二十八話:龍流し編 その3
それは、絶望の光景に他ならなかった。
水底の龍が破片となった《龍の涙》を認識した瞬間、天罰が始まった。
龍は咆哮一つで聖職者達の心臟を止めた。ただあるだけで空気を水に変え、風を濁流へと変え、祭壇を押し流し、身じろぎ一つで大聖堂を粉砕した。
護衛の僧兵も、精鋭の冒険者達も、その力を発揮する前にいとも簡単に潰された。
旧き神の逆鱗を前に、人を想定した武力など何の意味も持たなかったのだ。
「わけ、わかんねぇよ。聞いてねえよ。こんなの……」
龍月湖のほとりで、アヤメは目を覚ました。大聖堂の頂から濁流で押し流されたにも関わらず、アヤメは生きていた。並外れた水耐性が彼女を生かしたのだ。
「な、何が起こった、どうして、龍が……!」
「巫女を探し出せ! なんとしてでも守りきれ!」
「司令部壊滅! 繰り返す、司令部壊滅!」
「風魔術師隊、消息がつかめません! 拡声魔術の復旧は不可能です!」
「連絡手段を伝書鳩式に切り替えろ! 全体指揮権を南方副司令部に移す!」
崩壊した大聖堂のふもとで、悲鳴と怒号が飛び交っている。そこに混じって、かすかに不気味な聖歌のようなものが聞こえる。
頭上では、水底の龍が無差別に死と破壊を振りまいている。尾の一薙ぎで街の一角が吹き飛ぶ。今の一撃で、遊撃にあたっていた冒険者が、水魔もろとも亡くなったに違いない。
あの怒りが水魔と格闘する防衛隊に向いた瞬間、街は終わりを迎える。
否。もうとっくに迎えているのかも知れない。
(どうして、なんだ?)
アヤメの知識にも、スーメルアの知識にも、この逆鱗を解釈可能なものはなかった。
水底の龍は神に帰依したはずだ。主神に仕え、《龍の涙》と引き換えに人々に恵みをもたらす契約だったはずだ。報酬が砕かれたからといって、こうも怒る必要がどこにあるのか。
しかし、理由などもはや意味を為さない。ここにあるのは結果だ。破壊と死だ。信仰に身を捧げた護衛の僧兵たちも。スーメルアを慕う従者たちも。みんな、みんな、死んでしまった。そして、ここからも死んでいく。
(いや……違う)
アヤメは首を振った。
(死んだんじゃない。オレが、殺したんだ……!)
強制クエストの恐怖に負けて、やってはならない事をしてしまった。
薄っぺらで価値のない自分が、無数の生命を奪ってしまった。
遠く響く悲鳴が、小杉アヤメを責め立てる。
(ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!)
「……どうだい? 大量虐殺の引き金を引いた気分は」
目を閉じ、うずくまるアヤメの背に、若い男が声をかけた。忘れたくても忘れられない、粘っこい声色だ。
「経験値入らないのが残念だよなァ」
目隠しの男だ。やけにフレンドリーに笑っている。まるで、こうなることを始めから知っていたかのような落ち着きようだ。
「ま、お前さん達の世界で言う所の、臭いものの蓋っつーか、パンドラの箱ってやつさ」
そして、目隠しは嬉々として“姉”から聞いた話を語りだした。
リーベルト正統十字教会の秘密。地下遺跡に眠る天雷の龍。そして、司祭が巫女にしていた隠し事を。
「お前……始めっから、これ狙ってやがったのか……?」
「人聞き悪いこと言うなよ。天幕の儀で邪魔されなきゃ、本気でこの街助ける予定だったからな? 敬虔な信徒だからさー。身内の恥晒すのは心苦しくってさー」
目隠しは得意の薄ら笑いでそう言った。
「だが、こうなっちまったからには話は別だ。主のために。教会の未来のために。何より、姉さんのために。リーベルトには、真相ごと沈んで貰わなきゃあならねえ」
「沈……んで……?」
「おうとも。今頃、前線は阿鼻叫喚だろうぜ? 拡声魔法持ちの司令部は壊滅。頭上には怒れる龍。頼みの綱の伝書鳩ちゃんも、半分はオレらの内職品なんだからな」
南西のどこかで爆音がした。雷蛍の破裂音だ。続けて、冒険者たちの断末魔が響き、波音にかき消された。また、防壁の一部が決壊したのだ。
「ほらな?」
「街が……終わる……」
もはや、目隠しの告白も、嫌味な薄ら笑いも、アヤメにはどうでもいいことだった。
スーメルアの体を盗んだばかりか、彼女が積み上げた名誉すらも壊してしまう。
ダニエラを犠牲にし、僧兵を犠牲にしてまで生きながらえたのに。
スーメルアの愛したリーベルトを、この手で壊してしまう。
堪えきれない罪悪感が、胸を押し付ける。
(あいつら、なんて言うかな)
こんなこと、クルリが知ったらどう思うだろうか。エイトが聞いたらどう思うだろうか。強制クエストのせいだと言い訳したところで、我が身可愛さに大量殺人の引き金を引いたのは、間違いないことなのに。
(失望、されるよな。軽蔑、されるよな)
それは嫌だ。それだけは許して欲しい。悪意があったわけではないのだ。最低限の情状酌量は欲しい。
しかし、もはや龍は止められない。街の崩壊は確定事項だ。なら、どうすべきか。
「反応うっすいなぁ。前回のビビりっぷりはどこいった? もっとこう、情熱的な命乞いをだな」
「……終わらせなきゃ」
「あ?」
「早く、オレを終わらせなきゃ……!」
アヤメは突然立ち上がり、走り出した。
「ちょ、待て、何処いくんだアンタ!」
「死ぬんだよ!」
慌てて追いかけてくる目隠しに、吐き捨てるように怒鳴り返す。今のアヤメにとって、終わりは逃げ道だった。
目前の空間がゆらめき、茶色が滲む。ゴーレムが構成され、立ち塞がる。アヤメを捕まえんと腕を広げるが……。しかし、水場はアヤメのフィールドだ。
『貴き方は仰った。信仰は水面が支える!』
> スキル《水上走破》Lv8起動
先週殺されかけた時に動かなかった舌が、いつも以上に調子よく回る。
足元の水たまりを操作し、滑って加速。ゴーレムの脇をくぐり抜ける。
「おい、殺してやるから止まれって!」
「ふっざけんなバーカ! 怖ェんだよテメェの脳食い虫は! 一昨日来やがれ! つーか先週来やがれ!」
「先週は来ただろ!」
今のアヤメは、いわゆるヤケクソ状態であった。臆病が暴走していた。
最速で死にたい。自分のせいでこれ以上誰かの命が奪われるのを見たくない。だからと言って、痛いのも怖いのも嫌だ。
一番簡単に、一番素早く、一番痛くなく死ぬ方法は何か。探すまでもない。それは頭上で吠えている。
(水底の龍だ! あいつに殺して貰えば!)
