二十五話:城蜘蛛鍋
大きな仕事を終えた夜は、ギルドで宴会を開くのが通例だ。
港の倉庫から、酒や肉、魚やパンをかき集め、夜を明かすまでのどんちゃん騒ぎをする。もちろん、代金は全て主催者の奢りだ。
売れない冒険者がタダ飯にありつける貴重な機会であるが、それ以上に成功者のパフォーマンスとしての意味合いが大きい。盛大な宴会を開くことで実力を誇示し、名前を売るのだ。
趣向を凝らすとそれだけ人が集まり、仕事も集まる。逆に莫大な報酬を得ながら食材をケチったりすると、悪評が立ってしまう。
けれど、エイト達はリザにワガママを言って、宴会の予定を一日ずらしてもらった。
理由は明快。今夜を逃せば、大事な食材の鮮度が落ちるのだ。
―――――それでは―――伯爵城――攻略を――――祝して―――――――
「かんぱーい!」
クルリの掲げた木製コップに、エイトとラアルが各々のコップを打ち付ける。
そこは始まりの森。エンティ様のお膝下だ。
初日の夜に比べると、少しばかり気温が低い。風よけがないと肌寒い。
しかし、それを帳消しするだけの熱量が目の前にあった。
鍋だ。
枯れ木を拾って、火をおこし、空洞甲冑の兜を加工した鍋をしかけた。
しめじチックなキノコに椎茸。どっさりの白菜に長ネギに、にんじんを少々。中央に陣取るは主役の巨大城蜘蛛だ。殻ごと投入はサイズ的に不可能なので、白い身だけの投入だ。外殻はいくつかに砕いて藻と一緒に出汁に使った。
「マジで? マジで食うのお主ら? フリーダ様食っちゃうの? 共食いとか気にしないんか?」
「人間側の遺体は、ちゃんと埋葬したじゃないですか。彼女はあくまで魔物です」
「そらそーじゃがのう。……つか魔物もアウトなんじゃが」
各野菜と蜘蛛を均等によそい、手製の箸で口をつける。
(あぁ……。いいな)
外殻から太い身を剥がすのに苦労はしたが、城蜘蛛の筋繊維は細やかだ。叩いてほぐした白い身が、舌の上でほろほろと崩れていく。染み込んだ蜘蛛と昆布のだしが溢れて胃に流れ込む。
> 《伯爵令嬢フリーダ》Lv29を捕食しました
> 《弱肉強食》起動
> 《礼節呪詛》Lv1を獲得しました
(ポン酢があれば、とも思ったけれど。塩味でも充分いけるな)
舌が焼け付くような貴族流濃い味メニューも悪くはないが、この落ち着きこそ日本人だ。
「んまーーーーーーいっ!」
クルリが料理漫画チックにリアクションする。
「城蜘蛛さんこそ、鍋のお姫様よ!」
「伯爵令嬢だからね」
「やめい」
「こんなに美味しいのに、ガーさんってば勿体なーい」
「ま、奴もケツの青いガキだからの。まだまだ祝う気分にはなれまい」
二杯ほど平らげると、次はバターを投入して味に変化をつける。
緊張の糸がほぐれ、ダンジョン攻略の疲弊が薄らいでいくのを感じる。
「あ、そだ。エンティ様にもあげるわね」
クルリが夜風で充分に冷ました汁を、エンティの根本に注ぐ。
―――――結構―――――イケますね―――――――
「ほんと!? やったー!」
―――ええ――百六十九年前の――氾濫――以来の―――栄養価です―――
―――――塩気が―――少し―――気になりますが―――――
「マジでか……。マジですか……。エンティ様……」
ラアルは決して城蜘蛛鍋には手を出さず、隣のタラクリーム鍋にばかり食べている。晩餐会では我慢していたものの、基本的に魔物食は受け付けないようだ。
「しかしまぁ、フリーダ様相手によう一人でやったのう、エイトは」
「でっしょでしょー! エイトってばチョー凄いんだからね!」
「運が良かっただけですよ。ガースさんとラアルさんのサポートが無ければ戦いにもなっていませんでしたし」
同じステータスと同じスキルを貰って同じ仲間がいれば、誰にでも出来ることだ。エイトはそう思っていた。
「経験値もたんまり入ったんじゃろ? レベル上がったかの」
「3つ上がりました」
「3とか! ダンジョン攻略一回で3とか。お主のレベル、タケノコみたいでキモいのう」
「タケノコを悪く言うのは止めて下さい」
そっちでええんか、とラアルが呟いた。
「レベルなんか気にしないでも、エイトってばサイキョーになっちゃったんじゃない?」
「え、そうかな?」
「だって、これでいつでも《礼節呪詛》が使えるんでしょ?」
そう言って、クルリは傍らの木箱を叩いてみせた。
さて、大きな収穫はなくフリーダの魔術工房を後にしたと言ったが、それはあくまで情報面の話である。生活面では非常に有用なマジックアイテムを手に入れた。
それがクルリの脇に置いた木箱。冷凍庫である。
見た目は小さめのクーラーボックスだが、蓋を開ければそこには氷の洞窟が広がっている。召喚/送還の魔術を駆使したマジックアイテムなのだ。
リザに気温計を借りて計測したところ、洞窟は氷点下20度以下の測定不能域だった。元の世界の冷蔵庫ほど気の利いたものではないが、これで手に入れた食糧を氷漬けにしておける。
料理しきれなかった城蜘蛛の身は、冷凍庫に入れて保存することにした。ちなみに、内臓は塩漬けにして発酵させている。
話を戻すと、《礼節呪詛》はダニエラすら無力化するスキルだ。使いこなせれば強力なのは間違いない。
