転生→マットーニ
俺は 上腕 二頭筋。どこにでもいる普通のサラリーマンだ。趣味は筋トレ。
最近は上半身のバルクアップに余念がない。
今日も仕事終わりにジムに通い、しっかりと腕を苛め抜いた。
ジムの終わりにはコンビニに向かい小パックの牛乳を買い、自宅から持ってきたプロテインとシェイクする。
シャカシャカシャカシャカ。
子気味良いリズムでプロテインと牛乳を混ぜ合わせる。
体重に合わせて計算された絶妙のタンパク質量。一口飲むたびに、筋肉が喜んでいるのを感じる。
「そうか。美味いか。俺の筋肉たちよ。喜べ!この筋肉痛がさらなる高みに上るためのステップだ」
筋トレによる、血流の増加。
男性ホルモンが体中を駆け巡り、活力が漲る。
この感覚こそ、生きていると実感する。
歩くたびにじんわりと痛む筋肉に喜びを感じながら道を歩いていると、甲高い音が背後から響く。
振り返るとそこには猛スピードでこちらに向かってくるトラックの姿が。
ふん。この程度、俺の筋肉を持ってすれば難なく止められる。
全身の筋肉に力を込め、向かってくるトラックを正面から受け止める。
その瞬間俺の意識は暗黒に落ちた。
ふっと気が付くと、真っ白く暖かな空間に自分がいることに気づいた。
ここは?
病院だろうか。
しかし、天井なども見当たらないし、そもそも身体の感覚がない。俺の筋肉はどこへ行ったのだろうか。
ああ、筋肉。俺の筋肉。愛しきわが肉体は何処へ。
「気が付きましたか?」
どこからともなく声が聞こえる。
右の方だろうか。
そちらに視線を向けると何やら女性がいる。
看護婦にしてはずいぶん豪華な恰好をしているな。
「ああ、貴方はどちら様ですか?」
「私はゼニスと言います。わかりやすく言うと神様ですね」
「ほう。神様。ということは俺は死んでしまったのか」
そういえばトラックを止めようとして。さすがに鉄の塊にはまだ届かなかったか。筋トレが足りなかったな。
「はい。残念ながら。あなたには、2つの選択肢があります。このまま天国に行くか、生まれ変わって人生をやり直すか」
「天国に行けば筋トレはできるのか」
「いいえ。天国には肉体はつれていけませんから。魂のみで過ごすのです」
「そうか。では人生をやり直す」
「ず、ずいぶん決断が速いですね」
「俺の人生とは筋トレ。筋トレのできない天国など地獄に等しいのだ」
「それでは生まれ変わりで進めさせて頂きます」
物わかりの良い神様で助かる。
「ここでもう一つ選択肢があります。文字通り人生をやり直す。日本に生まれ、新たな生をを得る。ということですね。もう一つは異世界にて転生するというものがあります」
「転生と生まれかわりは何が違うのだ」
「一言でいうなら記憶があるかないかです」
「記憶がある方で頼む」
「また即決ですね」
呆れた顔の神様。だが、記憶を引き継いで生まれ変われるということはすなわち、生まれた瞬間から筋トレができるということなのだ。
こんな機会を逃すわけにはいかないだろう。
「当然だ。それでその異世界とやらでは筋トレはできるのであろうな?」
「あの、異世界がどういうところかは予想が付きますか?」
質問を質問で返された。
だが、いくら筋トレ以外のことにあまり興味がないとは言っても一般常識くらいはある。あれだろドラクエとかだろ。
「剣と魔法の世界というところではないのか」
「あ、知ってるんですね。仰る通りです。そういった世界で筋トレをする意味があまりないといいますか、魔法を使って、剣を振るっていかないと生きていけない世界なんですよ」
「問題ない」
「なぜそこまで自信満々なんでしょうか。でも、分かりました。そこまで言うのであれば好きにしてください。願わくば勇者たちの役に立ってくれることを」
勇者の役に立つ。何が役に立つのかは知らんが、勇者とやらが来たら筋トレくらいは教えてやろう。
