こいつは俺が育てた
始業時間前だが、この事態に各部門長が集まってくれた。
こういう勤勉さはありがたい。情報収集のため、宣伝部と広報部は総出で出払っている。どの顔も緊張感に満ちていた。
まず番頭、トーマ・キュルツ。
営業部長、カーラ・キュルツ。
広報部長、ポール・クラーウ。
宣伝部長、レーナ・コルリ。
日用品部門、オージュ・ナッカーラ。
印刷部門、テーオ・ニュレイキー。
医療部門、サミー・ケーモッティ。
警備部門、ノーア・ヌマルディ。
女性用品部門、ニーナ・ノディ。
仕入れ担当、マーラー・モーリス。
経理部長、ヤース・ミッターライ。
そして商会長の俺、ターニャ・カーは企画・開発部長を兼任している。
俺としては企画と開発を誰かに任せたいのだが、あっちこっち手を広げすぎてしまっていることと、その製品を詳しく説明できるのが俺しかいない、というどう考えても自業自得な結果こうなった。馬鹿じゃないのと言われそうだが本当に馬鹿だよ。急成長の弊害だな。
宣伝部長のレーナと女性用品部門のニーナは女性だ。名前が似ているのは偶然で姉妹とかではない。
日用品は貴族向け、庶民向けもごっちゃになっていて、他にも医療にはジンジャーシロップなどの食品も含まれる。印刷と広報、宣伝は繋がっていた。警備部門は『コーバン』という会社に発展している。防犯と消防の機能を併せ持つ特殊部門である。
当然すべての部門に仕入れと経理は必須。というわけで、うちの部門長はみんな仲が良かったりするのだ。
で、名前だが、クドウ、コモリ、ナカガワ、ニレサキ、ケンモチ、ヌマグチ、ノダ、モウリ、ミタライである。俺がターニャ・カーなせいか、日本的な名前が多いのか、公式設定なのかは知らない。覚えやすいからいいけどさ。
「まず、早くからよく集まってくれた。すでに聞いている者もいると思うが、本日早朝ヘンドリック元殿下が冬の離宮から脱走した。犯人と脱出手段は不明だが、地震が起きるほど強大な魔法の使い手がいると見ていいだろう。知っての通り、ヘンドリック元殿下はアイーダ公爵家の令嬢クラリッサ様の元婚約者だ。アイーダ公爵家と懇意であり、あの事件の当事者であり、クラリッサ様と個人的な付き合いのある私は間違いなくヘンドリックの標的になる。そこで、タナカ商会を王都から一時撤退させようと思うが、どうか」
一気に言い切って全員の顔を見回す。楽観視している者はおらず、どれも難しい表情だ。
「撤退、となると従業員はどうなりますか?」
広報部長のポールが手をあげた。
「従業員、家族も含めて全員引き揚げる。幸い工場はアイーダ公爵領に多くあるし、その道中にもある。社員寮と保養施設に全員入れるはずだ」
「商品も、ですね?」
日用品部門のオージュも手をあげた。
「そうだ。マーラー、ヤース、王都の全店まとめるとなるとどれくらいかかる?」
「閉店セールはやりますか?」
「やらない。そんな時間はない」
それにもう一つ。タナカ商会が王都から撤退する意味をヘンドリックたちに思い知らせたい。
「荷馬車をフル稼働して一番近いシヴォンヌの街まで行って乗り換えなら三日……馬を増やせれば二日で可能です」
「ヤース」
「できます。御者にボーナス出して三交代で二十四時間体制を取りましょう。馬はシヴォンヌで借り入れるか買い入れるかすればよろしい。それと、従業員はこの間仕事を失うことになりますが、その保障についてはどうお考えで?」
「仕事はする。王都から撤退したらシヴォンヌ支店も閉める。その手伝いだ。道中で行商をやって、荷物を減らそう。給料分は働いてもらう。家族についてはしかたがない、仕事を休むことになる者にはこちらから先方に説明して、その間の生活を保障する。クビになった場合は復帰後の就職についても責任を取る」
ニヤッと笑ってみせれば虚を突かれたようにヤースが目を丸くした。目まぐるしく考えを巡らせているのだろう、しばらく無言になった。
「……タナカ商会の商品価格を吊り上げるおつもりですか」
トーマが言った。さすが、番頭だ。
