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リスタート

作者:香月 翔
「め、ん、ど、く、せ〜!」
シャーペンを手の中から転がし、俺は大きく背中を反らせて伸びをした。

「うるさい、ここ図書館」
目の前に転がってきたシャーペンを持ち主のノートの上に置くと、ナオトはまた目を参考書に戻した。

「だってよ、期末までもう5日切ったのに、ここに来て試験範囲増えるとかあり得ね〜し。しかも1番苦手な物理…あ!」
「何、どした?」
「シッ!」
唇の前に人差し指をピンッと立てながら、俺は上体を低くした。釣られてナオトも僅かに姿勢を落とす。

「席、埋まってるね、向こうの方いってみようか?」
「うん」

「今の、おまえの弟と…どうなってんだよ、あれ」
「何が」
「何がじゃなくて」
ひとつ机を挟んだ向こうの通路を通り過ぎた、同じ学校の制服の男女を確認してナオトは眉間に皺を寄せた。

高校の期末試験の前日になると、この市民図書館は静かに賑わうのが通例だ。1年から3年まで、自宅で勉強に勤しむ生徒、塾の自習室に向かう生徒以外の大半がここを利用していた。
学校から徒歩5分の立地に、少し洒落たカフェも隣接している。売店のお姉さんもなかなかの美……いや、これはどうでもいい。
とにかく、学校帰りに立ち寄るにはなかなか都合が良かった。
今日もそれなりに試験勉強が捗るかと期待していたが、帰りに言い渡された試験範囲の拡張に加え、今し方目にした光景に、俺のやる気はすっかり姿を消してしまった。

「俺、帰るわ」
多分全身で脱力感を醸し出していたのだろう、ナオトは引き止めるでもなく自分も机の上を片付けて、黙って立ち上がった。

「ヒロ!」
図書館を出てすぐに、後を追って来たらしいクラスメート兼幼馴染のミナに呼び止められた。
「あ…何か用?」
「用があるから呼び止めたんでしょ。良かった間に合って…これ」
「何、これ」
「あんた行きたがってたでしょ。今注目を浴びてる風景写真家の展覧会のチケット。たまたま昨日お父さんが取引先の人に貰ったの。今週末までだからナオト君と行って来たら?」
「俺と?君が付き合ってやれよ」
「冗談!彼女持ちと出かけて誤解されたくなんかないもの」
そういうとなかなかチケットを受け取らないヒロに痺れを切らし、ミナはナオトにチケットを押し付けた。
「代わりに、連れてってやってよ……」

すれ違い様にナオトにだけ聞こえるような小声でミナは呟いた。
「じゃ、せっかくのチケット無駄にすんじゃないわよ!」
わざとらしく少し大きめの声でそう言うとミナは背を向けて、2人とは反対方向へと歩き出した。
暫くして、フと振り返ったナオトは、こちらの背中を見送るミナの視線に気が付いた。泣くのを堪えているような、そんな表情(かお)だった。


夏の夕暮れ空はまだその青さを残し、真っ直ぐ帰宅するのを後悔させる。
「ヒロ、ちょっと付き合え」
「何処に?」
「さあな」
口の端をほんの少し引き上げて、ナオトはスタスタと歩き出した。住宅街とは反対方向、人波を通り抜けて辿り着いたのは最寄りの駅だった。ICカードをタッチして、当然の予定のように改札を潜り抜けるナオトの後をヒロは慌てて追いかけた。

車窓から見える景色がビル群からどんどん田舎の風景に変わっていく。特に会話もなく続く無言の中、ナオトはスマホをいじっているだけだ。
「なあ、何処に向かってんの」
「こないださ、ヒロのお袋さんに会った」
質問には答えず、返って来た答えは全く関係の無いものだった。
「へえ……」
「大学、親父さんの希望のところ受験するんだってな」
「ああ、その事か……」

親父は普通のサラリーマンだ。
だからこそかもしれない。それなりの大学に行ってそれなりの企業に入り安定した人生を…が口癖だった。
大学の名前で人生が変わるという、固定概念を律儀に守っている親父だ。
なんでも、最近上司に就任したのが、一流大学出身の若造だった事が、その思いに拍車をかけたらしい。
「喜んでただろ?お袋も」
「……どちらかというと、悲しそうだった」
「悲しそう?なんで?」
「おまえがそういう奴だから」
「何それ、訳わかんねーし」
「次、降りるぞ」

