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12/16

あの日の手紙

あんまり疲れも取れないままお風呂から上がり着替えた。


「最後はこれでしょ!」


そう言って三里ちゃんは自販機で牛乳を買っている。


ガシャン


軽快に音が鳴り、ビンに入った牛乳が姿を見せる。

このビンに入った牛乳が良いのだ。なんと言っても口ざわりが良い。紙パックの牛乳をストローで飲むのとは全然違う。それをお風呂上がりに飲む。これは人間にとって最高の


「うまいっ!」


三里ちゃん......。 ごちゃごちゃ言ってないで私も買お。




私達が牛乳を堪能していると、泣き声? みたいな、でもハスキーな、そんな声が聞こえてきた。

この声は多分......

急いで声の聞こえる方に足を進めると、


やっぱり菊江さんだ。

番台で、91歳のオバアちゃんが泣いている。


「あの...」


あっ、優奈先輩、声かけるのはマズくない?

4人で泣いてる女性の前に押しかけた時点でアウトな気はしなくもないけど、でも今声かけるのは......もう遅いけど......


「あぁ、情けないところ見られちゃったね」


そう言いながら菊江さんはハンカチで目をおさえる。

でも涙は流れ続けた。


「今日、ずっとこんな調子でね。あんた達が来てくれて助かったよ」


泣きながら、それでも平然と話そうとする菊江さん。

その様子は今にも消えてなくなってしまいそうで、儚げだ。


「誰かといないと、気がまいっちゃいそうだ」


可哀相。私にそんなことを思う権利はない。

でも。

でも、

無理して笑おうとする菊江さんを見てると、その言葉が浮かんでしまう。


「何か、あったんですか?」


お母さんが聞くと、菊江さんは悲しそうに、でも顔は笑ったまま聞き返した。


「こんな老いぼれの話でも、聞いてくれるかい?」


「聞かせて下さい」


気がつくと、私は真っ先に答えていた。まだ涙を流している菊江さんを楽にしてあげたかったのかもしれない。

いや、違うな。

これ以上悲しそうな姿を見ていると、私が泣いてしまいそうだから。

自分の為だ。


『楽しい時間は続かないな』


ふと、心の中でそう呟いていた。そんなことを考えてしまうなんて、やっぱり私は最低だ。「楽しい時間」なんて続く訳がない。それは普通のこと。

だって今日は、


「あの日からちょうど一年が経つ」


菊江さんが話し始めた。相変わらずハスキーな声だけど、さっきよりは元気を取り戻したような感じ。無理してるのかな。


「私は一年前に息子を亡くしてね。今じゃ名前だって思い出せない。情けない話だよ。一人息子だったのに」


えっ、

瞬きをする間もなく、三里ちゃんは菊江さんに抱きついた。


「情けない訳ないっ! 私だって、皆の名前っ、うっ、思い出せないもんっ」


三里ちゃんは菊江さんよりも沢山の涙をこぼしている。

ポタッ、ポタッと涙がこぼれる度に、私も泣きたくなった。あの日のように。

でも今は我慢しよう。

私が泣いたところで二人が救われる訳でもないし。


「ありがとう」


三里ちゃんに優しく声をかけると、菊江さんは話を続けた。


「主人も五十年前に死んじまったから、女手一つで育ててきたんだ。大切に、大切に。あの子だけが私の生き甲斐だったからね」









あの子が2歳の時に主人は亡くなった。

ガンだった。


「●●を頼んだぞ」


主人は最期にそう言って死んだ。

私は主人との約束を守るために、必死で子育てした。

あの頃は大変だったなぁ......

