あなただけ
買い食いデート。
新学期がはじまると何かと忙しいクラリッサと、今日は久しぶりのデートだ。
正門の警備員とはもうすっかり顔なじみになっている。立ち仕事が辛いとこぼす中年の彼に、足のむくみに効くツボを教えたりもしていた。
「へえ、サポーターね」
「はい。痛みがなくなるわけではありませんが、動きは楽になりますよ」
「腰に巻くんだろ? 邪魔になったりしないのか?」
「胴回りを締めるので違和感はあります。ですが立ったり座ったりの邪魔になることはありません」
ついでに宣伝した。警備員も退屈なのか、話をしていて咎められることはなかった。
クラリッサと会うのはだいたい放課後なので、待つこともある。お互いに良い話し相手だった。
「ターニャさん」
校舎から出てきたクラリッサに手を振ると、急ぎ足で駆けてきた。
「クラリッサ様、お久しぶりです」
「ごめんなさい、お待たせしてしまいましたわ」
「大丈夫ですよ」
それでは、と警備員に頭を下げる。
「アイーダ嬢、門限は六時までです。それまでに帰ってくるのですよ」
「はい」
全寮制寄宿学校には門限がある。門限破りがどうなるのか聞いたら、その日は反省室にお泊り、反省文の提出と一ヶ月の外出禁止だそうだ。夕飯も反省を促すため粗末なものになるとか。けっこう厳しい。貴族の令息、令嬢を預かる以上厳しくもなるか。間違いが起きてからでは遅い。
「新しいクラスには、もう慣れましたか?」
「はい。……ポターさんがあんなことになり、気を使っていただきましたわ」
ヘンドリックとその側近たちが軒並み退学で、学院は保護者や進学予定の貴族などの問い合わせでだいぶ混乱したらしい。なにしろヘンドリックは今回の目玉商品みたいに注目されていたし、先輩も後輩予定者もお近づきになることを目論んでいたはずだ。
それが一気に失脚。将来設計が狂った家もあるだろう。
一連の騒動の当事者であるクラリッサに迷惑な逆恨みが向かう可能性もある。純然たる被害者のクラリッサの心身と名誉を守るために、学院側も配慮したようだ。
「わたくし生徒会に選ばれましたのよ。エミリア様も一緒です」
サトウ・シムラ・スガイ・セリザワの令嬢がクラリッサと同じクラス。学院では様々な身分の生徒との交流を推奨しているので、これは珍しい措置なのだそうだ。
「エミリア様というと、シームリー侯爵令嬢ですね。ずいぶんしっかりした令嬢のようにお見受けしました」
文化祭での印象だ。エミリアはクラリッサに何かあったと冷静に状況を確認していた令嬢である。
「そうなんですのよ。エミリア様はいつも冷静でいらして、でも可愛いものに目がないんですの。学院に飛んでくる小鳥に餌をあげていたり、やさしい方なのです」
良い友人なのだろう。自慢げに話すクラリッサに俺も嬉しくなってしまう。
「そんな友人が一緒なら心強いですね」
「はい。あの、でも、放課後が忙しくなってしまって……」
今日は生徒会活動のない日だったが、生徒会長に呼び出されていて遅くなったのだとクラリッサが申し訳なさそうに言った。
「気にしないでください。学生時代というのは大人になるとなおさら貴重な時間だったと感じるものです。今を全力で楽しんでください」
「……はい」
クラリッサはほっとしたような、がっかりしたような笑みを浮かべ、うなずいた。
はっきりいって、今のは大人の見栄である。日々成長していくクラリッサを見られないのはかなり悔しい。
「あ、あの屋台です」
あまり時間がない放課後デートはほぼ買い食いだ。クラリッサも珍しいようで嫌がる気配はない。
「何のお店ですの?」
「揚げパンです。具を挟むものもありますけど、あそこはオーソドックスに砂糖を振りかけただけです」
「揚げパン……」
屋台が近づくと油と砂糖の匂いがしてきた。
「こんにちは。二つください」
屋台のメニューは選ぶほどないのが特徴だ。はいよ、と返事をした店主が油にくぐらせていたパンを網ですくい、きつね色に揚がっているものを四つバケットにあげた。ここは手のひらサイズの丸い揚げパン二つが一人前になっている。それを舟型の木皿に乗せて出すのだ。
「ドーナツみたいですね」
「そうですね。でもドーナツより軽くて、安いんです」
それでも油で揚げているから腹持ちはいい。一口食べると懐かしい味が口いっぱいに広がった。
「あ、火傷しないよう気を付けてください」
「あっつ」
ちょっと遅かったようだ。恐る恐る手で摑もうとして、あまりの熱さに咄嗟に指を離した。
「子供の頃は、小遣いを稼いではこれを食べてました。家でも母が作ってくれましたが、不思議と屋台のほうが美味かったなぁ」
そして作るのを見るのも好きだった。なんだろうな、あのワクワク感。
クラリッサは俺を見て、それから感慨深そうに風景を見た。
屋台にはあの頃の俺みたいな子供が走って買いに来て、一緒にいた妹だろう少女と一つずつ分け合っている。
「素朴なお味ですわね」
立ったまま食べるというのが恥ずかしいのか、クラリッサはちまちま食べている。俺はぺろっと油と砂糖の付いた指を舐めてハンカチで拭った。この指先に付いているのが味が濃くて美味いんだけど、そんなこと絶対言えないな。
食べ終えたら木皿は返却する。持って帰ってもいいが、そうすると次に行く時に皿を持参するのがルールだ。
「クラリッサ様」
「はい」
買い食いが終わってどこか行きたいところがあるか聞いたら、万年筆のインクが欲しいというのでタナカ商会に寄ることになった。もちろん店員に捕まり、なぜか俺の話でクラリッサと店員が盛り上がってしまいもう帰る時間だ。
「さっき気にしないでくださいと言いましたが、それも本心ですが、少しは気にして欲しいです」
「ターニャさん?」
「学校が楽しく、充実しているのは良いことです。……でも、そばにいられないのは、寂しくて、悔しいですよ」
クラリッサが意外そうに目を見開き、はにかんだ。こんなことを言うのは大人の男としてどうかと思うよ。でも下手に気づかって、離れていかれるよりずっと良い。俺のプライドより恋のほうが大事だ。
「わたくしもですわ。どうしてわたくしは子供なのだろうと、思って……。ターニャさんの周りには綺麗な女性もいるでしょうし。……寂しい、のは、わたくしだけかと思ってました」
「……? クラリッサ様と会えないから寂しいのであって、他の誰かでは意味がありませんよ?」
「……っ!」
ぽんっと赤くなったクラリッサが口をパクパクさせた。……俺なんか変なこと言った?
「わっ、わたくし、手紙を書きますわっ」
「あ、はい」
「事あるごとに家に帰りますわっ」
「無理はしないでくださいね」
「はいっ。会えなくても、ターニャさんのことを、想っています、から……っ」
あ、勢いが萎んできた。学院の正門が見えて、冷静になってきたようだ。
「私も、いつでもクラリッサ様のことを想っています」
「はい、……はいっ」
たぶんクラリッサより、俺のほうが寂しがりだと思う。大家族で育ったし。でも、大切な人のために動くのも俺は得意だ。
青空のように透きとおったクラリッサの瞳が喜びに輝くのを見るのが好きなのだ。
学院に戻るクラリッサを見送って、早くも開いた心の隙間に今日のクラリッサを詰め込んだ。
好きな人に会えないから寂しいのであって、他の誰に会っても満たされることはない。