車内の電光表示板に流れた駅名を確認すると、ナオトは網棚の上に乗せていた鞄を取る為に立ち上がった。程なく電車が駅に到着すると、空は藍色から青藍、そして紺青色のグラデーションに変わっていた。
駅構内にある小さなコンビニで飲み物と食料を調達するとナオトはバスの時間を確認した。

どう考えても本数が少ない。
1時間に1本どころか、1日に数本ときた。東京から2時間弱離れただけで、こんな場所もあるのかと、ヒロは少し面食らった。
「あと2〜3分で来るな」
「なあ、マジなんなの?これ……ってか帰れんのか?このバスの本数で」
「どうかなぁ?いいんじゃね、明日祝日だし。それに……」
不意に差し出されたスマホにはLINEの画面。そこにナオトと俺の弟との会話の記録。
「なんでお前が俺の弟のLINE知ってるんだよ」
やりとりの時間から、電車に揺られている間に、今日は2人で出かけるから心配しないでくれという内容と、それに対して了承したとの会話が綴られていた。
「前にちょっと機会があってな…って、事で心配するな。ほら、来たぞ」
薄暗い景色に浮かぶ2つのヘッドライトがゆっくりと停留所へと近づいて止まった。
たった1人の乗客が降りた後は俺達の貸切となったそのバスは、数分の停止の後、ゆっくりと山深くへと走り出した。

「カメラは辞めるのか?」
いきなり核心を突かれて、ヒロは言葉に詰まった。
「な、なんだよ。急に」
「さっきの話だけどさ。お袋さん、お前がカメラマンの道諦めるの後悔するんじゃないかって心配してた。あの子は趣味なんかのレベルじゃなくて、本気で専門学校行ってカメラマンの道に進みたいって考えていたはずなのに……って。確かに親としては『普通』が安心ではあるけれど……って」
「ふーん……」
窓の外はもう暗くて、外に向けた視線の先に映るのは情けない表情の自分の顔。
口を噤んで、俺はそのまま見えてもいない外の景色に目を向けるフリをした。


漸くバスが目的地に着いた頃には、もう21時近くだった。回送の表示に変わったバスは、俺達を置いて元来た道を引き返していった。
「なあ、こんなとこまで来てどうすんだよ?見た限りなにも無いけど……」
「何も無いって?心が死んでる証拠だな。以前のお前なら真っ先に見つけたはずだ」
「なんだよ、別に夢諦めたからって心まで殺しちゃいねーよ」
「我慢が美徳だなんて勘違いしてるようじゃな」
「別に我慢なんか……!」
「してないってか?夢諦めて、親父さんの望む道に進むのも、自分の彼女を弟に譲るのも我慢してないんだな?お前は」
「なんでそれ……」
「伊達に心友(しんゆう)してねーよ。ナメんな」
突然の言葉の応酬に、ヒロは涙が溢れそうになったのを堪えようと顔を少し上に向けた。
「あ……」
そういう意味か。

「凄ぇ……」
黒を覆い尽くす程の光の白。
満天の星は、今までの自分なら真っ先にカメラを向けていたものだった。
これほどの被写体を見落とす程に、俺は心を殺していたのか。

気付いてしまったんだ、2人の視線に。
互いに見つけたらとても嬉しそうに、けれど次の瞬間とても悲しげな目をする2人に。
出逢わせる順番を間違えるなんて、運命も大概せっかちだ。
あいつらが先に出逢えていれば、あんな顔をさせる事も無かったのに。
「あいつら、優しいから言えないんだ……俺に遠慮して。2人が辛いより1人の方がちょっとはマシじゃね?」
「で、自分1人が傷付く方を選んだってわけか」
「そんな格好良いもんじゃないけどさ……」


それが、最善の選択だと思ったんだーー


自分に言い聞かせるように、ヒロは小さく呟いた。
だから伝えた。2人に。
『きっと、あいつの方が君を笑顔に出来る』
『たまには兄貴の好意を素直に受けろよ』
だからーー
『いいよ』

俺から心はとうに離れているのに、互いに必要としているのに、遠慮して付き合えないなんて、誰も幸せじゃないだろ?


