二十話:嘆きの伯爵城再攻略編その2
庶民にとっての食卓が憩いの場なら、貴族にとっての食堂とは、品評の場である。
全盛期の伯爵城の晩餐会には、大小様々な有力者が取り入ろうと名乗りを上げたに違いない。言葉や一挙手一投足から、有用な人材を選別する。席順の決め方、話題選び、それら一つで運命ががらりと変わる。
言うなれば、ここはある種の戦場だ。歴史の影、脈々と権力の移り変わりを描いてきた戦いの場に、今宵、エイト達も足を踏み入れたのだ。
「あらまあ。とうとう招待客がいらっしゃったのね」
フリーダがスカートの端を摘んで会釈する。記憶が摩耗しているのか、エイト達の顔も、ラアルの顔も覚えていないようだ。
「よくお越し下さいま……」
その微笑みに真っ先に応えたのは、ガースだった。
予備動作0で槍が走り、フリーダの首を刎ねる。
「挨拶代わりだ。受け取っとけ」
鮮やかな手並みだ。首を刈り取りながらも、フリーダの髪は乱さない。脈のない死体相手とは言え、血の一滴も跳ねさせず、誰の服も汚さない。
伯爵令嬢は悲鳴一つ漏らさず、淡々と首切りを受け入れた。
食事前にしてはやや刺激的な光景だが、それでもエイトは祈るような気持ちでフリーダだったものを見下ろした。
(頼む。起き上がらないでくれ)
あれから、エイト達はエンティからありったけの情報を引き出していた。
《礼節呪詛》は、礼を失した相手を呪い、肉体の自由、魔力の行使、あらゆるスキルの発動を制限するスキルだ。
ここで注目すべきは、『失礼』の判定には、明確なルールが存在し、主観の入り込む余地がないことだ。
クルリがクロスボウを放っても《礼節呪詛》を喰らわなかったのは、フリーダが「晩餐会でクロスボウを放ってはなりません」と教わってこなかったからだ。
エンティ曰く。
―――――心―――では―――ないのです―――――
―――――あの子にとって―――礼とは―――形―――なのです―――――
ルールの数はスキルレベルに等しい。エイトが呪縛を受けた際のシステムメッセージを信じれば、《礼節呪詛》のレベルは37。
つまりは、伯爵令嬢フリーダを食卓に乗せる為には、彼女の晩餐会で37の禁則事項を守りながら戦わなければならない。
禁則事項の選定は意識して出来るものではない。体に染み付いた礼節の観念から規定される。フリーダの礼節感は父母の躾が100%を占める。そのため、エイト達は伯爵夫人の書いた礼節本から、晩餐会に潜む37のルールを推察した。
そして、三日間の作戦会議の末出た結論は、フリーダに攻撃を加えられるタイミングは、僅か二回という事だった。
頭の下げ方、手の位置、視線、その他姿勢について言及されている箇所では、それに外れた行動をとれば《礼節呪詛》に囚われてしまう。
禁則事項を気にせず、自由に行動出来るのは二回。
その一回が今、挨拶を受ける前だ。
今フリーダの人間体を倒せたならば、晩餐会は中断。
あとは《礼節呪詛》の縛り無く、大手を振って蜘蛛と戦えるのだが……。
その期待は淡くも崩れ去った。
大蜘蛛が糸を巧みに操り、フリーダの首を縫合する。
ほんの数秒で、フリーダは元の彼女に戻っていた。
「こんばんは、皆々様」
チャンスタイムは終わりだ。
頭を下げられた。挨拶は返さなければ礼を失する。
踵を揃え、背筋を伸ばし、かと言って固くなりすぎず、腰を45度曲げ、エイト達は返礼する。
「それでは、領民の皆様。こちらにお掛け下さい」
言われるがまま、円卓を時計回りに、伯爵、伯爵夫人、フリーダ、エイト、ラアル、ガース、クルリの順で席につく。
ちなみに、伯爵と伯爵夫人はアンデッドですらない。ただの高い布を被った骨だ。
伯爵夫人の礼節本によれば、席順は主人の社会的嗅覚によって決定されるものだ。男女が交互に座り、隣同士で談笑しなければならない。(つまり、ラアルは女性カウントだ)
当然、勝手に席を立つ事は無礼とされる。背筋は主人を見下さない程度に伸ばさねばならず、食卓に肘をつくような真似はご法度だ。
この段階になると、フリーダや蜘蛛本体を直接攻撃するのは危険だ。今晩餐会を中座されてしまうと、最悪一生立ち上がれなくなる可能性がある。
一度腰を下ろしてしまった以上、エイト達に逃げ場はない。
晩餐会をつつがなくこなし、二度目のチャンス――食後の懇談会――を待たなければならない。
(……だけど、どうしよう)
