二話:湖の巫女、現る
正統十字教会は世界最大の宗教団体だ。
旧リーベルト伯爵家が代々敬虔な正統十字教徒だったこともあり、リーベルトでは特に強い勢力を誇っている。
住民の三割が信者であり(キリスト教のイメージを持ち込むと少ないように思えるが、この世界では異例の割合だ)街の外れに巨大な敷地を持っており、石造りの立派な大聖堂を構えている。
これまで近づいたことはなかったが、教会は伯爵城に勝るとも劣らない荘厳さとサイズを誇っていた。教化という目的を持つ分、装飾の精緻さ豪華さはこちらに軍配があがるだろう。
週に一度はミサが開かれ、ちょっとしたお祭り騒ぎになるらしい。
(結構、オープンな雰囲気だな)
予想に反して、正統十字教徒は至ってフレンドリーな人々だった。
『邪教徒死すべし!』と叫ばれ、塩をまかれるぐらいは覚悟していたのだが、杞憂だったようだ。
クルリが得意げに胸につけた《女神の従者》の冒険者カードを見ても、眉をひそめすらしない。
宗教のるつぼな世界なので、異教徒との共生は自然な感覚なのだろう。
聖堂裏手の勝手口にお邪魔し、受付の修道女に冒険者カードを見せる。
「《女神の従者》の冒険者です。クエストのご依頼で参りました」
「参っちゃったわ!」
「……少々お待ち下さい」
荘厳な雰囲気に若干気圧されながらも、シスターに連れられ、大聖堂に足を踏み入れる。
曲がりくねった回廊を抜け、通された客間に座る。
絢爛豪華ではないものの、金のかかった客間である。壁に飾られた宗教画も、柱の細工も、絨毯やソファーも一級品だ。座っているだけで何処と無く教化されていく気がする。
信者から絞り上げているというのは事実らしい。
エイトが落ち着かない心地で依頼人を待っていると……。
廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。
「スーメルア様! 何故この私に相談の一つもなく、かようなご決断を!」
「あら、すみません。司祭は近頃何やらお忙しいようでしたので」
一方はハリのある男の声で、もう一方は透き通るような女の声だ。
スーメルアというのは正統十字教リーベルト地区の湖の巫女の名だ。いわゆる地区長的な役職で、湖の管理と祭については絶対の権限を持つ人物だ。
そのスーメルア相手に声を荒らげているので、男の方も高い地位の神官らしい。
「信徒でもない冒険者を使うなど、私は反対ですぞ! 《緋色の御旗》の面子を潰します!」
「あら、《緋色の御旗》には煮え湯を飲まされたばかりではありませんか。先日の対価と言えば連中も口を噤むでしょう」
「う、それは、そうですが……。しかし、どこの馬の骨とも知れぬ者を、神聖なる湖に立ち入らせるなど!」
「信頼出来る冒険者だと言ったでしょう。私を疑うのですか?」
「ならば訂正いたします。彼ら個人の問題ではありません。どこの馬の骨か、知れているのがいかんのです。《鉄甲兵団》ならば我慢もしましょう。しかし《女神の従者》はなりません! 男とも女とも知れぬあの冒涜的ギルドマスター……ああ、想像するだけで汚らわしい!」
「話せば解る方でしたけれど」
ヒートアップしていく神官男と、受け流すスーメルア。
信者は異教徒に寛容でも、神官までそうとは限らないようだ。
エイトはすぐにでも帰りたい気分になってきた。
「そも、冒険者にとっても益ある話ではないのです! どうなされたのですか、全く! 以前のスーメルア様ならば、このような軽率な……!」
「……私が成人して二年が経ちますが。どうやら、まだ保護者気分が抜けきっていないようですね」
開け放たれた扉の真ん前で、少女と男が対峙した。
一方は純白、清楚といった形容が似合う少女だった。
透き通るような肌と、色素の薄い髪。対象的に深い蒼色の目。身にまとうきらびやかな衣装も装飾の数々も、彼女自身の美しさの前では引き立て役に過ぎない。
もう一方は脂ぎった中年男だった。
背は低いが、胴回りは太く、神経質そうで、典型的うるさ型といった印象だ。
「湖の、巫女は、私です。サーモンド司祭」
「ぐ……ぅ……」
巫女の少女らしからぬ眼力に、司祭が後ずさりする。
スーメルアの目には、聖職者の圧力と言うより、不良のガンつけ的なパワーがあった。
