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三十二話:甘いご褒美


 龍流しから二週間が経過した。

 あっけらかんとした青空が、半壊したリーベルトの街を照らしている。

 

 水底の龍が遺した爪痕は、街の施設や住宅の三分の一を押し流し、インフラの四割を停止させた。犠牲者は最小限に抑えられたものの、決してゼロではなかった。重傷者も多く、病院はどこも満杯だ。

 

 街は復興で大忙しだ。一早く機能を回復した港から近隣の街の資材が運び込まれ、街のあちこちで金槌の音が響いている。ゴミを退けたり、土砂を盛ったりといった大掛かりで雑な作業は魔法の手で加速出来るが、結局最後は汗と技術と人手だ。完全復興までは十年近い時間がかかるだろう。

 かかるだろうが、街は今も生きている。

 

 仮設住宅付近の活気溢れる商店街で、エイトとアヤメは二人並んで歩いていた。一時は意識不明に陥ったエイトだったが、レベルアップと治癒魔法の効果で、もうすっかり体力を取り戻している。

 エイトはいつもの学生服で、アヤメは髪を黒に染めたお忍びスタイルだ。心なしか、少しだけ飾りっ気が多い。


「やっぱり、僕達がこの世界に転移したタイミングにはズレが有ったんだね」

「だろうな。お前はこっちきて一ヶ月。オレは三ヶ月だからな」

「もしかすると、もっと古い時代にもクラスメートがいるかも知れないね」

「再会したと思ったらジジババかもってか。笑えねー」

 

 小さなダイヤをあしらったイヤリングを揺らしながら、アヤメは口の端を釣り上げた。

 ジジババどころか、墓の下の可能性だってあるのだが、エイトは黙っておいた。


「なあ、オレがこの体に宿ったのも、アイツの仕業だと思うか?」

「アイツ、って言うと、強制クエストの “発行者”のこと?」


 アヤメは頷いた。

 彼女の話を聞く限り、“発行者”の目的はアヤメに龍の涙を破壊させることだったに違いない。《龍流しの遂行》クエストを隠れ蓑にして、土壇場まで真意を明らかにしなかったのは、アヤメの抵抗を予見していたからだろう。


「解らないな。龍流しの妨害のために、小杉さんを湖の巫女に仕立てたのか。小杉さんが湖の巫女に宿ったから、龍流しを妨害させたのか。どっちもあり得ると思うよ」


 いずれにせよ、“発行者”が世界中に地球人と言う名の強力な手駒を持っているのは確かだ。

 

「なんつーか、オレたち、まるでエイリアンの尖兵だな」

 

 アヤメの台詞が、エイトには真に迫って聞こえた。


「ったく。人をラジコンみてぇに使いやがって、胸くそ悪ィ。“発行者”の野郎、ゴミみてぇな根性してやがるぜ」

「同意するけど。まあ、彼か彼女のスタンスが解ったことは、前進だと思うよ」

「龍流しを妨害して、得する奴ってことだもんな」

「教会の敵対者か、リーベルトを沈めて得する存在ってことかな。心当たりは?」

「そーだなぁ……」


 アヤメは首を傾げた。


「列挙しろって言われりゃ、そりゃいくらでも出てくるぜ? うちを目の敵にしてる世界樹教の連中、王都で政治ゲームしてる連中、反教皇派の連中……。でもどーも、ピンとこねーな」


  “発行者”は魔法が当たり前の世界においてすら、超常的な力を持っているのだ。権力争いレベルの俗世間の価値観で動いているとは考えにくい。

 

(つくづく、長月七日を逃したのが惜しいな)

 

 長月七日の口ぶりからすれば、彼と“姉”は発行者の意図も検討がついている様子だった。しかし、クルリの言葉によれば、エイトに倒された長月はおつきのメイド達によって回収されてしまったそうだ。


(クルリさんもラアルさんも、負傷してたって言ってたけど。二人いれば、メイドたちを捕まえるぐらいわけないと思うんだけどな)


「……っつーかよ」

「つーかなんだい、小杉さん」

「その小難しい考え事、今しねーといけねーわけ?」


 アヤメが不服そうに口をとがらせた。


「すみません。小杉さん頭いいから、自分の考察を確認してもらいたくて」


 『クルリ相手だとこうはいかない』とは、さしもエイトも口に出さなかった。


「た、頼られるのは悪かねーけどよ? 今日はせっかくのデ、その、アレなわけだしな?」

「そうだね。約束してた食事会だし、久々の休日だからね」

「食事会っつーか、休日っつーか……まあ、それでいいけどよ」

 

