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19話:中学の柔道、ライバルと再会

 2010年6月、和美さんと信夫が高速バスで横浜へ行き中華街で昼食をしている時、向こうのテーブルの大きな男が、こちらを見てると、和美さんが言うので、信夫が、そちらに目を向けると昔、どこかで見た顔だと思ったが、もう一つ思い出せないでいると、その大男が、こっちのテーブルに来て、木下信夫さんですよねと言った。彼が、俺だよ俺、中学の柔道部で一緒だった佐藤健介だよと言った。すると直ぐに思い出して、佐藤健介、お前、今、何してるんだと思わず大声で言った。


 今、福祉関係の仕事をしていて福祉協議会の会合で神奈川県庁に来た、教えてくれた。会合は終わったのかというと終了したというので、彼が時間が合ったら、少し話しないかと言ったので、和美さんに聞くと4時に横浜の高速バスの停留所で待ち合わせる事にした。3時半頃までなら、大丈夫と言うと、喜んでくれた。精算を終えて、店を出て、帰りはと佐藤健介に聞くと、横浜駅に出て瀬谷の方へ帰ると言った。そこで横浜のシェラトンホテルのコンパスで、お茶する事にした。


 佐藤健介が、俺そんなに金ないぞと言うと、木下信夫が、大丈夫、俺が払うと言った。シェラトンのレストランに入りケーキセットを頼み、身の上話を始めた。佐藤健介は、中学3年の時、静岡へ引っ越した後の事を聞いた。父が大手自動車会社のセールスマンをしていて、静岡転勤の後、広島、鹿児島、福岡、米子、新潟、仙台と転々として仙台で高校2年生だった。そこで東北福祉大学を受験して合格し、そこでも柔道部に入り活躍した様だ。


 ところが大学2年の時に父の転勤命令で、仕方がないので、父が家族に悪いからと言って、単身赴任で東京へ行った。家族は母と弟の3人で仙台のアパートに住んで、2歳下の弟も同じ、仙台福祉大学に入り柔道をやったそうだ。その時に、彼らの頑張りで東北大会で優勝し全国大学柔道大会で

3位までなったとの話を聞いた。その後、彼が26歳の時、彼の父が東京の営業所に出勤する途中で心筋梗塞で救急車で運ばれて、すんでの所で助かったが動脈の血栓が頭に飛んで脳梗塞となり半身不随になってしまったそうだ。


 その時に彼は、福祉関係の会社、就職して弟も同じ会社に就職が内定した矢先だったそうだ。お父さんが4月に自動車会社を退職して仙台に住んで苦労しながら生活した様だ。それから8年して、彼が34歳の時、父は亡くなり、その3年後、彼と弟が橫浜に転勤となって、今も母親と共に横浜市瀬谷区にアパートを借りて住んでいると話してくれた。木下信夫も中学出てからの身の上話をした。また、ちょくちょく横浜に遊びに来るから、また会おうといい、パソコンのメールアドレスと携帯の電話番号を交換した。


 そして3時となったので佐藤健介と再会を約束して別れた。橫浜駅の高速バス停に着くと和美さんが同じ頃にやってきた。佐藤さんって本当に大きい人ねと言い、最初、プロレスラーかと思ったと笑った。信夫が、あー見えても心優しい良い男なんだと言った。自宅に帰り、彼との中学時代の思い出や、彼から聞いた話をすると、苦労したのねと一言、言った。

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