休日の過ごし方
周りには白い建物が沢山ある。窓が付いていて、中に人影が見えた。
ここはどこ?
私は道の中央に座っている。この道も白く塗られていた。道には誰も歩いていない。
一人は怖いよ。
さっき人影が見えた建物から男の人が出てきた。その人は走り出す。
待って。
私は必死にその人を追いかけた。しばらくすると、沢山の声が聞こえてきた。
誰かいるの?
広い場所に出た。大勢の人がいる。走っていた男はその人達の中に紛れていく。
「おいおい、今回は何人なんだ?」
「ざっと300人くらいじゃないか」
「前よりは少ないな」
話し声が聞こえてくる。一体何の話をしているのだろう。
「しずまれ!」
大きな声がして前を向くと、人々の前に王冠を被った一人の少年が出てきていた。
そして、その少年の後ろに手錠を付けた人達が並んでいく。すごい数の人が手錠を付けてうつむいている。皆、絶望して希望のかけらすら感じられない顔をしていた。
「処刑しろ」
少年が冷酷にそう言った時、周りの景色がぼやけて真っ暗になった。
目を開けると、私の目にはいつもの天井が映る。
目が覚めたのだ。
「変な夢だったなぁ」
そうぼやいていると、足音がした。足音は次第に大きくなっていく。
バンッ
と豪快な音が鳴り、私の部屋の扉が開いた。顔を上げると、扉の前にお母さんがいる。何故か慌てた様子だ。
「ゆいっ、学校遅れちゃうよ!」
ん? 何か頓珍漢なことを言ってる。
「今日は日曜日だよ」
「え? うそ」
「本当」
「え?」
少しの間沈黙が続いた。お母さんは私の部屋に掛かっているカレンダーを見て、はっとしたような顔をする。
「失礼しましたー」
お母さんはいそいそと去っていった。
ここ最近私は考えていることがある。それは朝食後の歯磨きをしている今だって考えていることだ。
『手紙を書く』
この事を考え始めたのは、菊江さんの話を聞いた後からだった。
菊江さんの息子は手紙を書くことで自分の気持ちを伝えることができた。彼が死んでしまった後でも。
手紙に名前さえ書かなければ消失することはない。だから思いを残せたんだ。
私も書かなきゃ。
そう思った。だって、もしダーヴァがまた降ってきたら、今度は私が戦わなくちゃいけないから。すぐにシェルターに行くことなんて許されない。そんなことしたら、私が自分を許せなくなる。だから戦う。
でも戦って負けたら?
死んだら。
そうなったら、私には何も残らない。体も、名前も、何もかも。思いすら届かない。全てを失った私が届けることなんてできない。
だからこそ手紙を書いておくんだ。
だけど毎回書こうと思うと手が止まってしまう。だってそれは、「死ぬこと」を前提にしているから。まだ生きていたいのに、死を見据えるなんて。遺書を書くようなものだ。
そう思うとどうすれば良いのかわからなくなる。考え込んでしまう。
それがここ一週間くらい続いているという訳です。
歯磨きを終えると、顔を洗って髪を整えた。あとはお気に入りの洋服を着て、よし! 完ぺき。
今日は日曜日、学校もジーションの練習もない日曜日。そんな日を無駄に過ごす訳にはいかない。
ということで、私は三里ちゃんと朝から遊ぶ約束をしていた。
小さい公園の中でひときわ目立っている、島で一番大きな木。その存在感のある木の前に彼女は立っている。三里ちゃんは銭湯に行った日からずっとツインテールだ。
うん、その髪型かわいいです。
などと心の中で呟くと、私は三里ちゃんに声をかけた。
「おーい、おはよー」
ツインテールがゆさゆさと揺れて、三里ちゃんは私の方を向く。
「うん、おはよ」
そう言うと、彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。
