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二十五話:龍流しの開幕


土砂降りの雨が《聖者の祠》を叩いている。雨の臭いが鼻孔をくすぐる。

露店の賑わいはなく、人々の笑い声はなく、聞こえてくるのは武装した冒険者たちのジャラジャラとした靴音ばかり。


今年の龍流しは、音も、雰囲気も、人々の様子も、例年とは何から何まで違っていた。

鳥肌が立つほど巨大な魔力だけが、我関せずと例年通りリーベルトの街に近づいてくる。


薄暗い路地裏で、ドブネズミと相席し、男が一人、霧に隠れた街を“聴いている”。


「トゥールル、トゥットゥル、トゥルットゥー」


目隠しの男は鼻歌を口ずさんでいた。それは何処か遠い世界の歌だ。地球の詩だ。


目隠しは親を知らない。恋人を知らない。学業を知らず、友人を持たず、遊びも知らない。そして、知ろうとも思わない。


目隠し“達”は、愛を歌うために生まれた。

何処とも知れぬ地下教会で、ただ神の愛を賛美するだけの機械として誕生した。


同じ顔、同じ年齢、同じ歌声の三十七の兄弟達は、物心ついた瞬間に視界を奪われ、思考を奪われ、自由を奪われた。代わりに与えられたものは、愛と信仰と歌であった。

鎖に繋がれ、牢で眠り、決められた時間に決められた食事を決められたように貪る。そして、残った時間の全てが歌の時間だった。


寝て、起きて、歌い、食べて、歌い、食べて、歌い、そして寝る。

ただそれだけを繰り返す日々に、彼らは何の疑問も抱かなかった。

何故なら、歌えば『姉』が微笑んでくれるからだ。遠い世界から来た、目隠しの全てが。

彼らは姉の言葉を通じて世界を知った。空も、大地も、海も、人も、動物も、魔物も、神も、異世界も、姉から頂いた概念だ。彼らにとって、姉こそが世界だった。

彼女が労いの言葉を一つかけてくれるたび、彼らは溶けるような幸福に包まれた。


ちょうど、十年の歳月を賛美歌に捧げたころだったろうか。

その日、姉は涙を流してくれた。


『……きれい』


初めての褒め言葉だった。報われた心地だった。天にも昇る思いだった。

目隠し達にとってそれは、原罪を許されたと同義だった。


『これぞ合唱だわ。ついに合唱だわ。ついに、ついに心が一つになったのね。”三十七人”の心が一つになったのね』


そう言って、姉は棒きれを一本、彼らの前に投げ落とした。食卓ナイフと呼ばれるものだった が、素手での食事しかしてこなかった彼らにはその用途は解らなかった。

困惑する目隠し達を前に、姉は蠱惑的に微笑んだ。


『心が一つになったのだもの。体も一つでないと、おかしいでしょう?』


初めてナイフを手に取ったのは、兄弟の何番目だったか。

初めてナイフの使い道を知ったのは、兄弟の何番目だったか。

初めて仲間を刺したのは、兄弟の何番目だったか。

そんな事は、今となっては意味のない話だ。

姉の愛に包まれて、彼は一つとなったのだから。


目隠しは、己の人生が世間と乖離していることを知っている。一般に不幸と定義される境遇であることも、同情を受ける身分であることも知っている。


しかし、目隠しは己を憐れむ者をこそ憐れむ。

彼らは知らないのだ。小さき世界の美しさを。盲目的信仰の甘美さを。一心不乱に喉を震わす熱狂を。魂焦がす歌さえあれば、他に世界は必要ないのに。


(もう一度、姉さんの胸を打つ。もう一度、姉さんの涙を見る)


目隠しの世界はそれで完成されていた。愛で満たされた優しい世界だ。


「坊ちゃま。仕込みは終わりましたが」

「坊ちゃま。お時間参りましたが」

「アァ…………。ようやくか」


戻ってきたメイドたちを、目隠しはいつもの薄笑いで迎えた。


「厄介なことになりましたね」

「旗色悪くなりましたね」


警告を与え、孤立を誘い、スーメルアが一人になったところで“招待状”の件を聞き出す。悪くない作戦だったはずだが、たった一人の冒険者によって破産してしまった。

聖騎士ダニエラは予想以上の怪物だった。彼女の存在で、当初の予定が全てパーだ。本当ならば、《聖者の祠》によって封鎖される前に、このリーベルトを逃げ出す予定だったのだ。


「《龍流し》の日に巫女を襲撃するってぇのは、まーリスクが高いわな」

「坊ちゃま。それだけではないはずです」

「坊ちゃま。心配事はもう一つです」

「坊ちゃまの右のお耳が」

「坊ちゃまの右の鼓膜が」

「……あァ、やっぱ気付かれっか?」


そう、ダニエラの拳が掠めて以降、右耳が聞こえないのだ。龍の魔力が一種の呪いの役割を果たしているらしく、治癒魔術も効果が薄い。


「超のつく高級免罪符でもねえと、どうにもならねーな」


聖騎士の最後の一撃は、単なる悪あがきではなかった。希望を繋ぐための拳だったのだ。


(あいつは信じてやがるんだ。この俺を倒しうる奴が、このリーベルトにいると)


しかし、目隠しはその存在を恐れてはいなかった。むしろ楽しんですらいた。

逆境にて最善を尽くす。そこにこそ、熱狂は起こりうるのだ。


「大丈夫。大丈夫さ。全て上手く行くに決まってる」


メイドたちが白い人差し指を差し出し、目隠しがその指先を齧る。

赤い血を舐めとり、目隠しは微笑む。


「世界はそう出来ているんだ」


彼こそは、一にして三十七の召喚術師。たった一人の合唱団。愛を煮詰めた人型蠱毒。

愛が無敵である限り、目隠しに敗北は有り得ない。

次回より、二章完結編です。

9/28更新予定です。どうぞよろしく。


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