「そうだ。商会は一時閉めるが他の店に卸した物は置いていく。人間というのは不思議なもので、ないとわかると途端に欲しくてたまらなくなる」
閉店セールに客が集まるのと同じ原理だ。値引きしていなくても「なくなるかも」と不安になれば買わなくてはならない気持ちに駆られる。焦ると買わなくてはと思い込み、そして過剰に買い込むのだ。
「そうでなくてもタナカ商会が王都から撤退すれば、続く商会が必ず現れる。いや、すでに撤退の準備をしているかもな」
するとどうなるか? 価格高騰がはじまる。何しろ物がないのだ、次に入荷するかどうかもわからない。値が上がり、しかし王都の人口が一時的とはいえ減れば消費者がいなくなる。金はあっても買えないし売れない。経済破綻だ。
「そこまでしたら恨まれませんか?」
インフレの説明をすると部門長だけではなくトーマまで蒼くなった。
「恨む相手が違う。これを引き起こしたのはタナカ商会じゃない、ヘンドリックだ。そして、ヘンドリックをまんまと逃がした王宮だな」
カーラが手をあげた。
「ヘンドリック元殿下はたしかに王族ですが、ここまでする相手ですか? あまり評判のよろしくない方でしたし、そう強敵とは思えないのですが……」
仮にも外交官となる予定だった第二王子にカーラも言うね。しかも敵だと認識までしている。
「ヘンドリック一人なら、そうだけどな。考えてもみろ、やつを第二王子として支えていた貴族がどれだけいた? 側近だけじゃないぞ、身の回りの世話をしていた者、教育係、護衛に侍従、他にもヘンドリックを支えていた者たちは軒並み投資に失敗したわけだ。一方のアイーダ公爵家は令嬢を傷物にされかけ、一番の被害者に見えたが終わってみれば補償を受けてその地位を不動のものにした。クラリッサは両陛下の覚えもめでたい女子爵の位を得て、御用商人は立て続けに爵位を貰ってる」
外交官というのは見栄や伊達ではできない。国交と経済、流通、ありとあらゆる分野に口を出せる立場なのだ。角度を変えれば国王に侍るよりよほど旨味があっただろう。
「おまけにヘンドリックは聖女候補と親しかった。聖女候補最大の庇護者の失脚に不満を抱く者は多いだろう。ヘンドリックは必ずオデットを脱獄させる。自分を正当化させてもう一度立とうとするはずだ」
地位と名誉と愛しい女を抱く王子から、離宮に幽閉されなに一つ権利を持たない平民への落差は激しすぎる。そこまで言って、ふいに閃いた。
「……いや、逆かもしれん」
「逆?」
アニメでは俺とトーマを脱獄させたのはクラリッサ派閥の貴族かなんかだった。
「オデットを脱獄させるために、ヘンドリックを脱走させたんだ……」
「ですが、彼女はもう光魔法を使えないはずです」
「聖魔法が使えない状態でも貴族を信者にしてる。……クソッ、夏休みだな。あの時ヘンドリックが貴族と謁見させたんだ」
夏休みのデートでヒロインがヘンドリックと親密度を増し、そして恋に落ちるきっかけがあったのだろう。クラリッサの目を掻い潜るために学院の友人とその親が手を貸す。そのお膳立てがあっての聖魔法覚醒イベントだったのだ。
今の現実で二人の間に恋が生まれたのかは知らない。ヘンドリックはクラリッサに執着しまくってたしな……。だが聖女信者は確実に生まれた。王子殿下の庇護を受けし聖女の神話が生まれたのだ。
「聖女候補が脱獄となったら一大事ですぞ。どれほどの貴族が聖女信者になったのか、未だ判明していないのは、彼らがオデットについて口を閉ざしているからです。金にも権力にも靡かない……ヘンドリックなどよりよほど手強い」
「信仰ってのはそういうもんだ。救われると信じて喜んで死んでいく」
宗教戦争はいわずもがな。日本の戦国時代にも一向宗なんて宗教の一大勢力が信長と対立していたくらいだ。あれも「死ねば極楽」なんて言いつつ農民の不満を煽って戦争に駆り立てていた。
こんなことならヒロインにヒロインしてもらってたほうが良かった気がする……。クラリッサだって悪役になってないんだし、物語としてはクソつまんねーけど平和でいられたのでは?
