10話:叔父さんの家に別荘と息子の千葉大進学
やがて2004年を迎え1月に旅行に行く予定をたて2003年12月、児童館の仕事を2倍、請け負い1月は休みにした。1月18日に成田を出てシカゴ経由でマイアミへ飛び、1泊し、マイアミ港からロイヤルカリビアンの船でナッソーからラバディーへ行き、マイアミに戻る5日間クルーズ船の乗りナッソーの美しい町並みを見てきた。マイアミに戻って、マイアミのホテルで1泊し、ラスベガスへ向かい 3泊してミュージカル、シルクドソレイユを見たり、バフェ・食べ放題を楽しみ、ロサンゼルス経由で成田へ帰った。
2004年1月31日は寒くて、特に暖かい所から帰って来たので寒かった。その後、天津小湊の叔父さんの家に行き、米国のお土産と土産話をして2泊した。その時、叔父さんの家が古くなっているのを見て、木下信夫が昔からお世話になっているので増改築させてくれないかと言う話を切り出した。 叔父さんが、それは、ありがたい話だが子供達は帰ってくる気はないし何卒よろしくお願いいたします。2人だけなら、このままでも良いと笑った。
木下信夫が、それじゃ俺の気持ちがすまないと言い建築屋に手配するから設計して離れを作って、そこを私たちが使わせてもらうと言う事で良いですかと言うと構わないよと言った。3日後、知り合いのハウジングメーカーの担当者を呼び叔父の木下紀夫さんと叔母の若子さんをまじえて話し合った。伯父夫婦が部屋は現在の2階建てを改修し平屋の2LDKで、十分だと言い離れを2階建ての4LDKにして、風呂は2ヶ所、トイレは2ヶ所、本宅はガスにするか電気にするか聞いてきたので叔母さんが電気の方が安全だというので変えてもらうことにした。
離れはガスで良いことにした。工事は庭先に離れを作り完成したらそちらに住んでもらい、その後、本家を壊して、平屋の2LDKを作ることにして、離れの2階建て4LDKが完成するのに60日、本家の解体と平屋を作るのに30日で合計90日と言う事でお願いした。総費用は6千万円と言われたので了解した。すると叔父の木下紀夫さんと叔母の若子さんが目を白黒して、そんな大金、本当に大丈夫と言ったので、大丈夫ですと笑った。こりゃーありがたいと、叔父さんも叔母さんも大喜びしてくれた。
小さい頃から世話になってるから、当然だよと信夫が、言い、その後、五井へ戻った。2004年、長男・栄一の大学受験の年で千葉大の理学部情報科をめざして、合格確率が80%を越えたので、大丈夫ではないかと話していた。試験日2月25日に備えて体調管理に万全をつくし風邪を
引かないように気をつけ試験に挑み、入学試験を終え、多分、いけるんじゃないかと強気だった。
合格発表の日、両親と結果を見に行った。
妹の春子が、栄一の受験番号を見つけ、合格が判明した。それを見て、あれだけ強気だった栄一が、うっすらと涙を浮かべ良かったと言った。内心、心配でならなかったようで、それが涙に繋がったようだ。帰りに、近くのレストランで食事をしてると、栄一が、俺、心臓がバクバクしたのは、生まれた初めてだと緊張していたことを白状した。その後、千葉大まで五井の実家から20分で通うようになった。