筋トレは素晴らしいからな。
「ちなみに魔法はどんなことができるのだ」
「あなたの向かう異世界には素質というものがありまして、その素質に応じた魔法が使えるのです」
「では、生まれ変わるまではどんなことができるかはわからんのだな」
「もしお望みの魔法があれば一つだけ差し上げることもできますが」
ほう。魔法が選べる。
魔法か。無限にプロテインが生み出せる魔法。いや、しかし、プロテインは食事で補給できる。そんなことに使うのはもったい無い。
ウェイトを召喚する魔法。いや、筋トレは何もウェイトトレーニングだけではない。自重でも効果的なトレーニングはできるのだ。
俺が頭を悩ませていると、神様が提案をくれる。
「でしたら、回復魔法などはいかがでしょうか。怪我をしたら治せますし、物騒な世界では結構重要だと思うのですが」
回復魔法。
回復。
超回復。
俺の脳にひらめきが走る。
「神よ。その回復魔法は筋肉痛も治せるのか」
「筋肉痛ですか?もちろん治せますよ。というかそんなしょっぱい怪我でなくても治せるんですけど」
「ま、まさか、肉離れも?」
「何をそんなに驚いているのかは分かりませんが、それもどうってことはないです」
そんなバカな!?
筋肉痛も肉離れも治せる。
どのようなオーバーワークも関係なく永遠にトレーニングができるということではないか。
素晴らしい。なんと素晴らしい。
異世界とはまさに天国ではないか。
「では回復魔法でお願いしたい」
「ええ。かしこまりました。それではあなたの新しい人生に幸がありますように」
その瞬間、俺の意識が刈り取られる。
気が付くと、見知らぬ女性に抱きかかえられている。
しかし、泣きたくもないのに涙が出るのはなぜだろうか。
女性が俺に声をかけてくるが何を言っているのかさっぱりわからん。
視界に映った俺の体は小さく幼い。
そうか、これが転生ということか。
言葉を発しようにもしたが回らない。泣くことしかできない。
不便な体だな。しかし、本当に赤子になるとは。
体は動くが、まだ、全身の筋肉がしっかりと発達していないのだろう。体が思うように動かせない。
成程。筋肉は発達することで思うように動かせるようになる。
まだこの肉体はその域にすら達していないということか。
そういえば、人間の体は哺乳類の中でもかなり未成熟な段階で生まれてくる。首が座っていないというのもその証だ。
脳を支える為の首、腰、足、すべての筋肉が未発達で立つことすらままならぬのだ。
面白い。ここまで鍛えがいのある肉体になるとは。
母の腕に抱かれながら俺は筋トレのプランを練るのだった。
目が覚める。
暖かな母の腕に抱かれている。この感覚はなんとも心地よいな。
母親は長い髪の綺麗な女性だ。歳のほどは20代前半であろうか。朝日に映える茶髪が美しい。
しかし、腹が減った。
ふむ。訴えてみるしかないが、俺には泣くことしかできん。しばらく意思表示を続けていると、母が何やら俺に問いかけるが言葉の意味はいまだに分からん。
だが、服をはだけその乳房を露わにする。やはり赤子であるということは乳を飲むしかない。
母の乳房に吸い付き、母乳を飲む。
味はどうなのだろうか。まだ味覚も発達していないのであろう。特に味は分からない。でも、美味いのだろう。止まらない。
そして体が喜んでいる感覚は感じる。
母乳には様々成分が含まれる。様々なタンパク質をはじめ、オリゴ糖を筆頭に糖質、脂質、完全栄養食であるといえる。タンパク質は体内で分解されアミノ酸となり吸収され、再び体内でタンパク質に合成される。
なんとも効率の良い食事である。
であれば、これを摂取できる間にはより効率よく飲む必要があるな。
それから1週間。
来る日も来る日も母の乳をねだり、飲みまくる日々。
そして俺は筋トレも開始した。動かない体でも可能なトレーニング。