女の私が働ける場所は少なくて、結局親戚に紹介してもらった工場の事務作業をすることになって。

それでもお金は足りなくて、親に借りていた。借りていたというより、貰っていた。毎月少しずつしか返せないのに借りる金額は増えていった。

迷惑ばかりかけていたよ。


それでも、あの子を育てることは私の使命だと思って諦めなかった。

18年前、この島に移住してきた時にはあの子はもう立派なおっさんになっていてね。私はやり終えたと思ったよ。主人との約束は守れたって、そう思った。


「あとは私が死ぬのを待つだけだ」


なんて考えていたよ。

でも息子は私を休ませてはくれなかった。


「一緒に銭湯を経営しよう」


あの子にそう言われた時は驚いた。心底びっくりしたよ。

私が銭湯好きでいつか経営してみたいと思ってたことが、隠してたつもりだったけど、バレてたんだねぇ。

最初は断ったんだけど、


「夢、叶えよう」


その言葉を聞いた時、本当に嬉しかった。今日のとは違う、嬉しい涙が溢れて止まらなかった。

それでこの銭湯をやることにしたんだ。

息子と一緒に。




一年前のあの日も、いつもと変わることなく二人でここにいた。

息子が浴場の掃除、私は休憩してる時に

ダーヴァは降ってきた。


サイレンの音が聞こえると、私は慌てて入り口の扉を閉めて鍵をかけた。幸い近くにダーヴァが降ってきていなかったから、すぐに襲われることはなかった。


「母さん、今の!」


息子が慌てた様子で浴場から走ってくる。右手に小型のジーションを持って。

私もすぐにジーションを取り出した。


『ただいま、特別避難命令が、発令しました。住民の方は、直ちに避難して下さい』


その冷淡な声が繰り返し流れている。繰り返し繰り返し。

このままここにいてはダメだ、そう思っていると


ドンドンドンドン


大きな音と供に扉がガタガタと揺れる。


「アアアァアアアヴゥアアアアア」


私みたいな年寄りにはこたえる汚い叫び声が扉の後ろから聞こえてきた。

下を向くと、私の足が震えていることに気づいた。

足だけじゃない、ジーションを構えている手もブルブルと振動している。

恐ろしい......

こんな気持ちになるのは18年ぶりだ。


「ダーヴァが俺達の存在に気づいたんだ」


息子の一言で緊張感が高まる。

どうすれば。

怯えている私を見て、あの子は


「大丈夫、俺が守るから」


なんていっちょまえに声をかけてくれた。

あの子が小さかった頃は、私が絶対に守るって気を張ってたけど、もう違うのか。

今は私が守られている。

なんだか寂しい気もするけど、それ以上に誇らしい。

大人になってくれたんだなって。


「扉が破壊されたら、その瞬間ヤツを撃とう」


「わかった」


私が答えると、息子はいつもの笑顔を見せる。

あ。

この時初めて息子に主人の面影があることがわかった。

顔はそんなに似てないけど、なんというか、雰囲気みたいなものが同じだ。

温かい雰囲気みたいなものが。


ドンドンドン


バキッ


扉にひびが入った。もう破壊されるのも時間の問題だ。

でもさっきよりは恐怖を感じていない。

息子がいるから。いてくれるから。


ドンドンドンドンドン


バキバキッ


「くる」


ダァアン!!!


あの子の低い声と同時に、一体のダーヴァが扉を破壊した。


「アゥヴアアァ」


呻きながらヤツは中に入ってこようとした。


「今だ!」


その声が聞こえた瞬間に私は引き金を引いた。

息子と一緒に。


バンバン


「アヴゥッ」


頭に2発の弾丸が命中し、弾けとんだ。

目の前のダーヴァは膝をついて倒れる。


もう動かない。


「女の人だったね」


「母さん、ダーヴァはダーヴァだよ。男も女もない。そんなこと気にしないでよ」


言われてしまった。わかっている。

だけど。

どうしても人を殺したような気持ちになってしまうのだ。


「行こう」


息子に手を引かれ、私達は銭湯を後にした。私達の銭湯「大和湯」を。




私達はここから一番近い「洞窟の中にあるシェルターの入り口」を目指した。90歳の老体は思ったよりも動かず、途中で体力がなくなって息子におぶってもらった。


「大丈夫かい?」


「余裕余裕」


私が聞く度に息子はそう言って平気な顔をする。でも絶対に疲れているはずだ。近いといっても入り口まではそれなりの距離がある。それを私をおぶったまま走り続けているんだ。しかも襲いかかってくるダーヴァを撃ち続けて。

平気な訳がない。

それでも息子は足を止めなかった。

本当に私は守られっぱなしだ。あの子を守ってあげたいけど、今の私にそれは出来ない。頼ることしか出来ないんだ。



もうすぐ入り口に着くっていうところで、坂の上から2体のダーヴァが飛びかかってきた。

私と息子は地面に倒れ込んで、見上げるとヤツラは私達の体の上に乗っかっている。起き上がろうとしたけど無理だった。ダーヴァ2体分の重さは尋常ではない。

あの時は死を覚悟したよ。

腕も押さえつけられてたからジーションだって向けられない。

それでも諦めずにジタバタと二人で手足を動かした。

無駄だったけどね。


1体のダーヴァが大きく口を開けたかと思うと、いきなり息子の腕にかじりついた。


「ぐああああっ」


息子は涙を流して悲痛な叫び声を上げる。

ダーヴァの歯が刺さったところからは、大量の血が出ていた。

見てられなかった。

ダーヴァはかじりついたまま勢いよく顔を引く。


ミシッミシッブチッ


嫌な音と一緒に、息子の腕はちぎれた。その瞬間さっきまでとは比べものにならない量の血が溢れ出す。


「あつい、あついっ」


息子は自分の腕が喰われていくのを眺めながら、何度もそう言っていた。

赤黒い血が地面を流れて私の手に触れる。


つめたい。


息子はあついと言って苦しんでいるのに、その血はひどくつめたかった。

心まで凍りついてしまいそうな程に。



隣を見ると、あの子は目を閉じて動かなくなっていた。


「あぁ、神様、どうか●●を助けて下さい」


私は神に祈り、息子を見つめながらゆっくりと目をつむる。

正直諦めていたよ。

もう無理だって。



その時体が軽くなるのを感じた。

すぐに目を開けると、油断したのかヤツラは立ち上がっていたんだ。

そのチャンスを息子は逃さなかった。


ババンッ


息子はしっかりと目を開けて、2体のダーヴァを撃ち殺した。


「死んだふり作戦、大成功」


息子はかすれた小さい声で、少し笑って言った。そんなこと言っている場合じゃないのに......


