二十九話:龍流し編 その4
「気付かなかったのかい? 君は街を救ったんだ」
「アヤメっちってば、ヒーローよ!」
「ま、ち、を? ヒーロー?」
「ああ。君が時間を稼いでくれたお陰で、洗礼合唱が完成した」
「洗礼……合唱……? 目隠しの?」
エイトは首を振った。
「司祭のだよ」
その時、アヤメの耳に歌が飛び込んだ。いつの間にか、遠く聞こえる不気味な聖歌は大きな輪唱となっていた。そして、場の属性は雷に変容していた。
『気は熟した! 劇場は成立した! 勇猛なるリーベルトの戦士達よ! 咆哮せよ! 喝采せよ! 信仰にはそれが必要だ!』
その声は、崩壊した大聖堂の瓦礫のただ中から響いた。
屈強な僧兵達に抱えられ、瓦礫の狭間から龍の白骨が顔を出している。
その前には、黒いローブに身を包んだ子供たちが整列している。
瓦礫の上に立ち、指揮をとっているのは、嫌われ者の悪徳司祭サーモンドである。
「サーモンド司祭は、いずれ龍流しに限界がくることを予見していたんだ。そして、秘密裏に手を打っていた」
「手を……?」
見れば解る、とばかりにエイトは顎をしゃくった。
『薄暗き場所に産み落とされたものよ! 問おう! 汝の母は何処にいる!?』
『『『我らが母は天にあり』』』
『汝の空は何処にある!?』
『『『我らが空は経典なり』』』
『汝の愛は何処にある!?』
『『『我らが愛は主のもとに』』』
『いかにも! 今こそ名を得る時だ! 今こそ自由を得る時だ! 再誕せよ!』
少年たちが、一斉に黒ローブを脱ぎ捨てる。中から現れたのは青く艶やかな教会聖歌隊の衣装であった。
『もはや汝ら捨て子にあらず! 汝ら神の子なり! 最も純粋、最も崇高なる信徒なり! 聖唱せよ! ……貴き方は仰った!』
『『『主の御名を以って命ず。慈悲に報いよ。信仰を顕せ。天雷の龍よ』』』
それは、紛れもなく召喚術であった。
触媒となった化石が鈍く発光する。雷鳴が幾度も鳴り響く。稲光が閃くたびに視界にこびりつく残光が、次第に龍の形を為していく。
雷光を纏って輝く鱗。鋭く光る牙。
それはリーベルトで唯一、水底の龍と同等のスケール感を持っていた。
これこそ、かつて聖者グンベルドが調伏した龍の姿。天雷の龍である。
そして、天空に二体の龍神が対峙した。
水と雷。人智を超えた魔力の奔流が激突し、余波で地表の瓦礫がめくれ上がる。
衝撃波に流されそうになり、アヤメはエイトの足に縋り付いた。
「天雷の龍を、土着神級の魔物を召喚なんて! あんなの、どうやって……!」
「聖者グンベルドは天雷の龍を真名封じしていたんだ。司祭は地下遺跡から真名封じの書を発見し、フリーダの研究資料をもとにして、龍の召喚術式を組み上げたんだ」
アヤメの中で、いくつもの情報が繋がっていく。
クルリの報告にあった、『失敗すれば命はない』という司祭の脅し文句は、まさにそのままの意味だったのだ。捨て子の聖歌隊は、来るべき天災からリーベルトを守るためのもの。誤ればリーベルトもろとも水底に沈む。
司祭と私兵合唱団がウキェミの大迷宮に住み着いていたのは、洗礼合唱の訓練に最適であることと、天雷の龍の魔力残滓を感じ取れることからだろう。
「龍っちはとってもカワイソーだけど、街のみんなは助かったわ! アヤメっちのおかげ!」
(……違う……)
「スーメルア像建立間違いなしだね」
「わっしょいアヤメしなきゃね!」
(……違う……!)