原作の設定が強すぎる、とはもういえない。ストーリーのはじまりがどう、とかそういう問題ではないのだ。聖女と聖人を崇め、頼り切っていた今までのツケを払う時が来た。この世界の歪みがここで一気に噴き出してきたのだ。それだけの話だ。
「貴族が割れたら国が混乱しますよ……」
「そうはさせない。ペンは剣よりも強し、しかし経済はペンよりも強し、だ。混乱するにも金が要る。経済を握ってるほうが強い」
力強く言って、まだ若干不安げに蒼ざめている面々を見回した。
「身軽な独身者から順番にシヴォンヌに撤退させる。できる限り商品は詰め込め。俺はアイーダ公爵にヘンドリックの昨年の行動を洗いだすよう申し上げてくる。シヴォンヌに着いたら早馬をアイーダ公爵領に出して、寮と保養所の手配だ」
アイーダ公爵家の御用商人になる以前、大商会や貴族に目を付けられて潰される寸前までいった。万が一に備えて社員寮や保養所を作っていざという時に逃げられるようにしていたが……まさかのフラグだよ。まったく、人生ってのは何が起きるかわからないものだな。
「番頭、顧客名簿と帳簿を忘れるなよ」
「商会長は、どうなさるのです」
全員が俺を見た。
タナカ商会は俺が一代で築いてここまで成長させたのだ。俺を信じてついてきてくれた人たちを見捨てるわけないだろう?
「俺は、最後だ。全員の脱出を確認して、状況によってはここに残る」
沈没する船に残っている者がいないか最終確認をするのは艦長の役目だという。つまりは俺の役目だな。
「商会長!」
トーマが悲痛な声で叫んだ。
狙われているとわかっていて残るなんて馬鹿みたいだ。俺だって逃げられるものなら逃げたいよ。
だが、それをしたらダメなんだ。
「これよりトーマ・キュルツ番頭に全権を委任する。何かあったら鶴を飛ばす。俺からの命令は無視していい」
「……あんたは、卑怯だ! 俺はあんただから……っ、ターニャ・カーだからついてきたのに! なんでこんな時に「ついてくるか」って言ってくれないんだよ!」
子供のように「ズルイズルイ」とトーマが駄々をこねた。なんだかその顔が妙に幼くて、懐かしくて、ついおかしくなってしまった。
「トーマ」
「置いていかないでよ……。俺はターニャ兄ちゃんの相棒じゃなかったのかよ」
「相棒だよ。俺が育てた俺の右腕だろう。だからトーマに任せるんだ」
「ターニャ」
トーマは俺が育てた。こんな時になんだが、一度は言ってみたいセリフを言えたのが嬉しくて、とうとう笑ってしまった。トーマの表情が引き締まる。
「お前たちも、頼む。タナカ商会は俺たちが育ててきた、いわば子供だ。守ってやってくれ」
全員の顔を見回すと「了解」と返事が来た。
こういう時は、俺よりトーマが良いんだ。俺がいたらみんなが俺に聞きに来て、情報の渋滞が起きてしまう。トーマは頼りなく見えるかもしれないが、支えてやろう、という気になるのだ。商会長の腰巾着で部門同士の折衝役をやらせてきた。各々が自分で判断して行動できるようにしてきたつもりだ。迅速な行動が求められる時は、俺よりもトーマのようなトップが向いている。
「では、行動を開始する」
この一言で、タナカ商会の慌ただしい一日がはじまった。
タナカ商会ってそこまで大きくないんですよ。珍しい商品を次々提供しているから急成長できましたが、組合に口出しはできないし、貴族相手にも強く出られないです。つまり「逃げる」一択です。ドミノ倒しを狙ったわけですね。




