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【第一部・完】大団円にはまだ遠い


 

 ああは言ったが何の褒美もなし、というわけにはいかないということで、クラリッサたちが文化祭で発表した魔法カードの研究を国で後押ししてくれないかと持ちかけた。

 あれはクラリッサと令嬢たちが思い付き、先輩たちと相談して面白いとなった人たちが加わったもので、いわば素人の発明だ。国の支援を受けて完成すれば研究者として名が残る。公爵令嬢から子爵となったクラリッサの箔になるだろう。令嬢たちにも良い嫁入り道具になる。

 そんな打算もあって国王陛下に説明したのだが、熱が入りすぎてカードデッキとデュエルについても語ってしまった。やはり男心をくすぐるのか、陛下だけではなく公爵まで前のめりになってああしようこれ欲しいと激論になった。女性陣は引き気味である。変形合体とか特性の組み合わせによる必殺技は男のロマンなのだよ。


「火と水のカードを組み合わせて加湿器ができればいいですね」

「加湿器?」

「お湯を沸かすと湯気が出るでしょう? あれです。冬の熱病は乾燥で移りやすくなるので、加湿器があれば予防できるんですよ」


 冬の熱病とはインフルエンザのことだ。アニメ世界でイケメンの顔を隠すわけがなく、この世界にはマスクがない。

 タナカ商会で提案したこともあったのだが、接客業で顔を隠すのはちょっと、と拒絶されて見送られた。くしゃみや咳をする際は横を向いて口元をハンカチで押さえるのがマナーになっている。それでも不安だが、マスク実現は叶っていない。


「……湿気で熱病が予防できるのか? 聞いたことがないか……」

「案外知られていません。タナカ商会では冬場は店内にもお湯を置いてなるべく乾燥させないようにしています。それでもどうしても罹ってしまう人は出ますが、なかった頃に比べると減っています」


 インフルエンザはウィルスによる感染症なので客から移るのはどうしようもなかった。

 それでも手洗い、うがいを徹底させ、加湿させたらだいぶ減ったのだ。

 なにしろ魔法頼みで医療知識の乏しい世界だから、一カ所でインフルエンザになるとあっという間にパンデミックだ。前世の日本ではインフルで死ぬ人は少なかったけど、医療保険制度のなっていない某国では毎年何万人も死者が出ていたそうだ。高熱で脳にダメージがいくこともある。

 たかがインフルエンザ、ではない。致死率の高い感染症なのだ。


「タナカ商会でも熱病で工場が潰れかけましたからね……。嫌な予感がして調査してみたら予防も何もしていなくて。以来気を付けています」


 想像してほしい。今日は熱があるので休みます、と連絡してきたのが一人だったのに、次の日には三人、その次の日は五人、と増えていった恐怖を。連絡手段は家族や近所の人による伝言なのでそこから感染が拡大する。

 これはやばいと思った俺は工場の操業を停止。社員を自宅待機させ調査を行った。インフルエンザという単語はなく冬の熱病と呼ばれるそれは、子供が罹るとまず助からず、大人でも高熱で動けなくなる病気として恐れられていた。そして、感染者の出た土地は忌み地とされ、収束しても数年は人が近づかないという。

 いや、考え方としては間違っていないのだ。間違っていないのだが、極端すぎるし何世紀前の世界? とツッコミたくなった。


「き、気を付ける、とは……?」


 公爵はなぜか震え声で、陛下と王妃も目を見開いている。


「手洗い、うがい、消毒です。熱病の出た家はまず消毒を徹底すれば感染は広がりません。看病する人は口元を布で覆って、咳やくしゃみの飛沫が鼻や口に入らないようにします」


 愕然とした表情の公爵と陛下に、トーマや他の社員に説明した時もこんな感じだったなぁ、と懐かしくなる。

 なぜ感染するかの説明はできても、ウィルスとは何かまでは俺もよくわかっていなくて苦労したのだ。くしゃみで飛んだ唾液がそこら中に撒き散らされ、そこに触れた手で口や目を触ると粘膜から病気の元が入り込んで移ると説明した。だから手洗いとうがい第一なのだ、となんとか納得してもらったのだ。