「どうしたの?」
「えっと、その、今日は急に付き合わせちゃってごめんね」
やっぱり三里ちゃんは昔みたいな笑顔を見せてくれない。謝る三里ちゃんを見て、そんなことを考えていた。
「いいよ、私も暇してたし」
「ありがと」
公園の地面を見つめながら三里ちゃんは答える。私もそうだけど、島の人達はあの日以来下を向きながら話すようになった気がする。
1年前に起きたことは、たった2時間程度で終わったことだ。でも、その2時間のうちに何人もの命が失われた。
簡単に前を向ける訳がない。誰かと話す度にそう思う。
「私ね、ひいおじいちゃんのことが大好きだったの」
三里ちゃんは私の目を見て言った。
「知ってる。仲良しだったもんね」
「うん、でもここ3年くらいは寝たきりで、ずっと病院にいたんだよ」
「えっ」
私は知らなかった。三里ちゃんが中3の頃からひいおじいちゃんの話をしなくなったことには気付いていたけど、その理由を聞いたりはしなかったから。
「ゆい、驚きすぎ」
私の顔を見て三里ちゃんは少しだけ笑った。
「ご、ごめん」
「ううん、それでね、ひいおじいちゃんは1年前のあの日も病院にいたの」
道中三里ちゃんが私にしてきた話はとても辛かった。私は三里ちゃんとひいおじいちゃんが仲良しだったことを知っているから、余計に辛く感じた。
三里ちゃんのひいおじいちゃんはあの日も病院のベッドの上で寝たきりで、生き残った看護師さんの話によると窓の外をずっと眺めていたらしい。
ダーヴァが降ってきて、もちろん病院の中にも侵入してきた。動ける人は殆ど逃げてしまったけど、何人かの医師や看護師が三里ちゃんのひいおじいちゃんのような動くことのできない患者の為に病院に残った。
最初の方は上手くジーションを使ってダーヴァを撃退できていたけど、あるダーヴァが滅茶苦茶な動きをして病院内の物を手当たり次第に壊していった。
そのダーヴァもなんとか倒すことはできたけど、その時にはもう病院は機能していなかった。電気が止まってしまったのだ。
三里ちゃんのひいおじいちゃんの命を繋ぎ止めていた機械は動かなくなった。
医師達はダーヴァを倒しながら、同時に電気を復旧させようとする。でもそんなことは不可能だ。
医師達の殆どは隙をつかれてダーヴァに殺された。
そのまま電気が復旧することもなく、三里ちゃんのひいおじいちゃんは亡くなったという。
「私のひいおじいちゃんは直接ダーヴァに殺された訳じゃないから、病室に遺体が残ってたんだって」
私はこれを聞いて、せめて体が消えてしまわなくて良かったと思った。でも三里ちゃんは違った。
「私、悔しかったな。本当は遺体だけでも残ってたのは奇跡で、唯一の救いだったのかもしれない。でも、遺体なんか見たくなかった。灰になっていてくれたら」
「どうして? だって全てを奪われるより、そっちの方がよっぽど......」
良い、と言いかけて、私は黙った。良いか悪いかなんて、それを決めるのは三里ちゃんだ。
「うん、普通はそう思うよね。私自身何でこんなこと思うのかわからない。わからないけど、だけど、今でもこの考えは変わらないんだ」
「そう、なんだ」
飲み込めない感情を胸に私は足を進める。どうしてそんな風に思うのか考えたけど、私には結局理解できなかった。
「あっ!?」
重たくなってしまった空気を切り裂くように三里ちゃんは叫ぶ。
「えっ? 何!?」
私が聞いても反応はない。それくらい三里ちゃんは焦っている様子だ。
「ヤバい ヤバい ヤバい!」
「何? どうしたの?」
「ヤバいよ、ゆい!」
「だから何が!?」
「犬のうんち踏んだかもしれない!」
