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十二話:クレアお婆ちゃんのほくほくミートパイ

《龍流し》まで、あと三週間。

 この時期になると、リーベルトは一気に観光客でごった返す。

 気が早いと感じる者もいるだろうが、事情がある。

 

 というのも、《龍流し》を一週間前に控えると、街は外部から完全に封鎖されるのだ。

 川が氾濫するので、船便が使えなくなるのは当然だが、封鎖の理由はそれではない。

 

 街全体を覆う巨大な結界を張るのだ。

 再三の話になるが、《龍流し》の時期は土地の魔力が乱れる。その乱れは龍の遡上につれて拡大していき、《龍流し》中は《水魔》と呼ばれる魔物が大量に出現する。

 

 この大量発生に対抗するのが、件の巨大結界《聖者の祠》である。

 《聖者の祠》は、街中十四箇所に配置された結界堂を通じて発動する。

 この結界堂は、湖の聖者が建てたとされる四本の塔をベースに、伯爵令嬢フリーダが増築したものだ。

 以来、細々と改修移転縮小を続けながら、三百年維持されてきた。

 

 

 ここは、そんな街の守りの要。《聖者の祠》第二結界堂。

 説教壇と十字の印、長椅子に祈りの間。古風な正統十字教の礼拝堂スタイルの建物だが、ガラス窓がある点と、地下への階段がある点は異なっている。

 地下からは朗々と結界起動準備の詠唱が聞こえてきて、窓からは夕食後の喧騒が流れ込んでくる。

 

 厳かと下世話のごった煮に苛まれながら、《宵闇の茶会》BランクLv41の冒険者、ルッツは欠伸を噛み締めていた。

 

「あーっ、たく。ナメられてると思いません?」


 長椅子で愚痴を零しているのは、後輩のLv32魔術師のエルマーだ。学費の都合で王都の魔術大学を中退してきたクチで、純粋な魔術スキルレベルはルッツを凌ぐ。

 

「結界堂の警備5時間、結界起動準備の詠唱4時間、その上この夜勤ですよ。これだけやって日給3500ゼラぽっちすよ? 教会の連中、去年よりケチが進行してやがりません?」


 エルマーの言うとおり、教会の金払いは年々渋みを増していた。

 ルッツ達の給与だけではなく、警備の戦士も年を追うごとに減っている。《緋色の御旗》からDランク冒険者が十二名、外の警備にあたっているが、去年はこれに加えてCランクが二名ついていたはずだ。

 

「教会も財政難なんじゃないか」

「いやいやいや、まぁた大聖堂の増築工事やってるじゃないっすか。金余りっすよ連中」

 

 後輩の愚痴に逐一頷きたいルッツだったが、あえて少し無理して教会の肩を持ってみた。

 多少のやせ我慢をしてでも、若輩者に先輩風をフカせたかったのだ。


「どーせ、差額はあの油オヤジの懐に入ってんすよ。やってられませんよ」

「サーモンド司祭か……」

 

 ミサ、洗礼、免罪、寄付、冠婚葬祭エトセトラ。何かにつけ金にがめついことで有名な正統十字教だが、サーモンド司祭は一際悪名高い聖職者だ。

 それこそ、油オヤジの一言で共通認識が得られる程度には。

 

 曰く。寄付金を横領し、私腹を肥やしている。

 曰く。教会に届け出ない私兵隊を持っている。

 曰く。分家たる自分の娘を次期当主の座に据えようとしている。

 曰く。身寄りのない子供を誘拐している。


 事実なら絵に描いたような悪党である。ルッツは話半分に聞いているが、火のない所に煙は立たないとも言う。胡散臭い人物であることは確かだった。


「気持ちはわかるが、そうボヤくな。外の戦士たちなど、日給2000ゼラも怪しいと聞くぞ」

「あんな筋肉ダルマと一緒にしないでください。インテリ立たすにゃ金がいるんすよ。皆が下見て合わしてちゃ、この世は貧民窟になっちまいますよ」

「しかしな……」

「冒険者で実戦派のルッツさんには、研究派の俺の気持ちは分かんねーっすよ」


 エルマーはぼやいた。

 

 この世界の魔術師は大きく三系統に分類される。研究派、実践派、そして実戦派だ。

 研究派は真理の探求と新規魔術の開発を旨とする者達で、時代の変革を担う人々だ。魔術師の花形である。

 実践派はそうした魔術の実世界への適用方法を模索する者達だ。最も層が厚いのも、平均収入が高いのもこの実践派だ。

 残る実戦派はというと、ようは冒険者に同行するような連中だ。より早く、より効率的な破壊を学ぶ、野暮な集団だ。

 