そうアイソメトリックトレーニングだ。
俺の意識で動かせる筋肉は限られる。
比較的自由に動かせる指先、股関節は比較的動かせる。
その部分に意識を集中し、筋肉に負荷をかける。
まだまだ少ない筋肉量。掛けられる負荷もたかが知れているが今の俺にはそれでも全力だ。
ビキビキと痛みが走り、思わず泣き声を上げそうになるが、筋肉を鍛える喜びが勝る。
自然とこぼれる笑みに母親も笑みを返してくる。
一か月後。
体はまだまだ動かない。
連日の筋肉痛が堪える。
ここで魔法の存在を思い出し同時にそちらの訓練も行うことにした。
魔力というのは、どうやら気のようなイメージらしい。
前世の体の感覚とは別の感覚が体の中にあるのは知覚できる。
ただそこからどのように力を引き出すのかが分からずヤキモキしていた。
ある日、父親が魔法を使う光景を目にする。
短髪に刈り込んだ淡い金髪。
鋭い目元と程よく鍛えられた肉体。
うむ。良い筋肉である。
おそらく調理をするのであろう肉を捌きながら、薪に火を着ける。
手のひらに光のようなものが集まり、それを炎に変じさせていた。
なるほど、体内にあるこの気の流れをコントロールするのだな。
血流を意識するように、魔力の流れを意識してみる。
なんとなく感覚はあるのだが上手くいかない。
体が未成熟なのか、まだ魔法を扱うには至らないらしい。
3か月後。
体の動かせる範囲が日に日に増えていくことを知覚しつつ、筋トレを行う。
腕の筋肉痛が痛い。
筋肉が悲鳴を上げているな。
日々続けている魔法のトレーニングも手のひらに少しだけ集めることは可能になったが父親のように光らせるまでには至らない。
そして少しづつだが、言葉もかなり理解できるようになった。
やはり赤子というのは知識の吸収も早いらしい。
俺の名前はマットーニというらしい。
母の名はエルザ。
父の名はマエストロ。
そして、3歳くらいの姉がいる。名前はリーリヤ。
家名はまだわからん。
そんな日々を過ごす中で、ふと魔法について考える。
魔法とは体内やそのあたりに存在するであろう魔力を炎のように現象に変換することであると考えることができる。
炎を発現させるためにはある程度の大きさや、エネルギーが必要になるのでその分大きな魔力が必要であるだろう。
だが、逆に考えれば、筋肉痛を直すということは、破損した筋線維を修復するという動きである。
細かい視点で見れば修復するべきは筋線維の一本一本であるはずだ。
この辺りのメカニズムは現代科学では解明されていないが、人間の体は代謝を行うことで成り立っている。
つまり、筋肉痛の部分の代謝を加速させることを回復ととらえるべきだ。
そして筋線維の破損個所の修復という微細な現象であれば、炎を発生させるほどの膨大な魔力は必要ないのではないだろうか。
そう思い、筋肉痛の箇所に意識を集中させ、太く、強靭な筋線維をイメージする。
その瞬間、今まで感じたことのない感覚が体を走る。
理屈ではなく直感で魔力を消費し魔法を使ったことを理解できた。
そうかこれが魔法か。
確かに筋肉痛が軽くなっている。まだ回復が完璧ではないのだろう。
先ほどの工程を繰り返し行うと、唐突に体に倦怠感が訪れた。
おそらくだが魔力が切れたのであろう。
眠りにつく。
半年後。
このころには言葉は完全に理解できるようになる。
単語の意味が分からんことはあるが日常会話は問題ない。
無論舌足らずなこの体では
「あー」「だー」
としか言葉を発することしかできないが。
魔法を初めて使ってから数か月。
一つの発見があった。
魔法を使うための力を魔力といい、体内に存在する魔力量は、枯渇するまで使うということを繰り返すことでその絶対量が増加するようだ。
日に日に治療できる筋肉量が増えていくことから実証された。
いつしか俺は魔力トレーニング、略称、魔トレをメニューとして組み込むこととした。
