十五話:天幕の儀編 その1
異世界召喚三十二日目。
いよいよ、《天幕の儀》当日がやってきた。今日より巨大結界《聖者の祠》がリーベルトに幕を下ろし、一週間続く《龍流し》の祭りの幕が開く。
「すごい人だかりだね、クルリさん」
「そうね、エイト、人だかってるわね!」
第一結界堂前に設置された野外祭壇周辺には、黒山の人だかりが出来ていた。メッカとまでは言わないが、それを連想させる程度の混雑度だ。
一応、第二結界堂が破壊されたことは広報されているのだが、観光客の数は例年から殆ど減っていないそうだ。
何週間も船旅をしてついた旅先でアクシデントを告げられたとしても、帰ろうとも行き先を変えようともならないのだろう。情報伝達が遅く、移動のコストも高い世界ならではの現象だ。
《天幕の儀》は正統十字教の週末ミサの野外拡大版的な位置づけにある。
入祭唱と呼ばれる合唱で始まり、懺悔の時間があり、聖書の朗読があり、説教があり、ぶどう酒と砂糖菓子を用いた儀式があり、信者同士の挨拶があって、閉幕の歌で解散という基本的な流れは変わらない。
通常のミサと違う点を列挙すると、まず野外で行うこと。説教に司祭と湖の巫女が加わること。普段の儀式の代わりに、《聖者の祠》起動の詠唱をすること。出店があること。そして何より、客層(?)が違う。
『それ以来、稲穂は御使いに畏れを覚え、天に頭を垂れるようになったと……』
「おーい! 売り子の姉ちゃん酒! 酒足りてねえわこっち!」
大半は敬虔な信者や大人しい観光客なのだが、ガラの悪い観光客やスーメルア目当てと思しき大きなお友達が目立つ。双眼鏡を覗き込む者、大きく口笛を吹く者、アルコール片手に説教を聞き流すものもいるし、中には神父の説教中に「ひっこめハゲオヤジ」などと叫ぶ者も居た。とにかく想像以上に俗っぽい。
『えー、お静かに、お静かに願います……』
司会の神父が汗を拭きながら進行する。観衆の声に負けないよう、風魔法で声を拡大しているようだ。ステージ左右でダース単位の魔術師が汗水たらして呪文を唱え続けているのだから、スピーカーのない世界は大変だ。
『それでは、次に湖の巫女から、主の御心と龍の改心を説いて頂きます。スーメルア様、壇上へ』
信仰もなしに何故宗教儀式を見に来るのかと、疑問に思うエイトだったが、説教壇に上がった巫女を見て、少しだけ気持ちが解った。
(綺麗だな)
みな、息を呑んでいた。酒瓶を抱いた観光客ですら、じっと彼女の姿に見惚れている。
チープな表現だが、絶世の美女と呼んで差し支えない容姿だった。もちろん、メイクの力あってこそだろうが、アイドル人気を博しても仕方ないと思わせる佇まいだ。
スーメルアは品のある所作で会釈すると、原稿を広げ、凛とした声で説教を始めた。
『主こそ、ジャスティス』
エイトは不安になった。
「……こんな真似して、良かったのかよ」
隣の少女がぽつりと呟く。
彼女こそが本物の小杉アヤメ=スーメルアである。壇上にいるのはご存知ジャスティス魔人、ダニエラだ。
そう、確実に訪れる脅威からアヤメを守るため、エイト達がとった手段。
それは替え玉作戦だった。ダニエラとスーメルアの顔の造形は似ていて、身長も近い。化粧で傷を隠し、ゆったりとした服装で筋肉の付き方さえ誤魔化せば、そこにいるのは本物の湖の巫女だ。
……少なくとも、見た目上は。
「こんなの、丸っきり身代わりじゃねーか」
姉を影武者に仕立て上げたことに罪悪感があるのか、アヤメはしきりに不平を垂れている。
「彼女は強い。例えテロリストに襲われても、自力で撃退できる公算が高い」
「そうは言ってもよぉ……。いいのかよ、こんなの」
「いいのよ。……ダーさん、寂しかったっぽいし」
クルリが俯きがちに呟く。彼女がこの表情をするときは、エイトには理解できなくとも、的を射たことを言うと決まっていた。
「だって、大事な妹が自分じゃなくてお友達の冒険者を頼ってたんだもの。なんて言うか、ヤじゃない?」
「でもよ、オレはダニエラの妹じゃなくて……」
「ダニエラも快く了承してくれたんだ(叩きのめされはしたけど)。好意は素直に受け取ったほうがいいよ」
「……まあ、オメーがそう言うんなら」
妹の気持ちを知ってか知らずか、壇上の偽スーメルアの語り口に次第に熱が篭っていく。
『これより二千年の昔。旧きリーベルトは悪しき龍とその眷属が統べておりました。龍の悪ぶりと言えば、目つきは悪く、変な包丁を振り回し、卑しく食い意地が張っていて、とうとう魔物まで食べだすという有様でした』
