20話:俺達の旅はこれからだ(原文)
今、現在、ナウ。
とても、非常に、ベリー、マズイ事態になっている。
動く事すら許されないような緊張感。
だけれども動かなければ、何か行動しなければ、命が刈り取られてしまうのではないかと思えるような焦燥感。
筆舌に尽くし難い何かに覆われているような圧迫感。
「で? ご主人?」
「ご主人様?」
「タローさん?」
花が咲いたような笑顔なのに目が笑っていない事が分かってしまう花子に、一心にこちらを見つめているクォン、どこか期待が籠ったような目のケイティさん。
ナーミさんの料理屋で依頼達成の細やかな宴会をしていただけのはずなのに、まるで針のむしろに座っているような気持ち。
これも全てナーミさんが
「で? この中の誰が彼女なの? 2号さんは誰? あ、そしたら3号さんも決まっちゃうか? あはは。」
と、皆をからかったせいだ。
もちろんすぐに
「あはは、いやだなぁ、こんな美人たちが私を相手にするわけないじゃないですか。
ハナは家族だし、ケイティさんは友人、クォンは……うーん……仕事仲間でしょうかね。そんな男女だのの色っぽい関係じゃあないですよ。」
と、しっかり誤解を解いた。
なのに、なぜかそれから3人が妙な言い争いを始め、ダンジョンに潜っていた時の序列の話が再燃。異性として好きな順番をはっきりさせろという話になってしまったのだ。
好きな順番といっても、それぞれ会って日も浅く、一番付き合いのある花子だって人の姿はまだ全然見慣れていないから戸惑いしかない。
なんとか誤魔化し誤魔化しお開きにするタイミングを計っていたのだけれど、花子に解散後の寝る場所の話を先回りされてしまい、なぜか一位に選ばれた人が一緒の部屋で寝る話になっている。抵抗はしたものの拒否権はないらしい。なぜだ。
普通なら犬の花子一択なのだけれど、人型限定らしい。もうなんだか色々とマズイ気がしてならない。
「ご主人?」
「ご主人様?」
「タローさん?」
再度の催促に、暑くもないのに汗が流れた。
これほど名前を呼ばれたくないと思ったのは初めてだ。
「タローさんっ!」
忙しなくドアを開ける音と共に響き渡る大きな声。クリスさんだった。
「あぁ、ここに居らっしゃった……タローさん! どうか助けてください!」
「はいっ! 喜んでっ!」
突如差しのべられた救いの手をがっしりと掴むのだった。
--*--*--
俺の名はローランド。
昔は名の通った冒険者だったが、ひょんなことから拾った子供の面倒を見ることになり、気が付けばいつの間にか比較的安全で長閑な街に根を張るようになっていた。
名が売れていた事もあってか当時のギルドマスターの暗躍により、ギルドマスターの後釜に据えられ、あれよあれよという間に、柄じゃなかったがその生活になっていた。
嬉々として引退したギルドマスターは俺に全てを押し付けた後、悠々自適に旅を楽しんでいる。10年以上前の事だが未だに時々土産が贈られてくる事があるからあのクソババァが元気なのは間違いない。
しかし安全圏の街のせいか冒険者達も腑抜けが多い。
ちゃんとした冒険者と呼べるような奴は、ほんの一握りだ。
クソババァがこの現状を見たら絶対に嫌味の千や万は言ってくるに違いない。だがもちろんその時には娘ももう一人前になったからこそ熨斗を付けて地位を返上してやるつもりだ。
今はそれを楽しみにギルドマスターとしての仕事を続けている。
そんな俺だからこそギルドの方針は放置が基本。
冒険者なんてもん毎日なにかしらの問題にぶち当たるもんだ。そして起きた問題を解決することが冒険者の成長になる。俺はそうやって生きてきた。
その問題にあたった時に危険な匂いを嗅ぎ分けるってのが一番大切な能力だ。ソレが養われてなけりゃあ遅かれ早かれ死ぬ。
冒険者ってのはそういう世界に生きているんだ。
まぁ、この街は比較的安全なところだからこそ失敗しても怪我で済む事が多い。怪我をすることがきっかけで冒険者に見切りをつけて新しい人生を生きるヤツも多い。合わない事が分かるんだからそれもいいだろう。だからこその放置だ。
だがそれでウィルマみたいなバカがのさばった。
