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十七話:天幕の儀編 その3

 『無駄な期待を抱かせない』が、小杉アヤメの生き方だ。

 

 客観的に言って、地球での彼女は恵まれた生まれをしていた。

 父親は大企業の重役、母親は大地主の娘。姉は一流大の博士。全員絵に描いたエリートだ。

 金銭的に不自由を感じることはなかったし、親から受け継いだ才覚と努力で、学校の成績も常にトップクラスだった。

 

 しかし、彼女の成績は家族の期待に沿うものではなかった。

 必死の受験勉強の結果、彼女が進んだ中学は地元で二位の進学校。

 そう、二位だったのだ。一位ではなかった。父母の口癖は『本当に頭のいい人は塾なんて必要ない』だ。家庭教師を雇ってなお二位止まりだった娘の存在は、彼らの遺伝子へのプライドをいたく傷つけるものだった。

 

 アヤメは今も夢に見る。

 意気揚々と両親に合格の知らせを告げたあの日を。合格証書を無造作に投げ返されたあの時を。証書で指先が切れた、あの痛みを。傷口から漏れた、あの赤色を。

 

 だから、アヤメは逃げた。習い事をやめ、参考書を投げ捨て、髪を染めて、ピアスを開けて、家庭教師も学校もサボり、非行に走った。はじめは説教していた母親も、朝帰りの一つもかませば、もう何も言わなくなった。“高等な人間”の言葉が通じる相手ではないと悟されたのだろう。

 

 家では誰も話しかけてこない。空気のように無視される。だが、アヤメはその腫れ物扱いが心地よかった。「こいつに期待するだけ無駄」と思わせるのが、結局のところ一番楽なのだ。

 

 そんなアヤメにしてみれば、スーメルアの人生は異様だった。まだ気楽な僧兵の地位を投げ捨て、姉の代わりに巫女を務める責任感。お飾りであっても、弱冠17歳で組織をまとめあげる胆力。重圧で肩が凝って仕方がない。息が詰まりそうだ。

 

 アヤメが新垣エイトに頼ったのは、嫌われていると知っていたからだ。

 始めから好かれていないのなら、無理して取り繕う必要がない。いざとなれば切り捨ててくれる。自分の命の価値は、それぐらいで丁度いい。

 

(そう、思ってたんだけどな)

 

 遠ざかるエイトの背中を見て、急速に心細くなるのを感じる。

 

「なあ、鹿島田」

「うん、鹿島田よ?」

「新垣の奴、まだオレの事嫌ってんのかな」

「んーん。大好きだと思うわ!」

「だ、だいっ!?」


 思わず声を上げそうになって、アヤメは口を抑えた。


「な、なんの根拠があんだよ?」

「エイト、言ってたもの。『手料理を食べるのは、信頼のあかし』だって。アヤメっち、お醤油作りを頼まれたんでしょ?」

「……醤油醸造って手料理なのか?」

「なが~く使うんだから、なが~い信頼のあかしに決まってるわ」

「そ、そうか? ……ま、そーかも知れねーかな」


 『無駄な期待を抱かせない』が、小杉アヤメの生き方だ。

 しかしどういう訳か、この頼みごとに悪い気分はしなかった。

 

(でも、手料理が信頼の証って理屈なら、鹿島田が一番ってことになんのか)


 それは、少しだけ面白くない。どうして面白くないのかは、アヤメ自身あまり認めたくない所だが。

 

「鹿島田ってよ、召喚されてからずっと新垣と二人だったのか?」

「んー。リザっちとか、ガーさんとか、ラアルちゃんとか……お仲間もいるけど、エイトとはずっと一緒よ」

「ふーん……。で、五回寝たのか」

「うん! あのね、一回目はおっきな木の中でね」

 

 クルリの邪念ゼロ%の笑みを見て、アヤメは安心した。知ってはいたが、クルリはその手の感情には疎いタイプだ。からかった時のエイトの焦り方からしても、別に深い関係ではないだろう。

 

