三話:いきなりの無機物
「お食事中のところ、誠にすいません」
肉切り包丁片手に、エイトは慇懃に挨拶した。
「お食事に来ました」
ウォーウルフの群れが一斉に振り返る。侮り混じりの殺意がエイトを射抜く。
勝算はない。倒せて一匹か、二匹だ。しかし、何も全滅を狙う必要はない。
相手は追い詰められた一匹狼ではなく、群れなのだ。リスクとリターンを天秤にかける知能があるはずだ。
『この獲物は高くつく』と思わせれば、逃げてくれる。
……そのはずだ。
肉切り包丁を一見して脅威度合いを測ったのか、ウォーウルフ達は即座に目標をクルリからエイトに切り替えた。
小手調べとばかりに、先頭の一匹が飛びかかってくる。
(……あれ? 見えるな)
先刻は一切見えなかった狼の動きが、ある程度に追えるようになっている。
銀の毛を視界の中央に捉えられる。
Lvが上がったせいだろうか。敏捷性強化の効果かも知れない。
突進してくるウォーウルフの頭蓋をめがけ、肉切り包丁を振り降ろす。
敏捷性強化のお陰か、攻撃力強化の恩恵か、安定した太刀筋だ。
しかし、なおもスピードはウォーウルフに分がある。
狼は小馬鹿にしたように身を捩り、鈍重な一撃を躱した。
(それでいい。回避経路が予想通りだ)
ウォーウルフが飛んだのは、エイトが武器を持たない左腕側。素手の方。
《爪撃》の位置だ。
(首筋、捉えた。一匹目……!)
左腕に意識を集中し、そして。
> スキル《爪撃》Lv2が消化されました
> スキルスロットが空になりました
「えっ」
指と爪が空を切る。
《爪撃》は発動せず、ウォーウルフは悠々とエイトの左腕に齧りついた。
(昇華と、消化……?)
この段になって、エイトは自分の致命的な勘違いに気付いた。
(……………………ダジャレか!)
《爪撃》スキルは、ウォーウルフの肉を消化することで発動していたのだと。
消化しきってしまうと、スキルも消滅してしまうのだ。
(何てことだ! ダジャレで戦力を見誤るなんて。ちょっと面白かったけど……!)
あれこれ考える間もなく、エイトはたちまち引き倒される。
ウォーウルフは油断たっぷりに口を開けて……。
牙に石がぶつかった。
「ワンワン! エイトから離れワン!」
クルリだ。逃げずに戦いを見守っていたらしい。
「どっか行けワン! ワンワン! ウー!」
しかし、ひ弱な少女の投石では、魔物を怯ませるに至らない。
ウォーウルフは鬱陶しそうに首を振るだけだ。
エイトはと言うと、ウォーウルフの牙やクルリの果敢な抵抗よりも、彼女の投げた石ころに意識を吸い取られていた。
(うーん、いや、流石にナシだと思うんだけど)
まるで饅頭を扱うように、土のついた石を手に取る。
(無機物だし。消化不能だし。ミネラルはたっぷりかも知れないけど、人としてアウトなような……)
腹が鳴る。
(まあ、しょうがないか)
葛藤は実時間にして二秒足らず。
エイトの右腕は躊躇なく石を口に放り込んだ。
何の変哲もない硬い岩石だが、《剛健歯》の効果か、クッキーも同然の食感だ。
容易く噛み砕き、飲み込む。ミネラルの味がした。
> 《エルダーゴーレムの欠片》Lv37 捕食
> 《弱肉強食》起動
> スキル《岩肌》Lv5を獲得しました
> 昇華:《岩肌》Lv5
瞬間、身体が鉛のように重くなる。
同時に狼がエイトの首筋に牙を立てる。
『ギッ……!?』
しかして、ナイフの如き牙はナイフの如き切れ味を誇れなかった。
牙が欠け、狼が怯む。エイトの肌が硬化したのだ。
エイトは重い腕を振りかぶり、狼の横っ面を殴りつけた。
《攻撃力強化》と《岩肌》が重なった拳は、一撃でウォーウルフの顎を砕いた。
ウォーウルフが図体に見合わない声でキャンと鳴く。
その悲鳴が群れに伝播し、ウォーウルフ達が走り去っていく。
> スキル《岩肌》Lv5が消化されました
> スキルスロットが空になりました
「……危なかったな」
エイトは冷や汗を拭った。
《岩肌》の効果は一時的な身体の硬化と鈍重化のようだ。
時間制限を見抜かれれば二人まとめて餌食だったし、鈍重化に気付かれればクルリが攫われていた。
「じーーーーーーっ」
さておき、クルリは距離を保ってエイトの様子をうかがっていた。
(うーん、引かれたかな。まあ、当然だけど)
さして親しくもないクラスメートが、森の中肉切り包丁を持って現れた挙句、石を食ってパワーアップしたのだ。