やば! それはヤバいヤツじゃん。でも「かもしれない」ということはまだ踏んでいない可能性もあるということだ。
「落ち着いて。怖いと思うけど、靴の裏見てみよう」
「いや無理だって、どうしよう! ゆい!」
無理とか言われても、どうするもこうするも靴の裏を見る以外に方法はない。覚悟を決めるしかないんだ。
「頑張ろうよ、三里ちゃん」
「無理だよ! でもなんかムニュッとした感触はあったの!」
それは多分うんちだよっ! と言いたい衝動を抑え、私はもう一度ゆっくりと声をかけた。
「頑張ろう」
しばらくして、三里ちゃんの顔つきが変わった。どうやら覚悟ができたらしい。
「私、いくよ」
靴の裏は、茶色になっていた。
もともと白だった靴の裏は、茶色になっていた。
「茶色」、その色は三里ちゃんを最悪の気分にさせるには十分すぎるものだった。
「あの、大丈夫?」
私が聞いても反応はない。それくらい三里ちゃんは絶望している。
「あははははは」
三里ちゃんはいきなり笑い出した。えっ、こわっ、そう思った次の瞬間、
「えいっ!」
そう言って三里ちゃんはうんちを踏んでしまった方の靴を遠くの方へぶん投げた。
うんちまみれの靴は空高く舞う。
このまま島の外へ鳥のように飛んでいってしまいそうな気がした。
「あの靴、いつ買ったの?」
「一昨日!」
元気よく答えた三里ちゃんは、どこか遠くを見つめている。
一度私達は三里ちゃんの家に戻った。新しい靴に履き替えた三里ちゃんは何故かニコニコしている。でもこの笑顔は私の見たかったものとは違う気がする。悲しい感情が混ざっているような、そんな気がする。
「駄菓子屋でお菓子でも買ってさ、気を取り直そ!」
「うん!」
三里ちゃんは辛い思い出をかき消すように、大きな声で答えた。
三里ちゃんの家から駄菓子屋はけっこう近い。五分くらい歩けば着く。私達が何のお菓子を買うかについて議論していると、あっという間に到着していた。
「あ、二人とも! 久しぶりー」
そう言って私達を出迎えてくれた長髪の目つきの悪い女性は波島エリさん。目つきは悪いけど、とっても優しいお姉さんです。
「こんにちは!」
私達は声を合わせて答えた。三里ちゃん、少しは元気出てきたかな。いや、まだ落ち込んでるな。
「あれ? ゆいちゃんの方は元気そうだけど、三里ちゃん何かあった?」
早速エリさんに勘付かれてしまった。まぁ見るからに落ち込んでるしね。
「新品の靴が、靴がー!!!」
三里ちゃんは泣きながらエリさんに飛びつく。エリさんは三里ちゃんの頭を「よしよし」と言って撫でている。三里ちゃんってよく人に飛びつくなー、と思いながら、私はその微笑ましい光景を観賞していた。
その後事情を話すと、エリさんは腹を抱えて笑い出した。
「えっ? それでその靴どっかに投げちゃったの?」
「うん......」
エリさんは足をバタバタと動かし始める。よっぽど面白いらしい。三里ちゃんは本気で落ち込んでるのに、鬼畜だ。エリさんの悪いところが出てる。
「そんなに笑わなくても、、」
「いや、だって、ぶはっっ」
もうダメだ、この人。笑いが止まらなくなってる。
エリさんは腹を抱えたまま床に倒れ込んだ。え? そんなに? と思ったけど、今は好きなだけ笑わせておくことにする。三里ちゃんが不憫だけど。
2分くらいしてやっと笑いがおさまったのか、エリさんは話し始めた。
「いやー、でもさ、私が駄菓子屋やってるのも定着してきたよな」
「そうですね。なんかしっくりきますよ」
私の答えが嬉しかったのか、エリさんはニヤッと笑い
「嬉しいこと言ってくれるじゃん!」
そう言って私に飛びついてきた。もう、三里ちゃんじゃないんだから......