「でね、アヤメっちが街を助けちゃったから、次はあたし達がアヤメっちを助ける番なの!」
「護衛役、改めてお願い出来ないかな」
「そうじゃねーんだよ!」
アヤメは叫ばずにいられなかった。これ以上の過剰評価は耐えきれなかったのだ。
「《龍の涙》を割って、水底の龍を暴走させたのはオレだ!」
「えーっ! アヤメっちってば、なんで?」
「強制クエストの命令で、怖くて、街を売ったんだよ!」
「強制クエストなら、しょーがないじゃないの?」
「ゴタゴタ抜かすなバカクルリ!」
「がーん!」
「オレはゴミなんだ! 臆病で、卑怯で、他人の目ばっか気にして、生きてたってしょうがない人間なんだよ!」
あまりにも情けない告白だ。エイトは困惑した顔をした。クルリは……。
「いーこいーこ」
そっと、アヤメの頭を抱いた。
「アヤメっちってば、真面目すぎだわ」
「ちがう、真面目なんかじゃ……」
「すまないが、護衛と小杉さんの自己評価は無関係だ。僕は食事のために動いている」
「は?」
「ニラ饅頭だよ。一緒に食べる約束は、反故にされた覚えはないよ」
言われてみれば、直接断ってはいなかったが。
「自明なことだが、食卓の構築は人生の構築だ。そして、僕の食卓予定には既に小杉アヤメが組み込まれている。強要は出来ないけど、是が非でも出席して貰う」
「きょ、強要してんじゃねーか!」
「強要するつもりはないよ。ただ、死んで逃げられるなんて思わないことだ」
「お前もう怖ェーよ!」
アヤメは叫んだ。
「どうしてなんだ!? オレごときにそんな……!」
「君との食事が楽しみだからさ」
喉がつかえて言葉が出ない。感情がごちゃ混ぜになる。
新垣エイトを教室隅のモブだと思っていた頃なら、鼻で笑った台詞だ。下らない口説き文句だと一笑に付したはずだ。
しかし、今のアヤメは知っていた。食事至上主義のねじ切れ人間、新垣エイトにとって、その台詞がどれだけの重みを持つか。
「……ひ、一つ、交換条件だしていいか」
「どうぞ」
「こ、今度、ふ、ふ、二人でメシ食わせろ」
「二人? 僕と君とでか? クルリさんは抜きで?」
「そーだよ! ンだコラ、わりーかよ!? どーせクルリとはいっつも……!」
「悪くない。名案だね」
顔に血が上って来るのを感じ、アヤメは慌てて俯いた。エイトはどうせ、言葉の裏を理解していない。こちらの気持ちなど何も知らずに飄々とした顔をしているのだろうと思うと無性に腹が立つ。名案だと言われて動揺している自分にも腹が立つ。
「かぁっこいぃー! 手が動いたら拍手しちゃいたいね」
耳障りな口笛と共に、バジリスクイーグルと目隠しの男が空から舞い戻ってきた。
龍の魔力にあてられたのだろう、バジリスクイーグルは着地と同時に消滅した。
「だァが残念。ハッピーエンドはキャンセルだ」
「あっ、お手々ホネホネくん!」
「待っていたよ、ミスターバイキング」
「チキュウ流のあだ名は結構。俺の要件はわかってんな?」
目隠しの男は首を鳴らした。
「姫様は貰う。街は沈める。だが、あんたらは助けてもいい……って交渉しようと思ったんだが……。どうも、退く気はねえって面してんな」
「僕は食卓から逃げない」
「強制クエストも終わってんだろうに。自分の首に縄かける必要が何処にある?」
「僕は命令では食べない」
「俺達の熱狂は最速で無尽蔵だ。付け入る隙は万に一つもねぇよ」
「僕は常に完食する」
目隠しは“言葉が通じない”とばかりに首をふった。その腕にまきついた呪布が解けていき、白骨と髑髏の腕がむき出しになる。
「オーケーご学友。誠心誠意手加減して遊んでやるよ。ただ、手が滑るってこともあるからな。ほら、この手だしィ?」
髑髏の兄弟たちが乾いた音を立てて笑う。
「念のため、遺言をどーぞ?」
「―――いただきます」
そして、二つの影が交差した。




