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「とにかく――どうぞ、入ってくれ」

 テーブルの前の椅子に座ったトム・ボロー。唾を飲み込みながら、一語一語ゆっくりと話し始めた。

「君が見抜いた通り、僕は嘘をついた。6ペンス銀貨をもらったのは事実だけど、それは靴磨きの料金とは別でアンソニー氏へのメッセージ配達賃だった。僕にそれを頼んだのは立派な紳士で、勿論、アンソニー氏じゃない。アンソニー氏とはメッセージを届けた日に初めて会ったんだ。僕に配達を頼んだ紳士も、僕には初めての客だった。黒いトップハットを被って、黒いフロックコートに山羊革の黒い手袋、フサフサした頬髯を生やしていた。容姿について憶えているのはこのくらい。託されたメッセージは2通あって、封書に1、2と番号が記してあった。渡し方を細かく指示されて、僕はその通りにしたんだ」

「つまり?」

「まず、〈1〉を渡してアンソニー氏を外へ呼び出す。出て来たアンソニー氏に直接〈2〉を渡す。他には執事には見つからないようにと言われた。庭に子供が居るはずだから、その子を使えって。その言葉通り巣箱の傍に小ちゃな男の子がいたから僕はその子に〈1〉を託した。そして、やって来たアンソニー氏に〈2〉渡した」

「君にメッセージを頼んだ紳士は用意周到な人間だな」

 ヒューの言葉にエドガーが首を傾げる。

「どういうこと?」

「アンソニー氏に伝言(メッセージ)があった痕跡を残したくなかった、だから執事ではなく小さな子供を指定した。執事ならそのことを記憶していて、アンソニー氏の死後、間違いなく警察に話したはずだ。念には念を入れてアンソニー氏本人に外まで出させて〈2〉を渡すってやり方も念が入っている。〈2〉はアンソニー氏以外には絶対読んでほしくないことが書かれていたのさ。例えば、落ち合う場所とか……」

 ヒューはテーブルの上に置いた自分の両手を見つめた。

「もう一つ、その紳士について読み取れる重要なことがある。それは、その紳士がグッドヴィル屋敷の内情に詳しいと言うこと。その時間、ジョイスが外で蜜蜂の巣箱の付近にいることを知ってたってわけだから」

「なるほど! 君の言う通りだ! やっぱり君は名探偵だな、ヒュー」

「それにしても――」

 目を上げてヒューは靴磨きの少年を見た。

「トム、君はどうしてここ、エドガーの自宅を知ったんだ?」

「そんなの簡単なことさ。僕たちは僕たちだけのネットワークを持っている」

 これに関してトム・ボローはさっきの辛そうな告白とは違い、スラスラと(よど)みなく答えた。

「何か必要な連絡がある時はまず一番近い仲間へそれを伝えるんだ。それほどの距離じゃない。知っての通り僕らはロンドンの通りの至る所に居るからね。だから、僕は君の容貌――テレグラフ・エージェンシー社の制服を着た小柄で巻き毛の金髪――を伝えて住居を知ってるヤツは教えてほしいと要望した。あっという間に知らせが戻って来た。曰く、サヴィル・ロー通りで毎日見かける、3番地の角の煉瓦のビルに出入りしている、だからここが君の家だとわかった」

 自分より小柄な少年に〝小柄〟と称されたことはこの際無視してエドガーはうなずいた。

「そう言えば、この近くの煙草屋の前に常駐してる靴磨きがいたな」

「マードゥ・ウォードが30分で君を連れてきたのにも驚いたけど、改めて凄いな、君らの団結力。まさに言葉通り〝網の目のように張り巡らされた〟ネットワークだ」

 舌を巻くヒューに、ピンと背筋を伸ばしてトムが言う。

「僕らは君たちと違ってじっと同じ場所に腰を下ろしてるから、行き来する人を一日中見てるんだよ。毎日その道を通る人、あるいは初めて見る人。そんな中で、誓って、僕に言伝を頼んだ紳士は初めて見る顏だった」