「アイーダ公爵、……冬の熱病による死者数はどうだったか……?」

「はっ。たしか昨年は……」


 陛下の問いに答えかけた公爵は、そのまま意識が飛びそうな顔になった。


「公爵?」

「あなた?」

「……我が領の熱病死者数はここ最近で減少傾向にあります……。タナカ商会の工場と店舗が増えてから、です……」


 公爵が消え入りそうな声で言った。


「うちは子供の工員から教育しています」

「子供?」

「はい。大人はなんというか……「自分だけは大丈夫」と思いがちで、指導してもめんどくさがってきちんとやらない者がどうしてもいるんです。ですからまず子供を教育し、子供ですらできるのに、というふうに持っていくのです」


 子供から教育するのはもう一つメリットがある。家に帰った子供がそれを親に教えるのだ。今日はこんなことがあった。子供は新しいことを覚えると最初に親に自慢する。親だって子供が得意げに注意すればハイハイとそれに倣うだろう。それが日常になればこっちのものだ。


「意識していなくてもそれが当たり前になってしまえば良いわけです」


 思えば日本の教育システムってよくできてたんだな。幼児の頃から手洗いうがいを指導して、理屈はわからなくても家に帰ればまずやっていた。親にも言われるしな。


「ちなみにその頃発売したのが消毒用アルコールとボトルポンプです」

「使ってるぞ!?」

「毎度ありがとうございます」


 陛下が叫んだ。お客様がこんなところにもいるとは。殊勝に頭を下げる。

 消毒用アルコールは苦労したよ。エタノールの作り方なんか知らなかったし、次亜塩素酸なんか電気分解が必要だ。アルコールを蒸留して度数を強くすることを思いついても、この国の一般的なアルコールはワインとビールだった。

 麦から焼酎を作りそれを蒸留して、なんとかそれっぽいアルコールができあがった。が、製造工場でちょいと一杯ひっかけるヤツが続出、しかし物が物だけに子供に造らせるわけにもいかず、苦肉の策として焼酎と消毒用アルコールの両方を造ることに決めた。酒は酒造組合の縄張りなので、完全に余計な部門の誕生だった。


「ターニャ・カー」

「はい」


 陛下の低い声に姿勢を正した。やばい、年取ると苦労話を長々語りたくなるものなのだな。焦ってクラリッサを見ればスカイブルーの瞳をきらきらさせていてホッとする。セールストークはしても、こういう裏話はなんだか自慢みたいでしたことがなかった。


「次の叙勲で君を準男爵に任じる」

「はい。……はい?」


 いきなりすぎて飲み込めずにいると、ふかーいため息を吐いた陛下がしみじみと言った。


「……冬の熱病は毎年多くの死者を出す悩みの種であった。特効薬もなく、予防するすべもなく、ただ座して見ているしかないと思っておったが……。予防策を国民に授けてくれたこと、国民に代わって礼を言う。叙爵が遅れてすまなかった」

「いえ、あの、……はい。ありがとうございます」


 それは仕方がない、聖女、聖人が癒すのがこの世界の常識だったのだ。予防なんかしていたら聖女の価値が下がってしまう。聖魔法信者が多いからこそ、アニメでのクラリッサ(と俺とトーマ)の断罪が正当化されるのだ。


「魔法カードの研究だけではなく、病気についての研究も進めよう。医師会に任せきりであったが民間にこのような予防策があるのだ、もしかしたら特効薬ができるかもしれん」

「陛下……」


 陛下は王として、国民が病に倒れるのを苦しく思っていたようだ。感動に打ち震える陛下を、王妃が涙ぐんで見つめている。

 一応医師組合はあるのだ。聖魔法頼りであまりぱっとしないが、病気や怪我をしたらまず医者にかかるのが一般的である。

 簡単な風邪程度なら薬を出してくれるし、止血などの手当てもしてくれる。それでもぱっとしないのは、聖魔法信仰に圧されて予算がほとんどないからだ。手術などやろうものなら聖女への冒涜だと声高に批判される。だからこそ、タナカ商会の医療部門も民間療法レベルに留めていた。


「医師組合の研究が進むのは私としても喜ばしいことですが……。陛下、彼らを優遇するのはくれぐれもお気を付けください」


 懸念を伝えると陛下もうなずいた。


「ですが、聖女候補が詐欺であるとわかった今こそ推し進めるべきではありませんか?」


 クラリッサがそう言った。聖魔法と医療技術の進歩は別だと考えているようだ。


「お嬢様、聖女や聖人は長い間人々の救いであり、希望だったのです。聖女、聖人に救われた人は多くおります。彼らの思いを無視してはいけません」


 光属性の使い手が火属性にジョブチェンジしたからこそ詐欺となったのだ。それでもオデット・イーデルを信じている貴族が存在していることを考えると、魔法から医療技術に切り替えるのは慎重に慎重を重ねるべきである。