「進路変更の理由は?」
「遠慮なく聞いてくんな〜」
「遠慮してたら聞けねーじゃん」
ナオトは悪戯っぽく笑ってそういうと、コンビニ袋からジンジャーエールを取り出して、ヒロに向かって放り投げた。
「炭酸投げんなよ」

そう言いながら捻ったキャップを押し上げて吹き出す泡に、予想してたくせに濡らした手を「あ〜あ」と振り払って、ヒロはひと口、ジンジャーエールを喉に流し込んだ。

「宝石を散りばめたような星空って、こういう空を言うんだろうな」
「そうだな」
「空の写真専門の写真家になりたかったんだ。遠いくせに、手の届かない所にあるくせに、星や月や雲の形や……空の色ひとつで一瞬にして心奪うんだぜ?でも、何度そう訴えてもわかってもらえなかったなぁ……」
「親父さん….…頑固だもんな」

両手の親指と人差し指で枠を作り、星空を切り抜く。天の川がはっきり見える夏の夜空。
「こうやって、ポイント決めるんだ。肉眼ではどんなに頑張っても6.5等星までしか見えないけれど、レンズを通せば小さな星も見える。天の川の迫力も段違いなんだ……小さい頃、親父に教えて貰った」
「親父さんが?意外だな」
「賭けに負けた」
「え?」

突然の告白に頭がついていかない風にナオトは聞き返した。
「賭けって?」
「受験までに、コンクールで賞の1つでも取ってみろって、それが出来ない程度の情熱なら諦めろって」
「ちょっと才能ある程度の素人にキツい条件だなぁ……で、その賭け受けたのか」
「さりげなく的確な表現だな。けど、大きなコンクールは無理でも、どれか1つはいけるって思ってたんだけどなぁ……現実は甘くなかった」
「でも、俺、お前の写真好き」
「それは……サンキュ」
「写真を撮ってるお前を見るのも好き」
「お、おう」
「言い換えれば……今のお前は嫌い」
「え……」

そう言ったナオトの顔は、辺りの暗さではっきりとは見えないものの、声のトーンの低さから少し苛立っているようだった。
「全然良い顔してねー。くっだらなそうに参考書と睨めっこして、顔あげたかと思うと溜息ついて。試験の結果よりも、空見てワクワクしてたお前のが何倍も良かった」
「んな事言ったって……」

もうどうにもなんねーよ……諦める事にも我慢する事にも慣れてるから……
そう言ったまま、空を見上げてヒロは黙った。
「でも、ダメだ……やっぱ俺、この空好きだわ……」
ナオトは小さく溜息をついて、静かにヒロの隣に立った。
「本当、綺麗な星空だよなぁ…流れ星見えるかな?」
「そりゃ、こんだけ晴れてるし、邪魔になる光源も無いし…」
「なあ、俺と賭けしないか?」
「賭け?どんな?」
「今から1時間の間に5個以上流れ星が見えるか」
「で、賭けに負けたら?」
「もう一度親父さんを説得する」
「え……」
「大義名分くれてやるよ。賭けに負けたからって名分をお前自身にな。じゃなきゃ立ち止まったまま身動き出来ねーんだろ?律儀に親父さんとの約束守って、本当は捨てたくない夢捨てようってお前なんだから」
「それ、俺が負けなきゃ意味ねーじゃん」
クスッと笑って、けれどすぐに真顔になってヒロは空を見上げた。
「で、どうする?やる?やらない?」

きっと今、猛スピードでいろんな想いを追っているんだろう。ナオトはヒロの横顔を黙って見つめた。
ずっと願い続けた「自分の」未来。その責任を背負って生きるのはーー。

「5個は…見えない」
「なら、俺は見える方に賭ける」

制服のまま地面に寝転んで、俺たちは空を見上げた。時折、パンを齧ってくだらない話をしながら数十分。
1つ 2つ 3つ……そして、あと7分。

「ヒロの幼馴染の…ナミだっけ?」
「ミナだよ」
何度自己紹介すれば覚えるんだって、殴られるぞ?…と、笑いながらヒロは訂正した。
「ややこしいんだよ、で、そのミナはお前が彼女と別れた事知ってんの?」
「いや?報告する義務ねーし」
「そうか……健気なこった」
「健気?」
「本当に幼馴染かよ……」
呆れてものも言えないと、わざとらしく溜息をつくと、ナオトはポケットに突っ込んだチケットに指先でそっと触れた。

