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「私は13の歳にお屋敷で働き始めました。大奥様がお亡くなりになる半年前です。既に大奥様はご病気でした。ですから大奥様については何も知りません。家政婦長だったウェルさんは厳しいけれど優しいお人柄で、私がスコットランド移民の娘だったせいもあり大変目をかけてくださいました。当時のウェルさんは威厳があって貴族のお屋敷に相応しい、立派な家政婦長さんでした。シャトレーンは私たち若いメイドの羨望の的でした」

「シャトレーン?」

 首を傾げるエドガーにリジーは微笑んで教えてくれた。

「お腰に下げた鍵束のことよ。家政婦長の象徴でもあるそれ。ウェルさんはお腰に銀の鎖に繋いだお屋敷内の全ての鍵をお下げになっていらして、ジャラジャラと鳴るその音でウェルさんが何処にいるか私たちメイドは知りました」

「ウェルさんはまだ下げていますよ。ジョイスが言っていました」

「まあ、そうなの?」

 懐かしそうにリジーは両手を組み合わせる。

「あの頃はお屋敷には常時十数名のメイドがいました。皆、ウェルさんのシャトレーンに憧れたものです。いつか自分も下げてみたいと。今はアクセサリーとして、鍵なんかじゃなくて鏡や香水入れ、ダンスカードケースまで下げてブルジョワのお嬢様達は得意がっているけれど、何といってもウェルさんのは本物(・・)ですから」

 これは事実である。1828年発行のファッション雑誌でシャトレーンが特集されて以来、上流階級の娘たちにシャトレーンはアクセサリーとして人気を博している。吊り下げる物も鍵ではなく鏡や香水、指貫き(シンブル)、針ケース等々、可愛らしくてお洒落な品々に代わった。

「実は、短い間でしたが私もそれを下げることができました」

 誇らしげに頬を染めて元メイドが言う。

「エドワード様がお亡くなりになってウェルさんがショックのために寝込まれるようになり、執事のモルガン様が最低限の鍵――玄関と厨房と裏口の鍵、3つです――を私にお預けになりました。お屋敷を辞める時、私はそれをエメットに委ねました」

 今日、庭で会ったエメットの腰に軽やかに響いていたそれをヒューは思い出した。

「ああ、エメットさんが下げているのは、それだったんですね?」

「いやだわ、私ったらシャトレーンの話ばっかり。もう少し順序立ててお話しなくては」

 リジーは椅子にきちんと座り直した。

「大奥様の突然の死は悲しかったのですが、翌年、エドワード様がパリから若奥様を伴って戻っていらっしゃった。船上で知り合った若い料理人も一緒でした」

「それが現在お屋敷に残っている唯一の料理人、ケネス・シムネルですね」

「既にご存知と思いますがケネスはダーバン出身の元船乗りで、エドワード様が素性を気に入ってお屋敷に連れ帰ったんです」

「素性?」

「なんでも彼の先祖は歴史書にその名が乗っている料理人だそうです。教養のある方なら誰でも知っているとか」

 即座にエドガーがヒューに囁く。

「へー、ヒュー、君ならケネスのご先祖について思い当たるんじゃないかい? 教養があってなんでも知ってるもの」

「いや、知らないよ。俺は料理や、料理人については詳しくないんだ。すみません、リジーさん、どうぞ先を続けてください」

 元メイドはうなずいて本題に戻った。

「最初は見習いだったケネスはメキメキ腕を上げてお屋敷ではなくてはならない存在になりました。同じスコットランドでヘブリディーズ諸島出身のウェルさんも彼を可愛がっていました。もちろん私もすぐ仲良くなりました。私は両親とともにエディンバラからこちらへ移り住んだんです。故郷が一緒って話が通じるし心強いですよね、訛りも気にならないし」

 クスクス笑ってから、続ける。

「こうして再びお屋敷は華やかになりました。翌年にはご長男のリチャード様もお生まれになって、私たちにとってなんて幸せな日々だったことか……! 今も時折りあの頃のことを夢に見ます。皆、若かったわ」

 羽ばたくような微笑が顔いっぱいに広がって、消えた。

「ご二男のジョージ様が誕生なさってこれ以上の幸福はないと思った矢先でした。大旦那様が不慮の事故で亡くなられた。追い打ちをかけるように若奥様が姿をお消しになって……途方に暮れたエドワード様はリチャード様のためにと急遽家庭教師(ガヴァネス)をお雇いになったのですが、その方もまた短い期間にお屋敷を去って行かれました」

 世間では衝撃を持って語られた新婦人と家庭教師の連続失踪について元メイドは多くを語らなかった。

「若奥様が何故いなくなったか? さあ、私にはわかりません。家庭教師はアイルサ・スカイさんと言う名でした。ほとんど言葉を交わしたことがなかったので、私には、突然いらっしゃって突然去って行かれたとしか言い様はありません」

 拳を握って訴えるようにリジー・アッシャーは言った。

「でも、この時もお屋敷には、まだたくさんの召使いがいたんです。ほとんどの者が去って行ったのは新当主エドワード様が亡くなられてからです。ウェルさんも寝込むことが多くなりました。当初、私はずっと残るつもりでした。でも、ずっと先延ばしにして来た許嫁からの要望で、信頼できるエメットに後を任せることにしたのです」

 ズバリとヒューが訊いた。

「現在、若奥様はご存命だとあなたはお考えですか?」

「勿論です。若奥様はお元気に生きておいでです。エドワード様だって、信じておられた。だからこそ、あんなことをなさったんです」

「あんなこと?」

「――」

 リジーは俯いた。今一度胸元のロザリオを握りしめる。やがて決心したように口を開いた。

「エドワード様は奥様を埋葬なさいました」

「え?」

「いえ、奥様の思い出を、と言うべきですね」

 眼前の少年たちをじっと見つめる。

「私はこのことを今日まで誰にも話したことはありません。ですが、坊ちゃま方とエメットのためにお力になってくれるというあなた方を信じて、うち明けるんです」

 静かな声でリジーは言った。

「エドワード様は若奥様の失踪直後、奥様が屋敷に置いて行った愛用の品々を棺に入れて封印なさいました。生きておられるのをご存知だからこそ、未練を断ち切るためにそれをなさったのではないでしょうか?」

「その棺はどこにあるんですか?」

「お屋敷内のお庭の端、ご一族のお廟です。今はエドワード様ご自身の真横に」

 揺り籠の中で火がついたように赤ん坊が泣きだした。

 三人は同時に立ち上がった。

「貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました」

 赤ん坊を抱き上げながら振り返るリジー。

「お坊ちゃま方と奥様、そしてあなた方に神のご加護がありますように!」

 玄関へ向かっていたヒューがふいに足を止める。

「そうだ、最後にもう一つお訊きします。怖がるエメットさんのためにケネスが水死体を片手で引き上げました。これをどう思います?」

 リジーはキョトンとした顔で、

「どう思うか、ですか? それこそ、どういう意味でしょう? ケネスは低地地帯(ローランド)、港湾都市ダーバン出身の元船乗りですから、当然でしょう? そういう仕事は洗礼していない方の手で行うものです。違うの?」

「ありがとうございました!」

 光溢れる午後の路地へメッセンジャーボーイは飛び出した。


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