悪手だった事を反省して処理をしようと証拠集めを始めたところで、ちょうど骨がありそうなヤツが解決しちまうんだから冒険者ってのは面白い。
解決した小僧は娘が期待の新星というだけあって、なかなか見所がある。
なんせ『剛腕』と言われた俺をあっさりと振り解いちまうんだからな。鈍ってるのかと鍛錬メニューを増やしちまったくらいだ。
鍛錬の再開ついでに夜なんかに冒険者が酒場で暴れていたりしたら、そいつをぶん殴りに行く事も衛兵から引き受けている。
これはなんだかんだ気に入っている街の為にもなるし、自分の力の確認もできる。一石二鳥だ。
いや、ギルドマスターがちゃんと冒険者達を躾けているというアピールもできるから一石三鳥だな。
そろそろ暴れるバカが出始めてもいい時間だ。
「ローランドさん!」
「おう。」
ちょうど考えていた時に衛兵が駆け込んできた。
「ヴァンパイアが襲ってくると報せが入りました!」
「何だとっ!?」
予想外の言葉に腰が浮く。
ヴァンパイア。
最低でもA級に属する凶悪な魔物だ。
古参のダンジョンの最奥や、古城などを根城にしていて、そこから出てくる事は滅多にないはずの危険な存在のはず。
過去に一度だけヴァンパイア化した人間の討伐任務に参加したことがあるが、その当時の腕利きが10人で向かう依頼だった。
もちろん被害だって少なくなかった。
そんな強力な魔物がこの街にやってくるはずがない。
「笑えねぇ冗談言うんじゃねぇぞ!」
「貴族に使える執事が馬で駆けてやってきてそう叫んでいたんです! 間違いだとは思えません!」
「ちっ!」
つい舌打ちが出る。
確かに間違っても冗談を言うような人間ではない。
だとすれば本当にやってくるかもしれない。
そして本当にやってくるとしたら、いくら俺でも単騎でどうにかできる相手じゃあない。
だが、そんな魔物が街に入ってしまったら悲惨な未来が待っている。俺の娘だってその未来に組み込まれる事になるのは確実だ。
そんな事はさせない。
させてたまるか。
「冒険者全員に召集をかけろ! 街の防衛だ! 俺も出る! 非戦闘員は避難の誘導! そして避難だ! 急げっ!」
すぐに行動を開始するのだった。
指示を終えて目についた冒険者達を引き連れて門に向かう。
門の外で待っていると、異様な存在が近づいてくる。
「うふふふ。沢山のお出迎えなのね。嬉しいわ。」
一目見てすぐに分かった。
あのヴァンパイアは、ただのヴァンパイアじゃあない。
最低でもA級に分類されるヴァンパイア。
そのヴァンパイアの中でも、間違いなくヤバイほうにいるヤツだ。
とてもじゃあないが勝てる相手じゃあない。
「だが退けんっ! ぉおおおっ!!」
ゆっくりと歩いてくるヴァンパイアに対し全力の威圧を放つ。
「くっ、隣に居てもキツイ!」
「あぁ、流石ギルドマスター! 剛腕のローランドだ!」
顔を顰めながら賞賛の顔を向けてくる冒険者達。
ダメだ。コイツらまったく分かっちゃあいない。
「あら、怖い顔。」
くすくすと笑いながら平然と歩いてくるヴァンパイア。
「な、あの威圧の中を!?」
「う、嘘だろう。」
「威圧? あぁこれは威圧というのね? 私も似た様な事が出来るみたいだから少しお返しを。」
そうヴァンパイアが呟いた瞬間に自分の周りから音が消えた様な感覚になる。
そしてただただヴァンパイアの顔が、目が迫ってくるような錯覚。まるで身体が冷たい水に飲みこまれていくように、どんどん自由が効かなくなってゆく。
何とか膝が崩れそうになるのを堪える。
横に目をやれば、冒険者の中には崩れた後、気を失っている者も少なくない。
「これは……『恐怖』のスキルだな……くっ!」
「えぇ、そうみたいね。でも本当の恐怖は今から始まるのにね。うふふふ。」
殺気に当てられただけでこの威力。
間違いなくこのヴァンパイアはA級ではなく、S級……いや、特S級の魔物だろう。
圧倒的な力量差。
実感した埋まらない溝に心が折れそうになる。
だが娘を顔を思い起こし、心を震わせ、自分の足で立つ。
今やらなければいけない事は、避難する時間を稼ぐこと。ほんの少しの時間だろうが、俺が命を燃やすことで誰かが生きる可能性があるのだから。