「止血するよ」


私は急いで自分の着ていたブラウスを脱いで、あの子の腕に巻きつけた。

そして思いっきり縛る。

しばらくして血は止まった。


「少し、休ませて」


息子はそう言ってるけど、外にいるのは危険だ。私は息子に肩を貸して、近くの家まで歩いていく。

一番近かった田辺さんの家に入ることにした。玄関には沢山の灰が積もっている。

あそこの家は旦那と子供が死んだっていうから、今思うとあの灰はそうだったのかもしれない。


ドアに手をかけると、思った通り鍵はかかっておらず中に入ることができた。入った後は内側からちゃんと鍵を閉めておいたよ。ダーヴァが容易に中に入ってきたら、それこそ終わりだからね。


「さぁ、ゆっくり休みな」


息子をリビングで横にならせると、私はソファーに腰をおろした。

あの子はまた目を閉じている。


「かあ、さん」


息が上がっていた。


「黙って寝てな」


「今、言わないと、ダメなん、だ」


そう言われた時、泣き出してしまいそうになった。

もうわかっている。

あの子は、もう......


だけど私が泣いたら、一番辛いはずのあの子が泣けなくなってしまう。あの子はそういう性格だ。自分よりも他の人を優先してしまう、優しい子。ずっと近くで見てきたから分かる。


だから私はこらえた。

必死に平静を装った。


「なんだい?」


「絶対に、生きて、ね」


「もちろん」


「俺達の、銭湯、頼んだよ」


「あぁ」


「俺、母さんの、、息子になれて、良かった」


「.........」


その言葉を聞いて、私はとっさに口を閉じた。次に何か言ったら、涙が出てきてしまう気がしたから。

嬉しかった。

悲しかった。

嬉しくて悲しくて、自分の感情がわからなくなって。


「母さん、」


「うん」




「ありがとう」




息子は最期にそう言って、喋らなくなった。


そんな。


嫌だ。


そんなはず......


私は息子がまた話し始めるのを待ち続けた。


ずっと、ずっと。


時が止まってしまったような、乾いた空気が流れている。


苦しくて胸が潰れそうになる。


それでも私は待ち続けた。


非情な現実を、認めたくなかったから。




●●は死んだ。

死んでしまった。

それは覆らない。

何かの拍子に生き返る、なんてことはないんだ。


いつも温かかった息子の頬を触ると、冷たかった。その温度が、私に起きてしまった悲劇を伝える。

無理矢理に。


そこまでわかっていたのに、私は涙を流すのを躊躇った。

泣かなかった。


ザッ、と音がして息子の体が灰になってからも、それを眺め続けた。







あの日から約半年後、掃除をしている時に見つけてしまったんだ。あの子が私に渡そうとしていた誕生日プレゼントを。

あの日から3日後が私の誕生日だったからね。まさか押し入れの奥に隠していたなんて思いもしなかったよ。


リボンのついた袋を開けると、中にはハンカチが入っていた。

Kikueと、ローマ字の刺繍が入った花柄のハンカチ。

それと一緒に手紙も入っている。


私は四つ折りにしてある手紙をそっと開けた。

そこに書いてあった内容は今でもしっかりと覚えているよ。

一行たりとも忘れたことはない。




読み終えると、自分が泣いていることに気づいた。どうしようもなく悲しくて、その手紙を抱きしめる。

ずっと張りつめていた思いがはじけて溢れだしてくるような気がした。


もう、いいんだ。


我慢しなくてもいいんだ。


たくさん泣いても、いいんだ。


この半年間は一人ぼっちになってしまったと思っていたけど、ちゃんとあの子がついていてくれたんだね。

そう思う。


あの手紙が、

息子が、私にまた前を向かせてくれたんだ。


全部あの子のお陰さ。

だから私は進み続ける。

ずっと、ずっと。

●●と一緒に。







母さんへ


誕生日おめでとう。

ハンカチ、受け取ってくれると嬉しい。母さんの好きな花柄なんだ。

いつもは気恥ずかしくて言えないけど、ありがとう。

手紙でもちょっと照れるな。

でも本当に感謝してる。俺と一緒に働いてくれてありがとう。

銭湯はさ、母さんの夢だったけど、俺の夢でもあったんだ。

だから、ありがとう。


それと、たまには泣いても良いんだよ。

母さんが泣いてるのを見たの、俺が銭湯の経営の話を持ちかけた時くらいだ。

いつも気を張ってる感じがする。

母さんは女手一つで俺を育ててくれた。それはすごく大変なことだったと思う。でも俺も大人になったんだ。だからもうそんなに頑張らなくていい。

弱いところだって見せてほしい。


随分と勝手なこと書いちゃったけど、これからもよろしくね、母さん。

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