エイトは困ってしまった。
フリーダと話そうにも、ネタがない。フリーダの隣は年長者でレベルも高いガースが案内されると思っていたのだ。油断である。
ガースとラアルは毒にも薬にもならない世間話を繰り広げ、クルリは持ち前のコミュ力を発揮し、骨だけの伯爵に骨粗鬆症の話をしている。
黙っていればフリーダが小粋なジョークをかましてくれるかと期待したが、それもない。お互いにコミュ障気味なのだ。
「えーと……ところで、貴方の本体はあの蜘蛛ですか?」
「ごっふッ! えっふッ!」
隣のラアルがむせる。
「はて、何のことでしょうか?」
「あの蜘蛛です。大きくて、身が詰まってそうな」
「ああ、あれですか。便利な使い魔ですわ。手足の如く、意のままに動きますの」
「先程貴方の首を飛ばしたときは、あの蜘蛛が修繕をしていましたよね」
「げっふッ! もふッ!」
「お裁縫は得意ですの」
「ごぶっふッ! のっふッ!」
「むしろあちらに脳があり、貴方こそが傀儡では?」
「かひゅー! もひゅーっ!」
隣のラアルがむせ続ける。
「躾を受けるのはこの私。礼をこなすのはこの私。ですから、これが私ですわ。意識の在り処など、些細なこと」
(なるほど。それがフリーダの認識か)
「さて、食事の支度が出来たようですわ。私達も支度をしませんと」
フリーダが片手を上げると、部屋の奥から執事服の空洞甲冑が二体現れた。鎧の上にサイズの合わない服を纏っているので、胸元のボタンが弾けそうだ。
執事役は一体が銀色のフィンガーボールを持ち、もう一体がタオルを腕にかけている。
それらはカタツムリばりのゆっくりした動きでエイトまで歩いてくると、おずおずと、ボールを差し出した。
(……なん、だ、これは……!?)
エイトは目を疑わずにいられなかった。
そのボールには、波々と水が注がれていた。水面が浮き上がり、表面張力が観察出来るほどにだ。
フリーダはあくまでにこやかだ。
「よもや、水を零すような無作法は、なさいませんよね?」
エイトは「なら君からやってみろ」の一言を我慢強く飲み込んだ。
手洗いは位の高い客人から。このルールは絶対だ。拒否は不可能だ。時間稼ぎも難しい。
しかしどう見積もっても、水面の均衡を保ちながら手を洗えるようには見えない。
フィンガーボールの文化は手掴みでモノを食べていた頃の名残だ。衛生のため、完璧な洗浄が要求される。指先を微かに浸すような誤魔化しは許されない。
背後で床の軋む音がする。背中に人ならざる視線を感じる。
大蜘蛛だ。蜘蛛が歩いてきたのだ。無礼者の首を啄む瞬間を、今か今かと待っている。
打開策を考える。目眩ましをかけて、その隙に手を洗うか。フィンガーボールを無視し、先に攻撃をしかけるか。いっそ思い切り水を零し、後続の負担を軽減するか。
どの案もリスクが大きすぎる。
エイトは考え考え、考え抜いた挙句……。
「……では、お先に」
第一関節をそっと浸した。
度を超えて冷えた水が神経を刺激する。
水面にさざなみが立つが……溢れない。
第二関節もねじ込む。
水面がカップケーキさながらに盛り上がる。
……まだ、溢れない。
指の付け根、手首。
明らかに許容量オーバーの体積がボールに沈み込んでいく。
だが、水面は絶妙なバランスを保ったままだった。
エイトは静かに手を揉み洗い、執事の差し出したタオルで水気を拭った。
「頂戴いたしました」
満足そうに頷くフリーダ。離れていく鈍重な足音。
エイトは胸を撫で下ろしつつ、フィンガーボールをラアルに回した。
(助かりました、ラアルさん)
(ふん、ちっとは年寄りを敬う気になったかのぅ)
ラアルがエイトの袖から蔦を通し、掌に隠れてフィンガーボールの水を吸い上げたのだ。
全員の手洗いが済めば、次はいよいよ食事である。
この地方の食事には、デザートを除くと、フランス料理のような順序の概念はない。
パンと大皿料理を並べ、取り分けて食べるスタイルだ。
執事服の空洞甲冑が三体ならんで大皿や鍋、カゴを運んでくる。
円卓に次々と並ぶ艶やかな料理に、エイトは目を見開いた。
「これは……!」
「城蜘蛛料理ですが、それが何か?」
巨大蜘蛛がエイトの背後に迫る。
「まさか……魔物だからと言って、領主の料理を食べられないとはおっしゃいま」
「無論ですとも!」
「論なしよ!」
巨大蜘蛛はそそくさと去っていった。