現実VS設定力
急変というのはいつでも日常の予期せぬ時にやってくる。
朝、一人暮らしの家でいつものように新聞を取りに玄関を出たところで、地面が揺れた。
「地震か? 珍しいな」
体感で震度三くらいか、とわかるのは前世のおかげである。日本人は地震に敏感だ。そして動じない。
震度三くらいなら「お、揺れたな」くらいだ。なのでトーマが血相を変えてやって来たほうが驚きだった。
「商会長! 無事ですか!?」
「おはよう、トーマ。何かあったのか?」
「今さっき地震があったでしょう!」
「たいしたことなかったな」
嘘だろ、と言いたげに目を丸くしたトーマがへなへなと座り込んだ。
「トーマ、カーラはどうした?」
「商会長のとこに行けって……」
嫁さん置いてきたのかよ。家族より仕事って、ワーカホリックになってないか。働かせすぎたかな。
「じゃ、呼んで来い。朝飯まだだろ? 一緒に食おうぜ」
「よく平気ですね。俺なんかまだ揺れてる気がしますよ」
呆れたように言って、トーマは自宅に戻っていった。
俺の家は商会長らしく庭付き一軒家だ。商会のパーティなどを開く都合でそれなりに大きく部屋数も多い。しかしメイドは置いていなかった。理由は情報管理だ。以前は雇っていたのだが他商会のスパイだったり、家の物を盗まれたり、どこに何があるかを漏らされたりとロクな目に遭わなかったのだ。人材紹介会社を通じて雇ったのにそんなことになったのは、タナカ商会を邪魔に思う商会が裏で手を回していたからである。
メイドも置かない、と馬鹿にされることも多いが、何が楽しくて信用できない使用人に金を払って気を使って住まなきゃならんのだ。掃除はご近所さんを雇って定期的にやってもらっている。パーティの手配はアイーダ公爵家に紹介された業者に頼んでいた。そのほうが安心だ。
トーマとカーラの間には子供がいないので、集合住宅だ。とはいえ商会の番頭と営業部長なのでそれなりに格のある部屋である。
あいつらもいい歳なのに子供を作る気配がない。夫婦というより戦友みたいな関係だ。トーマもカーラも仕事大好き人間だからな……。人材育成を本格的に考えないと。
そろそろ幹部になってもいい社員を思い浮かべ、次の昇進試験を受けないか打診してみよう。意外と現場が好きなやつが多いんだ。営業部も人を増やして、カーラは俺の秘書になってもらったほうがいいかもしれない。ハニートラップの心配がないの大事。
俺は朝はがっつり派だ。いつもは米だが三人分は時間がかかるのでパスタを茹でる。パスタいいよな、オリーブオイルで野菜と肉を炒めて塩コショウ醤油すれば炭水化物と肉と野菜がとれる。一人暮らしのありがたい味方だ。というか、中世ヨーロッパ世界観で米も味噌醤油もあるのってすごいよな。ここだけは設定に感謝だ。
「商会長、大変です!」
朝なのでニンニクは使わずに野菜とソーセージを炒めていると、トーマとカーラが息を切らせて駆けこんで来た。隣のコンロでは味噌汁ができている。
「今度はどうした?」
「ヘンドリック元殿下が冬の離宮から脱走しました!!」
「先程の地震は離宮の壁を魔法攻撃で破壊された余波だそうです!」
咄嗟にコンロの火を消した。これも魔道具だ。
「確かか?」
「はいっ。警備隊の人に聞きました」
「そうか……」
どこかで覚悟していたのかもしれない。驚きはしたが、納得もした。
「まあ、飯を食おう」
「商会長、そんな場合ですか」
「そうですよ。お嬢様とアイーダ公爵家に連絡しませんと……っ」
「そっちは王家がやるだろ。こんな早朝にいきなり押しかけても門前払いされるだけだ」
だめだな。焦っているせいか二人とも余裕がなくなってる。
「トーマ! カーラ!」
びくっと二人の肩が跳ねた。
「忙しくなるのはわかってるんだ、すきっ腹であれこれ動いて途中で倒れたらどうする。俺はよく言ってるだろ、飯は食える時に食え、だ」
「あれ、肉は熱いうちに食え、じゃありませんか?」
よし、トーマは調子が戻ってきた。カーラは、と見るとほぅっと息を吐きだして首を振った。
よくよく見て見ればカーラは髪を結っておらず、化粧もしていなかった。よほど心配してくれたらしい。
