練習前の一時
家に帰ると、お母さんに気持ちを見抜かれてしまった。
「ゆい、元気ないね。何かあったでしょ」
「えー、何もないよー」
私がおどけて見せると、お母さんは
「親だからそういうのわかるよ。絶対に何かあった」
と、きっぱりと言う。完全に図星です。やっぱりお母さんには敵わないな。
私は隠す必要もないし楽になりたかったから、今の気持ちや香菜ちゃんのことを話した。
全部話終えると、私は少しすっきりしていた。すっきりしたけど、それは私だけ。お母さんに色んな責任を押しつけたみたいで、今度は「罪悪感」が芽生えた。
なんか私の感情って面倒くさいな。心底そう思う。
やっと下ろせたと思うとまた別の荷物を背負ってしまう、そんな感じ。ここ1年、その荷物は決まってすごく重たくて。嫌になる。
お母さんはこんな話を聞いても、表情を歪ませることなくいつも通り優しく笑っている。
しばらく間を置いた後、お母さんは口を開いた。その時私はなぜか緊張していた。だから、
「あ、そういえばケーキ買ってきたんだ」
という今までの話とは全く関係のないその言葉に驚かされた。
お母さん、話聞いててくれたのかな。もしかして、「いつも通り優しく笑っている」のは話を聞いてなかったからじゃ......
私がポカーンとしているのを見て、お母さんは笑いながら言った。
「話はケーキ食べてからにしよ!」
はぁ、知ってたことだけど、自由な人だな。本当に。
お母さんが冷蔵庫から取り出したものを見て、思わず私は声を上げた。
「あ! チョコレートケーキ!」
お母さんが持っているもの、それは紛れもなく私の大好きなチョコレートケーキだ。島にある唯一のケーキ屋「さとう製菓店」の人気No.1商品でもある。
嬉しい。口の中がそわそわする。
お母さんのお陰で、さっきまでの気分を少し忘れることができた。
お母さんはチョコレートケーキを机に置くと、食器棚から上品なティーカップを取り出した。そのティーカップに、用意してあった紅茶を丁寧に注いでいく。
あー、良い匂い。
お母さんとケーキを食べる時はいつもこのセットだ。美味しいケーキに美味しい紅茶。最高の組合わせです。
「はやく食べよ!」
私がせかすと、お母さんは笑いながら
「はいはい、ただいまお持ちいたします」
と、接客するように答えた。お母さんは紅茶の入ったティーカップを机に置いて、ゆったりと椅子に座る。
「こちら、お母さん特製紅茶とゆいの大好物チョコレートケーキのセットになります」
お母さんはまだ接客ごっこをしてるみたいだ。不思議なことに、接客風にそう言われると目の前にある紅茶とチョコレートケーキがより美味しそうに見えてくる。
本当に不思議。
まぁそんなことよりも早く食べたい私は
「いただきます!」
と言って、早速チョコレートケーキに手を伸ばそうとした。
ん? あれ?
手先に違和感を感じる。
何? どうしたっていうの?
この違和感は何? また何か起きるの?
「あっ、フォークないじゃん」
お母さんのその言葉で私は全てを理解した。手先に感じた違和感はフォークがないことによって生じたものだ。冷静に考えればわかることなのに...... 人をこんなにしてしまうなんて、チョコレートケーキは恐ろしい。
私は手早く食器棚から二人分のフォークを取り出して机の上に置いた。
さて、これで準備は万端だ。やっと食べれる。
私は、今度は焦らずにゆっくりとケーキを口に運んだ。
あぁ、すごい......
ケーキが私の舌と接触した瞬間、口いっぱいに甘さが広がる。
幸せ......
しかし忘れちゃいけないのはチョコレートのビターな部分。私が甘さを堪能していると、
うわぁ! 来た!
今までの甘さを包み込むように、ビターが口内に攻めこんできた。
2つの味が口の中に......
!?