「つかよ、新垣のやつ、変わったよな」

「エイトが? どこが?」

「どこがって、明らかだろ。信用できるようになったっつーか、頼れるようになったっつーか」

「んーーーー。わかんないかも?」


 クルリは首を傾げた。


「いや、わかれよ。教室のアイツっつったら、表情固いし、やたらメシ食うし、何考えてんのか解かんねー奴だったろ? ……今もわりかしそうだけどよ」

「でも、ずっといい子だもの」


 クルリは、サトウキビジュースを一気に飲み干した。


「あたしね。二年生の三学期の頃、ダイエットしてたの」

「ダイエット? いや、充分痩せてんじゃねえか。標準体重未満だろ?」

「そーなんだけど、家では太ってるほうだし。体育の着替えの時、キョーコちゃんにお腹ぷにぷにって言われて……」


 アヤメは、片側ツインテールのクラスメートを思い浮かべた。あれは、悪意なく刺さる言葉を言うタイプだ。影の諍いを頻繁に作っていたし、想像に難くない。


「おやつを止めて、お米を出来るだけ減らして。お弁当にも、好きじゃないおかずをちょっとだけ詰め込んで。お腹の虫さんを虫の息にするためだけのご飯を食べてたわ」


 アヤメも放っておくと肉がついてしまうタイプだ。ダイエットの辛さはよく解る。


「でね、ある日ね、とにかく嫌いなおかずにしようと思って、ブロッコリーのマーマイト漬けをお弁当にしてみたの」

「勇者過ぎるだろ」


 マーマイトとは、悪名高い美食の国イギリスの栄養食だ。酵母エキスを煮詰めて生まれた水飴状のどす黒い暴力で、臭いも味も悪意に満ちていると評判の珍味だ。

 アヤメも浅い付き合いの不良仲間に罰ゲームで食わされたが、とにかく人を選ぶ味だった。極悪青汁とか、イギリス納豆とか、そう言う類のものだ。


「苦くて、臭くて、うえーってなって。昼休みの終わりまでにらめっこしてたらね、エイトがやってきて、ブロッコリーをじーっと睨んでたの。あたしはエイトをじーっと睨んで、ブロッコリーがあたし達を睨んでて。睨みトライアングルになったの」


 ブロッコリーは睨まねーだろ、とアヤメは思った。


「そしたら、エイトってば『要らないのならくれないか』って言ったの」

「……くれてやったのか? その食品兵器を?」

「真剣に美味しそうに食べてくれたわ」

「……ブロッコリーのマーマイト漬けをか?」

「うん! それであたし、反省したの。ごはんを悪者扱いちゃだめ。悪いのはあたしで、ブロッコリーさんやマーマイトさんは全然悪くないもの」


 『あの味は悪意に満ちてっけどな』という茶々を自制する程度の良心は、アヤメにもあった。


「ごめんなさいして、エイトの真似して食べてみたら、とっても美味しかったわ!」

「……ブロッコリーのマーマイト漬けがか?」

「うん! それから、ブロッコリーさんだけじゃなくて、どんなご飯も美味しく食べられるようになっちゃって」

「へぇ」

「体重ニキロ増えたの」

「ダメじゃねーか」

「ううん、これで良かったわ」


 鹿島田クルリは、あっけらかんと笑う。


「あたし、エイトみたいになりたいって思ったし、エイトにご飯を食べさせてあげたいなって、思えたから」

「……そう、か」

「エイトには内緒ね?」

「……おう」

 

 格の違いを見せつけられた気分だった。

 小杉アヤメにとって、教室の中の新垣エイトは、変わったモブだった。嫌いではなかったが、変人だとは思っていたし、積極的に関りあいになりたくはなかった。

 冒険者として戦う姿を見て、自分のために奔走してもらって。そして初めて、彼を知りたいと言う気持ちが芽生えたのだ。

 

 小杉アヤメにとって、新垣エイトは『異世界に来て成長したクラスメート』だ。しかし、鹿島田クルリには違った。彼女にとって、根暗早弁と魔物食いの冒険者は地続きなのだ。

 

(あーあ。何思い上がってんだ、オレ)

 

 エイトとクルリはお似合いのコンビだ。天然同士、噛み合っていないようで絶妙に噛み合っている。自分のような半端者が割って入ろうだなんて、おこがましいにも程がある。


(そうだ。ダニエラさんだけじゃねえ。新垣だって鹿島田だって、オレなんかが巻き添えにしていい相手じゃねーんだ。それをオレは、我が身可愛さに……)


 立って歩く気力も失せ、アジサイ横のベンチに座り込む。

 

「――――ッ! 危ない! アヤメっち!」

 

 アヤメは二の腕に鋭い痛みを感じた。見ると、アジサイの葉が鋭利な刃に変わっていた。


「……え?」


 呆然とするアヤメの首筋めがけ、次の刃が放たれる。

 

「やめてっ!」

 

 クルリが腕を振るうと、カーディガンの袖から積み木のような直方体が飛び出した。

 それは空中でバネの力で帆を広げ、小型のボウガンへと組み上がる。

 クルリがその引き金を絞り、ボルトが葉の刃を穿つ。

 

「逃げて、アヤメっち!」

 

(血……だ。切り傷……)


 傷口から滲む赤色。這い上がる痛み。ぶり返す、あの日の記憶。


「ぅ……あ、あぁぁ……!」


 アヤメは転ぶように逃げ出した。


「あ、ちょっとアヤメっち、逃げすぎ! あんまり離れちゃ、きゃっ! えい、このっ!」

 

 クルリの忠告は、彼女の耳には届かなかった。

 


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