 往々にして(魔術師ギルドの中ですら)研究派は実戦派を見下しがちなのだが、若いエルマーはそうした偏見に比較的染まっていない方だった。

 

「そーいや、聞きました? ガースさん、冒険者廃業したんですって」

「ああ、噂になっていたからな」


 ガースとは、ルッツも幾度かクエストを共にしたことがあった。

 立場を弁え、役割を的確にこなす。図抜けてはいないが、優秀な前衛だった。


「なんでも、新入りに心折られて金もって実家帰ったって噂ですよ」

「伯爵城を攻略した直後にか? まさか。単に金が溜まって満足しただけだろう」

「どっちでもいいっすけど。羨ましい話っすよねぇ」


 エルマーはまだまだぼやく。


「実家引っ込むぐらいならさー。余った金くんないっすかねー。そしたら復学してさー、すっげえ論文の一つでも発表して、こー、さあ。パラダイムっつーか、魔術革命っつーかさー」

「なら、お前もダンジョンの一つでも攻略してみたらどうだ?」

「いやいやいやいや。命の危険とかマジ無理です。オレ、身の程弁え系魔術師なんで。ルッツさんみたいにセンスないですし」


 どうも、エルマーは研究へのこだわりからか、術師としての自分の実力を過小評価する傾向にあった。

 ルッツが小言の一つでも言ってやろうかと思っていると……結界堂の扉が軋んで開いた。


「お疲れ様です。魔術師さんがた」

 

 ぺこりと頭を下げて、ブロードソードを帯刀した青年が現れた。外の警備を担当する《緋色の御旗》の剣士だ。Dランクだけあって、エルマーと同世代の若い冒険者である。


「定時連絡にはまだ早いが?」


 ルッツは一応聞いてみた。青年の用件など、隣の腰の曲がった老婆を見れば一目瞭然なのだが。


「なんすかこの婆ちゃん」

「隣区画のクレア氏だ」

 

 エルマーは面識がなかったようだが、有名な独り身の老婆だった。信心深い正統十字教徒で、毎年街中の結界堂を回って差し入れを配っている。


「ミートパイを……焼きまして。召し上がっていただこうかと……」


 そう言って老婆は湯気沸き立つ手提げ袋を差し出した。


「いや、俺油っぽいの苦手なんで……」

「おい、エルマー」

「そうですか……。なにぶん、年寄りの作ったものでしてねぇ。魔術師先生方のお口にあうかどうか……」

「先生? 魔術師“先生”ですってルッツさん!」


 エルマーはけろりと表情を変えて、手提げ袋を受け取った。

 先生呼ばわりがよほど嬉しかったらしい。


「いやーわるいっすねー! じゃ、先生なんでお先頂いちゃいますわ」

「待て、エルマー。まず臭いの確認からだ。毒味の規則を忘れるな」

「臭わないミートパイなんてないっしょ」


 エルマーのツッコミに、青年冒険者がくすりと笑った。


「あーはいはい、なら、毒味は俺におまかせ下さい。一応、調合の授業で《耐毒》スキルは取得しましたからね。顔が青くなったら《解毒》をお願いしますよ」


 エルマーはミートパイを手近な机に置いた。

 老婆から小さなナイフを受け取って、それを切り分けようとして。

 

『シャァァァァッ!』

「えっ」

 

 丸齧りだった。

 エルマーがパイを齧ったのではない。パイがエルマーを齧ったのだ。

 正確に言えば、パイに潜んでいたワームが、若い研究者の首筋を。


「かっ……ひゅっ……?」


 頸動脈を穿たれたエルマーは、説明を求めて首を指差す。しかし、ルッツの回答よりも早く、赤黒い醜悪なワームがエルマーの首肉を食い千切った。


「チィッ!」


> スキル《風断ち》Lv3起動


 ルッツの無詠唱魔術がワームを縦に引き裂いた。青い返り血が頬に張り付く。

 

> 《シャークワーム》Lv19を撃破しました

 

「エルマー!」

 

 声をかけたが、研究者の未来が断たれたのは明らかだった。

 頸動脈をやられている。ルッツのスキルではどうあっても助けられない。

 

「ぁ……あああ、あ…………」

 

 あまりに突然かつ凄惨な光景に、青年冒険者と老婆が後ずさりする。

 

「ぼさっとするな! 外の警備に伝達! 害意を持った術師の襲撃だ! 信号弾を……!」

「あが、ご、ご……ごぁあああ……!」

 

 否。青年は怯えているのではない。脂汗を流し、体を折り曲げ、腹を抑え、苦しんでいるのだ。彼は喉を不自然に膨らませ、気管の奥から小さな“虫”を吐き出した。

 

(―――――《雷蛍》!?)

 

 結界堂内は雷鳴と閃光に包まれた。

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