 この二週間、アヤメは巫女の職務に奔走していた。祭りの事後処理、崩壊した大聖堂の建築依頼、犠牲者の追悼式典……。

 

 教会の罪の部分はサーモンド司祭が被る形となったし、スーメルアには元々アイドル的人気があった。彼女が直接市民から責められることはなかったろうが、神経を擦り減らす日々だったはずだ。

 

 そんな中、やっと休みをとれたのが、今日なのだ。あまりストレスをかけてはいけない。

 

「それで、どこへ行くんだっけ?」

「フツーの喫茶店だよ」

 

 早足になったアヤメの背中を追っていく。

 商店街の武器屋の隣、目立たない脇道に入ってから少し歩く。水たまりを3つと野良猫を2匹跨いだところに、『コーヒーハウス』はあった。

 

 観光客向けの高級な店ではなく、地元民向けのこじんまりとした店だ。カウンターが6席ほどと、丸テーブルが4つ。テラス席が2つ。

 壁にかけられたメニュー表の古さが、歴史と人手の少なさを物語っている。

 

 カウンターの奥には、黒を基調とした衣装の中年ウェイターが手際よく皿を洗っていた。

 

「ちわーっす。テラス席、いいっすか?」

「いいわよー、好きに使っちゃって?」

(いいわよ?)


 中年男性らしからぬ台詞に、エイトは眉を潜めた。野太く、低く、そしてなよっとした……どこかで聞いた声だ。


「もしかして、リザさんですか!?」

「あら、ばれちゃった? 結構キメてたのに」

 

 そう、喫茶店のマスターは《女神の従者》リーベルト支部のギルドマスター、リザであった。化粧も変わっているし、髪もまとまっている。雰囲気がシックなダンディになっているので、黙っているとさっぱり分からなかった。


「どうしてこんなでバイトを?」

「そりゃ、あたしの実家だもの」


 リザ曰く、この店は彼女の父のものだそうだ。地元でも知る人ぞ知る名店で、幼いスーメルアも、ダニエラに連れられてお忍びで食べに来ていたらしい。

 

「龍流しの騒動で、ウェイターがちょっと休業中でねん。あたしが代理してるってわけ」

「ギルドマスターの休みに喫茶店でウェイターなんて、ワーカーホリック極まってますね」

「それはいいのよ。ほら、あたしこういうダンディな服もタイプだから」

(性癖でウェイターやってるのか)

 

 アヤメに連れられ、テラス席に腰掛ける。リザが慣れた手つきで水をついでくれた。


「エイトは、飲み物どうする? オレのおすすめは世界樹平原コーヒー、ミルクたっぷりな。砂糖は抜きで」

「じゃあそれ。専門家に従うよ」

「あと、菓子はあれとあれとあれとあれと……」


 アヤメはメニューを指差し、慣れた様子で注文していく。歌うように紡がれる注文の数々に、エイトは若干財布が気になった。


 唇を水に濡らしながら、待つこと十数分。始めにあっさりめのコーヒーが出て、それから順序も遠慮もなく、菓子類がこれでもかと襲来した。

 

 ざらめクッキーに焼きプリン、預言者の卵にシフォンケーキにアップルパイにエトセトラ。教会文化の影響か、やはり焼き菓子中心だ。

 多少の洒落っ気はあるが、どれもあまり奇をてらわない、スタンダードな見た目だ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 まず、エイトはざらめクッキーを手に取った。事前に予約をいれておいたのだろうか、焼き立て熱々だ。少し指先で弄んで冷ましてから、口の中に放り込む。

 

 すると、舌先で触れた途端に、クッキーはまるで砂のように崩れだした。少しのこったザラメがコーヒー牛乳の苦味にすっととろけていく。なるほど、砂糖抜きで正解だ。


「いい。いい、クッキーだ」

「だろー? オレ……じゃなくてスーメルアも、事あるごとに自分へのご褒美こじつけてこれ食ってたんだぜ?」

 

 次に、エイトは焼きプリンをスプーンで掘削した。軽く焦げたカラメルがぱり、と音を立てて割れる。息を三度吹きかけて、食む。とろけるカスタードの甘みが口いっぱいに広がる。

 

(弱ったぞ。これは)

 

 瞬く間にカップを空にしながら、エイトは困った。

 

(今日は割り勘の予定なのに、この味は)

 

 パイにフォークを刺す。生地の軽い弾力を指先で感じると、そこからはもう止まらなかった。

 

 …………。

 ……………………。


「すみません。今日の勘定は僕が持ちます。持たせて下さい」


 光沢を放つ食器の山を前にして、エイトは深く謝罪した。初回注文時に財布を心配した理性はどこへ行ったか。気付けば、追加注文はメニュー表をちょうど三周していた。

 