『……あくまで説教上の演出であり、個人の見解です。教会公式の解釈とは異なる場合がございます』
とうとう司会の神父が補足を入れはじめた。
『龍の噂を聞きつけた聖者は、悪をジャスることを決意します。彼のパーティーは、スカウトと魔術師を含む三名構成だったと言います。しかし、石を裏返せば湧いて出るスカウトや、ハゲ散らかした魔術師など、ハンデの演出に過ぎません。聖者は正義なので一人で無敵です』
『個人の見解です。教会は団結の美しさを説いています』
『正義なので一人で無敵です』
「……どうだろう、本当に好意だったのかな? 単なる嫌がらせかも知れない」
「胃が痛くなってきた……」
『龍を囚えるため、聖者達は眷属共の儀式を模倣し、捧げ物を行いました。その貢物に聖水を混ぜ、悪しき龍めを昏倒させ……待て。これちょっとえっちな展開じゃないか? お子様に大丈夫か?』
『スーメルア様は思春期であらせられます』
『女の性欲のピークは思春期ではなく、三十から四十です』
『不適切な表現があったことを謝罪いたします』
(何を言っているんだダニエラは)
『えー、ジャスティス聖人拳にボコられた龍は、それはもう無様に泣き叫んで許しを乞うたといいます。今でも年一で《龍の涙》を投げつけられることで、シメられた当時の恐怖を思い出すのです。それが《龍流し》です』
『……………………。スーメルア様は緊張しておられます』
司会はとうとうフォローを投げ出した。サーモンド司祭も俯いて震えている。この距離でも解るほど青筋が立っている。
「バレたかな?」
「……一応、オレもリハーサルでヘマコキまくっといたから……」
「いずれにせよ、今更止まれないか」
ダニエラの説教にげんなりするアヤメ、気を引き締めるエイト。一人、「龍っち可愛そう」と哀れむクルリ。
さて。目的がアヤメの護衛にあるのなら、祭りの場に出かけなどせず、ずっと部屋に引き篭っていればいいじゃないか、というのが自然な考えだろう。
しかし、現実はそう甘くない。作戦会議時に確認した通り、《聖者の祠》の起動は専用の術式を学んだ魔術師にしか行えないのだ。現在、リーベルトでその術が使えるのは、スーメルアとバックアップ含め三名のみだ。もちろん、家出娘ダニエラにも代わりは務まらない。
ただ、壇上で呪文を唱えるのはあくまでパフォーマンスだ。呪文の効果範囲に聖堂を捉えていれば、結界の起動はどこででも出来る。
そこで、エイトはダニエラを身代わりに仕立てつつ、スーメルアを聖堂付近で守りきるという作戦を立てた。
(確認しておくけれど、小杉さん)
(お、おう。……あんま耳元で喋んなよ)
(例え何かの都合で離れ離れになるとしても、林の中や二階建て以上の建物、それから店舗の裏手には、決して近づいてはいけない)
今日予想されるテロは、これまでの散発的なものとは趣が違う。壇上にはスーメルアだけではなく、サーモンド司祭もいるのだ。雇い主を巻き込まないようにテロを遂行するには、リアルタイムで詳細な指示を出す必要がある。《雷蛍》のような、ある種“置き逃げ”的な召喚は出来ない。
よって、犯人達が現れるのは、見晴らしがよく召喚術を唱えられるスペースだ。観光客の流れも加味すれば、自然と召喚スポットは限られる。
エイトが挙げたのは、そうした犯人と遭遇しやすい危険地帯だ。
(小杉さんの仕事は生き残ること。くれぐれも、犯人を探そうなんて考えないことだ。捜査はリザ氏に見繕ってもらった高ランク冒険者にお任せしている)
(わぁってるよ。……つか、依頼料払うのオレだしな)
(よし。コンセンサスがとれたところで、もう一つ確認しておきたいことがある)
(なーに? エイト)
エイトは勿体つけて、本題を切り出した。
「どの屋台から巡ろうか?」
「「エイト……」」
二人の表情が固くなっていく。
「呆れたぜ。どーりで出店の配置まで事細かに聞いてくるわけだ」
「エイト、アヤメっちよりお菓子が大事なの? もしかして、あたしより……?」
「ご、誤解だよ。食事と人命に優劣なんてつけられない」
冷たい視線に、エイトはたじろいだ。
「いいかい、小杉さんを守る行為と屋台巡りは決して矛盾しないんだ。ここは祭りだよ。木を隠すなら森の中。浮かれた者に混じるならば同じく浮かれるべきだ。菓子類に定評ある教会の祝いであるならば、甘い匂いをさせないほうが怪しまれる。毒の心配はいらない。僕は食べた毒を無効化出来ると実証済みだ。心構えといった精神的な面を付くのならば、それこそナンセンスだ。今ここで出店菓子を逃せば、僕はいたく後悔する。後悔が咄嗟の判断を鈍らせ、却って小杉さんの身を危険に……」