 下手をすると内乱が勃発しかねない。それほどのことなのだ。

 そこまで口に出すつもりはない。賢いクラリッサは気づいたのか、わずかに蒼ざめ頬がこわばった。


「カーの言う通りだ。聖女と聖人は神のごとき力を持つ。ゆえに大切に保護するものである。カーの叙勲を機に、少しずつ改革を進めていこう」


 聖魔法を貶めるのではなく、協力体制を築いていくのが一番良い。どんなに技術が進んでも四肢欠損を治すほどの力は現代日本にもなかった。ただ、なんでもかんでも聖魔法に頼るのは止めようというだけだ。それが彼らにわかってもらえればいいのだが……。

 陛下の力強い言葉に、俺たちは畏まり、協力を誓った。

 さりげなく俺が矢面に立たされたような気がしなくもないが、望むところである。





 年末の叙勲で無事準男爵に叙爵された俺は、晴れてクラリッサを口説く権利を得た。

 二人きりでデートするわけにはいかないし、貴族の顧客にはそういう趣味だったのかと色眼鏡で見られたりもしたが、公爵家は歓迎ムードだった。

 馬車を使わない街ブラデートでも、嫌な顔をせず護衛と侍女をつけて送り出してくれた。


「ブランカには泣かれてしまいましたわ」


 クラリッサの侍女のブランカはわりと早くからお嬢様の恋心に気づき、しかし身分差とヘンドリックのこともあってもどかしい思いを抱いていたという。恥ずかしそうに微笑むクラリッサに、俺のほうが照れてしまった。


「私はカーラに怒られましたよ」


 カーラはクラリッサにやはり相談されていたらしい。俺がいつまでも独身なのはそういうわけだったのかと腑に落ちてしまったカーラはクラリッサの味方に付いた。どうしてそこで腑に落ちてしまったのか……。俺、そんなにわかりやすかった? 十五と三十五だぞ、良識ある大人の女性がそれでいいのか。カーラの思考回路が寸前どころかショートしている。

 俺が卒業まで婚約も結婚もしないと国王陛下の前で宣言したのを責められた。年を自覚しろと言われたが、自覚しているからこそだ。誠に遺憾である。


 公爵令嬢のクラリッサは街をぶらぶらしながらウィンドウショッピングなどしたことがない。毒味のいないカフェに入ることも、学校帰りの買い食いもしたことがないのだ。

 そういう普通の楽しみや遊びを、一つひとつ知ってほしい。俺との結婚生活は公爵家とは比べ物にならないのだ。いきなり生活レベルが落ちて混乱するより、庶民の――俺のことを知って、納得してから嫁ぐほうがクラリッサも覚悟ができるはずだ。


「クラリッサ様、お口に合いますか?」

「ええ。とっても美味しいですわ」


 今日のデートは俺の行きつけのカフェだ。デザートが絶品で甘いものが食べたくなった時によく来る。


「ここはお気に入りなんです。このいかにも大雑把でケチってない感じが好きなんですよね」

「たしかに驚きましたわ」


 公爵家のデザートは俺もいただいたことがある。見た目可愛らしく味は上品で甘すぎず、とても美味しかったが、俺の舌には物足りなかった。

 この店でクラリッサが迷った末に注文したのは安定のパンケーキである。フルーツドカ盛りクリーム大盛り、ドーンのバーンでインパクトがすごい。しかもそこにチョコレートソースまで付いてこのお値段。素晴らしいサービス精神に敬礼。クラリッサは驚きすぎて固まっていた。さらにそこに「商会長がこんな可愛い彼女を捕まえてくるとは!」なんて言ってやってきたマスターがデラックス用のメロンを追加してくれた。サービスがストップ高すぎる店だ。好き。


「ここのデザート食べてると煩わしいことを忘れて無心になれるんです」

「そうでしょうね……」


 四苦八苦しながら食べているクラリッサはリスのように愛らしい。近くのテーブルで見守っている護衛と侍女も生温い笑みだ。

 とてもクラリッサが食べきれるとは思えなかったので、残りは俺が食べると言ったらクラリッサはそれにも驚いていた。残り物、余り物を食べるのは下働きか乞食という感覚なのだ。親しい人同士でシェアするのは貴族のやることではなかった。