「司祭には、小言よりもすべき仕事があるはずですが?」
「……失礼いたします」
司祭が苦虫を噛み潰した顔で去っていく。エイト達の顔は見ようともしなかった。
スーメルアは一礼して客間に入ると、修道女達を下がらせて部屋を締め切った。
「お見苦しいところをお見せしました」
そう言って、スーメルアは丁寧に頭を下げた。
「私は巫女スーメルア。リーベルトの正統十字教を束ねる立場にあるものです。あの男はサーモンド司祭。私の叔父にあたる方ですわ」
漏れ聞いた話とスーメルアの説明を総合すれば、エイトとクルリの起用は、スーメルアの鶴の一声で決まったようだ。幹部級に相談もなく、かつ伝統を無視した発注だったので、組織内から反感を買っているらしい。エイトにとっても迷惑な話だ。
「どうして組織の反対を押し切って、僕達に《龍の涙》回収を?」
「驚きましたわ。本当に、あなた達が来るなんて」
問いかけをあえて無視して、スーメルアは自分の話を続けた。
苦手なタイプだ。とエイトは思った。
「Lv20にも至らずに、あの《嘆きの伯爵城》を攻略なさった新進気鋭の冒険者。巷の噂を耳にした時は、まさかと思いましたが……」
「お知り合いなの、エイト? 仲良さそうだけど、お友達?」
エイトは首を振った。
身に覚えが無さ過ぎる。町中ですれ違える身分でもないのだから、人違いに違いない。
「まだ、わかりませんか? クルリ様」
「全然!」
「エイト様は?」
「全くです」
「そうですか」
スーメルアは悪戯っぽく笑った。
「それにしても、お二方。少し見ない間にずいぶん仲良くなられましたのね?」
「「……え?」」
エイトとクルリは、揃って間抜け面を晒した。
スーメルアの言葉に脳が追いつかなかったのだ。少し見ない間にも何も、まず会ったことがないはずだ。そもそも仲良くなっているのだろうか。
「距離感が近いですもの。クルリ様はともかく、エイト様はパーソナルスペースがとても広い方でしたわ」
(知ったような口を……。……でも、まあ、言われてみれば……)
エイト自身意識してこなかったが、クルリが近づいて来ても不思議と不快感を覚えない。ペットの犬にじゃれつかれるような、落ち着く感覚があるのだ。
なお、ダニエラは視界に入るだけで気分を害する。
「信頼されているのですね、お互いのこと」
「し……しんらい……。エイトが、あたしを……?」
クルリの頬が少し赤らむ。
「もしかして、もう付き合っていらっしゃるのですか?」
「ご、誤解です。僕達はそういう関係ではありません」
「あら、そうでしょうか?」
スーメルアの悪戯は止まらない。
「私とエイト様の関係を疑った時、クルリ様ったら不機嫌そうでしたわ。ねえ?」
「……いい加減にしてください」
エイトは席を立った。我慢の限界である。
「クエストの話をしないのなら帰らせて貰います。クルリさん、援護射撃よろしく」
「……ごかい……だから……」
「そう、誤解だよね」
「ご、五回だから! い、一緒に寝たの、五回だけだから! エイトとは五回一緒に寝ただけ!!」
「何言い出してるのクルリさん!?」
「ぶっふ!」
聖女が吹き出す。
「うっそ、マジで!? 何!? お前らそこまで進んでんの!? ウヒャヒャヒャヒャ!」
気品、清楚、身に纏う形容がドミノ倒しの勢いで崩れていくが、エイトはそれどころではなかった。
「クルリさん!? 君は、一体、何を、捏造して……!?」
「え、え!? だって、寝たでしょ!? 最初の日と、農場の日と、朝目覚ましの時!」
「確かに五回だけど、その五回は求めてないよ!」
「え。求めて、ないの……?」
「い、いや、嫌って意味じゃなくてね」
「ひぃー! ひぃー! 天然記念アホと大食いクソ童貞が、マジかよ! 吊り橋効果つえー! やっべツボった! 腹痛ぇ!」
完全無欠の聖女様が、手を叩き、腹を抱えて高級絨毯を転げ回る。
ネタに笑うのではなく、笑いに笑っているようなオーバーアクションだ。
(あれ? ……この、笑い方は……何処かで、見覚えがあるような……)
「あ、あー! も、もしかして! あなた!」
「おう! そーだよ、よーやく気付いたか。オレだよオレ」
手の甲で涙を拭いつつ、正統十字教会の巫女、スーメルアは自己紹介をやり直した。
「クラスメートの小杉アヤメだ」