油断していた。気付いた時には甘さとビターが手を取り合って踊っているのだ。この瞬間が一番美味しいポイント。
ちょっと一息。
そう思っていると、私の手は自然にティーカップを持ち上げていた。
うん、良い香り。
じっくりと香りを楽しみつつ、私は紅茶を口に含んだ。
あー、これもまた美味しい。
いつものことながら、お母さん特製紅茶は最高の味わいを与えてくれる。
なんだか落ち着く。
「美味しそうに食べるねぇ」
そんな私を見て、お母さんは幸せそうに微笑んでいた。私も幸せ。
この時間が大好きで大切だから、絶対に失いたくない。守らないと。
食事が終わり食器を片付けると、お母さんは真剣な表情で言った。
「ゆい、さっきの話の続きしよう」
「うん」
私はお母さんと一緒にテレビの前のソファーに座る。つけっぱなしだったテレビの電源を切ると、お母さんはいつもの優しい声で話し始めた。
「香菜ちゃんのことは、前から知ってた」
「ならどうして......」
ならどうして、何だろう。続く言葉がわからない。私はお母さんに何を求めてるのかな。
「今あの子はあの子なりに頑張ろうとしてる。それを邪魔することはできない」
たしかにそうだけど、ジーションを持ち出すなんて。そこまでしたら......
「頑張る過程で間違ったことをしてしまってる。でもね」
お母さんは軽く息を吸ってから、はっきりと言った。
「昔みたいにあの子が心から笑える日が来るなら、私はそれで良いと思うの」
それを言われたら、何も反論することができない。いや、反論なんてしなくて良い。お母さんの言う通りだ。私も昔に戻れるなら、あの日を繰り返さずに済むなら、もうそれだけで何でも良いと思う。それに強くなる為に頑張っているのは私も同じなんだ。
皆心に傷を負ってる。その傷の痛みを消す為に今頑張ってるんだ。
「うん、そうだね」
そう言って私はお母さんのように微笑んだ。幸せそうに。さっきまでの心にかかっていた霧はもうない。体が楽になった気がする。
「ありがとう、お母さん」
私の言葉を聞くと、お母さんは親指をグッと突き上げてグッドサインをした。私の大好きな優しいお母さんは、またニッコリと微笑んでいる。
時計を見ると、時刻はもう15時50分。練習に行く時間だ。
私は練習用の服に着替えた。ジーション002を鞄の中に入れて準備は完了。
「いってきます!」
お母さんに元気よくこの言葉を言うところまでがいつもの流れだ。
「いってらっしゃい」
お母さんもいつものように手を振って見送ってくれた。今日は良い練習ができる気がする。
私がこの1年で習ったジーションの撃ち方や身のこなし方などを考えながら歩いていると、駄菓子屋の近くの曲がり角で水上先輩に会った。最近は練習の時しか顔を合わせる機会がない。
先輩は1年前のあの日以来、私を迎えに来てくれることはなくなった。
「こんにちは」
私が挨拶すると先輩は、
「おう」
と静かに答えた。昔のような元気の良さはもう感じられない。先輩も変わったんだ。
「先輩、最近演劇部サボってるの私知ってますよ」
私は冗談っぽく、先輩をからかうように言った。なのに、先輩はやっぱり静かに答える。
「もう、行く必要ないからな」
「何でですか?」
私が聞くと、先輩は一瞬口を開けた後少し迷って、口を閉じた。その後先輩が何か言うことはなかった。
私もなんだか話しずらくて、私から話しかけもしなかった。できなかった。
なんか気まずいな......
心の中で何度もそう言い続けていると、ふとあの日のことが思い出された。
雲一つない晴れ渡った青空、それを見て心が綺麗になっていくように感じたあの日。
家の扉を開けるとそこには水上先輩がいて。
嬉しくて。
先輩とお話ししながら学校へ向かう。
その時私は先輩の夢を初めて知った。東京に行って俳優になるっていう夢を。
素敵な夢だなって思ったのを覚えてる。先輩が俳優になってる未来を想像したりしたっけ。
それで......それで、海がとっても綺麗に輝いてたんだ。今も海は綺麗に見えるけど、あの時の方が綺麗だったな。
今私達が歩いてるのはあの時と同じ道。同じだけど違う。全然違う。変わってしまった。
でも、変わってしまったなら戻せば良いんだ。それだけなんだ。その為に私は頑張ってる。きっと香菜ちゃんだってそうだよ。皆同じ。あの頃を目指して自分自身と戦ってる。お母さんと話して、それが良くわかった。
よしっ、今日も練習頑張るぞー!!!
心の中で元気よく叫んで、先輩と静かに学校へ向かった。
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