「いーんだよ、その食いっぷりが見たくて連れてきたんだ」

「しかし」

「湖の巫女なめんなよ? いくら龍流しの賠償で報酬カットされてるからって、そこらの冒険者よりはよっぽどデカイ財布持ってんだからな」

「そうなのかい? じゃあ追加」

「追加注文は勘弁してくれ」


 かなり真剣なトーンで制止され、エイトは口を噤んだ。奥歯はまだザラメの感触を求めているのだが、思考を別の所に逸らすしかない。


「そう言えば、水底の龍は結局どうなったんだい?」


 実のところ、エイトはリーベルト史上最大の事件、龍流しの当事者でありながら、その顛末を知らなかった。長月七日を撃退した時、そのまま気を失ってしまったからだ。

 

 噂によれば、水底の龍は再び深い海の底へ帰っていったらしい。

 問題はその理由だ。雷と水の相性差があるとは言え、人に召喚された天雷の龍に、天然物の水底の龍を追い返すほどの力があるとは思えなかった。


「ああ。あれな。天雷の龍が説得してくれたぜ」

「説得?」

「おう。司祭に天雷の龍の束縛を解かせたら、水底の龍を鎮めてくれたんだよ」


 エイトは首を傾げずにいられなかった。そもそも、正統十字教会の最大の被害者は天雷の龍自身だったはずだ。聖者グンベルドに捉えられ、地下に幽閉され、命を落としたのだから。


「言いたいこたぁ解るけどな。天雷の龍ってのは元々守り神の立場だったらしいんだよ。だからこう、人間への慈愛ってのが残ってたんじゃねーの?」

「ねーのって、そんなの結果論じゃないか。まさか、勘で決断したのかい」

「勘じゃねーよ。ほら、お前さ、天雷の龍に真名封じの書が残ってたっつったろ?」

「真名封じの書があるから、天雷の龍は教会の味方だと?」

 

 確かに、真名封じは召喚獣側の承認あってこそ成り立つものだ。いかに聖水を用いて行動を強要されたとしても、天雷の龍側にその意志がなければ、真名封じは出来ないはずだ。


「それだけじゃねぇ。牙に虫歯の治療跡があったんだ」

「竜の牙に、治療跡だって?」


 だとすると、一体誰が施術したのか? ……決まっている。教会だ。歯科技術は教会が独占していたし、龍が自力で治療出来るはずがない。手が口に届かないのだから。


「おう。お前、言ってただろ? 『歯の治療を任せるのは最大の信頼の証』って。だからさ、もしかすると、天雷の龍も教会を信じてくれてたんじゃないかってな」

「それで、司祭に天雷の龍の手綱を放すように命令を?」

「んなところだ」

「度胸あるね」

「別に。……新垣の言う事なら、信じてやってもいいかって思っただけだ」


 例え確信があったとしても、リーベルト四万の民を背負う気概がなければ出来ない決断だ。以前のアヤメには、ごく普通の不良少女には、そんな気合は感じられなかったのだが。


「まるで、本物の巫女みたいだ」

「ああ、それな」


 コーヒーを一口すすってから、アヤメは呟いた。


「オレさ、巫女続けてみることにしたわ」

「本気かい?」


 エイトの記憶では、アヤメは巫女の座を堅苦しいと嫌がっていたはずだ。強制クエストの命令で仕方なく巫女をやっていたと話していたが……。


「君のスキルなら、フリーでも充分食べていけると思うけど。まさか、また強制クエストの指示かい?」

「いんや。つーか、オレんとこにはもうアレ来ねえんじゃねーかな」

「……確かに、そうかもね」


 エイトとクルリの巫女護衛クエストは、水底の龍出現と同時にクリアとなった。それが指し示すのは、“発行者”はアヤメが水底の龍に殺されてもいいと考えていた、という事実だ。


 “発行者”にとって、小杉アヤメという駒は龍流しを失敗させた時点で用済みなのだろう。目くじらを立てて排除するほどでもない。興味を抱かれていないのだ。


「祭り時は忙しいんだが、基本突っ立ってニコニコ笑ってるだけで感謝される仕事だからな。給料もいいし、就職口としちゃ悪いもんじゃねーかなってさ」


 憑き物が落ちたような顔で、アヤメはそう語った。


「それが君の意志なら、応援するよ」

「オレの意志、か……。どうなんだろうな。もう解んねーかも」

「どういうことだい?」

「あのよ、エイト。驚かないで聞かないで欲しいんだけど」


 アヤメは指先をいじりながら、こう言った。


「オレ、スーメルアと混ざってるかも」


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