しかも、そのクラスメートはウォーウルフの捕食で血塗れだ。
助けられたという事実を差っ引いてもあまりにも怪しすぎる。
これで警戒心を持たないのは、余程のお人好しか大馬鹿だ。
「むむむーん……。えいっ!」
クルリは難しい顔をしたまま、石を一つ摘んで口に入れた。
「うん、ゴリってする! 硬い! まずい! ペッペッ!」
彼女は余程のお人好しだった(好意的解釈)。
「助けてくれてありがと、エイト!」
クルリがエイトに駆け寄り、全身で喜びを表現する。血塗れ相手に顔が近い。
「ちょーカッコ良かった! ちょー硬かった! エイトにあんな特技があったなんて、全然知らなかったわ!」
「いや、今のはスキルを使って……」
「ね、どうやって硬くなったの!? クラス会でも休み時間でも、なーんか表情硬いなーって思ってたけど、あれも修行だったってこと!? 偉い!」
「いや、それは性格……」
想像以上に硬さへの食いつきが凄い。食いついたのはエイトだが。
「あ、パンチしていい?」
「もう硬くないから、パンチはやめて欲しいかな」
「え!!」
「君を助けた硬さは、僕じゃなくて石のものだし」
「石?」
クルリは小首をかしげた。
「どうも、僕は食べた魔物から力を一時的に分けて貰えるみたいなんだ。ゴーレムの欠片が美味しそ……高Lvで助かった」
「そうなの?」
「うん、君は石に礼を言うべきだと思うよ」
「ふーん……。じゃ、石先生もありがとね!」
クルリはエイトの胃袋辺りに頭を下げた。
「石先生、喜んでる?」
「石に感情があるわけないじゃないか。変なことを言い出すね、君は」
「え、えぇー……? 何か納得いかなーい……」
ともかく、エイトはクラスメートの一人と合流した。
現地人ではないので情報量にプラスはないが、他に人がいるというだけで心強い。
それからエイト達は水源を探し、1キロ程度歩いた。
そして、川のせせらぎがハッキリ聞こえるあたりで野営することにした。
雷か、山火事か、腐食か、原因はともかく穴の空いた大木が見つかったのだ。
人が入るに丁度いいサイズで、雨風が凌げる。
火おこしの経験もなければ、燃えそうな枝の一つも見つけられない二人だったが、大木と比較的温暖な気候に助けられ、何とか震えぬ寝床を確保出来た。
「それにしても、びっくりしちゃったわね。いきなり黒い変なお化けが現れて」
「そうだね」
「食べられて」
「そうだね」
「奥多摩にワープなんて」
「そうじゃないね」
「えっ?」
クルリはきょとんとした。
エイトは(きょとんとしたいのは僕だ)と思った。
「君は奥多摩を何だと思ってるんだい?」
「多摩の奥のほう。あ、鍾乳洞あるとこ!」
「うん、そうだけど。でもね、東京都にあんな怪物じみた狼がいると思うかい?」
「でも、奥なのよ」
「奥でもダメだよ」
「そっかー。…………じゃあ、超奥多摩!」
「一回多摩から離れようか」
「超奥茨城っ!」
「多分ここ、異世界だよ」
「イセカイ?」
クルリはきょとんとした。
エイトは(まあ、今度はしょうがないか)と思った。
有り合わせの情報とオタク知識を合わせて、簡単に現状の考察を説明する。
ここは魔法のある異世界らしいと言うこと。
システムメッセージを見る限り、ゲーム的な世界観であること。
強制クエストを送りつけてくる何者かが存在すること。
一つ予想外だったのが、ステータスについて説明した時の反応だ。
「だから、《弱肉強食》って言うのが僕のユニークスキルらしいんだ。君のスキルは?」
「スキルって何?」
「……じゃあ、君のLvは?」
「Lvって何?」
「…………もしかして、0なのかい」
「うん、きっとそれよ!」
「どうやって最初の強制クエストをこなしたんだ? もう日没だろうに」
「強制クエストって、『元気にあいさつせよ』ってやつ?」
「え、あいさつ?」
強制クエストの内容は人によって異なる、ということだ。
「モチ、ヨユーでクリアよ! 中々人が見当たらなくてね。樹皮がちょっと人っぽい木に元気にあいさつしてたら、狼さんが来ちゃったってわけ」
「過剰な元気も困りものだね」
「全くよね! えっへん!」
(何故胸を張るんだろう?)
一通り説明を終えると、クルリはすっかりウトウトしていた。
エイトが「明日は川を下って人里を探そう」と提案すると、「よきにはからえ」との答えがかえってきた。
異世界転移、一日目。
クルリの寝言とウォーウルフの遠吠えを聞きながら、眠れぬ夜が更けていく。