「どーんなに強い魔物さんでも、お食事時にお邪魔して、『いただきます忘れたでしょーっ!』 って叱れば楽勝じゃない」
「嫌な奴じゃのう」
エイトは心底同意した。
「正直、今回のは特例だと思うよ」
現実問題、《礼節呪詛》は運用しやすいスキルではない。
まず、最低限の文化がある相手でなくては通用しない。野犬には野犬なりの食事の流儀がある。そこに目くじらを立てられるエイトではない。
次に、相手が目の前で食事を始めないといけない。言うまでもなくハードルが高い。
さらに、相手が頂きますを言ってはいけない。相手の行儀が良くてもダメであるし、情報が漏れてしまっても通用しなくなる。
最後に回数制限がある。フリーダの身の量に限りがあるからだ。
「多用は出来ないし、依存しない方がいいスキルじゃないかな」
「んー、そっかー、残念」
「劇的なパワーアップもいいけど、地道に着実に成長していくのも悪くないよ」
食は一日にしてならず。人を形作るのは至高の一食ではなく、積み上げた食生活と折り重なった犠牲だ。チートスキルと言えど、そこは違えたくないと、エイトは思っていた。
ラアルが腹をさすって脱落し、クルリも横になる。最後まで食べ続けていたのは、いつも通りエイトだ。城蜘蛛鍋とタラクリーム鍋を空にし、鍋も食べきって、掌をあわせる。
「ごちそうさまでした」
> 再照合を開始します。
(ん? 何だって? 再照……――――ッ!?)
何の前触れもない頭痛が、エイトを襲った。
(な……んだ、これは……!)
痛い。ただただ痛い。神経を掻きむしられ、脳を噛み砕かれるような痛みだ。
全身が痙攣し、脂汗が吹き出て、胃液が這い上がる。
> 経歴を参照します…………。
> 人格を参照します……………………。
> 罪状を参照します………………………………。
> 完了。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ……!」
「へ、平気!? エイト!?」
「あ、ああ……。少し頭痛がしただけだよ。もう問題ない」
心配そうに覗き込んでくるクルリを、手で制する。
怪我や病気の類でないことは解っていた。
> 条件達成。《弱肉強食》Lv1→Lv2
> ユニークスキル《恒常昇華》が開放されました。
「どうも、スキルが強くなったらしい」
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翌晩、リーベルトのとあるステーキ店にて。
荒くれ者の常連達が遠巻きに一人の男を眺めていた。
店一番の最高級肉厚ビーフステーキを、最低未満のマナーで貪る男だ。
「ア゛ァ……バァッ! ガッ……!」
犬食いだ。ナイフもフォークも使わず、手も使わず、焼けた鉄板に頬を擦り付け、小汚く音を立てて肉を貪っている。コップは倒れ、シャンパンがこぼれ、ステーキソースと綯い交ぜになっている。
肉が不味くなるぜ、と一人がぼやいた。客はみな心の中でそれに同調したが、決して誰も咎めにはいかなかった。店員も汚れた床を拭きに行こうとすらしない。
男の風体があまりに異様なのだ。
黒を基調とした外套には、異国呪術的な紋様が描かれている。白いバンダナで目隠しをしており、視線が読めない。
何より奇妙なのは、その両腕だ。
薄汚れた布に撒かれた両腕は、明らかに成人男性のそれではない。
子供の腕よりも細い上に、すだれのように肩から垂れ下がるばかり。何の機能も為していない。
布の隙間からは、黄ばんだ白……骨の色が見えている。
異様なのは一人だけではない。男の背後に控える双子のメイドもまた、常人ではなかった。
メイド達は直立不動で、無様な犬食いを続ける主人を冷淡に見下ろしている。
いや、『見下ろしている』は間違いだ。二人共、主人同様目隠しをしているのだから。
「坊ちゃま。《伯爵城》が攻略されたそうです」
「坊ちゃま。フリーダが再び没したそうです」
唐突に、そして交互に。メイド達が言葉を発する。
「坊ちゃま。攻略者のお名前、読み上げます」
「坊ちゃま。ガースとカシマダクルリとニイガキエイト、だそうです」
「く……る、り……」
ピタ、と。男の食事の手が、否、口が止まった。
「あぁ……あぁ! そうだよね! クルクルクルクルククルクルクゥゥゥルリィィィィ!」
食べかけのステーキを鉄板ごと床にぶちまけ、代わりに古ぼけたノートを開く。
白骨化した腕でどうやってノートを取り出したのか、客達には解らなかった。
ノートを舌でめくり、メイドが差し出したピンクの長方形と比較し、男は満足げに頷いた。
「音ォ、文字ィ! 一致確認! そうだなァ、やはりなァ、見ての通りだなァ!」
引き攣った笑みを貼り付け、男は叫ぶ。
「また喜んでくれるかい、姉さぁぁぁん……!」
店員も客達も、ただこの迷惑客が早く去ってくれることを願うばかりだった。
ヴィヴィッドピンクの平べったい長方形の正体についてなど、誰も考えることはなかったし、考えたとしても、決して正解することはなかっただろう。
当然だ。この世界の人間は、『スマートフォン』などと言う単語すら知らないのだから。
そのスマホには今どき珍しく、マジックで持ち主の名前が書かれていた。
『かしまだクルリ』と。