実際のところ、濁流に流されようが、瓦礫に叩きつけられようが、痛いには痛いのだろうが、スケールが大きければ何となく苦痛を想像しづらいのだ。
『貴き方は仰った。雨だれ邪を穿つなり!』
>スキル《ウォーターシュート》Lv7起動
渾身の水鉄砲は、無論龍の鱗にいささかの傷も与えなかった。しかし、その注意を惹くには役立った。龍は鬱陶しい羽虫を見るような目で、自殺志願の巫女を見下ろした。
「来いよ! オレはグンベルドの子孫だ! 憎いだろ、殺せよ! なあ!」
「こんの、馬鹿巫女がッ!」
目隠しがバジリスクイーグルを召喚、飛び乗って退散する。
水底の龍が顎を開く。産毛が逆立つほどの魔力がその口内に収束していく。
次の瞬間、強烈なブレスが放たれた。水属性のブレスは、言ってしまえば鉄砲水のようなものだが、規模が常識外だ。
林をなぎ倒し、根を掘り返し、岩が砕け、魔物が流され、龍月湖が撹拌される。もしここが街中だったなら、区画一つが丸ごと押し流されていただろうし、もしここが対水魔戦線だったなら、数百人規模の被害は免れなかっただろう。だが……。
「はぁっ……はぁっ……クソッ……!」
常識外れの水耐性もあるが、それだけでは説明がつかない。アヤメは能動的に魔術で体を守ったのだ。何故なら。
「怖ェじゃねーか、クソ蛇!」
怖かったからだ。ブレスに晒された瞬間、アヤメの視界はブレスに流され、押し寄せる石塊を捉えてしまった。頭部への石の直撃。それはグロいし痛い。だから反射的に水の結界を張ってしまった。
「もっと優しく即死狙えバーカ!」
不良巫女に無礼な注文をつけられ、龍は喉を鳴らす。龍の周囲に7つの水の球体が生まれ、そこから水圧カッターが発射される。
だが、当然アヤメはこれも受け付けなかった。内臓が見えそうで嫌なのだ。
水上走破で躱し、身代わり守護霊と結界を駆使して軌道を曲げ、凌ぎきる。
「どーしたよ水底の龍さんよ! オレが憎いんじゃねーのかよ! さっさと殺れよ! 優しく殺れよ!」
腕に切り傷が出来ていたが、トラウマを想起する余裕もなかった。
水死は苦しそうなので遠慮だ。尾の一撃はグロく潰れそうだったので勿論却下だ。エリート生まれの脳細胞をフル回転させ、天才冒険者の才能を存分にふるい、培った神性魔術、水魔術を活かし、死に方を選別する。
幾度、攻撃を凌いだだろうか。一分か、二分か。そう長い時間ではない。しかし、並の魔術師ならば十度は消し飛ぶ怒龍の猛攻を受けながら、自殺志願の巫女は傲慢に耐え抜いていた。
アヤメが全身の痛みを自覚し始めたころ……。何の前触れもなく、転機が訪れた。
『……………………』
「あ?」
水底の龍がアヤメから視線を外したのだ。まるで、古いおもちゃに興味を失った子供のように。
「どーしたんだよ! オイ! こっちだぜ! 仇の子孫はここだぜ!」
アヤメの心に焦りが生まれる。このままでは、最初に死ねない。優しく死ねない。即死出来ない。もし目隠しに《脳喰らい》を使われたら、他のクラスメートに迷惑がかかるかも知れない。何より、これ以上生きてしまえば、エイトに出くわしてしまっても……。
「もう充分だよ」
「……え?」
振り返ると、そこには最も見たくない顔があった。
エイトだ。クルリだ。原型を留めていない龍月湖に、彼らはアヤメを探しに来たのだ。
(見られた)
頭が真っ白になる。体が強張る。自分の底の浅さを知られてしまった。責任逃れの自殺志願なんていう、最も無様な姿を見られてしまった。
エイトが歩いてくる。逃げ出したいが、足が動かない。エイトは右手を差し出して……。
「ありがとう」
「……へ……?」
握手を求めてきた。ただでさえ真っ白になった頭に、意味不明なお礼を叩きつけられ、アヤメは混乱した。
「気付かなかったのかい? 君は街を救ったんだ」
いつの間にか、遠く聞こえる不気味な聖歌は大きな輪唱となっていた。




