乙女ゲームでアニメになったやつ
公爵家に暇を告げ、商会に帰る馬車の中、トーマが盛大なため息を吐いた。
「商会長、最後のアレやばかったですよ」
「殿下と愛を育め?」
「クラリッサ様と第二王子の不仲は有名な話じゃないですか。知らなかったとは言わせませんよ、天下のターニャ・カー商会長!」
「そりゃ当然知ってるが……王子もいつまでもガキじゃないだろう」
「だと良いんですがねぇ。側近侍らせてお山の大将気取ってるような王子じゃ、クラリッサ様がお気の毒ですよ」
「そうなんだよなぁ」
第二王子ヘンドリックと婚約者のクラリッサが不仲なのは有名な話だ。
商人たちの噂では、ヘンドリックはクラリッサに対して素直になれず、好きな子の気を引きたくて苛めてしまうお子様そのものだという。
大人たち――王と王妃を含めた周囲の大人はそれを微笑ましいと見守っているというが、苛められているクラリッサにはたまったもんじゃなかっただろう。負けたくない、やり返したい、と俺は何度か相談を受け、子供の悪戯で済ませられるジョークグッズを開発して売っている。ブーブークッションとか、ヘビ花火とかの他愛無いやつだ。
だいたい女の子のほうが精神的に早く成長するんだ、ガキ臭い苛めをする男なんてとっくに見限っていてもおかしくない。口には出さないがあの冷笑を見ればクラリッサが王子を嫌悪しているのがわかるってものだ。妃教育は第二王子妃として受けているが交流のための茶会には出席せず、冷え切った関係だ。
好きだから、で許されるのは女の子にまだ情が残っていればの話。一度軽蔑したら関係回復はほぼ無理だ。いくつであっても女は怖いぞ。
でも、これってどういうことなんだろうか。俺の知ってるクラリッサの設定と違うんだけど。
ついさっき思い出したのだ。セントマジェスティック高等魔導学院を舞台にしたアニメ……あれ、元は乙女ゲームだったっけ? 俺はアニメなら知ってるがゲームは知らない。ゲームは好きだったが乙女ゲームまでは範疇外だ。
この世界は『ロイヤルマジェスティック・ラヴァー』の世界だ。
異世界転生だと思っていたのにまさかの乙女ゲーム(推定)転生。三十五にして気づく、驚きの真実だよ。どうりで食糧事情は良いのに医療や本、娯楽が少ないわけだ。乙女ゲームならスイーツは必須。『ロイマジ』の主人公は聖女になり、人々を救う役目があるから医療が充実していては困るのだ。
クラリッサは『ロイマジ』のラスボスだったはず。乙女ゲーム風にいえば悪役令嬢だ。
三歳の時に弟が生まれ、今まで我儘放題我が世の春を謳歌していたのに両親も使用人も弟に夢中。しかも「お姉様なのだから」で我慢を強いられたことに怒り狂い、さらに我儘に育っていく。両親はそんなクラリッサに失望しつつもなんとか更生してほしくて第二王子ヘンドリックと会わせるのだ。そこでクラリッサがヘンドリックに一目惚れ。いい子になる、を条件に婚約を取り付ける。
クラリッサは一見するといい子になった。貴族令嬢の見本と誰もが憧れる存在になっていく。
ただしそれはより陰湿に、悪辣に、狡猾に、人を貶めるようになっただけだった。やがて学院に入学し、ヒロインがヘンドリックと親しくなっていくとそれが破綻する。因果応報の逆転劇、いわゆるざまぁ劇場が開幕するのだ。
そこで俺――表は人の良い商人だが裏では人身売買に違法薬物取引、と金のためならなんでもござれの商人ターニャ・カーはクラリッサの悪事を請け負う手下として出てくる。アニメでは悪代官とつるむ悪徳商人そのまんまのザ・クズといった感じだった。俺の部下であり番頭を務めているトーマもチラッと出てきていた。
しかしこれはあくまで俺が前世で見たアニメの話である。登場人物はだいたい合ってるけど、現実と設定はだいぶ違うぞ。
まずクラリッサと弟のカールとの仲は、たしかに以前は悪かったが今は改善されている。というか、あの我儘はただの赤ちゃん返りだ。我儘ではなく甘えているだけ。弟が生まれてそちらにかかりきりになるのは仕方がない、赤ちゃんは泣くことしかできないし、目を離した隙にうっかり事故だって起こりかねないのだから。