「でもエリさん、駄菓子屋なんて継がないと思ってましたよ」
「ばあちゃんとの約束だからな」
エリさんは少し冷静になって椅子に座った。このまま大人しくしててもらえると助かります。
「ばあちゃんだけは私の味方だったからさ、そんなばあちゃんの最期の願いくらいは叶えてあげないと」
「最期の願いって?」
三里ちゃんが聞くと、エリさんは奥の居間に置いてある遺影を見つめながら答えた。
「この駄菓子屋を続けるっていう願い」
私はエリさんのおばあちゃんのことを思い出していた。
エリさんのおばあちゃんはダーヴァの襲撃とは関係なく2年前に亡くなっている。
5年程前までは現役でこの店で働いていた。すごく穏やかで素敵な人だった。
私が小学生だった時は友達と一緒によくこの駄菓子屋に遊びに来ていたものだ。何も買わない日もあったけど、それでもおばあちゃんは優しく接してくれる。私が一人で来た時も話し相手になってくれたりした。
夏には駄菓子屋の前に置いてあるベンチに私と友達とエリさんのおばあちゃんが座って、皆でソーダ味のアイスを食べたりもしたなぁ。
たまに無料でお菓子くれたり......
とにかく良い人だった。
2年前に亡くなった時、エリさんがずっと泣いていたのを覚えている。「ただ1つの心の拠り所だった」って、葬式の時に言っていた。
棺に入ったおばあちゃんを見たら、私も泣いてしまった。小学生の頃の思い出が沢山よみがえって、心が締め付けられるような、そんな感覚だった。
『エリさんのおばあちゃん、ダーヴァに殺されなくて良かったな』って、今思った。2年前に亡くなって良かったとか、そういうことじゃなくて、あの優しいおばあちゃんがダーヴァの恐怖を知らないまま人生を終えることができたのは、やっぱり良かったと思う。
「どうしたの? ゆい?」
三里ちゃんに声をかけられて気がついた。私は何かを考えたりしていると、そっちの方に集中してしまって周りが見えなくなる癖がある。気をつけないと。
「あっ、え? うん、エリさんのおばあちゃん、良い人だったなって」
「私、大好きだったな」
三里ちゃんも遺影を見つめながら言う。その遺影に写るおばあちゃんは、悲しくなるくらい優しい笑顔を浮かべていた。
「それじゃあ またなー」
「はーい、また来まーす」
私達はしばらくエリさんと話をして駄菓子屋を後にした。私はガムと果実グミ、三里ちゃんは鉛筆チョコと板チョコを買った。
「三里ちゃん、チョコ好きだね」
「チョコについてならいくらでも語れるよ」
自信たっぷりに胸を叩いている。そんな三里ちゃんを見てると意地悪をしたくなる私がいた。
「じゃあ、最初にチョコを食べた日本人は誰でしょう?」
「えっ、えーと」
「誰でしょう?」
「わかり、ません」
「ダメじゃん。そんなんじゃ語れないよ?」
三里ちゃんはぷくーっと頬を膨らませて、ツインテールを揺らし始める。かわいい。頬を膨らませる三里ちゃんは前にも見た気がするな。いつだったっけ? まぁ、いいか。
「ならゆいは知ってるの?」
Oh! 意表を突かれた。私が知ってるかって? そんなの......
「知る訳ないでしょ」
「ゆいもダメダメじゃん!」
まさかこんなことになるとは。私が一方的に三里ちゃんをからかって終わるはずだったのに。悔しいけど、ここは認めるしかない。
「そうだね」
なんだか可笑しくなってきて、二人で大笑いした。多分エリさんくらい笑った。
この時、久しぶりに三里ちゃんの本当の笑顔が見れた気がする。それだけでも今日は遊んだ甲斐があったよ。
その後も今みたいな下らない話を続けていると、ついに目的地にたどり着いた。
いや、スタートラインに立ったって言った方が良いかな。
「いざ、お寺の本堂へ!」
三里ちゃんは元気よさそうだけど、でも
「この階段、登るの?」
「あたぼーよ!」
うわぁ............
私の目の前には、天に向かって果てしなく伸びる階段が続いていた。
ちなみに、最初にチョコを食べた日本人は「支倉常長」という人らしいです。諸説あります。