「あと1分…俺の勝ちだな」
少し淋しげにそう呟いたヒロの頭上を流れ星が2つ、連続して現れ消えていった。
「俺の勝ちだ」
片眉を少し上げて、ナオトはニヤッと笑った。
「2つほぼ同時になんて、珍し……」
言いかけてヒロは言葉を飲み込んだ。
「そうか……今日だったんだ」
「思い出したか。一か八かの賭けなんて俺がする訳ないだろ?」
「うしかい座流星群……普段は地味な流星群だがたまに流星雨を降らす……」
「ゆっくり流れて楽しませてくれる流星群だ。今日がピークだとネットニュースで読んだ」
「用意周到だな」
以前の俺なら、必ずチェックしていただろう記事だ。
やっぱり、俺の心はナオトの言う通り死んでいたらしい。
こんな絶好の機会にカメラを持たずにここにいるなんて。
「良いのかな?俺、親父に言っていいのかな……?もう一度、夢を見たいって。追いかけたいって……」
鮮明に見えていた星空がボヤけて行く。瞬き一度ごとに、一瞬だけまた鮮明になり、またすぐにボヤける。

俺、泣いてるんだ……

何処か他人事のようにそう気付いた刹那、想いが溢れ出した。
なりたい!カメラを持ちたい……!この空を追いかけて追いかけて追いかけて……!


「ありがとな……俺、もう一度頼んでみるよ……男が一度口にした約束を反故にするなって、怒鳴られるかもしれないけど……」
腕でグッと涙を拭って、ヒロは笑った。

「良い表情(かお)してんじゃん」
久しぶりに見た……と、ナオトも笑った。
それは少し、安堵に近かったのかもしれない。
「じゃあ、再び歩き出すお前にプレゼントをやるよ」
「プレゼント?」
「ほら」
そう言って、ナオトはまた自分のスマホのLINE画面をヒロの目の前に向けた。

映っているのは2枚の添付された画像。
1枚は見覚えのある星空の写真。もう1枚は……
「これ……!」
「第7回、星の調べピクチャーコンテスト、審査員特別賞。お前の弟に相談されたんだ」

『兄貴が、写真家目指すの辞めるって……俺、兄貴の写真好きだし、兄貴がずっと努力してるのも、カメラと向き合ってる時にめちゃくちゃ楽しそうなのも知ってるから……諦めないで欲しくて。俺……兄貴の笑顔奪ったから……だから兄貴に笑顔1つでも取り戻して欲しいんだ!』

「お前の撮り溜めた写真から、これが良いって2人で選んで、勝手に応募させて貰った。こっちはそれこそ賭けだったけどな」
入賞してくれて良かったよ……と、ナオトは微笑んだ。
「お前……じゃあ、もしかして最初から全部……?」
全て知って俺の心を立ち上がらせる為に仕組んでた?
もう一度、熱い気持ち取り戻させる為に……?
「俺は魔法使いじゃないんでね、タネも仕掛けも準備したんだよ」
そう言って目を向けた空には、幾つもの流星が空を踊っていた。

「そうだ、これ」
「それ……」
ナオトが手にしていたのは展覧会のチケット。
「幼馴染の彼女、誘ってやれよ」
「ミナを……なんで?」
「鈍感もここまで来ると罪だぞ」
「え?……えーーっ⁉︎」
「マジ気の毒になってきた」
お前の隣にいる事が多いから、嫌でも目に入るんだよ、いつも切なそうにお前を眺めていたあの子をーー。
「もう、自分の気持ちに嘘つくなよ」
チケットを受け取ると、急に心に灯がともった気がした。
「ナオト」
「あ?」
「やっぱ、お前魔法使いだわ」

生まれ変わるよ、もう一度。
この星空に負けないぐらいに輝いてみせる。


始発のバスが来るまで、俺たちはバス停のベンチに座って眠りこけた。
目覚めた視界に真っ先に飛び込んで来たのは黄金に近い空。
澄んだ空気の気持ち良さは、そのまま自分の心の透明と重なった。
情けなかった俺はここに置いていこう。
今日から俺の明日は、きっといい日になる。

遠くから迎えのヘッドライトが2つ近づいてくる音が聞こえた。


〈完〉

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