覚めるのですか? 王子殿下のみならず側近とも親しいとなると、いささか生活態度が心配です」
「彼らは聖女候補を保護しているだけだ、と言っている」
なるほど一線は越えていない、と。やることやってりゃ後ろめたくてそんなこと言えないだろう。
「王子が保護と明言なさったのなら聖女候補は放置でよろしいのでは? 王子が保護している方に滅多なことをする物好きはいないでしょう」
「それもそうか」
なにかあったらヘンドリックの責任だ。
「それよりもお嬢様には学生生活を楽しんでいただきたいですね。長い人生のお若い時の思い出は、苦労があっても大切なものです」
前世の俺はのん気に遊びほうけていただけだが、それもあって転生してからはがむしゃらに働いた。
「君は本当にクラリッサが好きだな……」
公爵がもう一度言った。今度は呆れたような響きがある。
そこで俺はもう一つ取り出した。
「そんな学生の皆様だけに、特別ご奉仕! 赤ペンと緑シートをお買い上げいただくとこちらの単語帳をお付けします!」
これも受験生の強い味方だ。
「クラリッサお嬢様は卒業後ヘンドリック王子と結婚して外交を担うことになります。外国語は必須科目。そこでこの単語帳! 表にスペルを、裏に意味を書いてわかりやすく、しかもポケットサイズですので隙間時間にお手軽に学習できます!」
学生なら一度は使ったことがあるだろう。前世ではこれにパラパラ漫画を描く奴が神だった。
「全部、もらおう」
「ありがとうございます!」
気前の良いお客様は大好きです。
「そうだ、せっかくならクラリッサのところに持って行ってくれないか? 使い方の説明も君がすると良い」
「かしこまりました」
ついでにクラリッサの友人にも広めるいい機会をくれるということだ。俺は素直に頭を下げた。
クラリッサと親しくなれば、タナカ商会の最新商品が手に入る。そう示すことで学院内に味方を築いておこうという、一石二鳥の策だ。
金や権力で釣るのではなく、双方に利がある形に持っていく。こういう公爵のやり方は、甘いと思われるかもしれないが非常に合理的で俺は大好きだ。
俺も一度聖女候補を見ておきたかったし、ちょうどいい機会である。転生者なのか、設定を知っているのか、それとなく確認してみよう。
単語帳や辞書に、斜めにすると名前が出るように書いたやつも神扱いでした。