「おぉおおおっ!」
「あらぁ。」
雄叫びを上げ、殺気を振り払う。
「勝てないまでも……足止めはさせてもらおう。」
心で娘に『すまない』と謝り、剣を抜き、そして死地へと一歩を踏み出した。
――その時。
「ま、間に合った。」
修羅場に合わない呑気な声が聞こえ後ろに目を向けると、そこには娘が期待の新星と言っていた冒険者の姿があるのだった。
--*--*--
クリスさんを花子の癒しの妖精の効果で落ち着かせて話を聞くと、あのロレッタさんが持ってきた禁書のせいでヴァンパイア化してしまったと言うじゃないか。
どうやら既に数人の冒険者が襲われているようで、ロレッタは間違いなく敵として討伐される事になり、その被害の程も検討がつかない。
クリスさんは自分のミスだと悔やんでいたけれど、どう考えても禁書を渡した私にも責任の一端があるのは明白。
なのでケイティさんやクォンは置き去りにする程に急いで移動してきたら、ギルドマスターが剣を抜いて戦おうとしていた。
だが、まだ戦っていなかった。
「ま、間に合った。」
「おまえっ!? 何しに来た!? いや……違うな。助かる。手を貸してくれ。」
ギルドマスターがすぐに緊張感のある顔をロレッタに向けて剣を構えた。
「あ~……手を貸すと言いますか……その、できたら少しだけ任せてもらえませんか?」
「……お前はこの状況で何を言っているのか分かっているのか?」
「えぇ。あのヴァンパイア……ですか? 一応知り合いが変身しちゃった姿みたいなんで話合いできないかな? と。」
「……ちっ。いいだろう。もし戦わずになんとかできるんなら、そうしたいのは山々だからな。」
「ほっ……助かります。ではすみませんけど失礼して……」
立ち止まってこちらの様子を見ているロレッタの所へと足を進める。
しかし、なにがどうしてここまで大人びた身体に急成長できるんだろうか? どう見ても妙齢の女性の年齢にしか見えないし、幼いロレッタが着ていた服をそのまま纏っているせいか、色々と裂けたりしててなんとも露出が多い姿になっていて目のやり場に困る。
「うふふ。こんばんはタローさん。」
「はい。こんばんは。驚きの変化ですねロレッタさん。」
「えぇ。自分でも驚いているわ。
でもとてもいい気分なの。まるで夜の全てを手にし、何もかもを総べているかのような気分。」
話しながら鑑定してみると『真祖の吸血鬼』という職業になっていた。
『職業なんだ』と思わないでもないけれど、そのステータスは恐ろしいほどに高く、自分よりも強いであろうパラメーターもある。
だがその中でも着目すべきは生命力。
生命力が『0』だったこと。
「うーん……流石に不死族って言われるだけあるワン。」
「ハナの言っていた通りみたいだな。それじゃあこのままハナ打ち合わせ通りに。」
「仕方ないワンねぇ。でもハナもずっと使いどころが無くて気になっていたのが、ようやく使えるからやってみるワン。」
言い終えると同時に花子の姿が消える。
「あら?」
ロレッタの腹から花子の手が付き出ていた。
「あらあら、急にひどいことするのね。」
そのままするりと横に移動するロレッタ。
まるで液体のようにぬるりと液体のように動くロレッタの身体。腹から突き出ていた花子の腕がその場に残り、ロレッタは完全に無傷の状態。
「う~ん。やっぱり捕えようとしても掴めないワン。」
屈みながら喋る花子。
屈んだ上をロレッタの手刀が通り過ぎていた。
「えぇ。私にはどんな攻撃も効かないみたいなの。うふふふ。素敵でしょう?」
「え~? そんなことないワンよ? 殺すだけならいくらでも方法があるワン。」
花子の桃色の髪が無重力のようにフワフワと浮き上がり、そしてその色が発光する真紅へと変わった。眼の色も真紅に変わっていた。
「よいせっと。」
その姿で普通にロレッタを羽交い絞めにする花子。
「なっ!?」
まさか普通に触れられると思っていなかったのか驚愕に染まるロレッタ。
「ご主人~予想通り出来たー。ちゃんと捕まえたワン。」
「うん、有難う。流石『闘神覚醒』……ただ、なんでまた羽交い絞めなの……それだと。」