筋トレと魔トレの相乗効果はすさまじく、日々体の筋肉の増加を体感できる。
このころにはハイハイなど言うに及ばず、それまで半年にわたり鍛え続けたおかげで腕の力で体を持ち上げることも可能になった。
ベットによじ登ろうとしていたら危ないとエルザに止められてしまったが。
しばらくは幼い非力な赤子演じながらトレーニングを続けることにしよう。
9か月後
このころになるとそのあたりを歩き回っても何ら違和感のない時期である。
「それにしてもこの子は動き回るのが好きね」
「あい」
返事はしておくが、まだ上手く発音ができない。もどかしい。
「ほら、パパだぞ。言ってみろ、ぱーぱ」
「ぱ、ぱ」
うむ。今回は初めて上手くいった。
「おい、エルザ!聞いたか、今、マットが俺のことを!」
マエストロが歓喜する。
普段は少し不愛想な顔をしているが、破顔させ笑う顔には無邪気な喜びが浮かんでいる。
俺もうれしく思う。不思議なものだが、父や母、姉の笑顔を見ると俺の気持ちもつられて嬉しくなるのだ。
精神年齢は27歳と1歳だが、この体はまぎれもなく皆の家族であり、心もまた皆の家族なのだろう。
「すごいわ!わたしのことは分かるかしら」
自分のことを指さすエルザ。
「ま、ま?」
これで合っているだろうか。
するとエルザの瞳に涙が溢れる。しまった、しくじったか?
「あなた、今、ママって」
「ああ、確かに聞いた。マットはちゃんとわかってるんだな偉いぞ!」
どうやらうれし泣きだったらしい。
うれしい誤算だな。
この時家族とのコミュニケーションもまた俺の人生の楽しみになったのだった。
1歳の誕生日
この日は俺の一歳の誕生らしい。
家族四人でつつましやかなパーティーが行われた。
既に離乳食を与えられている俺の食事も少し豪華にしてくれているらしい。
普段よりも奮発して良い果物を摺り下ろしてくれたそうだ。
うれしい限りだな。
なんといっても栄養価が高いことは筋肉にとって良いのだから。
それにこの世界の食い物は魔力が含まれているものも多くある。それを食うことで体内の魔力が回復することはもとより、魔力の総量も増えるらしい。
食材は高価になれば成程、魔力の含有量も増加するらしい。
最近味覚も発達してきたからようやく分かるようになったのだが、どうやらこの体は魔力味というものを感知できる。
塩味、甘味、酸味、苦味、うま味と同じく第六の味覚なのであろう。
これにより魔力の有無を感知できる。
家族の皆もうまそうに食べているのだから、多分この世界の人間はみな感じることができるのだろう。
案外、元の世界には魔力が存在しないから知覚できなかっただけで、喰えばわかるのかもしれんが。検証のしようはないな。
そして一歳の誕生日である俺には一つのプレゼントが送られた。
それは一見すると木でできたスプーン。
俺に話が通じるとは思っていないだろうがエルザが説明を始める。
「このスプーンは魔道具の一種なの。持ってる人の魔力をに応じて変化していくの。それはまさしく持ち主の歴史を刻むものなのよ。あなたの成長に合わせて姿形も変わっていくわ。この地域では、初めての誕生日にはみんなこれをもらうのよ。私もパパも、もちろんリーリヤもね」
なるほど。面白い習慣だな。
そういば、家族の皆はスプーンを使うときはそれぞれのものを使っていた。
あれがそうなのだろう。
「よかったね、まっと!」
姉のリーリヤが笑いかけてくる。
この子も母親に似て、綺麗な顔立ちをしている。将来は美人になるであろう。
もうすぐ4歳になるリーリヤは最近よく泥だらけになって帰ってくる。
外で遊んでいるのであろう。俺も外に出て本格的にトレーニングをしたいものだが、まだまだ外に出るには時間がかかりそうだ。
ささやかなパーティーが終わり、ベットに入れられる。
さあ、今日も筋トレを始めよう。