だから一日に五分でもいい、きちんと話を聞いて、クラリッサが大切だと伝えるよう公爵夫人にアドバイスした。今まで一緒にいた人が急に離れていったら大人だって寂しく不安になる。子供だったらなおさらだ。
そのせいかどうかは知らないが、アイーダ公爵家の仲の良さは貴族でもダントツだ。クラリッサはすっかり落ち着き、お姉さんにしたい令嬢五年連続一位である。どこ調べかは知らん。
ヘンドリック王子との関係も違う。十歳で婚約者になったところは合っているが、王家主催の王子の誕生日パーティで王子がクラリッサに一目惚れし、その場でプロポーズしている。クラリッサはとっさに逃げ出したらしいが、居並ぶ貴族の前でそんなことされたら王子の面目を考えて公爵家は受けざるを得ない。ヘンドリックには十歳以上年上の兄王子がいてすでに王太子として立ち、妃と子供もいたので王家はヘンドリックとクラリッサの婚約を歓迎した。クラリッサの気持ちはともかく正式な婚約者として決定した。
婚約者となれば妃教育の必要がある。登城して交流していけば自然と恋が芽生えると目論んだようだが、ヘンドリックは周囲の予想以上にガキだった。まあ十歳男子なんてそんなもんだとは思うが、好きな子の気を引くために意地悪をしはじめたのだ。箱入りの貴族令嬢を相手に悪手としかいいようがない。さらにクラリッサは苛められてめそめそ泣くような娘ではなく、やられたらやりかえした。婚約者なんかいつでも辞めてやると示したわけだ。
「……十五歳なんかガキだよなぁ」
「商会長?」
「生意気盛りのガキを学院に閉じ込めて、問題が起きたらどうするんだろうな?」
「ああ、学院ですか。私も詳しくは知りませんが、王立ですから学院長は王家の血筋を引くお方ですし、理事は大貴族ばかりだそうですよ」
「つまり、何があっても内々に、というわけか」
貴族がもっとも嫌がることの一つが醜聞だ。お得意のもみ消しでなんとかするのだろう。貴族そういうとこあるしな。
「クラリッサ様が心配なんですね」
なぜそこで微妙な笑みを浮かべるんだ。
「俺にとっては姪っ子みたいなもんだからな。不仲な王子があの子に何かしでかすんじゃないか。嫌な予感がする」
にやにやしていたトーマがすとんと真顔になった。
「学院にはいくつかうちの商品を卸しています。定期的に調査させましょう」
「どうした急に」
「商会長の嫌な予感は無視できません」
商会に帰りつくなりトーマは人を呼んで指示を飛ばしていた。商会長の嫌な予感、にたちまち緊張感に包まれる部下たちに「頼む」と声をかけ、執務室に籠った。
思い当たることはあるにはあった。インフルエンザと食物アレルギーの一件だ。
冬場の突発的発熱はインフルエンザの前兆だし、食物アレルギーもじんましんや呼吸困難などわかりやすい症状が出る。どれも酷くなれば死に至る病気だ。それをどう伝えるか悩んだ末に「嫌な予感がする」と言って解決策を模索したことがあったのだ。
前世ではあたりまえにあった知識がここにはなく、些細なことで人が亡くなっていった。社員と社員の家族を守るためにあれこれ手を回し、医療部門はタナカ商会では重要セクションに成長している。
十三で家を飛び出して便利グッズ開発から細々とはじめた商会だ。あのセールストークはタナカ商会の売りの一つで、たくさんの消費者に受けている。
俺だけじゃない。協力してくれた職人、仲間、部下、お客様。そしてクラリッサをはじめとするアイーダ公爵家のおかげで貴族の間でもタナカ商会の評判は上々だ。
後ろ暗いところなんかない。どんなに大変でも、馬鹿にされても、楽な儲け話に飛びつかず、歯を食いしばってまっとうな道を歩んできたのだ。おかげで結婚している暇もなかった。ちくしょう。部下に先越されたって悔しくなんかないんだからなっ。
「潰させてたまるものか。ゲームだろうがアニメだろうがここは現実だ。クラリッサを悪役令嬢なんかにさせねえぞ……!」
学院は寮生活。侍女は一人だけの決まりだ。クラリッサの身を守るものがあったほうが良いと思って腕時計に色々付けたが、思いついて良かったぜ。録音機能を上手く使ってくれればいいんだが。
願わくば、ヒロインがいい子でありますように。クラリッサの笑顔が曇ることのないよう、俺は祈った。
乙女ゲームがアニメ化して、それを見た主人公はゲームの設定を知りません。