「流石にハナだって真祖の吸血鬼になんて噛まれたくないワンよ。」
「うぅ……ワザとじゃないんだったら仕方ないか……」
「な、何をするつもり!?」
「えっと、すみませんロレッタさん。これから解呪します。
ちょっと触りますけど解呪ですから。本当に解呪ですから。誤解しないでくださいね?」
「さっさとやるワンご主人。今はハナも血が滾ってるから戦うのを我慢するのは堪えるワン。」
「……はい。」
「えっ、ま、待って!? えっ!? 私、えっ!? ヴァインパイアよね!? えっ!? なにその両手!? えっ? ちょ、ま、あーーっ! アーーーっ!!」
この後、滅茶苦茶解呪した。
--*--*--
……長時間の解呪の末禁書は燃え尽き、街の危機は去った。
ギルドマスターにより、危機から脱した事が宣言され街は平穏を取り戻したのだった。
突如訪れたこの危機の詳細は『はぐれヴァンパイアが街を襲撃にきたが、ギルドの活躍により適切に討伐処理された』と領主に報告された。
だが事実は少しだけ違う――
街から離れる馬車の一向。
陽のあたる操縦席で困った顔で手綱を握っている太郎。そして、その横には不機嫌そうなロレッタの姿があった。
解呪の結果、ロレッタは元に戻る事が出来ていたのだ。
だが――
「ひゃん!」
ロレッタの姿が突如大人びた姿に変わる。
「うぅ……気を抜くと、すぐこれです……」
「なんか……すみません。」
ロレッタの職業は依然として『真祖の吸血鬼』のままなのだ。
だが意識は以前のロレッタに戻っており、太陽に弱いという事もなく普通の人間としても行動が出来る。
幸いな事にヴァンパイア化したロレッタと対峙した時に意識を保っていた冒険者はギルドマスターだけだった事もあり、クリスさんと共に駆け付けたロレッタのお父さんの頼みで、ヴァンパイアは退治されたという事になったのだ。
だけれどもロレッタが姿を元の状態で維持しようとするのは、まだ難しいようで姿の操作に慣れるまでは街を離れ王都に身を隠すことになった。
そして事情を理解している護衛をとして、護衛を依頼され引き受ける流れになったのだ。もちろん胸を触っている所……解呪している所を見られた気まずさから引き受けた分けではない。もちろんギルドマスターからは万が一の際の監視も頼まれている。
だが様子を見ている限り、ヴァンパイアとして暴れたりする心配はなさそうだ。
「お嬢様? しばらくは馬車で休まれては?」
クリスさんの声掛け。
クリスさんも全ての事情を知った執事として向かうのだ。
「はぁ……そうですね。変化するところを人が見ていたら驚くでしょうからね……」
ロレッタが溜め息交じりに馬車に戻る。
「タロー様もずっと手綱を握られておるのですから、そろそろ変わりましょう。」
「いえ、お気遣いなく。」
「タロー様……流石にそろそろ変わって頂いた方が良いかと……」
「うぅ……」
正直馬車に戻りたく無かった。
だが、もうそれも限界に達している事をクリスさんの表情と言葉から事を悟り、決意して戻る。
「ようやく来たワン。」
「ご主人様。私はご主人様の奴隷なのですから、もっと使ってください。」
「タローさん? 流石に放置はあんまりですよっ!」
花子、クォン、ケイティさんが一斉に口を開く。
騒動の後、クォンは奴隷から解放する事、ケイティさんとも別れの挨拶を済ませたのに、なぜか一緒についてきているのだ。
「さぁ、面子も揃った事ワンから、あの夜の続きをそろそろ決めておくワン。まぁ? もちろん役に立つ事を実感しただろうから、ご主人の答えはハナに決まってるワンけどね。」
視線が痛い。
きょとんとした大人バージョンのロレッタが口を開く。
「あの夜の続きとはなんですの?」
「ん? ご主人の好きな女の序列付けワン。」
「あら? それでしたら、私が一番になったでしょうね? なにせあんなことをされてしまったのですから、もうお嫁に行けませんし、タローさんにはしっかりと責任取って頂く必要がありますからね。」
新たな火花が散るのが見えた気がした。
まだまだこの旅は長い時間がかかりそうだ――