 俺が生まれた家ではみんなで飯を取り合うのは普通だったし、なんならトーマともやると言ったら謎の対抗心を燃やしていたが、あらかじめ取り分けてからだった。

 育ちの差はどうしても出てくる。これからも、クラリッサが受け入れられないこともあるだろう。無理をさせるつもりはない。クラリッサが嫌がることを受け入れろと言うほど俺は傲慢にはなれなかった。ただ、何が駄目なのかを知るためにも、少しずつ見せていきたいと思う。


「ターニャさん? どうかしました?」

「ん?」

「いえ、なんだか嬉しそうでしたので……」


 俺はとっくにパンケーキを食べ終わって、クラリッサが食べているのを見ていたところだ。


「クラリッサ様が一生懸命食べているのが可愛くて」

「まぁっ。そうやってからかうおつもり?」

「本心ですよ。……夢みたいだ」


 笑ったり拗ねたり、素直に感情を出すクラリッサ。幼い頃から見守ってきた少女の隣にいられるとは思わなかった。


 アニメに出てきたターニャ・カーはクラリッサを愛していたのだと思う。ターニャはクラリッサを女王のように崇め、尽くしていた。クラリッサが断罪され、地位も金もなくしてもそばに居続けた。悪事に加担し、クラリッサの勝利を願っていた。

 処刑される直前までターニャ・カーは聖女を呪い、クラリッサを信じ続けたのだ。守銭奴の権化のような男が、だ。愛していなければそこまで尽くせるものではない。すべてを失っても、ターニャ・カーはクラリッサを愛していた。


 今、俺の胸を満たすものがアニメの設定による強制力なのかはわからない。どちらでかまわなかった。俺は現実に生きていて、そしてクラリッサを愛している。

 視線を合わせて笑いかければ、クラリッサは頬を染めてもじもじした。


「それは、わたくしもですわ……。ですが、夢ではありません」

「そうですね」


 見つめ合えばスカイブルーの瞳が微笑む。たったそれだけで胸が満たされる。もしもこれが首を刎ねられる寸前の走馬燈でも、俺は満足だろう。


「クラリッサ様、長生きしてくださいね」

「ターニャさんこそ。わたくしを置いていかないでくださいませ」


 約束ですよ、と真剣なクラリッサにうなずく。


 気になることはひとつ、ある。オデット・イーデルの捜査が遅々として進んでいないのだ。

 アニメではクラリッサ断罪後、公爵令嬢という身分とヘンドリックの婚約者だったことが考慮され、投獄はされても最低限の世話はされる貴族牢だった。クラリッサのしたことは過激すぎたが、愛する婚約者に浮気されたことが忖度されたのだ。

 その隙をついて、脱獄していた俺とトーマがクラリッサを逃がした。文化祭はあくまでヒロインが聖女に目覚めるきっかけで、そこがエンディングではなかったのだ。

 脱獄したクラリッサはヘンドリックへの執着と愛情がこじれにこじれ、可愛さ余って憎さ百倍とばかりにオデットとヘンドリックの『真実の愛』を認めた王家に反旗を翻す。差別的身分主義の貴族がクラリッサに付いたのだ。後ろ暗いところのある貴族はオデットの潔癖さについていけなかった。

 まあ、最終的にヒロインとヘンドリックの愛が勝つ勧善懲悪になるわけだが、その立場というかキャラが逆転している現状がどうなっていくのか予想がつかない。強制力がクラリッサを悪役に戻そうとして来る、反動があるかもしれなかった。


「ふふ、こんなに食べてしまってはお夕飯が入らないかもしれません」

「それは困りますね。では腹ごなしに散歩しましょうか。この辺りを案内します」


 半分こにしたパンケーキを食べ終えてひと息ついたクラリッサに手を差し出す。

 寄り添ってきたぬくもりに、俺は嫌な予感を振り払った。




ひとまず第一部完です。次話はクラリッサの思い出話になります。

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[良い点] 第一部完結おめでとうございます! 苦労人から成り上がった商人とお嬢様の物語に、 ドキドキしながら読み進めておりました。 現代知識もチートというほどではなく、その世界を 否定するのではな…
[一言] 今回の話の最後のゲーム解釈がほろりとしますね…
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