「わ、わぁったわぁった! わぁったから黙れ、余計目立つ」
「いいのよ、エイト。ごめんね、エイト。甘いの、美味しいものね」
エイトはクルリに撫でられた。
「ったく。しゃーねー奴だな。ま、オレに任せときな。祝いの菓子には定番の流れってのがあんだよ」
エイトは、アヤメに言われて『預言者の卵』と呼ばれる菓子を買った。
焼き菓子の類で、サイズも見た目もクッキーと菓子パンの中間のようなお菓子だ。イースト菌入りの練り粉をベースに、卵黄を使って飴色に焼き上げられているようだ。人や馬、月や龍をかたどっており、可愛らしい見た目をしている。
「では、僕が毒味を」
「大口開けてがぶっと行けよ。それが流儀だぜ」
言われた通り、大口を開けて齧ってみる。もっちりとした食感に、程よい甘み、卵の風味が感じられる。お腹にたまるお菓子だ。
少々、いやかなり、口の水分を根こそぎ持って行かれるが……。
「ほらよ」
すかさず、アヤメに冷えた羊のミルクを手渡される。預言者の卵をふかすように口に含むと、甘みが柔らかく溶けていった。
「うん、うんうん。素朴だけど、完成されたお菓子だ。ジャムと牛乳に浸して食べても美味しそうだね」
「だろ? 教会の祭りはこいつがなきゃ始まらねえ」
「かわいいし、おっきいし、食べられるハニワって感じね!」
「でも、本物のハニワよりずっと美味しいよ」
「新垣、お前ハニワ食ったことあんの?」
その後も、アヤメはノリノリでエイト達を連れ回した。
パイにクレープ、砂糖菓子に綿菓子……。これほど甘いものばかり食べたら飽きそうなものだが、その都度アヤメがこだわりの食べ合わせや飲み合わせを教えてくれるので、最後まで楽しめた。
「正統十字教は菓子にこだわりがあってな。特に焼き菓子は何食っても絶品なんだよ」
アヤメは我が事のように(事実、我が事だが)得意げに解説する。
「卵は主神再誕の象徴。砂糖は神の恵みの象徴。でもって、火は神秘に現世の形を与えるものだかんな」
「おさとーが恵み? なんで? 甘くて幸せだから?」
「それはだな……」
正統十字教の発祥は、この大陸の内陸部だと言われている。そこはサトウキビの原産地で、教会はそれに目をつけた。サトウキビの種を独占し、毎週ミサを開き、布教と同時に砂糖菓子を配ったのだ。
当時の甘味と言えば、蜂蜜がせいぜいだ。森に魔物が多く養蜂がし難い地域では、それすらも貴重品だ。癖がなく上品な味の砂糖菓子の数々は、瞬く間に人々を虜にした。文字通り、甘美な衝撃を与えたのだ。
「っつーわけで、正統十字教は砂糖と共に拡大してきた経緯があるわけだ」
「即物的だが、素晴らしい発想だ」
「優しい宗教なのね」
「そうでもねーんだな、これが」
アヤメは愉快そうに笑う。
「教会から足を洗った奴でも、甘みの呪いからは抜けられねえ。そういう奴は、裏ルートで砂糖を入手したり、自分で蜂蜜を集めたりするようになる」
「道理だな」
「だが、そこに一つ落とし穴があるんだ。教会は歯ブラシと抗菌粉を配って歯を磨かせたし、定期的に歯科検診も行った。だが、教会を抜けた連中はそんな真似はしねえ」
甘いものなどついぞ食べたことのない人々だ。歯磨きの道具はないし、歯科の知識もないだろう。砂糖と虫歯と歯磨きの因果関係に気付くかすら怪しいものだ。
「つまり、祈りを忘れて恵みだけ享受しようとすれば、歯を真っ黒にしてまた教会に駆け込むハメになる、と?」
「正解だ。悪どいだろ?」
「アメとムチじゃなくて、アメとムシバね!」
「マッチポンプ歯医者教with糖尿だね」
「単語選び加減しろよ。仮にも聖職者の前だぞ」
「褒めてるのさ。誇って良いことだと思うよ」
「マッチポンプ歯医者教がか?」
エイトは頷いた。歯は、人生の主役たる食を司る重要器官である。そして、人体で二番目に痛覚を感じられる場所でもある。
「歯を任せるというのは、最大限の信頼の証だよ。正統十字教は、それだけ地域の人々に信じられていたんだと思う。教義だけじゃなく、共同体としてね」
「ふーん、ま、オレには関係ねーけど」
そう言いつつも、アヤメは何処か得意げだった。
「あたし、アヤメっちの楽しそうなとこ見れて、安心しちゃったわ」
「そりゃ、甘いもんが嫌いな奴はいねーだろ?」
水飴をこねながら、屈託なく笑うアヤメ。お菓子のことなら何時間でも話せそうな勢いだ。
(何事も、食わず嫌いは良くないな)
エイトは、勝手な印象でヤンキー少女を避けていた事を密かに恥じるのだった。