胸が熱くなる。感謝を込めて笑ってみせれば、今さら自分の格好に気づいたのか睨みつけられた。人こそ最高の宝だな。
「それを言うなら腹が減っては戦はできぬ、でしょう? 物騒だと思ってましたけど、まったくそのとおりですわね」
「もうすぐできるから、身支度して待っててくれ。トーマ」
「はい。カーラ、洗面はこっちだ」
トーマは何度も来ているのでどこに何があるか把握している。さすがに化粧品はないが、化粧水は使っていた。髭剃りの後、肌が剃刀に負けてピリピリするのを防ぐためだ。
「商会長、化粧水お使いになるんですね」
「髭剃った後ピリピリするんだよ」
案の定ツッコまれた。
「ちゃんと泡立ててないんですか?」
「ネット使ってやってるけど、床屋みたいにはいかないな」
床屋で髭を調えてもらう時の泡の量はすごい。カーラは美容室利用だから知らないのか首をかしげ、トーマはうなずいていた。
鶏ムネ肉の塊は塩を振って、レモンを振りかけて完成だ。手伝ってもらって三人でテーブルに運ぶ。パスタと味噌汁の組み合わせはしっくりこないが俺は好きだ。朝から肉が塊で出てきたことにカーラが目を剝いた。
「朝からこんなに食べているんですか」
「まあな。忙しいと昼飯パスすることあるし」
食べ終わる頃には話が伝わってきたのか、閑静な住宅街が騒がしくなってきた。
「当分帰れなくてもかまわないように、防犯システムの警戒レベル最大に上げておこう」
家じゅうの窓と雨戸を締めきって、自社の防犯スイッチを最大にまで上げる。これはあまり一般的とはいえない、俺の悪戯心をふんだんに盛り込んだとっておきだ。
「帰れなくなるとお考えなのですか?」
「ヘンドリックが脱走となれば俺に復讐することも考えられる。恨んでいるだろうからな……。本人が襲撃するかはわからないが、狙うなら俺だろう」
アイーダ公爵家も恨まれているだろうがあそこを襲撃するのは無理がある。私設騎士団が在中しているし、敷地は俺の家なんか比べ物にならないくらい広いからな。侵入するのも苦労するはずだ。
クラリッサは学生寮だし、一番簡単に襲えるのが俺とタナカ商会だ。
トーマとカーラは一度家に帰り、戸締りをして荷物を持って出社するというので別れ、一人で本店まで歩いた。
街の様子を見て、話し声のトーンを聞くだけでも景気がわかるのでそうしている。
男爵になったのだから馬車を持つべきと勧められているが、そうなると人を雇わなくてはならない。今のところデメリットのほうが大きかった。商会の荷馬車を私用で使う気はないし、馬車ならタクシーな辻馬車がある。よって、必要に駆られていないのだ。
「おはよう、カーさん。今日も歩きなの?」
歩いているといつも家の前を掃除しているおばさんが声をかけてきた。挨拶仲間だ。
「ヘンドリック殿下が脱走したって話よ。危ないんじゃない?」
「おはようございます。大丈夫ですよ、危なくなったら逃げますから」
「気を付けてね。タナカ商会なくなったら困るんだから」
話をしていたらご近所さんが集まってきてしまった。怖いわねぇ、と眉を寄せつつも家に帰る気配がない。こういう人たちって案外図太く生き残るんだよな。時間が迫っているので長話はせずに立ち去った。
警備隊が街を警邏するのは日常だが、これほど警戒しているのははじめてのことだ。地震を起こすほどの魔術師が元王族を脱走させたとなれば近衛も動くだろう。
「事によっては王都撤退を視野に入れるか……」
タナカ商会が王都から消えればヘンドリックの怒りの行き場が俺に集中する。店に無差別攻撃されるより、そちらのほうがましかもしれない。
王都で幅を利かせていた、新進気鋭の商会が元王族の失態で王都を撤退。
冬の離宮の管理や責任者の追求に時間を取られて解決が長引くより、そちらのほうがいいかもしれないな。それに、どうせオデットも出てくるのだろう。
ちやほや甘やかされてきた癇癪お坊ちゃま元殿下に、大家族で大皿料理早い者勝ち選手権を繰り広げて育った庶民の俺が負けてたまるか。
気合を入れなおしてタナカ商会本店の門を潜った。
立場が変わっても設定さんは変わりません。きちんと仕事します。