 声が再び掠れた。

「最初に嘘をついたことを謝るよ。副業は禁じられてるのに僕はあの日、6ペンス銀貨(ラッキーコイン)に目がくらんだんだ。だってそれがあれば」

「ストップ。その先はもういい。こうやって君は僕の家までわざわざやって来て話してくれたんだから。お礼を言うよ。ありがとう、トム」

「いや、あの時点では君の言う通り僕は嘘つきだった。だから――」

 トムは先刻のエドガーがやったのと同じように帽子を胸の前でギュッと握った。

「殴ってもいいよ」

 一瞬、間を置いて3人は大笑いした。ミミだけが笑わず両手を腰に置いて母親そっくりの口調で言った。

「まぁ! お家の中で殴り合いなんて許しませんよ! 男の子はこれだから野蛮で大嫌い」

「ごめんこめん、ミス・タッカー、これは一種のジョークさ。僕たちは決してそんな野蛮な真似はしないから安心してくれ」

「では、僕はこれで失礼します」

 玄関まで送った時、ヒューは思い出したように言い添えた。

「そうだ、君が屋敷の幼い次男に使った〝透明人間〟は妙手だったな! 凄く賢いやり方だった」

「僕んちは子だくさんで小さな弟がいるからね。うちのチビスケたちもあの手で一発さ。透明人間になって何でも僕の言うことを聞くんだ」

 2度目の爆笑の中で赤い少年は去って行った。


「貴重な新情報を感謝するよ、メッセンジャーボーイズ!」

 出社前に立ち寄ったニュー・スコットランドヤード。

 キース・ビー警部はグッドヴィル屋敷の方に詰めていると思ったので伝言を置いて行こうと思ったのだが、なんと本人がいた。

「迅速な検死と現場検証の結果、今回のアンソニー氏の死の件は自殺とみなされた。だから引き上げて来たのさ。だが、君たちが今持って来た新情報のおかげで改めて調査できるぞ。アンソニー氏が死の前日、何者かに呼び出されて出かけていたということなら――これはきちんと調べる必要がある。明日以降、僕は靴磨きが伝言を頼まれた地域一帯を隈なく捜査して〈頬髯の紳士〉の発見に努めるよ」

 キース・ビー警部は咳払いをした。

「勿論僕だって今日一日、何もしなかったわけじゃない。会議の後で再度屋敷に戻って池や周囲の庭を徹底的に調べたさ。だが最初から今回の現場検証には不備が合って……」

 顔をしかめた警部に気づいてヒューが尋ねる。

「何か問題でも?」

「君らの新情報に比べたらなんてことない、些細なことだが、実はアンソニー氏の死体は我々警察が到着する前に池から引き上げられていたんだ」

 少しためらってから警部は続けた。

「そこに違和感を感じてね。アンソニー氏が池に浮いて絶命していた――この事実を疑いはしないし、発見したメイドが偽りを言っているとも思わないが、死体の回収は警察に任せてほしかった。引き上げたのは料理人のケネスだ」

 すぐに明るく笑う。

「尤も、そんなことをした理由はわからないでもない。死体を発見したメイドのエメットが酷く動揺した。彼女の怖がる姿をこれ以上見ていられなくなって思わず池に飛び込んで引き上げた、とケネスは言っている――」

 感嘆の表情で警部は話を締め括った。

「華奢に見えても流石に元船乗りだな。水死体の扱いも慣れていたようで、片手だけで楽々と引き上げたとさ。これにはメイドも驚いていた」

「片手?」

 ヒュー・バードの灰色の瞳がキラッ輝いた。

 キース・ビー警部は屈んで机の抽斗を引っ張り出していたので気づかなかった。

「いつも君たちが届けてくれる情報に感謝しているよ! さあ、これを持って行きたまえ。夜の仕事は腹がへるだろう?」

 差し出されたマクヴィティビスケットを、今回は丁重に受け取け取るとヒューとエドガーは退出した。

 その後二人はテレグラフ・エージェンシー社で明け方の定時まで働き、長い一日を終えた。



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